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太龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持は守護のためなり |
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第二十一番・太龍寺 |
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那賀川渡る |
参拝日 |
2014年3月24日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。
3月24日 一日目
昨晩20時東京から深夜便で6:40徳島に着き。山名バス停から急峻な山道を登り20番鶴林寺に参拝、次の太龍寺を目指す。那賀川から山道は又急峻な遍路道が続き。午後1時過ぎにやっと大龍寺に到着。この辺からMは右足膝に痛みが発生。昨夜のバス車中での一晩中不自然な姿勢でいたのと一日目から急な山道を歩き続けたせいだろうか。大龍寺参拝後不安をかかえながら次の22番平等寺に向かう。 |
太龍寺の歴史・由来
「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高61メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約6メートルの「舎心嶽」という岩上で、1日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781?86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。
皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573?92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。
太龍寺の見どころ
舎心嶽:境内から徒歩十五分ぐらい。岩の上にブロンズ製の「求聞持修行大師像」が東向きに坐っている。舎心は「捨身」の意で、大師の気迫を感じさせる。
ロープウエー:全長2,775メートルで西日本最長。101人乗り、所要時間約10分。
丁石:南北朝時代。18基残っているうち、11基が徳島県文化財指定。
宗 派:高野山真言宗 本 尊:虚空蔵菩薩 開 基:弘法大師
創 建:延暦12年(793)
真 言:おん のうぼう あきゃしゃらばや ありきゃまり ぼり そわか
住 所:〒771-5173徳島県阿南市加茂町龍山2 電話0884-62-2021
駐車場:
(1) ロープウエー利用の場合普通150台・マイクロバス、大型 各10台各終日・無料
(2) ロープウエーを利用しない場合 普通のみ 50台 、終日・500円
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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大井小学校で休憩 |
21番太龍寺 |
21番太龍寺は西の高野とも呼ばれる |
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21番・太竜寺/御朱印 |
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平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる |
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第二十二番・平等寺 |
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22番脇の遍路宿『山茶花』
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参拝日 |
2014年3月25日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。
3月25日 2日目
大龍寺をお参りした後22番平等寺へは約12〜13`。ひたすら歩くがMは膝の痛みが増して引きずるようにして普段の半分くらいのスピードでなかなか進まない。特に『道の駅わじき』先の小さな峠では登り坂は足があがらなく、リュックを外させて背中と前にリュックを持ってあげる。杖を両手に持たせて一歩一歩ゆっくり進む。あとどの位あるだろうか、タクシーを呼ぼうにも山道の中では無理なので歩くしかない。日も暮れかけてきて二人共限界に近い状態でやっと峠の頂点に着く。下り道は登り以上に辛そうで何度も転びそうになりながら杖をつっかえ棒にしながら下っていく。やっと林のむこうに民家の屋根が遠くに見え始めた。しかしまだ宿はだいぶ先の様子。17時過ぎだ。そこから今夜の宿『山茶花』に電話する。やっと山道を抜けて一般道に入るがMの足はもう進まない。そこへ小型トラックが通りかかり声をかけてくれ山茶花をよく知っている地元の人で乗っていきなさいと嬉しい言葉。地獄に仏とはまさにこういうことと思う。遍路宿『山茶花』には夕方6時過ぎに到着。Mは靴をぬいで、わずかな高さのあがりはなで足が上がらないほど疲れきっていた。部屋に通され倒れこむ。やっと浴衣に着替えてお風呂にはいる。天国のように気持ちいい。お風呂から出て夕食は先に食事を済ませたお遍路さんたち数名が雑談に花が咲いていた。あまりの疲労に話の輪にも入らずすぐ部屋でふとんを引いて横になる。 |
平等寺の歴史・由来
弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れました。大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたのです。大師がさっそく加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れました。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたのです。以後、寺は大規模に栄えましたが天正年間に長宗我部の兵火によって焼失し、江戸時代中期に再興されて現在に至っています。大師が杖で掘られた霊水は男坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ております。現在は無色透明で、万病にきく「弘法の霊水」として全国に知られています。容器が用意されているので持ち帰ることもできます。(容器代200円)
平等寺の見どころ
箱車:3台の箱車が奉納されております。大正・昭和の時代に医者に見放された足の不自由な人が巡礼を始め、この寺で霊験をさずかって足が治ったため記念として奉納されたものです。この寺は特に健脚に霊験あらたかといわれています。
本堂の天井絵:本堂の天井にはたくさんの草木を描いた天井画を見ることができます。長い年月が経った今でも鮮やかな色彩を放っています。
宗 派:高野山真言宗 本 尊:薬師如来 開 基:弘法大師
創 建:弘仁5年(814)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒779-1510徳島県阿南市新野町秋山177 電話0884-36-3522
駐車場:普通車30台・マイクロバス、大型5台午前7時?午後5時・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編 |
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22番・平等寺 |

