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第四十一番・龍光寺 |
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宇和島城と どがいぞう・うどん
宇和島第一ホテルから10`41番・竜光寺

41番・竜光寺参道

41番・竜光寺


今日2寺目 42番・仏木寺へ3.5` |
参拝日 |
2016年4月11日(平成28年) |
参拝経路 |
四国遍路3回目/2016年4月4日〜4月15日の12日間で高知県&愛媛県.37番〜43番札所を巡拝する。
3回目のお遍路は前と違った目的が2つある。今年乳癌の手術をした長女の回復、不妊治療を続けている末娘に子が授かる事を祈りながらの遍路。 4月11日 8日目
3回目遍路の最後の一日。今日は41番、42番、43番の3ヶ寺を参拝して八幡浜へ歩く。41番龍光寺へのへんろ道で、外人女性と日本人の一人遍路のお年寄りが並んで歩き、片言英語で説明しながら歩いているのが耳に入る。親切なお年寄である。良心的な行為に感心しながら、声をかけ横を抜けて先に行く。宇和島ホテルを出て約3時間かかって番龍光寺に到着。
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龍光寺の歴史・由来
宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。
縁起によると、大同2年に弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消した。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置した。このとき、本地仏とする十一面観世音菩薩と、脇侍として不動明王、毘沙門天も造像して一緒に安置し、「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる。
創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきたが、明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となった。新たに本堂が建立されて、ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座している。
三間平野は四季折々の草花が美しく、毎年11月ころにはコスモス祭りが開かれる。
龍光寺の見どころ
龍の目玉:直径10センチほどの黒石で、小さな祠にいれて本堂に祀られている。寺名に因み、この地方の庄屋が奉納した伝説がある。
お稲荷さんの大祭:神毎年3月の第1日曜日。五穀豊穣や商売繁盛を祈願する人たちで賑わう。
宗 派:真言宗御室派
本 尊:十一面観世音菩薩
開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所:〒798-1115
愛媛県宇和島市三間町戸雁173
電 話:0895-58-2186
駐車場:普通12台・終日・無料
マイクロバス、大型車は山門横
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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41番・竜光寺/御朱印
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第四十二番・仏木寺 |
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遍路道に三間高等学校と成妙小学校生徒さんによるチューリップ畑

42番・仏木寺

42番・仏木寺

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参拝日 |
2016年4月11日(平成28年) |
参拝経路 |
四国遍路3回目/2016年4月4日〜4月15日の12日間で高知県&愛媛県.37番〜43番札所を巡拝する。
3回目のお遍路は前と違った目的が2つある。今年乳癌の手術をした長女の回復、不妊治療を続けている末娘に子が授かる事を祈りながらの遍路。 4月11日 8日目
41番龍光寺から42番仏木寺のへんろ道には綺麗なチューリップの長〜い花壇。チューリップ街道と言われているらしい。手入れは三間高等学校と成妙小学校の生徒さんたちされている。素晴らしい! さあ3回目お遍路最後の43番明石寺を目指す。
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仏木寺の歴史・由来
牛の背に乗った弘法大師の伝説が語り継がれる仏木寺には、境内に家畜堂という小さなお堂がある。ミニチュアの牛や馬の草鞋をはじめ、牛馬の陶磁器、扁額などがところ狭しと奉納されている。近隣の農家では、田植えが終わったころに参拝に行き、牛馬の守護札を受けて帰り、畜舎の柱に貼っていた。往時は農耕をともにした家畜たちの安全を祈願していたが、最近ではペットなども含めて動物一般の霊を供養したり、また、闘牛の飼育者の間にも信仰が広がっているという。
大同2年のころ、弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、光を放っているのを目にした。よく見ると、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけ、草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられる。
その後、寺は牛馬安全の守り仏、大日さまとして信仰をあつめ、鎌倉時代には宇和島領主・西園寺家の祈祷、菩提寺となるなど隆盛を誇った。戦国時代には戦乱に災いされるなど、苦難の道を余儀なくされたが、再建に励んで面目を一新し、活気に満ちている。
仏木寺の見どころ
本尊・大日如来像:鎌倉時代の墨書銘があり、像高1.2mの寄せ木造り。県指定文化財。背面に大師作の小像が胎内に納められている旨の墨書がある。
家畜堂:牛旧暦で毎年6月、土用の丑の日に「瓜封じ」の祈祷をし、人間や牛馬の心願成就を祈念する。
鐘楼堂:四国霊場では珍しい茅葺の屋根。元禄時代(1688?1704)に再建された。
宗 派:真言宗御室派
本 尊:大日如来(伝弘法大師作)
開 基:弘法大師
創 建:大同2年(807)
真 言:おん あびらうけん ばざらだどばん
住 所:〒798-1102
愛媛県宇和島市三間町則1683
電 話:0895-58-2216
駐車場:普通30台・マイクロバス10台・大型5台
終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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42番・仏木寺/御朱印 |
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聞くなら千手の誓いふしぎには 大盤石もかろくあげ石
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第四十三番・明石寺 |
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43番・明石寺

