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 2002年4月9日〜4月17日
マルセイユで結婚式まで

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マルセイユ結婚式へ
2002.4.9(火)
1日目
成田
パリ
モナコ
2002年4月渡仏して3年目の次女Miの結婚式がマルセイユで行われた。相手の青年は北フランス出身のエマ君25歳。190aの長身、TGVの中で偶然知り合って交際が始まり昨年婚約した。
式はマルセイユ旧港を見下ろすファロ宮で行われ、日本から友人数名の他、親族は
K&Mと末娘、従妹と還暦過ぎの姉二人(Mi叔母)とともに出席することになる。
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2002年4月9日。マルセイユに向け出発。

親族6名全員個人での海外旅行は初めてだった、言葉も出来ない、フランスについての知識もなく、なるようにしかならないと開き直って出発する。
打ち合わせていた集合場所は成田空港第一ビル4階ガラスタワー下に19:00時集合。
天気はあいにく霧雨でどんより暗い空の旅立ちだったが、心は日本晴れ、18時頃、約束の1時間も前に全員笑顔で集合していた。
地方から送った叔母たちの荷物を運送会社の空港内営業所で受け取りエールフランスカウンターで搭乗手続きをする。
出発時間まで空港内レストランで出発前のひと時を過ごす。
21:00搭乗口へ。還暦過ぎの叔母二人は寂しくなった髪をとかしたり口紅を直したり身だしなみのチェックに忙しい...
エールフランス273便機内へ入る、席は3人掛けの前後2列で荷物の整理が済むとみんな遠足に出かける幼児のように賑やかだ。シートベルト着用してやや緊張しながら、やがて飛行機は雨で濡れた滑走路をパリへ向って離陸一気に高度を上げていく。
間もなく夕食、狭い機内も楽しい。
夕食後、前の叔母二人と姪は早々に眠りについている。
長い飛行時間パリにむかってまっしぐら!

 
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成田空港TTガラスタワー


2002.4.10(水)
2日目
モナコ
午前4:00過ぎ窓にフランスの町の明かりが見え始め飛行機は高度を下げ始める。
午前4:30夜明けのドゴール空港に着陸。
外に出てみる、まだ真っ暗、冷たいパリの空気を思いっきり吸う。
しばらくドゴール空港内で待って7:20発ニース行便に乗り換える。
2x2席の小型機でローカルな雰囲気。
離陸するとすぐに朝食、パンが美味しい。

8:55定刻ニース・コートダジュール空港に到着。
ロビーでは何時に起きてきたのか相当早起きしたと思うマルセイユから明後日結婚式をするMiが迎えに来てくれていた。
叔母二人はどうしてこんな遠くにお嫁に行くのかと不憫に思ってMiの手を握って涙ぐんでいる。


ドゴール空港で早朝乗換ニース空港へ

空港到着ロビーを抜けて直ぐ前のバスターミナルでモナコまで7人分チケットを買う。
僅かな客を乗せてバスは海を見下ろすアピンカーブを猛スピードで駆け下りてホテル前まで30〜40分で着く。
ホテルは街の中心から少し離れたメリディアン・ビーチプラザホテル。
(4*)ツインルーム(ユーテルで予約)
(通常300EURのところキャンペーン中で160EUR)

メリディアン・ビーチプラザホテル

ロビー先はプライベートビーチ

ホテルに入るとロビーの先にはホテルの専用ビーチ。
コートダジュールだ!コバルトブルーの海が眩しい。

チェックインしてそれぞれ部屋に荷物を置いて街に出る。
市街までF1モナコグランプリのレースになる道を歩いたが猛スピードで駆け抜けるにしてはあまりに狭くてカーブもきつい。
町の中心のイタリアンレストランで昼食。
その後ショッピングセンターで最初の買い物してホテルへ戻る。
ホテル下のF1グッズの店でフェラーリのモデルカーを買う。
初めてのお土産。
ホテルレストランで夕食後お洒落に着替えタクシーでカジノへ向う。


高級車の並ぶ昼間のカジノ前

モナコのカジノはパリ・オペラ座を設計したシャルル・ガルニエの設計で重厚荘厳。入口でパスポートを提示して入場料を払い(10EUR)場内へ。撮影禁止でカメラはフロントに預けさせられる。
21時まだ宵の口なのか客はまばら。
それでも幾つものルーレット台の周りは紳士淑女が囲んでその中に少し場違いな感じの我ら一行が入る。
Miは妹とルーレットに挑戦、年配組は奥でスロットマシンで遊ぶ。カジノの雰囲気を楽しんだ後帰る頃には場内は人が溢れていた。

