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南無文殊三世(みよ)の仏の母ときく 我(われ)も子なれば乳(ち)こそほしけれ  
第三十一番・竹林寺  

30番・安楽寺 前へ 次へ 32番・禅師峰寺
参拝日 2014年04月02日(平成26年04月02日)
参拝経路 四国遍路二度目11泊。十日目
4月2日今日は31・32・33番 高知市内3ヶ寺をまわる。
宿・土佐御苑から高知駅へ。My遊チケット購入してバスで三十一番竹林寺へ。門前で下車すぐ。
竹林寺の歴史・由来
♪土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275?1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862?1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724?49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806?10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

竹林寺の見どころ
五台山:中国では山西省にある標高3000mの霊山。文殊菩薩の霊場として仏教信仰の中心地として栄えた。高知の五台山は標高145m、
山全体が高知県立都市公園。
五重塔:昭和55年の建立。高さ31.2mメートル、総檜造り、鎌倉時代初期の様式。県内唯一の五重塔。
庭園:夢窓国師の作と伝えられ、国の名勝指定。

宗 派:真言宗智山派 本 尊:文殊菩薩 開 基:行基菩薩
創 建:神亀元年(724)
真 言:おん あらはしゃ なう
住 所:〒781-8125高知県高知市五台山3577 電話088-882-3085
駐車場:普通100台・マイクロバス10台・大型5台午前7時?午後5時・無料
宿 坊:なし

出典:四国八十八ヶ所霊場会編



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静かなるわがみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法の早船
 
十二番・禅師峰寺

31番・竹林寺 前へ 次へ 33番・雪渓寺
参拝日 2014年04月02日(平成26年04月02日)
参拝経路
4月2日
四国遍路二度目11泊。十日目 は31・32・33番3ヶ寺まいり。
三十一番竹林寺から約6kmの三十二番禅師峰寺へは平坦な遍路道を歩く。禅師峰寺は高台にあり境内からは土佐湾の大パノラマが一望。

禅師峰寺の歴史・由来
太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸に近い。小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれ、親しまれている。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいる。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り航海の無事を祈った。
縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724?49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同2年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。
以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂」の観音さんは今も一般の漁民たちの篤い信仰を集めている。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っているが、境内は樹木におおわれ、奇怪な岩石が多く、幽寂な雰囲気を漂わせている。 
芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にある。

禅師峰寺の見どころ
禅師:一般には高徳の僧、智徳のたかい禅僧に朝廷から賜る称号であるが、奈良時代には邊路修行する人を呼んでいた。
寺宝:鎌倉後期・徳治3年(1308)の梵鐘、室町時代・永禄13年(1570)の鰐口。ともに県指定文化財。
武市半平太(瑞山):土佐勤王党を組織した藩士。寺を下った場所に旧宅と墓がある。
宗 派:真言宗豊山派 本 尊:十一面観世音菩薩 開 基:行基菩薩
創 建:大同2年(807)
真 言:おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所:〒783-0085高知県南国市十市3084 電話088-865-8430
駐車場:普通30台・マイクロバス10台・大型5台午前7時?午後5時・無料
宿 坊:なし

出典:四国八十八ヶ所霊場会編


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旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
 
第三十三番・雪渓寺

32番・禅師峰寺 前へ 次へ 34番・種間寺
参拝日 2014年04月02日(平成26年04月02日)
参拝経路 4月2日
四国遍路二度目11泊。十日目 は31・32・33番3ヶ寺まいり。
三十二番禅師峰寺からから種崎フェリー乗り場へ。
種崎から浦戸湾を対岸長浜フェリー乗り場へ10分の船旅。
四国八十八ケ所遍路道で唯一の水上交通。長浜フェリー乗り場から道なりに進むと三十三番雪渓寺の門前。『人生即遍路』山頭火の句碑が建つ。
今日は遍路はここで終わり高知へ帰る道すがら桂浜へ寄ってそこからりまや橋までバスで帰る。
雪蹊寺の歴史・由来
土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。 3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

