|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第八十一番・白峯寺 |
|
|
 |
参拝日 |
2018年3月31日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月31日 6日目
6日目は81番〜82番
|
白峯寺の歴史・由来
青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されました。弘仁6年、白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立しました。後に智証大師は、山頂できらめく光を見つけて登頂。山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられます。
白峯という、まろやかな響きを持つこの寺には、有名な物語が二つあります。
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の句です。都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられました。三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名です。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいます。
また白峯山には心優しい相模坊という天狗が住んでいると伝えられています。ある夕方、小僧さんが木綿豆腐を買いに出かけたところ、突然、何者かに背中を押され、空を飛ぶような感覚になりました。そして次の瞬間、田舎では見ることない上等の絹豆腐を受け取り元の場所に立っていました。これは、夕方買い物に走る小僧さんを気の毒に思い相模坊天狗が助けてあげたと語り継がれています。
白峯寺の見どころ
勅願門:行者堂応永21年(1414)に後小松天皇奉納の勅額(国宝)を掲げた門。
山門(七棟門):巨大な杉に迎えられる白峯寺の山門。高麗形式の門の左右に2棟の塀を連ねた珍しい堀重門です。
十三重石塔:参道の杉木立の中に二基。源頼朝が崇徳天皇菩提のために建てた供養塔。国宝。
阿弥陀堂:本堂の左手、阿弥陀三尊像の後方に、木造の阿弥陀如来小像が千躰並んでいます。
宗派: 真言宗御室派 本尊: 千手観世音菩薩 開基:弘法大師.智証大師
創 建: 弘仁6年(815)
真 言: おん ばざら たらま きりく
住所: 〒762-0016 香川県坂出市青海町2635
電 話: 0877-47-0305
駐車場: 普通車(門前)30台、第二、第三駐車場 200台 午前7時?午後5時 無料 宿 坊: あり(団体のみ、要予約)
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


81番・白峰寺 御朱印 |
80番国分寺門前の「えびすや」6:30出発.白峰寺を目指す7.3`のへんろ道を進む(右正面の遥か山の上の鉄塔付近) |

81番・白峰寺
81番・白峰寺 |
82番・根香寺4.9`先 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第八十二番・根香寺 |
|
|

82番・根香寺
仁王門から本堂への参道  |
参拝日 |
2018年3月31日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月31日 6日目
6日目は81番〜82番
|
四国八十八ケ所 第八十二番札所 根香寺の歴史・由来 |
根香寺の歴史・由来
五色台の主峰、青峯山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峯に「花蔵院」を建立されました。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれます。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めました。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されました。寺には次のような伝説があります。昔、青峯山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいました。村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことしました。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけました。すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見しました。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれています。
根香寺の見どころ
五大尊像:納経所左。弘法大使の開基ゆかりの五大明王。不動明王、降三世夜叉明王、軍茶利夜叉明王、大威徳夜叉明王、金剛夜叉明王
牛鬼の像:山門近くの茂み内。伝説に出てくる牛鬼が鬼気迫る面持ちで建っています。
万体観音:本堂前の凹字型回廊に、全国の信者が奉納した約三万三千体の観音像が並んでいます。
宗 派: 天台宗
本 尊: 千手観世音菩薩
開 基: 弘法大師、智証大師
創 建: 弘仁年間(810?824)
真 言: おん ばざらたらま きりく そわか
住 所: 〒761-8004
香川県高松市中山町1506
電 話: 087-881-3329
駐車場: 普通車20台(午前7時?午後5時)無料
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


82番・根香寺 御朱印 |
万体観音
本堂前の凹字型回廊に、信者が奉納した約三万三千体の観音像が並んでいる。 |

12`先の今日の宿、高松温泉ニューグランデみまつへ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第八十三番・一宮寺 |
|
|
 |
参拝日 |
2018年3月26日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月26日 1日目
最後の四国遍路の出発は高松空港から10`の83番一宮寺からスタートする。
|
一宮寺の歴史・由来
創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史を誇ります。開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名されました。また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの"聖観音"
聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあ たり、この時に真言宗に改宗されました。この寺も同じく、天正の兵火により灰燼に帰しましたが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。また江戸時代に高松藩主により田村神社の別当を解かれました。神仏分離の200年も前の出来事です。この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠があります。これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがあります。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われます。昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなりました。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝りました。すると頭はすっと抜けました。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になったそうです。
一宮寺の見どころ
本堂:護摩堂前創作石灯籠本堂立派な楠木に守られた本堂は、元禄14年(1701)、十方施主により再建されました。
一宮御陵:本堂左手前にある三基の宝塔。江戸時代の神仏分離の際に田村神社から移築されました。
地獄の釜:伝説の釜は、弘法大師が戒めのために作られたと伝えられます。
護摩堂前創作石灯籠(西村金造氏作)
宗派: 真言宗御室派 本尊: 聖観世音菩薩 開基: 義淵僧正
創 建: 大宝年間(701?704)真言: おん あろりきゃ そわか
住所: 〒761-8084 香川県高松市一宮町607 電話: 087-885-2301
駐車場:普通車40台・大型車20台午前7時?午後5時無料 宿坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


