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昭和60年4月10日秩父三十四ヶ所 4回目巡拝 19番・竜石寺〜20番・岩上堂〜21番・観音寺〜22番・栄福寺〜23番・音楽寺〜24番・法泉寺〜25番・久昌寺と前回同様7ヶ寺を周る。 22番・栄福寺からは山道に入り軽いハイキングコースを20分程登り小さなみやげ物店などある参堂を登ると23番・音楽寺境内。 |
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名前の通り音楽関係や人気歌手の方々がヒット祈願で参詣する。 本堂横には秩父困民党の碑、ここからの秩父市街の展望は今までで一番素晴らしい。 |
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![]() 本堂左の六地蔵 |
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音楽寺の由来が記された梵鐘、秩父事件の折にはこの梵鐘を打ち鳴らし農民は大挙して秩父市内へ乱入して行った。 今日6番目の24番・法泉寺へ。 |
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■ 札所二十三番 松風山 音楽寺 (しょうふうさん おんがくじ) 【物語】 天長年間(824〜834)、慈覚大師が巡行した際この地で聖観音を刻んだ。安置する場所を探し山道を行くと、多数の小男鹿(牡鹿)が道案内をした、という伝説がある。 【記事】 観音堂の脇にある梵鐘(ぼんしょう)、秩父札所随一の音色として有名である。 鐘身には、人間の持つ108つの煩悩を表した乳頭(丸い突起)と、聖観音、不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の六観音が鋳込まれている。 境内には、秩父困民党無名戦士の碑もあり、日本近代史の始まりを偲ばせてくれる。 【ひと言】 音楽寺という近代的な寺の名は、松の梢を吹く風の音から生まれたそうである。 近年は、音楽に関する願い事をかなえてくれる寺として、新人歌手や、スター歌手が、ヒットが出るようにと祈願に来ることで知られている。 【御詠歌】音楽のみ声なりけり小鹿坂の 調べにかよう峰の松風 【所在地】〒368‐0056 埼玉県秩父市大字寺尾3773 【電話番号】0494‐25‐3018 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年4月10日秩父三十四ヶ所 4回目巡拝 音楽寺から下りの山道はそこらじゅうのシイタケの栽培をみながら今日6っ目の24番・法泉寺へゆっくり歩いて40分。 杉林に両側を囲まれた217段の長い石段を登りきるとこじんまりした本堂、左手には六地蔵が並ぶ。 |
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昭和60年4月10日 今日最後の25番・久昌寺へ。 |
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■ 札所二十四番 光智山 法泉寺 (こうちさん ほうせんじ) 【物語】 昔々、武蔵国の恋ヶ窪に、口中の腫れ物に苦しむ遊女が居た。 遊女は観音を信仰する大変慈悲深い女性で、毎朝修行僧に施しをしていたという。そんなある朝、秩父から来たという僧が、一本の楊(やなぎ)の枝を遊女に与え、「この枝で口の中をそそぎなさい」と教えた。 遊女は、僧の教えどおりに楊の枝で口中をそそいでみる事にした。すると、口中の腫れ物はみるみるうちに快癒し、痛みも全て消えてしまった。 以来、この寺には病の回復を願う礼拝者も多いという。 【記事】 毎年4月18日の縁日の日には地元の人々が集い、廻り念仏が行われる。 廻り念仏は、境内に集まった人々が輪になって座り、念仏を唱えながら大数珠(約10メートル)を隣の人に廻していくものである。そのため、大数珠廻しとも呼ばれている。大数珠は、本堂の右側に吊るしてあり、参詣者が手に触れることができる。 【ひと言】 116段の石段を登りきった境内からは、田園風景と共に、秩父のシンボルである武甲山を望む事ができる。子供の頃境内で遊んだ記憶が目前に甦ってくるような、そんな懐かしさ溢れる風情である。 【御詠歌】 天照す神の母祖の色かへてなおもふりぬる雪の白山 【所在地】 〒368-0054 埼玉県秩父市別所1568 【電話番号】 0494-23-0943 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年4月10日秩父三十四ヶ所 4回目巡拝 19番・竜石寺〜20番・岩上堂〜21番・観音寺〜22番・栄福寺〜23番・音楽寺〜24番・法泉寺とまわり今日最後の25番・久昌寺。 門前で無人野菜販売がある。並べられた新鮮な椎茸@200円2袋傍らの料金箱に代金を入れ土産にする。 観音堂を映した弁天池、対岸に本坊納経所はある。 |
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建物は皆外観はかなり荒廃しているが時代を感ずる貴重な物だ。 |
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昭和60年4月10日秩父三十四ヶ所 4回目巡拝は19番・竜石寺から20番・岩上堂〜21番・観音寺〜22番・栄福寺〜23番・音楽寺〜24番・法泉寺〜25番・久昌寺 7ヶ寺をまわり終わる。 秩父鉄道・浦山口へ歩き帰路に着く。 |
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■ 札所二十五番 岩谷山 久昌寺 (いわやさん きゅうしょうじ) 【物語】 昔々、様々な悪行を積み重ね、家族や村人からも追い出された鬼女が居た。 鬼女は、ここ久那の岩洞に住み始め、一人の女の子を出産した。しかし、これまでの悪行が祟って、娘が十五歳の時に命を落としてしまった。 ただ一人残された娘は母親とは異なり、非常に澄んだ美しい心の持主だった。そのため母親の罪を大変悲しみ、後世で母親が苦しまないようにと観音堂の建立を発願した。この娘のやさしさに心打たれた村人達は、彼女に惜しまず協力をし、観音堂は建立されたという。 【記事】 秩父霊場を創ったとされる性空上人が、冥土の閻魔大王の前で経典十万部を読み、その御礼として石の証文と石の手判を持ち帰った。 その石の証文は両国二十四番中山寺へ、石の手判は当寺、久昌寺へ納められた。そのため、別名御手判寺と呼ばれ閻魔の御手判の版刷りを授与してもらう事も出来る。 【ひと言】 観音堂の裏手には弁天池があり、周囲の木々を水面に映し出している。 その様は、とても静寂で落ち着きの漂うものであり、心が洗い流されるようである。 【御詠歌】 水上はいづくなるらん岩谷堂 朝日もくなく夕日かがやく 【所在地】 〒368-0053 埼玉県秩父市久那2215 【電話番号】0494-23-7309 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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![]() 1985年(昭和60年)5月8日5回目の秩父三十四ヶ所巡拝は26番・円融寺〜27番・大淵寺〜28番・橋立堂〜29番・長泉院〜30番・宝雲寺の5ヶ寺をまわる。 西武秩父駅からお花畑へ、秩父鉄道に乗り換えて影森駅下車徒歩15分程で円融寺に着く。 |