43番・明石寺
八幡浜から内子座と十夜ヶ橋を歩く
内子座から10`歩いて別格第8番十夜ヶ橋 |
参拝日 |
2016年4月11日(平成28年) |
参拝経路 |
四国遍路3回目/2016年4月4日〜4月15日の12日間で高知県&愛媛県.37番〜43番札所を巡拝する。
3回目のお遍路は前と違った目的が2つある。今年乳癌の手術をした長女の回復、不妊治療を続けている末娘に子が授かる事を祈りながらの遍路。 4月11日 8日目
43番 明石寺14:00到着。
宇和島のへんろ道で追い越した外人女性とお年寄りの二人連れと境内で再会する。女性はイタリアから来ていてお年寄りの親戚に今夜は泊めてもらうとのこと。明石寺参拝して卯之町駅から八幡浜駅へ。スーパーホテルに宿泊。 |
明石寺の歴史・由来
明石寺が所在する宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町である。明石寺にもまた奇逸な歴史の縁起が残されている。
まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀の前半、欽明天皇(在位532?71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされている。のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809?23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。
以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。
明石寺の見どころ
神仏習合:明治維新まで神仏習合の寺院で、住職を別当職と呼んでいた。
本堂:明治時代に全国の信者の浄財によって建立した。屋根は唐破風造りで、左右両端が反るように天を向き、柔らかい曲線を描いている。
しあわせ観音像:客殿の裏にあり、身の丈2m余、長い袂着物姿で、左手に水瓶をもつ慈悲深いお顔の観音さま。
宗 派:天台寺門宗 本 尊:千手観世音菩薩 開 基:円手院正澄
創 建:六世紀前半
真 言:おん ばざらたらま きり そわか
住 所:〒797-0007 愛媛県西予市宇和町明石201
電 話:0894-62-0032
駐車場:普通200台・終日・無料
宿 坊:30名
出典:四国八十八ヶ所霊場会編 |
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43番・明石寺/御朱印
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今の世は大悲のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞまつ |
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第四十五番・岩屋寺 |
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45番・岩屋寺 逼割禅定入口

45番・岩屋寺本堂

本堂横は岩壁

45番・岩屋寺参道

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参拝日 |
2017年3月29日(平成28年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間で愛媛県44番〜64番札所を巡拝する。 2017年3月29日 1日目
羽田空港JAL431便7:25〜8:55松山着。空港バスでJR松山駅。バスを乗り換え久万高原へ。ホテルに荷物を預け、白衣に袈裟と数珠を首にかけ金剛杖、納経帳、線香、ロウソク、などお遍路姿に身を固めて前回に終わった43番の続きである44番・
大宝寺を目指す。八丁坂など難所を登り、標高700b 45番岩谷寺へ。岩谷寺から宿まではまだ10`以上、ガーデンタイム17:30着
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岩屋寺の歴史・由来
標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。
弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。
一遍上人(1239?89)が鎌倉時代の中期にこの古刹で参籠・修行したことは、『一遍聖絵』にも描かれており、13世紀末ごろまでにはこれらの不動尊像をはじめ、護摩炉壇、仙人堂、49院の岩屋、33の霊窟などがそのまま残っていたと伝えられる。いつの頃からか、四十四番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に第一世の住職が晋山した。だが、同31年(1898)に仁王門と虚空蔵堂をのこし諸史料ともども全山を焼失した。大正9年に本堂より一回り大きい大師堂を再建、その後、昭和2年に本堂、同9年に山門、27年鐘楼を復興、宿坊遍照閣は38年、逼割不動堂・白山権現堂は同53年にそれぞれ建立されている。大師堂は国指定重要文化財、寺域は国の名勝、県立自然公園の指定地でもある。
岩屋寺の見どころ
穴禅定:本堂に向かう石段の下。
道開き不動:納経所下の曲がり角、虚空蔵堂裏。
逼割禅定:奥の院・大師堂奥の山道を辿る。
鈴の音山河:お遍路さんをさわやかに歌ったうた。現住職が作詞・作曲。
七鳥:三宝鳥、慈悲心鳥、慈悲声鳥、鼓鳥、鈴鳥、笛鳥、鉦鼓鳥。
初めて発見された植物:イヨクジャク、イワヤシダ、イワヤスゲ。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
開 基:弘法大師
創 建:弘仁6年(815)
真 言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
住 所:〒791-1511
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
電 話:0892-57-0417
駐車場:(民営)普通のみの場合105台(300円)
マイクロバスのみの場合20台(500円)
大型のみの場合10台可(1000円)
宿 坊:休業中
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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45番・岩屋寺/御朱印
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極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし
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第四十六番・浄瑠璃寺 |
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46番・浄瑠璃寺.へむけ出発

