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後の世を思えば詣れ香園寺 止とめて止まらぬ白滝の水
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第六十一番・香園寺 |
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湯の浦温泉/湯の浦ハイツから香園寺へ
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参拝日 |
2017年4月3日(平成年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。
愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。
6日目の2017年4月3日 61番/香園寺 62番/宝寿寺 63番/吉祥寺 64番/前神寺 の4ヶ寺巡拝 |
香園寺の歴史・由来
香園寺は聖徳太子(574?622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。また、寺が創始した子安講の輪は、海外にまで広がり現在20.000人を超えている。
縁起によると、用明天皇(在位585?87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。このときに、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、また、天皇からは「教王院」の勅号を賜った。のち、天平年間(729?49)には行基菩薩(668?749)が訪ねている。
弘法大師が訪れたのは大同年間(806?10)であった。ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。すると婦人は元気な男子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。「栴檀山」はこれに由来する。
以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが「天正の兵火」で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、同7年には「子安講」を創始して、全国の行脚はもとより、東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。
香園寺の見どころ
大聖堂:昭和51年に建立。褐色の鉄筋コンクリート造り。高さ16m、1階が大講堂、2階が本堂と大師堂。本堂には620余の椅子席がある。
子安大師像:大聖堂の右手前。背中にゴザ、右手に錫杖、左手に赤ん坊を抱いた大師の姿。
子安中学:現在の県立小松高校の前身で、昭和15年に寺が創設し、学校教育に尽力した。
本 尊: 大日如来
開 基: 聖徳太子
創 建: 六世紀後半
真 言: おん あびらうんけん
ばざらだどばん
住 所: 〒799-1102
愛媛県西条市小松町南川甲19
電 話: 0898-72-3861
駐車場: 第一駐車場(常時)
普通25台
第二駐車場(繁忙期)
普通50台・大型3台・終日・無料
宿 坊: 250人
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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61番・香園寺 御朱印 |

香園寺への途中番外「臼井大師堂.湧水」 |
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61番/香園寺 |
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61番/香園寺 本堂 |
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2度のお接待 お水とお茶 |
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さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ |
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第六十二番・宝寿寺 |
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いろいろ問題のある62番・宝寿寺へ。 |
参拝日 |
2017年4月3日(平成年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。
愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。
6日目の2017年4月3日 は61番/香園寺 62番/宝寿寺
63番/吉祥寺 64番/前神寺 の4ヶ寺巡拝 |
宝寿寺の歴史・由来
JR伊予小松駅から西へ歩いて1分、100m近い。境内は、しっとりとした日本庭園の風情が満ちており、遍路の気分を和ませてくれる。往時は伊予三島水軍の菩提寺として、また、大山祇神社の別当寺として栄えていたのが宝寿寺の沿革である。
縁起によると、天平のころ聖武天皇(在位724?49)は諸国に一の宮を造営した。その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師(??744四)が勅命をうけて法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。このとき天皇は『金光明最勝王経』を奉納され、寺名は「金剛宝寺」と称して、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。
弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806?10)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。
以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅し、さらに明治維新の廃仏毀釈令に遭い、明治10年に再建されている。
宝寿寺の見どころ
予讃本線:大正10年に開通、境内の中を汽車が走るので西へ100mほど移転。
また、国道11号線の開通でも境内が削られた。
再興の祖:寛永13年(1636)四国遍路の行者、宥伝上人によって現在地に移転、再興された。
道標:山門を入った左手、蘇鉄の前に真念が建てたもの。また、中務茂兵衛が254度目の遍路をした道標も近くに。
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 十一面観世音菩薩
開 基: 聖武天皇
創 建: 天平年間(729?749)
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 〒799-1101
愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
電 話: 0898-72-2210
駐車場: 大型2台
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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62番・宝寿寺 御朱印 |
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62番/宝寿寺問題
寺の納経時間が霊場会の定める7時〜17時でなく8時〜17時、昼休み1時間は受け付けない事を霊場会が問題視し裁判になったが、霊場会の会員を脱退したお寺の自主性を認め、裁判所はお寺の全面勝訴。霊場会は反発して61番香園寺駐車場に62番納経所を設置した。しかし普通にお参りして納経/御朱印もらい何も問題なかった。
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宝寿寺/本堂.大師堂 |
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納経に問題を指摘されていた宝寿寺だが、口コミほどでなく丁寧に納経・ご朱印もいただいて63番吉祥寺へ向かう。 |
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身の中の悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥を望み祈れよ |
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第六十三番・吉祥寺 |
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63番/吉祥寺 |
参拝日 |
2017年4月3日(平成年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。
愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。
6日目の2017年4月3日 は61番/香園寺 62番/宝寿寺
63番/吉祥寺 64番/前神寺 の4ヶ寺巡拝 |
吉祥寺の歴史・由来
東西に走る国道11号線と、JR予讃線に挟まれて所在する。かつては塔頭21坊の伽藍を誇った大寺域は、やはり近代化された道路と鉄道によって狭められた。四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけで、その縁起をたどる。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされ、その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。だが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失されている。その後、江戸時代の万治2年(1659)、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられる。寺宝に「マリア観音像」(非公開)がある。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像だが、伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れている。寺にはほかに鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されている。
吉祥寺の見どころ
毘沙聞天:四天王のうちの「多聞天」で、寺では七難即滅、七福即生と「米持ち大権現」として信仰されている。
成就石:本堂の手前にある高さ1mほどの石で、中央下に径30?40cmの穴があり、金剛杖を通せば願いが叶えられるという。
くぐり吉祥天女:貧苦を取り除き、富貴財宝を授かるという。
吉祥寺の年中行事
宗派: 真言宗東寺派 本尊: 毘沙聞天 開基: 弘法大師
創 建: 弘仁年間(810?824)
真 言: おん べいしらまんだや そわか
住所: 〒793-0072 愛媛県西条市氷見乙1048 電話: 0897-57-8863
駐車場: 境内内駐車場・無料民営駐車場 普通5台(300円)大型5台(1,000円)・午前7時?午後5時 宿坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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63番・吉祥寺 御朱印 |

