海外紀行 日本紀行   札所紀行 温泉紀行 日曜名画座 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI ARCHIVE PROFILE SITE-MAP
  
セカンドライフ シニアの旅 団塊世代KenとMaryのNO-SIDE 
武蔵小杉駅~多摩川~池上本門寺で日蓮上人お会式
HOME Ken & Merry's Second Life
2016年10月12日
武蔵小杉駅
法政二高
多摩川.ガス橋
多摩川線.下丸子
池上線.千鳥町
昼.池上本門寺
荏原病院
池上線.石川台
池上駅
夜.池上本門寺
池上駅
東急.五反田駅



NO-SIDEホームへ
HOME
K&MSecond Life


 
 旅紀行(海外)
 旅紀行(国内)
 旅紀行(札所)
 旅紀行(温泉)
 '60Hit-Parade
 Mami (pet)
 ARCHIVE
 RETIREMENT
 SITE-MAP
 日曜名画座
今日一日は 武蔵小杉駅から55年前通った母校を訪ね、池上本門寺のお会式で娘の安産を願う、川崎~大田区 祈願を兼ねた街歩き。
出発は武蔵小杉駅から 歩行行程地図⇒
武蔵小杉駅南口から法政通りに出る。1962年.高校1年生(昭和37年)当時毎日通った懐かしい通学路だ。
しかし昔の面影は全くない。というより記憶が飛んでしまって昔の情景はうっすらとしか浮かばない。昔は当然なかった、「横浜サンド」でサンドウィッチを購入。法政BOXなどあり。川崎にあるのに横浜サンド
法政通りをすすむといよいよ二高の前へ。
二高を背にして見る小杉駅方面の高層マンション
当時からあるらしい「カトリック中原教会」を過ぎるとそこに懐かしい二高の門
二高横を流れる渋川の親水遊歩道。当時は小川だったように思うが今は遊歩道もあり整備されていた。
1960(昭和35)年夏、1961(昭和36年)春.硬式野球部甲子園連続優勝、この光景に憧れ受験したのだ。
2011年7月5日朝日新聞1つ上の村上先輩の記事
「当時はこの道を帰るのもしんどかった。お金もないし空腹だった」。日本人初の大リーガー村上雅則(67)と母校、川崎市中原区の法政二まで歩いた。武蔵小杉駅前から10分ほど。不屈の野球人生の出発点だ。 村上が入学した1960年に法政二は夏の甲子園を制する。黄金時代だった。 山梨県大月市から寮に入った村上は、まずその規模に驚いた。同期の新入部員は200人超。整列すると、グラウンドの両翼まで列が伸びた。1周ごとに入れ替わる3年生と遅れずに走り続ける「ダービー」などの猛特訓が始まった。先輩の鉄拳制裁もあって、30人ほどに絞られた。 監督の田丸仁(故人)の指導は、基礎を徹底していた。まずはルールブックを一字一句暗記し、基礎を頭にたたき込む。丸太のブランコに立って落ちないように左右にこぐなど独自のトレーニングで、投手として大切な体重移動や、ひざの使い方を学んだ。
「血の出るような練習」を重ねても、1年上の先輩、後に巨人V9の立役者になるエース柴田勲の背中は遠かった。制球力、球速、マウンドさばき、すべてでかなわない。「自分は粗削りな投手。目立たないんじゃなくて、実力がなかった」 甲子園のマウンドは2年の春、選抜大会の準決勝で柴田を継投して2イニングを投げただけ。エースとなった62年夏は食あたりにかかり、全力を出し切れないまま神奈川大会の準決勝で敗れた。5年続いた法政二の連覇も途絶えた。しかし甲子園で咲かなかった花は2年後、メジャーの大舞台で開く。64年9月1日、サンフランシスコ・ジャイアンツの投手としてメッツ戦に登板した。村上20歳。東京では五輪の開幕を間近に控えていた時期だった。
高卒後、南海に入団した村上はジャイアンツ傘下の1Aフレスノに野球留学した。辞書だけが頼り。給与などの条件も分からず、日系人の家に居候になったこともあった。日々の生活に苦労しながら村上は成績を残した。当初3カ月の予定が延長になったつきもあって、メジャーに昇格したのだった。 翌年も「マッシー村上」の名で登板し、4勝1敗8セーブと活躍した。 ただ、帰国後が大変だった。日米の球団が村上の契約問題でもめたことや、初のメジャー選手という期待が重圧に変わった。結果が出ないとスタンドのファンから「売国奴!」「アメリカに帰れ!」と心ないヤジを浴びせられた。「理不尽なことでも文句を言わずにこなす。高校時代だって、いくら何をされようとも、ずっとやめずにやってきた」 我慢強さと逆境を跳ね返す力も高校時代に養った。南海、阪神、日本ハムで通算103勝82敗30セーブの記録を残した。
いま思う。「若いうちの苦労が、きっと人生のプラスになる。球児には常に全力を尽くしてほしい」 法政二のエースとして村上がマウンドに立ってからほぼ半世紀。186校が参加する今夏の大会は10日、開幕する。」


村上先輩
法政二高校正門
現在と昔の法政二高校正門 

懐かしい時計塔(1964年当時)

