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1984年(昭和59年)10月17日秩父三十四ヶ所2回目. 今日5ヶ寺目の17番・定林寺は16番・西光寺から徒歩20分。 |
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西国・坂東・秩父100観音が刻まれた梵鐘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1984年(昭和59年)10月17日秩父三十四ヶ所2回目 今日最後18番・神門寺へ |
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■ 札所十七番 実正山 定林寺 (じっしょうざん じょうりんじ) 【物語】 昔、東国の方にわがままな御殿様が住んでいた。ある日、家来の林太郎定元が苦言を述べたことに腹を立て、御殿様は定元を追放してしまった。 その後、定元とその妻は相次いで病死し、取り残された子供はお寺に引き取られた。ある時、御殿様が狩りにこの地を訪れたところ、定元の子供に会い、深く反省し、その子供に林源太良元と名づけ、領地を授け御堂を建てて定林寺とした。それから、この寺を林寺と呼ぶようになった。 【記事】 御堂のすぐ側にある梵鐘(ぼんしょう)には西国、坂東、秩父百観音の本尊が浮き彫りにされ、それぞれの札所の御詠歌が刻まれている。この鐘には、悲しい母と子にまつわる伝説が残っている。また、県の重要美術品にも指定されている。 【ひと言】 民家に囲まれた御堂は親しみが持て、子供たちの格好の遊び場になっている。このお寺にも、観音霊場独特の子供にまつわる悲しい話がある。そんな雰囲気を感じ、しみじみとした気分になるだろう。 【御詠歌】あらましを思ひ定めし林寺 かねききあへづゆめぞさめける 【所在地】〒368‐0025 埼玉県秩父市桜木町21‐3 【電話番号】0494‐22‐6857 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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1984年(昭和59年)10月17日秩父三十四ヶ所2回目最後の参拝寺は 18番・神門寺は国道140号線が直前を走る場所に建つ。 国道を挟んで納経所があり、お参りした後、車の切れ目を見つけて国道を渡り納経してもらう。 |
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神門寺の背後の丘陵上は最近開発された大規模霊園の秩父聖地霊園がある。 |
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1984年(昭和59年)10月17日秩父三十四ヶ所2回目最後の参拝を終える今日で18ヶ寺をお参りして半分を過ぎ残り16ヶ寺。 |
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■ 札所十八番 白道山 神門寺 (はくどうさん ごうどじ) 【物語】 昔、この地は神社であったが荒廃してしまい、村人達は再建しようと相談していた。 すると、「神社ではなく、お寺を作りなさい」というお告げがあり、村人達はさっそく御堂を建て聖観世音を安置した。それからは信者も増え、ついに日本百観音霊場の札所にまでなった。 【記事】 本堂は、名匠藤田若狭の作である。本尊は1メートルを超える聖観音立像で、両手に蓮の花を持ち、室町時代の作と伝えられている珍しい像だ。 堂の正面軒下にある寺号の額は、秩父の生んだ芸術家森玄黄斉が作ったものである。 【ひと言】 秩父の札所は野の観音堂であり、民衆の中の観音様と言った方が良い。いつでもお参りできる親しさがある。時代の波と火災とによる盛衰をしみじみ味わえる神門寺である。 【御詠歌】ただたのめ六則ともに大悲をば 神門にたちてたすけたまえる 【所在地】〒368‐0021 埼玉県秩父市下宮地町5‐15 【電話番号】0494‐25‐0598 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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1985年(昭和60年)4月10日秩父三十四ヶ所 4回目 前回同様7ヶ寺を歩いて回る予定。 早朝家をでて西武秩父駅AM7:30着 7:52発の小鹿野行きバスに乗る。 秩父橋停留所で降り5分程で無住の19番・龍石寺。 五分咲きの桜だが春の秩父路はいつもより沢山巡礼の方と出会う。 |
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昭和60年4月10日 今日2っ目の20番・岩上堂へ。 |
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■ 札所十九番 飛淵山 龍石寺 (ひえんさん りゅうせきじ) 【物語】 昔、弘法大師が千手観音像を刻み、村人達が悪龍を退治しようと観音様に念じたところ、龍を退治してくれた。それから、村人達は御堂を建て、千手観音を安置した。これが、この寺の始まりといわれている。 その他に、岩石の間から龍が立ち上り雨を降らせた事から、龍石寺と呼ばれるようになった、とも言われている。 【記事】 龍石寺は札所中、最古の建造物といわれている。また、本尊の千手観音像は、すべての厄を払う「厄除け観音」として知られ、とくに女性の19歳、33歳の厄除け参りのメッカである。1月18日はその縁日として賑わう。 【ひと言】 参道には六地蔵が立ち並び、巡礼者を出迎えてくれているような印象を与えてくれる。寺自体が、巨大な水成岩の岩盤の上に建っており、荒川を挟んで対岸にある札所二十番岩之上堂も同じで、昔、渡し舟で往来した名残の渡船場の石段の遺構が、今でも残っている。 【御詠歌】天地を動かす程の龍石寺詣る人には利生あるべし 【所在地】〒368‐0011 埼玉県秩父市大畑町15‐31 【電話番号】0494‐22‐1669 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年4月10日 19番・竜石寺から左手に武甲山を仰ぎながら20分で今日2っ目の20番・岩上堂。Mは20人くらいの団体遍路さんと一緒に般若心経唱和する。 |