22番・平等寺 |
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22番・平等寺/御朱印 |
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皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ |
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第二十三番・薬王寺 |
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瀬戸内海/紀伊水道を歩き23番へ

23番・薬王寺
23番/薬王寺.男坂女坂を上がり境内へ
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参拝日 |
2014年03月25日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月25日 2日目
昨日の疲れが残り足に不安があったので 新野駅から由岐駅まで電車に乗る。田井の浜浜海岸をMの足の具合を確認しながらゆっくり歩く。思ったより回復していたが無理をしないで注意しながら歩き、日和佐まで電車に乗る。二十三番・薬王寺に参拝する。女坂/男坂はかなり急な石段で、1円玉を置きながら登る風習があり石段は1円玉でいっぱい。Mの足を気遣いながら石段は無事登り本堂へ。帰りに門前にある薬王寺温泉(日帰り湯)に入る。疲れた体に温泉はありがたい。
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薬王寺の歴史・由来
「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。高野山真言宗の別格本山でもある。厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。縁起によると、聖武天皇(在位724?49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。
文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。境内には吉川英治著『鳴門秘帖』、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑がある。
薬王寺の見どころ
瑜祇塔(ゆぎとう):高さ29メートルの楼閣。上方が四角、下方が円筒形で一重の塔。天と地の和合を説く『瑜祇経』の教えに基づき、屋根に五柱の相輪が立つ。
厄坂の賽銭:お賽銭をあげながらお参りすると、身に降りかかる厄難が落ちるという。
肺大師:本堂左手。ラジウムを含んだ霊水で、肺病などの諸病に効くという。
宗 派:高野山真言宗
本 尊:厄除薬師如来(伝弘法大師作)
開 基:行基菩薩
創 建:神亀3年(726)
真 言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
住 所:〒779-2305
徳島県海部郡美波町奥河内寺前285-1
電 話:0884-77-0023
駐車場:普通350台マイクロバス、大型10台午前7時?午後5時・無料
宿 坊:100人 宿坊専用電話:0884-77-1105
温 泉:薬王寺温泉有り 宿坊横 電話:0884-77-1126
URL:http://www1.ocn.ne.jp/~yakuouji/
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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23番・薬王寺/御朱印 |
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明星の出でぬる方の 東寺くらき迷いはなどかあらまし |
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第二十四番・最御崎寺 |
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23番から24番最御崎寺まで77`はるるの湯に宿泊
 弘法大師が修行した御厨人窟
 23番最御崎寺

