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西郷さん銅像の後方寛永寺清水観音堂をお参りする。 寛永寺の数ある諸堂の中の一つが清水観音堂で江戸三十三ヶ所の第六番になっている。 寛永寺は天海大僧正が寛永二年に、二代将軍徳川秀忠から寄進された上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開いた。それは比叡山が京都御所の鬼門を守護するのに倣い、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立、江戸城の鬼門を守っている。 |
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寛永寺清水観音堂は京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立され、御本尊も清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音(せんじゅかんのん)像を迎え秘仏としてお祀りしている。 |
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観音堂の一角にある人形供養塔。 子育て観音は、古来より子授けの信仰を集め。祈願が成就し子どもを授かると、生まれてきた子が丈夫に育つように願いを込めて人形を当観音堂へ納めて供養をする。 |
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寛永寺・清水観音堂の舞台前の石段を下りていく。 上野恩賜公園の西側に広がる不忍池が正面に見えてくる。 |
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不忍池は中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)、周囲は遊歩のための堤で、一面 蓮で覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つに分かれている。 |
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寛永寺の開祖 慈眼大師・天海は不忍池を琵琶湖に見立て竹生島になぞらえて弁天島(中之島)を築かせ、弁天堂を作った。 |
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弁天島(中之島)脇を抜けるとその奥にボート池。 |
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左に蓮池、右にボート池の間は湯島に向かう遊歩道だ。ここは両側池に挟まれて風の通り道でとても気持ちいい。 日陰のベンチにかけてゆっくり休憩する。近くに職場のある人達がお弁当をひろげる姿もあちこちで見かけられる。 |
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不忍池遊歩道を抜けると不忍大通りに出るとその先が湯島で浅草〜上野〜湯島と歩いてきたが、此のあたり一帯の地名は江戸から続く伝統を感ずる。 湯島天神へは夫婦坂とよばれる石段を上がると左にお札やお守りの授与所があり右が本殿でここで初めお参りしてから境内を散策する。 |
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湯島天神・夫婦坂 |
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湯島天神は菅原道真公を祀り学問の神で有名だがそれ以上に映画『湯島の白梅』の舞台としても知られている。 (日曜名画座⇒湯島の白梅) 山本富士子・鶴田浩二の競演で明治の東京というより江戸というほうが近い風情の感慨深い映画だ。 |
映画・1955年 湯島の白梅 |
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湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまり。 正平十年(1355)二月郷民が菅原道真公の遺徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀する。 文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入り、崇敬篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進して祭祀の料にあてさせ、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉った。 |
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学業の神様菅原道真を祀っている神社らしく合格祈願の絵馬が膨大な数重なりあって沢山の人がお参りした証で、望みを成就したい時の神頼みの心情は同じ日本人としてよく理解できる。 |
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境内の一角には、『婦系図』の作者・泉鏡花の筆塚がある。 泉鏡花原作の『婦系図・湯島の白梅』は、湯島を舞台にした悲恋の長篇小説で明治40年新聞に連載、後年脚色され新派悲劇の代表作となったが、映画で観て感動したのはもちろん山本富士子主演のもの。 |
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婦系図(湯島の白梅) 原作者・泉鏡花 筆塚 |
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湯島天神は、江戸時代より「梅の名所」として親しまれていて境内にある梅園にある約300本の梅のほとんどは白梅だ。 湯島天神境内を出て男坂を下ると直ぐ左に赤い幟が立ち並んだ江戸三十三ヶ所第7番札所柳井堂 心城院がある。 |
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今日最後の目的地心城院は以前は宝珠弁財天堂と称した湯島天神の一堂宇だったお寺。 玄関でインターフォンを押し朱印をお願いすると同年輩の住職さんが出てこられる。 |
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江戸名水の一つ「柳の井戸」があることから「柳井堂(りゅうせいどう)」と称され『この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり)』と記され、この名水により大正大震災の時、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守ったため、東京市長から感謝状を授与される。 寺名の由来になっている、江戸名水の一つ「柳の井戸」 |
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心城院を出て湯島の男坂と反対側に歩き地下鉄湯島駅から帰路に着く。 |
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