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今日3番目の21番・観音寺へ。 |
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■ 札所二十番 法王山 岩之上堂 (ほうおうさん いわのうえどう) 【物語】 昔は、願上寺といわれ大伽藍の寺であったが、永禄の兵乱により焼かれ、御本尊は仮堂に安置されていた。その後、この村の打田武左衛門慰政勝によって観音堂が建てられた。 【記事】 藤原時代の作といわれている本尊の聖観音像を安置する宮殿形の厨子は、観音開きの扉の裏面に、日天、月天、風神、雷神と共に極彩色で三十三観音の彫刻がある。 【ひと言】 二十番岩之上堂は、ショカッサイ(大根の花)や、サルビアの咲く頃に行くと良い。 参道の両側は、ショカッサイの淡い紫の花やサルビアで、真紅に埋って見事である。境内は四季折々の花が植えられて、荒川を前にした静かな霊場である。また、札所唯一、開設以来の番付と所在地を保持する札所である。 【御詠歌】苔むしろしきてもとまれ岩の上玉のうてなも朽ちはつる身を 【所在地】〒368‐0056 埼玉県秩父市大字寺尾2169(内田) 【電話番号】0494‐23‐9419 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年4月10日 21番・観音寺(矢ノ堂)は久那方面に行く道路に面し山門もなく簡素なお寺。道路を挟んで向かい側の斉藤家が納経所になっている。 |
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昭和60年4月10日 今日4番目の22番・栄福寺へ。 |
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■ 札所二十一番 要光山 観音寺 (ようこうさん かんのんじ) 【物語】 観音寺は、「矢之堂」とよばれている。それには、いくつかの由来話がある。 その昔、行基菩薩がこの地を訪れ、ここ八幡の社地に「聖観音」の像を刻み、祀ろうとした。これを伝え聞いた所の悪鬼共が、観音像の開眼の日に火の雨を降らせて妨害した。その時、白馬にまたがった八幡神が現れ神矢を放ち悪鬼を打ち払ったという。 今も、「矢の根」が寺宝とされている。 【記事】 観音寺は、火難に対して霊験あるところから「火除けの観音様」とも呼ばれている。 街道沿いには芭蕉の句碑、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、百万遍唱念搭、弁財天の石塔、地芝居役者の供養碑など、見るべきものがたくさんある。 【ひと言】 寺の背後には長尾根丘陵が続く。風光明媚な武甲山の山脈を眺める事ができる。 毎年四月十八日は、各札所ともに縁日で賑わうが、ここは八幡宮のお祭りも兼ね、聖観音の守護神八幡大菩薩に祈願する催しも併せて行われる。 【御詠歌】梓弓いる矢の堂に詣で来て 願ひし法にあたる嬉しさ 【所在地】〒368‐0056 埼玉県秩父市大字寺尾2354 【電話番号】0494‐24‐7263 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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昭和60年4月10日秩父三十四ヶ所 4回目巡拝 22番・栄福寺 山門前にぽつんと赤で着飾ったお地蔵さん、歴史を感ずる山門をこぐると本堂と庫裏が並んで納経は近所の農家の奥さん方が交代で受けていて、道も庭もとても綺麗にされていて感心する。 菜の花の漬物、お茶の接待を受ける。 |
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昭和60年4月10日 今日5番目の23番・音楽寺へ。 |
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■ 札所二十二番 華台山 童子堂 (かだいさん どうじどう) 【物語】 讃州(香川県)に、ある農家の主人がいた。主人は金持ちであったが、飢えた行脚僧に食事を恵まなかった。しかし、その罰として、主人の息子は犬に変えられてしまった。罪を悔いた主人は、四国、西国、坂東の各霊場をまわり、童子堂まで来て詣でたところ、息子が犬から人間に戻れたそうである。 【記事】 参道入り口の童顔の地蔵尊や、仁王門の左右の格子の中に安置されている仁王像は、童子堂の名にぴったりのユーモラスな表情をしている。 この寺は正式には「栄福寺」という名だが、子供にまつわる伝説が次々に生じ、今の「童子堂」という呼び名が著名になった。 【ひと言】 二十二番では毎年、五月五日に花祭りがあり、子供たちが集まりたいへん賑わう。 童子堂の山門と、夕焼け小焼け、そしてわらべの遊ぶ姿が絵になる。 【御詠歌】極楽をここで見つけて童う堂 後の世までもたのもしきかな 【所在地】〒368‐0056 埼玉県秩父市大字寺尾3595 【電話番号】0494‐23‐9989 出典:CANON ELECTONICS INC編纂より |
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