最御崎寺の先に室戸岬灯台 |
参拝日 |
2014年03月26日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月26日 3日目
四国遍路2度目11泊3日かけて23番から24番室戸岬・最御崎寺へ。今日もMの足の状態を考え無理させられないので日和佐〜牟岐まで電車で移動する。牟岐駅から八坂八浜の海の遍路道を越え番外札所鯖大師に立ち寄る。Mは足の痛みがまだ残っている。鯖大師最寄の鯖瀬駅から海部駅まで電車に乗り海部からまた歩き始める。今日の宿宍喰温泉はるる亭(泊)
3月27日
遍路は徳島県(発心の道場)県境 水床トンネルを抜け高知県(修行の道場)に入る。番外札所明徳寺に参拝して、高知県東洋町野根の古い街並みの遍路道を進み野根川を渡る。
室戸市佐喜浜 徳増 に到着。二階の角部屋。明日はやっと室戸岬だ。3月28日
Mの足・膝はだいぶ回復して歩くのにほとんど支障ないほどに回復していた。一日目の遍路ころがしでは先に進むのは無理ではないかと中止することも考えていたが、奇跡的な回復だと思う。室戸岬に近づくと山裾に
高さ21bの白色『青年大師像』が海に向かって立っている。間もなく若き弘法大師が修行したと伝えられる『御厨人窟』前に到着。御厨人窟をお参りしてから二十四番最御崎寺のある山頂目指して山に分け入る。佐喜浜から20`以上歩い後の山道は険しくはないが体力を消耗する。二十四番最御崎寺参拝。室戸岬灯台へ。
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最御崎寺の歴史・由来
「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
最御崎寺の見どころ
国指定重要文化財:石造如意輪観音半跏像が有名。ほかに木造薬師如来坐像、木造月光菩薩立像、三足の「漆塗台盤」。いずれも宝物館。
御厨人窟(みろくど):大師が虚空蔵求聞持法の苦行をしたと伝えられる洞窟。
明星石:大師が修行中に、星のように光を放ち、毒龍の妨げを防いだという伝説の石。海岸で斑レイ岩として見かける。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:虚空蔵菩薩
開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばやおん ありきや まりぼり そわか
住 所:〒781-7101
高知県室戸市室戸岬町4058-1
電 話:0887-23-0024
駐車場:普通車37台(無料)マイクロバス9台(300円)各午前7時?午後5時
宿 坊:100人
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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24番・最御崎寺/御朱印 |
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法の舟 入るか出づるかこの津寺 迷ふ我身をのせてたまへや |
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第二十五番・津照寺 |
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室戸岬灯台から室戸スカイラインを下る |
参拝日 |
2014年03月28日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月28日 5日目
3日間かけて24番/25番参拝。
24番最御崎寺参拝の後室戸岬灯台から室戸スカイラインを下る。今夜の宿『うまめの木』に14時到着。チェックインするのには早いので、そこから5`先の25番津照寺へ頑張って行くことにする。参拝後宿から迎えに来てもらう。宿では民宿徳増で同宿のお二人と再会。 |
津照寺の歴史・由来
室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれています。弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。
はじめ長曽我部氏の庇護をうけ津寺村と称して七町余の地高を有しその後、山内氏が国主として入国してより更に一町五反余の田地を寄附され寺院の運営も全て藩営とされ中老格をもって遇され隆盛を極めておりましたが、明治の改革に遭い地領は一旦政府に没収亦は小作農民に払い下げとなり寺は廃寺とされました。荒廃にまかすこと約十数年明治十六年ようやく寺名復興を許され今日に至ったのでありますが寺域は極度に狭められ昔日のおもかげはなく、只本堂が地蔵堂としてのこり御殿と申された庫裏の一角が当時小学校として残っておりました。現在、小学校は移転され、大師堂は昭和38年、本堂は昭和50年に新築されたものです。
【楫取地蔵の由来】御本尊延命地蔵を楫取地蔵(かじとりじぞう)という由来を申しますと、慶長七年秋の頃山内家初代一豊公が室戸の沖で暴風雨に遭い困難いたされた時、何処からともなく大僧が現れ船の楫を取って御船は無事室津の港に入港する事が出来た。ほっとした所で先程の大僧の姿が見えないがともあれ探して津寺へ参詣してみると本尊地蔵菩薩の御体が濡れており、大僧が本尊地蔵菩薩であった事がわかった、之より本尊が楫取地蔵と申し伝えられるようになりました。この霊験記は、旧記南路史に明記されて居ります。
また今昔物語には「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」第六として津寺の本堂が火難に遭った時、本尊地蔵菩薩が僧に身を変えて村人に知らせ、火難を逃れたという物語が出ており古くは火事取りの意味でも、かじとりじぞうと呼ばれております。
津照寺の見どころ
境内:本堂は参道正面の小高い丘陵の上に鎮座しております、朱門をくぐり右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館があります。本堂に向う石段は真直ぐと天に続くかのような趣、かなりの急勾配で皆、真ん中の手摺りを利用して上がります、そして石段の途中には竜宮城を思わせるような鐘楼門兼仁王門。石段を昇りつめた所、本堂の正面には太平洋が広がります、眼下には室津川の河口と室津港、右の方には行当岬と深緑の隙間に26番金剛頂寺が見えます。
境内周辺の見所:参道の左に一木権兵衛ゆかりの「お釜岩」が有り参道途中から左に入ると室津の港を、命を賭して改修した一木権兵衛が奉られる一木神社があります。
万体地蔵尊:本堂の本尊を囲み、三方の壁に信者が奉納した約30,000の小さな地蔵尊が祀られている。
宗 派:真言宗豊山派 本 尊:地蔵菩薩(楫取地蔵) 開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:おん かかかび さんまえい そわか
住 所:〒781-7102 高知県室戸市室津2644 電 話:0887-23-0025
駐車場:港の広場を使用させていただいている。車は境内には入れない。無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編 |
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25番・津照寺参道 |
25番・津照寺参 |
25番・津照寺参 |
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25番・津照寺/御朱印 |
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第二十六番・金剛頂寺 |
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参拝日 |
2014年03月29日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月29日 6日目
3月29日朝宿うまめの木の車で25番津照寺門前まで送ってもらい歩き始める。二十六番金剛頂寺
羽根町から弘法大師の伝説の残る御霊跡をお参りする。
今夜は『ホテルなはり』泊。ここで又徳増で一緒だった2組のお遍路さんと会う。あのお二人と年配健脚一人遍路の方だ。
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金剛頂寺の歴史・由来
金剛頂寺の歴史・由来
室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4kmのところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806?9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。
次の嵯峨天皇(在位809?23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823?33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。
室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。
金剛頂寺の見どころ
霊宝殿:収蔵する木造阿弥陀如来坐像、板彫真言八祖像、銅造観音菩薩立像、金銅密教法具、金銅旅壇具、銅鐘、金剛頂経などはすべて国指定重要文化財。
奴草:境内に自生する天然記念物。
鯨供養塔:鯨の供養塔があり、別名「クジラ寺」ともいわれる。
一粒万倍の釜:大師が炊いた米が一万倍に増え、人々を飢えから救ったという。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:薬師如来
開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
住 所:〒781-7108
高知県室戸市元乙523
電 話:0887-23-0026
駐車場:普通20台( 200円)マイクロバス3台( 400円)大型3台(1,000円)各午前7時?午後5時
宿 坊:100名
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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26番・金剛頂寺 |
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26番・金剛頂寺 |
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26番・金剛頂寺 |
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26番・金剛頂寺/御朱印 |
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第二十七番・神峰寺 |
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唐浜駅から27番へ山道の参道を歩く