63番/吉祥寺.本堂/大師堂 |

くぐり吉祥天女 |

成就石
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本堂の前にある穴の開いた「成就石」。目を閉じたまま近づき、穴に金剛杖を通すことができれば願いが叶うといわれている。見事?貫通
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おそろしや三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ
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第六十五番・三角寺 |
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参拝日 |
2018年3月27日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。
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三角寺の歴史・由来
江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約430m、平石山の中腹にある静かな境内。
縁起では、聖武天皇(在位724?49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809?23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、本尊以外を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。
本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。
三角寺の見どころ
三角の池:山門周囲10数メートル、池のなかに三角形の島があり、弁財天が祀られた小さな堂が建っている。
薬師堂:疣や魚の目が治るご利益があるといわれる。疣は松かさのようにぽろりと落ち、魚の目には蛸の絵を描いた絵馬を奉納して祈る。蛸の吸盤が魚の目を取るという。
延命地蔵菩薩立像:昭和52年再建。高さ7m銅造。
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 十一面観世音菩薩(伝弘法大師作)
開 基: 行基菩薩
創 建: 天平年間(729?749)
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所: 〒799-0124
愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75
電 話: 0896-56-3065
駐車場: 民営の駐車場普通40台(200円)マイクロバス(500円)大型(500円と1,000円)
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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65番・三角寺 御朱印 |
四国遍路最終回の2日目はJR志度で77番道隆寺によってから伊予三島まで電車で来て65番・三角寺に向けて歩き始める。 |

伊予三島から約6`はきつい上りの遍路道 |

65番・三角寺
65番・三角寺 |
65番・三角寺から宿の民宿おかだまで18`。遅くなる旨電話すると3`手前まで車で迎えに来てくれた。 |
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民宿おかだでは夕食のときご主人から明日の雲辺寺へのへんろ道の説明を詳しくしてもらう。こんなに丁寧なアドバイスしてもらうのは初めて。 |
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はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る |
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第六十六番・雲辺寺 |
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参拝日 |
2018年3月28日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月28日 3日目
3日目は遍路ころがしを越えて66番〜67番〜68番〜69番の4ヶ寺をまわり「藤川旅館」に宿泊。24.5`
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雲辺寺の歴史・由来
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809?23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859?77)には清和天皇(在位858?76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正年間(1573?92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。
雲辺寺の見どころ
巨鼇:大きな海亀。
国重要文化財:本尊・千手観音坐像、毘沙門天立像、絹本色聖衆来迎図 。
雲辺寺裏山問答:長宗我部元親と俊崇住職との問答。
乳銀杏、おたのみなす:境内の片隅、奥まったところにある腰掛け。
毘沙門天展望館:雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる。
宗派: 真言宗御室派 本尊: 千手観世音菩薩(経尋作)開基: 弘法大師
創 建: 延暦8年(789)
真 言: おん ばざらたらま きりく
住所: 〒778-5251 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
電 話: 0883-74-0066
駐車場: 境内内駐車場 普通20台 (駐車料は無料だが参道補修協力費が必要)
ロープウエー駐車場 普通800台 ・ バス10台・各無料 宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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66番・雲辺寺 御朱印
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3月28日6:30 岡田さんに送られて四国札所最高地点(標高911b)の66番・雲辺寺へ出発。厳しいへんろ転がしを登る。 |

