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≪東京下町歩き≫東京街歩き(1) 浅草〜上野〜湯島
2011年8月16日

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猛暑の東京下町歩き東京街歩き(1) 浅草〜上野〜湯島『浅草寺・観音様』雷門から(17385歩)

新撰江戸三十三ヶ所霊場巡りをしながら、2度目の東京下町散歩は浅草寺・観音様から始める。
震災の影響で外人観光客が減少しているとニュースでは見聞きしていたが、事実その通りだった。


浅草寺縁起(由来)
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊を秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794〜864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
浅草寺HP案内

浅草の顔ともいうべき『雷門』は昭和35年松下電器創始者松下幸之助氏の寄進により、復興再建されたもので、右に風神、左に雷神を配している。大提灯は正面は『雷門』で提灯の裏側は本来の名称である『風雷神門』が記されている。
大提灯をくぐり仲見世通りに入る。


仲見世商店街は家康が江戸幕府を開いてから、浅草寺への参拝客も一層賑わい、当時浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられて、それが仲見世の始まり。
元禄、享保(西暦1700年前後)の頃といわれている。


仲見世は夏休みなので沢山の観光客で賑わっていたが、東北大震災後に度々報道されているように外人観光客が少なくほとんど出会わなかった。商店街の中ほどには「がんばれ東北...」の横断幕がかかっている。
風のほとんど通らない商店街は蒸し暑さも極致だが、仕事とはいえ、多くの店は冷房もなく、お店の人はそんな暑さもどこ吹く風、涼しい顔でお客を呼び込んでいる姿には感心した。


仲見世商店街を抜けると浅草寺の山門である、宝蔵門(仁王門)に出る。
宝蔵門は天慶5年(942)に建立され、幾度も火災により炎上した。江戸時代には三代将軍・徳川家光により再度の寄進建立が行われ、本堂と仁王門が慶安2年(1649)12月23日、元禄5年(1692)に京都の曼殊院門跡・良尚法親王により「浅草寺」の扁額がかけられた。しかし昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失、現在の門は戦後に復興再建された。


観音様の境内からの東京スカイツリー
地上デジタル放送と
東京スカイツリーの役割

関東地方の地上デジタル放送は2003年12月より放送が開始されておりますが、都心部に林立する200m級超高層ビルの影響を受けにくい600m級の新タワーからの送信が望まれています。
新タワーに移行すると、地上デジタル放送の送信高は現在の約2倍となりますので、年々増加する超高層ビルの影響が低減できるとともに、2006年4月に開始された携帯端末向けのデジタル放送サービス「ワンセグ」のエリアの拡大も期待されているところです。
また、災害時等の防災機能のタワーとしての役割も期待されています。そこで、民放5社とNHKは、この重要な役割を担う新タワーの建設地として、「墨田区押上・業平橋地区」を最終決定し、600m級のテレビ塔からのデジタル放送に向けて準備を進めることになったのです。

東京スカイツリーHPから

観音様の現在の本堂は、昭和20年(1945)3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態に、昭和33年(1958)10月、再建された。
屋根の勾配が非常に急で、他寺院と比較して非常に高く、遠方からでも望見できるよう造られている。
内陣中央にはご本尊聖観世音菩薩を奉安する御宮殿(ごくうでん)があり、御宮殿内には、ご秘仏本尊聖観世音菩薩、慈覚大師作のお前立ご本尊(12月13日お開扉)の他、徳川家康、徳川家光、公遵法親王などの護持仏であった観音像が奉られている。


五重塔は、お釈迦さまのご遺骨を奉安する仏塔の形式の一つで、浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)に初めての建立で本堂や雷門等と共に東京大空襲で被災、戦後再建されたもの。
浅草寺は坂東三十三観音十三番札所でもあり江戸三十三ヶ所の壱番札所でもある。
本堂脇の納経所でご朱印をいただき2番・清水寺に向かう。


観音様・本堂裏から六区の大衆演芸場の木馬館まえを通り国際通りにでる。
浅草らしい下町情緒の残る裏路地から、まっすぐ国際大通りを横断して合羽橋方面に歩く。



合羽橋商店街の中程にある江戸三十三ヶ所・2番札所清水寺がある。町の中に埋もれたように建つ小さなお寺だ。
二階の本堂脇で朱印をいただく間靴を脱いで本堂をお参りさせていただく。


合羽橋道具街の名前の由来には2つ説があり一つは、伊予新谷城主の下屋敷があり、侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日にズラリと干していたという「雨合羽」説。もう一つは、文化年間、曹源寺通称”かっぱ寺”に墓所がある、合羽屋喜八という人が、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出し掘割工事を始めた。工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動し夜な夜な工事を手伝った。どちらが本当か真偽の程は不明なようだ。
合羽橋道具街を過ぎ浅草通りを上野へ向かって歩く。


平成三年仏壇を買った『まるたか』                            上野駅前陸橋

浅草と上野を結ぶ浅草通りは別名「仏壇通り」とも呼ばれ、沢山の仏壇屋さんが軒を連ねている。
平成三年母が亡くなった時、仏壇を買うために上野駅から此の通りを歩き、都庁の指定仏具店を何軒か見比べて『マルタカ商店』で仏壇を購入したのが思い出される。まさかその店の前を通るとは全くの予想外の事で



浅草通りから上野駅前の陸橋を渡り上野恩賜公園へ。京成上野駅脇の石段を上がり上野公園西郷銅像前にでる。
広場に立つ西郷隆盛像は、1898年(明治31)に建立されたもの。1868年(慶応4)に江戸城を無血開城させ、江戸を戦火から救った功績によって造られた。作者は、彫刻家高村光雲(詩人・高村光太郎の父)。草履ばき着流しの散歩姿で愛犬とともに立つ姿は、上野のシンボルだ。  


西郷さん銅像から公園に入り斜め後ろの寛永寺観音堂に向かう。

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