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円融寺背後の丘陵に建つ 立派な舞台造りの岩井堂 |
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昭和60年5月8日 今日2番目の27番・大淵寺へ向う。 |
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■ 札所二十六番 万松山 円融寺 (ばんしょうざん えんゆうじ) 【物語】 その昔、弘法大師がこの地に巡錫(じゅんしゃく)し、21日間に及ぶ護摩(ごま)の修行を成し遂げると、そこに観世音が現れて「この事後の大徳に任せよ」と告げた。その後、巡錫に訪れた恵心僧都は、聖観世音を彫り、村人と共に堂宇を建立して観世音を安置したという。 【記事】 本寺には県指定文化財である鳥山石燕(とりやませきえん)作の「景清牢破りの絵馬」や、その門人である石中女が13歳の時に描いたとされる「紫式部石山寺秋月の図の絵馬」が寺宝として保管されている。 【ひと言】 円融寺の奥の院といった存在の岩井堂までは険しい岩場や山道を登る。 しかし、その分辿り着いた時の満足感は格別であり、昔ながらの霊場といった雰囲気を味わう事ができる。 【御詠歌】尋ね入りむすぶ清水の岩井堂心の垢をすすがぬはなし 【所在地】 〒369-1871 埼玉県秩父市下影森348 【電話番号】 0494-23-8838 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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1985年(昭和60年)5月8日 26番・岩井堂(円融寺)から27番・大淵寺へは秩父盆地の雄大な展望を見ながら尾根路のハイキングコース(右下は昭和電工工場) |
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護国観音近くを通過中アブの大群に教われなかなか前に進めなかった。冷や汗をかきながら山を下り大淵寺の裏庭にやっと到着。 |
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本堂右手に池があり池の中には弁天堂 大淵寺から今日3番目の28番・橋立堂へ。 |
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■ 札所二十七番 竜河山 大淵寺 (りゅうがさん だいえんじ) 【物語】 宝明(ほうめい)という名の行脚僧が、ここ影森の地で病に倒れ、7年の間病床にあった。そこへ訪れた弘法大師は、宝明から病の話を聞くと、聖観音像を彫り与えた。宝明は病の回復を祈願し、礼拝を続けた。するとどうした事か、7日目に霊験があり病は跡形もなく完治してしまった。これに歓喜した宝明は、弘法大師の彫った観音像を本尊として、堂宇を建立したという。 【記事】 毎年4月には護国大観音縁日が催され、平和祈願が行われている。 高さ15メートルもある護国大観音は、高崎観音・大船観音と共に関東三観音の一つに数えられている。平成8年に「月影堂」(観音堂)が再建される。 【ひと言】 境内から見上げる大観音像は、やさしい顔で参拝者を見守ってくれている。 山々の木々に囲まれた風景の中から、一光が差すようなかたちで大観音像を眺める、というのもまた良いものである。 【御詠歌】夏山やしげきが下の露までも心へだてぬ月の影もり 【所在地】 〒369-1872 埼玉県秩父市上影森411 【電話番号】 0494-22-5259 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年5月8日 28番・橋立堂は27番・大淵寺から20分歩き到着。 |
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28番・橋立堂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 遠足の小学生 |
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![]() 28番・橋立堂本尊の馬頭観音 |
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石段を上がると左手に納経所と橋立鍾乳洞入口があり奥の院になっている。洞内は様々な鍾乳石や大日如来や千手観音なども祀られている。 |
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今日4番目の29番・長泉院へ向う。 |
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■ 札所二十八番 石龍山 橋立堂 (せきりゅうさん はしたてどう) 【物語】 その昔、弘法大師が柚の老木を刻んで馬頭観音とし、ここに安置したのが始まりといわれている。 西国、坂東、秩父の百観音霊場のうち、馬頭観音を本尊としているのは本寺と松尾寺(両国二十九番)だけであり、非常に珍しいものである。 【記事】 納経所の側に橋立鍾乳洞(県天然記念物)の入口があり、全長200メートルに及ぶ洞内を探索する事ができる。別名岩陰遺跡とも呼ばれ、遥か昔には古代人が住居として使用していたという。 【ひと言】 観音堂の背後には巨大な絶壁がたたずみ、その影は礼拝者を飲み込まんばかりである。その迫力は一見の価値がある。 【御詠歌】 霧の海たち重なるは雲の波 たぐひあらじとわたる橋立 【所在地】 〒369-1872 埼玉県秩父市上影森675 【電話番号】 0494-24-5399 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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