雪蹊寺の見どころ
太玄塔:境廃仏毀釈で廃寺となった寺を復興させた17代、山本太玄住職の供養塔。
次の18代・玄峰和尚の師でもある。
玄峰塔:失明に近い眼病ながら、裸足で7回目の遍路をしているところ太玄和尚に救われる。96歳の生涯。
信親の墓:長宗我部元親の長男。豊臣秀吉の九州征伐に従い、豊後で家臣700人と討ち死にした。
宗 派:臨済宗妙心寺派 本 尊:薬師如来 開 基:弘法大師
創 建:弘仁6年(815)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒781-0270高知県高知市長浜857-3 電話088-837-2233
駐車場:普通10台・マイクロバス5台・大型3台午前6時?午後6時・無料
宿 坊:なし
拝 観:仏像拝観要予約

出典:四国八十八ヶ所霊場会編









種田山頭火が行李に書いた 人生即遍路。
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世の中にまける五穀のたねまでら 深き如来の大悲なりけり
 
第三十四番・種間寺

33番・雪渓寺 前へ 次へ 35番・清滝寺
参拝日 2014年04月03日(平成26年04月03日)
参拝経路 四国遍路二度目11泊。十一日最終日。
36・35・34番3ヶ寺逆打ちする。
。今日最後3寺目は三四番種間寺。種間寺へは四万十川と比べられる清流 仁淀川を越えていく。しかし逆打ちの難しさひしひし、遍路道しるべも度々見落とし何度も何度も道を尋ねながら夕方やっと到着。帰りのバスの便が迫っていて参拝後は田園地帯の野良道を走るように急ぎ足でバス停に着くと1時間以上の待ち時間。小雨の中じっと待ちバスに乗りはりまや橋へ戻る。
2回目の遍路も無事終わり明日は午前中高知市内観光して午後の飛行機で帰る。

種間寺の歴史・由来
土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585?87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145cmの薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
天暦年間(947?57)には、ときの村上天皇(在位946?67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 
本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。

種間寺の見どころ
底抜け柄杓:妊婦が柄杓をもって詣ると、寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえす。それを妊婦は床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める。
本尊:肉付きのよいどっしりとした体で、威厳のある表情の薬師如来坐像。国指定重要文化財。
手水鉢:町内最古で町の指定文化財。延宝5年(1677)に造られた。
宗 派:真言宗豊山派 
本 尊:薬師如来
 
開 基:弘法大師
創 建:弘仁年間(810?824)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒781-0321
高知県高知市春野町秋山72 
電話088-894-2234
駐車場:普通70台・大型5台終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編




三十三番へ戻る 前へ 次へ 三十五番へ進む
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澄む水を汲むは心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣  
第三十五清滝寺
34番・種間寺 前へ 次へ 36番・青龍寺
参拝日 2014年04月03日(平成26年04月03日)
参拝経路 四国遍路二度目11泊。十一日最終日。
36・35・34番3ヶ寺逆打ちする。今日2寺目は三五番清滝寺。三十六番青龍寺から。コミュニティバスで高岡営業所へ。遍路道ではなく裏から清滝寺を目指す。竹林の続く山道は地元の人達の参詣道らしく遍路道とは違う標識が寺まで続いている。お寺の印象はトイレがとても汚く、納経も他の人と会話しながらとぞんざいで寺名「清滝」が泣く。人をいい方向に導く姿を見せて欲しい。
清滝寺の歴史・由来
土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・繹木寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810?24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。寺伝では、平城天皇(在位806?09)の第三皇子が弘法大師の夢のお告げで出家し、真如と名のった。真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、逆修の五輪塔を建立、後に入唐している。大師十大弟子の1人である。また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、厄除け祈願のために寺領数百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い大きな薬師如来像である。