1940年代の学校周辺の様子『ありがとう時計塔』より
昭和37年当時の時計塔  赤丸がバルコニー、その前で入学式後の記念写真↓
昭和37年4月法政大学第二高等学校入学式・旧時計塔前
老朽化した時計塔校舎は解体され新しく生まれ変わった
新しい現在の時計塔
昭和37年頃は木造校舎だったが、今は面影もなく最新設備の鉄筋校舎に生まれ変わっていた。
今日は日曜日、授業は休みだが部活の練習で登校してくる五厘カットの坊主頭の生徒達はすれ違う度に「ちわー」っと挨拶してくれる。当時は満員電車の中でも、先輩をみつけると帽子をとって「ちわ」っと挨拶したもの。昔のまま礼儀正しい伝統が今も残っていて嬉しかった。
校内を出て外からぐるっと回って見る。アメリカンフットボール部練習場
昔も大学と高校の野球グランドは隣同士だった。オープン戦用大学野球部のユニフォーム

大学野球部グランド、隣に二高のグランド

法政二高
ユニフォーム
法政二高を後にして南武線・向河原駅横を通って多摩川堤に出る。
多摩川堤を歩く。上流には昔、東横線の多摩川園前から長嶋さん王さんなども練習した巨人軍多摩川グラウンドが見えたのだが、今は多摩川園も巨人軍多摩川グラウンドもなくなって淋しい。
ガス橋を渡ると下丸子で、世界のキャノン本社ビルが左にそびえ立つ。
ガス橋上から  ☝下流.東京湾方面  上流.多摩方面☟
多摩川ガス橋緑地
ガス橋を渡り東京川多摩川堤を歩く。
多摩川堤のこの歩道橋を左折すると下町工場の裏通り...
そこに下町ロケットの舞台...
下町ロケットの舞台となった「桂川精螺製作所」
下丸子駅に向かって歩くと下丸子商栄会通りを通る。
いろいろドラマのロケ地になった通りで映画「のだめカンタービレ」上野樹里が魚を買った下丸子.魚清 
映画「のだめカンタービレ」上野樹里と玉木宏がSオケのメンバーと別れた下丸子商栄会
多摩川線下丸子駅から環八を横切って進み池上線.千鳥町駅横を進む。
池上線.池上駅。西島三重子さんの名曲「池上線」この駅がモデルと作詞者の佐藤順英さんが語っている。
本門寺最寄駅の池上駅はお会式に向かう参拝者が集まり始めていた。
池上本門寺・お会式
池上本門寺HPより
全国各地で日蓮聖人がお亡くなりになられた10月13日を中心に御会式が営まれていますが、御入滅の霊跡である池上本門寺の御会式がもっとも盛大に行われており、特に12日晩の御逮夜に繰り出される万灯練り行列には30万人の参拝者が本門寺を訪れ、聖人に報恩の誠を捧げます。
11日午前11時から歴代先師聖人並びに池上法類・池上護山会先師報恩法要が、午後2時より納経十種供養式法要が営まれます。
12日午前10時から宗祖御更衣法要が営まれ、聖人の御衣を夏物から冬物の御衣にあらためます。午後2時からの宗祖報恩御逮夜法要には全国から集まった大勢の参詣者や団参で大堂が埋め尽くされます。午後6時、池上徳持会舘から本門寺までの約2キロにわたって百数十講中、総勢約三千人もの万灯練り行列が池上の町を練り歩き、深夜にいたるまで賑やかな一日となります。
13日午前8時、御正当報恩法要(臨滅度時法要)では聖人入滅時に六老僧日昭聖人が打たれた臨滅度時の鐘にならい、山主の手により静かにそして厳かに鐘が打ち鳴らされます。

 
万灯(まんどう)
 
日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜(お会式桜)が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万灯は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾っています。その万灯を先導するのは、江戸の火消し衆が参拝する折りに始めた纏(まとい)。纏が賑やかに舞い、団扇太鼓と鉦と笛の軽快な音色と共に万灯は進んでゆきます。 池上本門寺では、例年、全国から集まった百数十基の万灯が、深夜まで池上の地を練り歩き、報恩を捧げています。 
池上本門寺HP
池上本門寺/お会式 万灯練供養10月12日18時~23時
上/総門を抜けて参道を進むと正面が石段。小山の上に建つ本門寺境内へ。

境内から本堂へ
本堂
i池上本門寺・日蓮上人終焉の地に建てられている御堂
夜のお会式にまた来る為、娘の入院する荏原病院へ行く。池上本門寺から荏原病院へ⇒
娘の出産予定の荏原病院を下見する。長いこと子宝に恵まれなくやっと授かった赤ちゃん、高齢出産なので無事お産できるかとても心配。10月7日予定日だがまだ出産の兆候がない。
荏原病院から池上線・石川台駅へ、再び池上本門寺に戻る。
本門寺 万灯練り行列
夜店の屋台が並ぶ本門寺参道
池上本門寺・石段をあがりと山門へ。
参詣者で埋まった本堂前・境内
参詣者は本堂でお参りすると、順路に沿って本堂裏から駅方面に誘導される。
名曲『池上線』の池上駅もお会式で歌のイメージとは程遠い賑やかさ。
喧噪の池上本門寺・お会式の参拝後、池上線で五反田へ。五反田駅で娘と待ち合わせ、近くの「ビストロUOKIN」へ。
今夜は古希の祝いで娘から招待された。食事中 話題は10月7日出産予定の妹のことばかり。
長い一日よく歩き心地よい疲れ、東急五反田駅4FSignでお茶して帰る。
10月16日荏原病院で無事 孫 誕生!
海外紀行 日本紀行   札所紀行 温泉紀行 日曜名画座 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI ARCHIVE PROFILE SITE-MAP

セカンドライフ シニアの旅 団塊世代KenとMaryのNO-SIDE 
HOME Ken & Merry's Second Life

NO-SIDE  It aims at a happy retirement E-mail: no-side@no-side.us
Copyright c1998-2007 Ken&Mary. All rights reserved.