浄瑠璃寺.途中の網掛石

46番・浄瑠璃寺

46番・浄瑠璃寺 本堂

47番・八坂寺途中で丁寧なお接待を受ける。
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参拝日 |
2017年3月30日(平成年月日) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間で愛媛県44番〜64番札所を巡拝する。
2017年3月30日 2日目
今日は46番 浄瑠璃寺 47番 八坂寺 2ヶ寺をまわる。
昨日は初日にしては26`歩行と少しオーバーワークだった。出発して少しは疲れが残っていたがすぐに元のコンデションに戻り普段通りに歩けるようになる。
今日も昨日より更に進み、39824歩27.8` 南道後温泉ホテル.ていれぎ館
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浄瑠璃寺の歴史・由来
浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。
約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が、信仰を得ている。
浄瑠璃寺の見どころ
仏手・仏足石の寺:境内にそびえる樹齢約1,000年のイブキビャクシンの大木の下に安置されています。延命、豊作にご利益があるとして信仰を集めています。樹高約20メートルのイブキビャクシンは弘法大師が加持したものといわれ松山市の天然記念物に指定されています。
一願弁天堂:本堂左手奥の鳥居の中。天女像が祀られ、音楽、智恵、美貌、財宝、福徳に霊験があると伝えられる。
説法石:「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と説明書。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:薬師如来
開 基:行基菩薩
創 建:和銅元年(708)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒791-1133
愛媛県松山市浄瑠璃町282
電 話:089-963-0279
駐車場:普通10台・用事済み次第・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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46番・浄瑠璃寺.御朱印
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花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏じょうの縁 とこそきけ
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第四十七番・八坂寺 |
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浄瑠璃寺から47番・八坂寺へ

47番・八坂寺

八坂寺境内脇に天国と地獄あり

八坂寺から衛門三郎の生まれた、番外.文殊院をお参りする

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参拝日 |
2017年3月30日(平成29年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。 愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。
2017年3月30日 2日目 今日は、46番 浄瑠璃寺 47番 八坂寺 2ヶ寺をまわる。 昨日は初日にしては26`歩行と少しオーバーワークだった。出発して少しは疲れが残っていたがすぐに元のコンデションに戻り普段通りに歩けるようになる。 今日も昨日より更に進み、39824歩27.8`
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八坂寺の歴史・由来
浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697?707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942?1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。
八坂寺の見どころ
閻魔堂(えんまどう):本堂と大師堂の間。「極楽の途」「地獄の途」があり、極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれている。
救いの手:本堂にあがる石段の下から10段目の左側。「九難を去る救い」の手とされ、足や目の病に効験ある話が伝わる。
宝筺印塔(ほうきょういんとう):鎌倉時代の石造層塔で、庫裏前の庭園にある寺宝。
不動三尊(いやさか不動尊):平成17年に柴燈護摩道場も建立、毎年4月29日に柴燈大護摩供火渡り修行が厳修され、衰退していた修験道が復興された。
住 所:〒791-1133
愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
電 話:089-963-0271
駐車場:普通50台・終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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47番・八坂寺/御朱印
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弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺に詣れよ
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第四十八番・西林寺 |
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南道後温泉・ていれぎ館出発