83番・一宮寺 御朱印
|
あしかけ6年かかった四国遍路も今年が最後。
2018年3月26日羽田空港から〜10:15分 高松空港到着。65〜88番寺のうち82番・一宮寺参拝からスタートする。
|
 |
空港から約10` 83番・一宮寺到着
|

83番・一宮寺 |
 |
83番・一宮寺から琴電で琴平に向かい一泊。金毘羅さんを参拝する。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
煩悩を胸の智火にて八栗をば 修行者ならで誰か知るべき
|
|
|
|
|
|
第八十五番・八栗寺 |
|
|

84番/屋島寺から一度麓に下り85番/八栗寺へケーブルカー駅脇を登る
85番・八栗寺手前の接待所『「仁庵」』で手厚い接待を受ける。 |
参拝日 |
2018年4月1日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年4月1日 7日目
7日目は84番〜85番〜86番 |
八栗寺の歴史・由来
大師堂屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。八栗山はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登られます。 天長6年、大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。
そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし五剣山と名づけらました。
五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。 延暦年中、大師は唐へ留学する前に、再度この山に登りました。そして仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていました。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼しました。しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになりました。五剣山は、宝永3年(1706)に、大地震を遭い、昔は五つの嶺のうち、東の一嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になりました。
八栗寺の見どころ
聖天堂:参道の正面に立つ聖天堂は木喰以空上人が東福門院から賜った歓喜天が祀られています。商売繁盛や学業成就、縁結びにご利益があると言われ「八栗の聖天さん」として親しまれています。
中将坊:さぬき三大天狗の一つ。夜に山から下りてきて、民衆のために良いことをして朝帰る天狗。中将坊堂脇に下駄を奉納し翌日下駄が汚れていれば中将坊が働いてくれた印だとか。
鐘楼:寛政3年(1791)建立。鐘楼堂に歌人で書家でもあった会津八一(あいづやいち・秋草道人)の作歌揮毫の歌銘のある梵鐘があります。
「わたつみの そこゆくうをの ひれにさへ ひひけこのかね のりのみために」
宗 派: 真言宗大覚寺派
本 尊: 聖観世音菩薩
開 基: 弘法大師
創 建: 天長6年(829)
真 言: おん あろりきゃ そわか
住 所: 〒761-0121
香川県高松市牟礼町牟礼3416
電 話: 087-845-9603
駐車場: 普通車 250台、マイクロバス10台大型車10台 午前7時?午後6時 無料(正月は700円)
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


85番・八栗寺 御朱印 |

85番・八栗寺
85番・八栗寺
1週間前の3月27日から同じ行程の和歌山姉妹とまた再会励ましあう |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつ
|
|
|
|
|
|
第八十六番・志度寺 |
|
|
 |
参拝日 |
2018年4月1日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年4月1日 7日目
7日目は84番〜85番〜86番 |
志度寺の歴史・由来
香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。
室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があります。
志度寺の見どころ
仁王門(国指定重要文化財):門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。
本堂・本尊(国指定重要文化財):本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は平安時代の檜一木造り。讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て重要文化財に指定されています。
海士の墓:能楽でも詠まれる藤原家にまつわる悲話の舞台、藤原房前が母のために建立したと言われる「海士の墓」が約20基並んでいます。海士の命日である7月16日には、「志度寺の十六度市」が開催されています。この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っております。
曲水式庭園・無染庭(むぜんてい)
「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的。書院の正面に作庭された無染庭は禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。拝観料無料。
宗派: 真言宗 本尊: 十一面観世音菩薩 開基: 藤原不比等
創建: 推古33年(625) 真言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 〒769-2101 香川県さぬき市志度1102
電 話: 087-894-0086
駐車場: 2ヶ所・無料50台 宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