清滝寺の見どころ
本尊:像高154cmの薬師如来立像、国重要文化財。ほかに、寺宝の懸仏は、鎌倉時代の作で県指定文化財。厄除け薬師如来立像:本堂前、台座を含めると高さ15m。昭和8年、製紙業者による寄贈。台座の中で88段の戒壇巡りができる。逆修塔:生前に自分を追善供養する塔。今は「不入の山」とされている。
宗 派:真言宗豊山派 本 尊:厄除薬師如来 開 基:行基菩薩
創 建:養老7年(723)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒781-1104 高知県土佐市高岡町丁568-1 電話088-852-0316
駐車場:なし(普通20台境内への乗り入れ可)(マイクロバス、大型車は山道のため通行不可)宿 坊:なし

出典:四国八十八ヶ所霊場会編



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わずかなる泉にすめる青龍は 仏法守護の誓いとぞきく
 
第三十六番・青龍寺

35番・清滝寺 前へ 次へ 37番・岩本寺
参拝日 2014年04月03日(平成26年04月03日)
参拝経路
四国遍路二度目11泊。十一日最終日。
36・35・34番3ヶ寺逆打ちする。
高知二日目高知駅からバスで宇佐大橋手前で下車。
山上の三十六番青龍寺へ。青龍寺は元横綱朝青龍が相撲留学した明徳義塾高校近くにある。元横綱朝青龍が何度も上がり下がりした青龍寺本堂の石段。寺名は朝青龍の四股名の由来になっている。
帰りは宇佐大橋へ戻り、コミュニティバスで高岡へ。


青龍寺の歴史・由来


青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809?23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。

青龍寺の見どころ
愛染明王坐:木造、本堂に安置。国の重要文化財。不動明王像と一対に祀られ、苦しみのすべてを救いとってくれるという。
奥の院:境内から南約600m、横波半島突端の太平洋に落ちそうな所にある。石造の不動明王像が祀られ、長年女人禁制であった。
横浪県立自然公園:北側は浦ノ内湾、南には雄大な太平洋の景観を楽しめる。

宗 派:真言宗豊山派
本 尊:波切不動明王
開 基:弘法大師
創 建:弘仁6年(815)
真 言:のうまくさんまんだ ばざらだんせんだ まかろしゃだ そわたやうんたらた かんまん
住 所:〒781-1165
高知県土佐市宇佐町竜163
電 話:088-856-3010 begin
駐車場:普通20台・無料
宿 坊:なし


出典:四国八十八ヶ所霊場会編




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六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田の神のたのしみ  
第三十七番・岩本寺

36番・青龍寺 前へ 次へ 38番・金剛福寺
参拝日 2016年04月04日(平成28年)
参拝経路 四国八十八ヶ所巡礼

岩本寺の歴史・由来
清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3kmの付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

岩本寺の見どころ
大師堂:200年ほど前の建造物で、境内では最も古い。
本堂内陣の格天井画:昭和53年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。

宗 派:真言宗智山派 本 尊:不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来
薬師如来 地蔵菩薩
開 基:行基菩薩(寺伝)
創 建:天平年間(729?749)(寺伝)
真 言: 不動明王:なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや
うん たらた かんまん
観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来:おん あみりたていぜい から うん
薬師如来:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩:おん かかか びさんまえい そわか
住 所:〒786-0004高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
電 話:0880-22-0376
駐車場:普通15?20台・大型3?4台 料金は納経所で支払う
宿 坊:あり(要電話予約)

出典:四国八十八ヶ所霊場会編






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ふだらくやここはみさきの船の棹 とるもすつるも法の蹉山
 
第三十八番・金剛福寺

37番・岩本寺 前へ 次へ 39番・延光寺
参拝日 2016年04月07日(平成28年)
参拝経路 四国八十八ヶ所巡礼

金剛福寺の歴史・由来
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809?23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となっていたが、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。