27番・神峰寺

27番・神峰寺

 唐浜から安芸へ電車で行く |
参拝日 |
2014年03月30日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月30日 7日目
ホテルなはりの朝は豪雨で予報では昼頃に天候も回復するというので、11:00頃奈半利駅から唐浜まで電車で行く。唐浜では雨も上がり駅前から約一時間山道を登り神峰寺へ。山道は各所満開の桜が美しい。下山して唐浜へ。電車で安芸へ向かう。
安芸では貸自転車で「野良時計」「岩崎弥太郎生家」「武家屋敷跡」など見て回る。ホテルTAMAI泊
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神峯寺の歴史・由来
神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。
幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、いまも伝わっている。
縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201?69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724?49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。
明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。
昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。
神峯寺の見どころ
石段沿いの景観:石段の両側には樹齢数百年の古木と、美しく整備された日本庭園が四季折々の花を咲かせる。梅の季節にはウグイスの風流なさえずりを楽しめる。
石清水:鐘楼の裏手に湧く石清水。病気平癒に霊験あらたかであるという伝えがあり、遍路さんの喉を潤す。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:十一面観世音菩薩(伝行基作)
開 基:行基菩薩
創 建:天平2年(730)
真 言:おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所:〒781-6422
高知県安芸郡安田町唐浜2594
電 話:0887-38-5495
駐車場:普通30台(時間は自由)
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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27番・神峰寺/御朱印 |
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露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし |
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第二十八番・大日寺 |
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赤野〜琴ヶ浜の整備された遍路みち

28番・大日寺

28番・大日寺

29番・国分寺へ道しるべ
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参拝日 |
2014年3月31日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 3月31日 8〜9日目
ホテルtAMAIを出発してからは 土佐湾を左に赤野〜琴ヶ浜など絶景の海沿いのへんろ道を進む。高知市内に入り今日の宿「高知黒潮ホテル」天然温泉がありがたい。
翌朝4月1日Mの足の具合はほとんど回復していた。宿から30分二十八番大日寺 |
大日寺の歴史・由来
境内は四季折々の花が咲き、巡拝者の目を楽しませてくれる。早春にはサンシュユの花、3月彼岸ごろにはしだれ桜、本坊前のコブシの花、10月中旬から十月桜や万両が咲き誇る。縁起によると、聖武天皇(在位724?49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596?1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。しかし、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。
行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146cmの寄せ木造りで、四国では最大級。また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172cmと大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。また、大師が楠の立木に爪で彫られたという霊木は「爪彫り薬師」と呼ばれ、奥の院とされている。その楠は明治初めの大風で倒れたが、跡地に一堂を建て、霊木として安置している。この霊木は、頭、眼、鼻、耳、顔など首から上の病に霊験があらたかとされている。薬師堂の脇には、土佐名水40選にも選ばれた大師御加持水が湧く大日寺の見どころ
本堂:檜と松を使って平成9年に再建されたが、
釘を使わず木組みだけで造られた。
大師堂:昭和58年に改修。
大師像は土佐2代目藩主・山内忠義公が寄贈。
野市百人衆:武将・長宗我部軍の遺臣たち100人を使って
水田を開拓させた。彼らは土佐郷士の初めとなった。
龍河洞:日本3大鍾乳洞のひとつ。全長4km。
宗 派:真言宗智山派 本 尊:大日如来 開 基:行基菩薩
創 建:天平年間(729?749)
真 言:おん ばざら だどばん(金剛界)
住 所:〒781-5222 高知県香南市野市町母代寺476-1
電 話:0887-56-0638
駐車場:普通車は山門前 30台マイクロバスと大型車は県道側 5台各無料
出典:四国八十八ヶ所霊場会編 |
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28番・大日寺/御朱印 |
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国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり |
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第二十九番・国分寺 |
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28番から物部川と国分川渡った先の田園風景の中に建つ29番・国分寺