48番・西林寺

48番・西林寺

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参拝日 |
2017年3月31日(平成29年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。 愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。 2017年3月31日 3日目は
南道後温泉ホテル.ていれぎ館を出発して
48番西林寺~49番浄土寺~50番繁多寺~51番石手寺~
道後温泉本館を通って山頭火終焉の地に寄り、
52番太山寺までの4ヶ寺をまわり、宿は権現温泉宿泊
31724歩 22.2`歩く。
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西林寺の歴史・由来
寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724?49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624?44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。
西林寺の見どころ
福授地蔵:納経所前の庭園。お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという、幸せを授けてくださるお地蔵さん。
孝行竹:閻魔堂の前。親竹と子竹が離れないで生えている竹で、家庭円満の象徴として信仰されている。
寺宝:『四國禮繪圖』。最古の四国遍路絵図として貴重。宝暦13年(1763)の刊行。また『四国霊場記』(明治24年・1891刊)も貴重資料。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:十一面観世音菩薩
開 基:行基菩薩
創 建:天平13年(741)
真 言:おん まか きゃろにきゃ そわか
住 所:〒791-1111
愛媛県松山市高井町1007
電 話:089-975-0319
駐車場:普通20台・大型2台・終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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48番・西林寺/御朱印 |
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十悪のわが身を棄てずそのままに浄土の寺へまいりこそすれ |
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第四十九番・浄土寺 |
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49番・浄土寺


浄土寺/空也上人

50番への遍路道に手作り案内
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参拝日 |
2017年3月31日(平成29年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。 愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。 2017年3月31日 3日目は
南道後温泉ホテル.ていれぎ館を出発して
48番西林寺~49番浄土寺~50番繁多寺~51番石手寺~
道後温泉本館を通って山頭火終焉の地に寄り、
52番太山寺までの4ヶ寺をまわり、宿は権現温泉宿泊
31724歩 22.2`歩く。
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浄土寺の歴史・由来
境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903?72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749?58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668?749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。
空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957?61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469?87)に領主、河野道宣公によって再建された。本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。
浄土寺の見どころ
空也上人像:国指定重要文化財。像高121.5cm、木造、玉眼。口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている。本坊の庭に2代目の空也松。落書き:本堂厨子に室町時代から江戸時代にかけての落書きがあり、貴重な歴史史料。
三蔵院:浄土宗の開祖・法然上人、1世・聖光上人、2世・良忠上人の自作像が安置されていた。この三像は昭和20年の松山空襲で出開帳先の寺で全焼している。
宗派:真言宗豊山派
本尊:釈迦如来(伝行基菩薩作)
開基:恵明上人
創 建:天平勝宝年間(749?757)
真 言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
住所:〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198 電話:089-975-1730
駐車場:普通20台(100円)・ワゴン(200円)マイクロ(500円)と大型(1,000円)4台 宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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49番・浄土寺/御朱印 |
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よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ
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第五十番・繁多寺 |
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50番・繁多寺

50番・繁多寺

50番繁多寺から51番石手寺へ途中、道後温泉の街並

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参拝日 |
2017年3月31日(平成29年) |
参拝経路 |
四国遍路4回目/2017年3月29日〜4月7日の10日間。 愛媛県内の44番〜64番札所を巡拝する。 2017年3月31日 3日目
南道後温泉ホテル.ていれぎ館を出発して
48番西林寺~49番浄土寺~50番繁多寺~51番石手寺~
道後温泉本館を通って山頭火終焉の地に寄り、
52番太山寺までの4ヶ寺をまわり、宿は権現温泉宿泊
31724歩 22.2`歩く。
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繁多寺の歴史・由来
寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749?58)の勅願により、行基菩薩がおよそ90cmの薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、「光明寺」と号された。弘仁年間(810?24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された際に「東山・繁多寺」と改め、霊場とされた。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274?87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239?89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。上人は晩年の正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納されている。また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382?1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっている。こうした縁から寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っている。さらに江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。
繁多寺の見どころ
一遍上人:伊予の名門、河野通広の次男として生まれ、10歳のとき出家、のち全国を行脚し「遊行上人」「捨聖」と呼ばれた。
歓喜天像:本堂左手の聖天堂に安置。祈れば富貴を与え、厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益があるという。
接待一万人の石柱:山門前にある寺名の石柱裏側。10,000人のお遍路接待を成就した記念碑。
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:薬師如来
開 基:行基菩薩
創 建:天平勝宝年間(749?757)
真 言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住 所:〒790-0912
愛媛県松山市畑寺町32
電 話:089-975-0910
駐車場:普通5台・マイクロバス1台・大型1台終日・無料
宿 坊:なし
出典:四国八十八ヶ所霊場会編
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50番・繁多寺/御朱印 |
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