金剛福寺の見どころ
本尊・三面千手観音立像:本面の左右に脇面が付き、高さ約1.6mの檜材寄せ木造り。県の保護有形文化財。
真念庵:金剛福寺への遍路道の途中、土佐清水市に遺る遍路宿で、真念が江戸時代に建てた。
嵯峨天皇宸筆の扁額:「補陀洛東門」と彫られた木額。嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢とともに平安初期の能筆家「三筆」の1人。

宗 派:真言宗豊山派
本 尊:三面千手観世音菩薩
開 基:弘法大師
創 建:弘仁13年(822)
真 言:おん ばざらたらま きりく
住 所:〒787-0315
高知県土佐清水市足摺岬214-1
電 話:0880-88-0038
駐車場:普通40台・マイクロバス5台終日・無料
宿 坊:有り


出典:四国八十八ヶ所霊場会編







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南無薬師諸病悉徐の願こめて 詣る我が身を助けましませ
 
第三十九番・延光寺

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参拝日 2016年4月8日(平成28)
参拝経路 四国八十八ヶ所巡礼

四国八十八ケ所 第三十九番・延光寺の歴史・由来
延光寺の歴史・由来
土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。
現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されている。縁起を寺の起源にもどそう。神亀元年に行基菩薩が聖武天皇(在位724?49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782?805)で、桓武天皇(在位781?806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」である。

延光寺の見どころ
眼洗い井戸:本堂の右手。大師は「宝医水」と名づけ、眼病にも効くとされ、眼の周りを浸している遍路さんが多い。
延宝8年(1680)建立の石碑:江戸前期。36度の四国遍路をした高林玄秀の石碑。
大赤亀の石像:竜宮城伝説を象徴しており、赤い大きな亀が背中に鐘を乗せた姿をしている。仁王門をくぐった右手にある。

宗 派:真言宗智山派
本 尊:薬師如来
開 基:行基菩薩
創 建:神亀元年(724)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒788-0782
高知県宿毛市平田町中山390
電 話:0880-66-0225
駐車場:普通50台・マイクロバス10台・大型5台終日・無料
宿 坊:60名

出典:四国八十八ヶ所霊場会編






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心願や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの
 
第四十番・観自在寺

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参拝日 2016年4月9日(平成28)
参拝経路 四国八十八ヶ所巡礼

観自在寺の歴史・由来
愛媛県は「菩提の道場」。その最初の霊場で、一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。寺があるこの町は、美しいリアス式海岸の宇和海に面した最南端で、海洋レジャーの基地、真珠の生産地としても知られる足摺宇和海国立公園の景観を存分に楽しむことができる。縁起をひも解くと、弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806?09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。
平城天皇はまた、勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇(在位809?23)とともに親しく行幸され、御朱印を下されて『一切経』と『大般若経』を奉納し、毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修された。こうしたことから、この地方を「御荘」と称し、また勅額の山号に因んで「平城」とも呼ぶようになっている。寛永15年(1638)、京都・大覚寺の空性法親王が四国巡拝の折に宿泊され、「薬師院」の院号を授かっている。このころは七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石という隆盛を誇っていたという。だが、火災によりすべての堂塔を焼失、その後は宇和島藩主・伊達家の祈願所として旧観の回復につとめ、法灯を守っている。

観自在寺の見どころ
本尊と脇侍:2度の災難を奇跡的に逃れ、本堂に安置されている。
「南無阿弥陀仏」の名号宝判:晒し木綿の布に刷り写した御守。厄除けや安産、病気平癒に霊験あらたかといわれる。
本堂:昭和39年、全国の信徒の浄財だけで再建。
大師堂:平成5年、総檜の宝形造りで、回廊では四国八十八ヶ所のお砂踏ができる。
宗 派:真言宗大覚寺派
本 尊:薬師如来(伝弘法大師作)
開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒798-4110
愛媛県宇和郡愛南町御荘平城2253-1
電 話:0895-72-0416
駐車場:山門下:普通20台小学校前:普通10台・マイクロバス5台・大型3台各終日
宿 坊:40人・要予約


出典:四国八十八ヶ所霊場会編






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