86番・志度寺 御朱印
|
85番・八栗寺から今日最後の86番・志度寺までは7`。
志度は源平合戦の史跡や平賀源内の生誕地など歴史のある風情のある街 |

86番・志度寺
86番・志度寺 |
四国札所中、五重塔は、31番竹林寺、70番札所、75番善通寺とここ86番志度寺の4ヶ所 |

さぬき市志度「たいや旅館」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ
|
|
|
|
|
|
第八十七番・長尾寺 |
|
|
 |
参拝日 |
2018年4月2日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年4月2日 8日目
とうとう結願の日だ。徳島・霊山寺から始めた遍路もいよいよ最後の一日。過去4回の遍路が走馬灯のように浮かび胸がいっぱいになる。歩いた人は皆同じ感動を覚えることだろう。
お四国病といって結願するとまたどうしても四国へんろに出たくなるそうだが、その気持ちがよく解る。また、お四国病院ともいう人がいて、遍路をすると少々の病は快方に向かうそうだ。たしかに一日数十キロ歩くのは健康でなければ歩けない。 |
長尾寺の歴史・由来
明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。 開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、そ
の木で聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置。法相宗を開基しました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。 唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ
書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。
長尾寺の見どころ
大会陽力餅:現在は福餅投下と、三宝にのせた大鏡餅(計150kg)の運搬競争が行われている。
本堂:天和3年(1683)、藩主松平頼重が堂塔を建立しました。本尊は、幾多の火災でも難を逃れ、秘仏として讃岐七観音の中でも当国七観音随一と指定しました。
静御膳剃髪塚:静御前が母の磯禅尼とともに得度した後、髪を埋めたと言われる塚。
宗 派: 天台宗 本 尊: 聖観世音菩薩 開 基: 行基
創 建: 天平11年(739)
真 言: おん あろりきゃ そわか
住 所: 〒769-2302 香川県さぬき市長尾西653
電 話: 0879-52-2041
駐車場: 普通車20台マイクロバス2台・大型車2台午前7時?午後5時
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


87番・長尾寺 御朱印
|
あしかけ6年かかった四国遍路もとうとう今日が最後の一日。一歩一歩気持ちを込めて歩く。志度の宿から87番・長尾寺まで約7`。 |

87番・長尾寺 |
87番・長尾寺から結願寺への途中にあるお遍路交流サロン

お遍路交流サロンでいただいた『遍路大使任命書』 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第八十八番・大窪寺 |
|
|
 |
参拝日 |
2018年4月2日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年4月2日 8日目
とうとう結願の日だ。徳島・霊山寺から始めた遍路もいよいよ最後の一日。過去4回の遍路が走馬灯のように浮かび胸がいっぱいになる。歩いた人は皆同じ感動を覚えることだろう。
お四国病といって結願するとまたどうしても四国へんろに出たくなるそうだが、その気持ちがよく解る。また、お四国病院ともいう人がいて、遍路をすると少々の病は快方に向かうそうだ。たしかに一日数十キロ歩くのは健康でなければ歩けない。 |
大窪寺の歴史・由来
八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置します。縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。しかし天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り返します。しかし高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆。結願聖地の法灯を守り続けています。「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納されます。これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。
大窪寺の見どころ
本尊:通常薬師如来は左手に薬壺を持っていますが、大窪寺の本尊である薬師如来はホラ貝を持っています。人々の悩みや心の霧をホラ貝で吹き払うためでしょうか。(秘仏です)
本堂:礼堂と中殿、多宝塔の奥殿があります。この奥殿に本尊・薬師如来と三国伝来の錫杖が安置されています。
大師堂:石段を登った所にあります。内部にはお砂踏みができる道場があります。八十八ヶ所の小さな本尊が祀られ、一周すれば参拝と同じご利益が得られると言われます。
宗派: 真言宗 本尊: 薬師如来 開基: 行基
創建:養老元年(717)真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住所:〒769-2306 香川県さぬき市多和兼割96 電話:0879-56-2278
駐車場: 普通車100台、マイクロバス20台大型車10台終日無料
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
|
 |


88番・大窪寺 御朱印 |
お遍路交流サロンから大窪寺へのへんろ道は5つある。
その中で最もきつい登りの女体山コースを選んで挑戦したが、女体山頂上近くの岩場は山岳登山のうようで素人にはきつく厳しい道で、命がけの危険なルートだった。 |
納経締め切り時間間際にやっと88番・大窪寺に到着
5回かけて1200`歩き遍路も終わった。感動の結願寺で最後のお参り 
88番・大窪寺 本堂
88番・大窪寺 本堂
大師堂ちかくに納められてた金剛杖 |

四国遍路最後の宿は大窪寺正門間近の八十窪さん |

帰りは山門前からコミュニティバスで志度駅へ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
|