66番・雲辺寺
66番・雲辺寺
雲辺寺名物のお頼みナス |

雲辺寺名物のお頼みナス |

雲辺寺から67番大興寺へ、大きな五百羅漢に送られて。 |
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植え置きし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞ吹きぬる
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第六十七番・大興寺 |
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標高911bの雲辺寺から67番・大興寺まで今度は厳しい下り道 |
参拝日 |
2018年3月28日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。
2018年3月28日 3日目
3日目は遍路ころがしを越えて66番〜67番〜68番〜69番の4ヶ寺をまわり「藤川旅館」に宿泊。24.5`
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大興寺の歴史・由来
地元では大興寺というより、山号にちなむ「小松尾寺」という呼称が親しまれ、近傍一帯の集落を小松尾と呼ぶ。縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(1596?1615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである。現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持つ。そのためか天台宗の影響が大きく、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、右側に天台宗第三祖智を祀る天台大師堂があるという配置にその名残を留めている。また本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、不動明王は天台様式である。香川県の文化財として指定されているのは次の4件である。1つは像高84センチの本尊藥師如來坐像で、平安後期、檜寄木造り、漆箔、伝弘法大師作。鎌倉時代後期建治2年(1276)の銘がある天台大師坐像は檜寄木造り彩色で像高77.4センチ。天台大師の彫像は極めて少ない。仁王門にある雄渾な2の金剛力士立像は仏師として名高い運慶の作と伝えられ、像高314センチ。鎌倉初期の作、八十八ヶ所中最大とされる。「大興寺」と記された扁額には文永4年(1267)の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書きがある。
大興寺の見どころ
本堂の「七日燈明」 :本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷していただくもの。病気平癒、安産、良縁などのご利益があります。
仁王門:威風堂々とした金剛力士像は仏師として名高い運慶作と伝えられます。
宗派:真言宗善通寺派 本尊:薬師如来(伝弘法大師作)開基:弘法大師
創 建: 天平14年(742)
真 言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住所: 〒768-0101 香川県三豊市山本町辻4209 電話 0875-63-2341
駐車場: 普通10台・無料・終日 宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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67番・大興寺 御朱印 |

15〜16`を5時間かけ下って67番・大興寺到着

67番・大興寺
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第六十八番・神恵院 |
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68番・神恵院 69番・観音寺 |
参拝日 |
2018年3月28日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月28日 3日目
3日目は遍路ころがしを越えて66番〜67番〜68番〜69番の4ヶ寺をまわり「藤川旅館」に宿泊。24.5`
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神恵院の歴史・由来
六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。
開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」にとし、六十八番霊場としました。その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移されました。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。
神恵院の見どころ
本堂:2002年に新しく建立された本堂は、コンクリート打ちっぱなしで白木と組み合わされた近代的な造り。
宝物館:「釈迦涅槃像」や「琴弾八幡本地仏像図」「琴弾宮絵縁起図」など、国の重要文化財に指定された寺宝が数多く納められています。これらは、2月15日、4月8日に拝観できます。
巍巍園(ぎぎえん):山の斜面や岩石、流水を巧みに利用した回遊式庭園。第45世大政大僧正道尊和上が造ったといわれ、春にはツツジが美しく咲き誇ることでも有名。
宗 派: 真言宗大覚寺派
本 尊: 阿弥陀如来
開 基: 日証上人
創 建: 大宝3年(703)
真 言: おん あみりた ていぜい からうん
住 所: 〒768-0061
香川県観音寺市八幡町1-2-7
電 話: 0875-25-3871
駐車場: 普通20台・中型10台・大型5台
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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68番・神恵院 御朱印 |
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68番・神恵院 と69番・観音寺は四国霊場で唯一の珍しい1寺2霊場、同じ境内にある。 |
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68番・神恵院 本堂はコンクリート造りの外壁を持つモダンな雰囲気 |
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観音の大悲の力強ければ おもき罪をも引きあげてたべ |
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第六十九番・観音寺 |
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68番・神恵院 と69番・観音寺は山門も一緒で同じ境内にある。