29番・国分寺

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参拝日 |
2014年04月01日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 4月1日 9日目
二十八番大日寺の丘を下ると高知市街へ向けて田園地帯を抜けていく。物部川からさらに田園地帯を抜け国分川を渡ると二十九番国分寺の森が遠くに見えてくる。土手道をすすむと可愛い地蔵さんがありお参りする。
国分寺。きれいな参道を進むと正面に本堂、大師堂、その横には珍しい禁酒を誓う酒断地蔵が並ぶ。 |
国分寺の歴史・由来
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868?945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724?49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部元親が、永禄元年に再建。柿葺き、寄棟造りで外観は天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られて国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で豪壮な二層造りである。1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史蹟に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。
国分寺の見どころ
国指定文化財:金堂、木造薬師如来立像2、梵鐘。
摩尼:宝珠の意味。
庭園、句碑:本堂を背にして、春は桜、初夏には紫陽花、秋には萩と、心やすまる参道、創建当時の七重塔の心柱をささえた礎石、杉苔の美しい庭園が広がる。また、高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、孫・稲畑汀子さんの句碑などがある。
弥生時代の住居跡:昭和52年の発掘調査で発見。
宗 派:真言宗智山派 本 尊:千手観世音菩薩 開 基:行基菩薩
創 建:天平13年(741)真 言:おん ばざらたらま きりく
住 所:〒783-0053高知県南国市国分546 電話088-862-0055
駐車場:普通45台(一部午後6時まで)大型7台 各終日・無料
宿 坊:なし
URL:http://www.tosakokubunji.org/
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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29番・国分寺/御朱印 |
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第三十番・善楽寺 |
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30番・善楽寺

30番・善楽寺


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参拝日 |
2014年04月01日(平成26年) |
参拝経路 |
四国遍路2回目/2014年3月24日〜4月4日の12日間で徳島〜高知20番〜36番札所を巡拝する。 4月1日 9日目
4月1日今日は3寺目の善楽寺。
二十九番国分寺から又田畑道を歩き高知大学医学部横の遍路道の先に今日最後の三十番善楽寺。善楽寺の隣は龍馬伝ロケ地にもなった土佐神社があり参拝する。
善楽寺から今日の宿は高知「土佐御苑」までは10`以上もあり今日の歩行数41306歩約29`も歩いた。
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善楽寺の歴史・由来
高知城へは約6km、JR高知駅まで約4kmというこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781?806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。
本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。また、境内には「子安地蔵堂」があり、弘法大師作といわれるやさしいお顔の地蔵尊が祀られている。難産で苦しんでいる妊婦を、大師が祈祷し安産させたという伝説があり、安産や子宝祈願にご利益があるといわれる。さらに水子供養の祈願にも参詣する人が多い。
本坊前は開放的な雰囲気が漂う。土佐一ノ宮の別当寺として栄えた古刹である。
善楽寺の見どころ
梅見地蔵:子安地蔵堂の左。文化13年(1816)の建立。首から上の病や悩みにご利益ありとされる珍しいお地蔵さん。近年では脳の病気、ノイローゼの快癒から合格祈願をする参詣者も多い。
天邪鬼:境内の手水舎の下で石の手水を支えている邪鬼。天邪鬼は毘沙門天像についている鬼の顔がその原形。
本堂:昭和58年に改築。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:阿弥陀如来
開 基:弘法大師
創 建:大同年間(806?810)
真 言:おん あみりた ていせい からうん
住 所:〒781-8131
高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
電 話:088-846-4141
駐車場:普通20台・大型4台・終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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30番・善楽寺/御朱印 |
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