69番・観音寺

69番・観音寺から1.5`の藤川旅館宿泊

藤川旅館ではブラジルからの団体お遍路さんと同宿
夕食は近所のスーパーで調達
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参拝日 |
2018年3月28日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。
2018年3月28日 3日目
3日目は遍路ころがしを越えて66番〜67番〜68番〜69番の4ヶ寺をまわり「藤川旅館」に宿泊。24.5` |
観音寺の歴史・由来
観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。
大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山している。大師はそのころ、琴弾大明神が乗っていた神船は神功皇后とゆかりがあり、観音の化身であると感得した。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣ならって中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。
さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。桓武天皇(在位781?806)はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職として45年間務めるなど、寺運は隆盛を誇った。だが、やはり明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となった。本堂は、金堂とも呼ばれて室町時代の建築で国指定重要文化財。朱塗りの柱が色鮮やか。境内には宝物館があり、彫刻としては珍しい「仏涅槃像」(厨子入り、平安?鎌倉時代)をはじめ、絵画では「琴弾宮絵縁起」(絹本著色、鎌倉時代)、「不動二童子像」(絹本著色、室町時代)のほか、前項で触れた本地仏像など国の重要文化財が数多く収蔵されている。
観音寺の見どころ
琴弾宮絵縁起:開基の日証上人が琴弾八幡宮を創建した由来を描いた大和絵で、中央の山頂付近に社殿の様子が描かれている。
最古の落書き:本堂に「常州下妻庄…貞和三年…」(南北朝時代)などと書かれ、貴重な遍路文化の資料とされる。
巍ぎ巍ぎ園:本坊の書院後ろにある立体庭園。室町時代の築庭で、躑躅の季節の眺めがすばらしい。
宗派:真言宗大覚寺派
本尊: 聖観音世音菩薩
開基: 日証上人
創 建: 大宝3年(703)
真 言: おん あろりきゃ そわか
住所: 〒768-0061
香川県観音寺市八幡町1-2-7
電話:0875-25-3871
駐車場: 普通 約20台・マイクロバス10台・大型5台 午前7時?午後5時・無料
出典:四国八十八ヶ所霊場会編 |
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69番・観音寺 御朱印 |
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本山に誰か植えける花なれや 春こそ手折れたむけにぞなる |
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第七十番・本山寺 |
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参拝日 |
2018年3月29日(平成30年) |
参拝経路 |
四国遍路5回目.最終回/2018年3月26日〜4月7日の13日間。
香川県内の65番〜88番結願寺/大窪寺を巡拝する。 2018年3月29日 4日目
4日目は70番〜71番〜72番〜73番〜74番〜75番善通寺までの5ヶ寺、25.0`を歩き、弘法大師生誕地の善通寺宿坊に泊まる。 |
四国八十八ケ所 第七十番・本山寺の歴史・由来 |
本山寺の歴史・由来
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。大同4年(809)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。
本山寺の見どころ
本堂:国宝に指定され、一重寄棟造り、本瓦葺きの風格あふれる建物。正安2年(1300)建立の折衷様式で、外観は京都風、内部は奈良風の造りです。
五重塔:明治43年、住職の頼富実毅(よりとみじっき)が再建。盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後、目が見えるようになり、その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やしました。遠くからでも目に付き、本山寺のシンボルとなっています。
仁王門:和様・唐様・天竺様という三つの様式の山門。全国でもほかに例のない、どっしりとした構えの八脚門は国指定の重要文化財です。
鎮守堂:室町時代末期の様式を残す小さな社。桧皮葺き屋根の素朴なたたずまいです。請雨秘法の霊神・善女龍王が祀られ、堂、像ともに県の指定文化財です。
宗 派: 高野山真言宗
本 尊: 馬頭観音
開 基: 弘法大師
創 建: 大同2年(807)
真 言: おん あみりとう どはんば うん
ぱった そわか
住 所: 〒769-1506
香川県三豊市豊中町本山甲1445
電 話: 0875-62-2007
駐車場: 普通15台・中型5台・大型3台
宿 坊: なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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70番・本山寺 御朱印 |
観音寺町の藤川旅館を6:00に出発。財田川土手を70番・本山寺へ |

70番・本山寺
70番・本山寺 五重塔は工事中
四国札所で五重塔は.31番竹林寺.70番札所.75番善通寺.86番志度寺の4ヶ所

早朝のお参りだが掃除中の奥さんから袋入りの飴のお接待

71番・弥谷寺へ |
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