成田を出てから36時間以上長旅の疲れでホテルに帰り直ぐ休む。


2002.4.11(木)
3日目
モナコ
3日目
1階レストランで朝食。 
飲物、パン、果物、ハムどれも新鮮で種類も豊富、席のそばにしつらえられた調理台で専用のシェフが卵を好みの材料を組合せ焼いてくれるし、それは優雅な朝食だったが、一人31EUR、 なるほどの料金。

今日はモナコ&ニース観光、最初はタクシーでモナコ王宮広場へ。
王宮・海洋博物館を見学、アズール・エキスプレス(観光列車)に乗り、F1レース使用の道路を走り市内を一周する。
こんな狭い道路を猛スピードで走るドライバーのテクニックは桁違いにすごい、人間業ではないと思う。
観光列車は出発地の王宮に戻って終了、石畳の坂道を、港の大パノラマを横に見ながら歩いて下りモンテカルロ駅へ。
モンテカルロ駅はモナコで唯一の鉄道駅、国王が町の景観を損なうという理由で地下駅にさせたそうだが、美観を守る為に国内の鉄道全て地下にしまうのもすごい。
国王のお后は、ヒッチコック「裏窓」のヒロイン・グレースケリーさん。
ハリウッドスターから王妃へ現代のシンデレラ、自動車事故で亡くなり短い生涯だったが街のあちこちに王妃の名前が見受けられ今も国民からも慕われている。
モンテカルロ駅から電車でニースへ(16EUR 所要27分)
駅からタクシーで旧市街ガリバルディ広場前まで行き観光案内で見ていたグランドカフェ・ド・ドゥラン(Nice Cafe de Turin)で昼食。
満席でカウンターでコーヒーを飲みながら席の空くのを待つ。
しばらくして奥のテーブルへ案内される。
料理は海の幸オンパレード。
ボイルして大海老や牡蠣など海の幸満載で、思いっきり食べ、7人で10104EURと格安。
昼食後ニース旧市街の風情ある裏通り商店街へ入りそぞろ歩き。
買い物などした後バスでニース駅に戻る。
Nice Cafe de Turin

Miは明後日の結婚式準備のためマルセイユへ帰るのでニース駅で別れる。
それまで観光ばかり眼が向いて全く気づかないでいたが、彼女は明後日結婚式でその直前の大切な時間をマルセイユから迎えに越させたり、ガイドさせたり、どんなに式の事が気がかりだったかと思うと本当に申し訳けない気持ちで一杯になる。

ホテルへ戻り夕食。
夜、ホテル1階の室内プールで持参した水着に着替え泳ぐ。
叔母たちは何十年ぶりといいながら、子供に帰って大喜び。



2002.4.12(金)
4日目
モナコ
マルセイユ
4日目
今日はマルセイユへ移動する。
朝食後タクシーでモンテカルロ駅へ、電車でニースへ向う予定だが発車時刻になっても電車が来ない...
イタリアのバンテミリアからの電車で、後で知ったことだがヨーロッパ特にイタリアの鉄道は時間にルーズらしい。
20分の乗り換え時間をとっていたので充分だと思っていたが全く予想外に遅れてあせる、やきもきしながら待っているとやっと電車が到着。
順調に走ってもぎりぎりだ、ニースには乗り換え予定のTGV発車時刻の数分前に到着。
乗換の列車はむこうのホームにすでに発車寸前で止まっている。
還暦を過ぎた姉二人の荷物を抱えてホームを走って走ってパリ行きのTGVにやっと滑り込み乗車する。
列車は席に着くか着かないうちに動き始める。
本当に危なかった。
席について一段落すると皆で大笑い。
冷や汗ものの乗り換えもすでにいい思い出に変わっている。



モナコ・モンテカルロ駅
マルセイユ・サンシャルル駅(Marseille St Charles)

ニース〜マルセイユTGV所要2時間半。
列車は12時少し前、マルセイユ・サンシャルル駅に到着。
ホームではMiとエマ君、彼の母アニエス、妹クレール、アレキサンドラ、が笑顔で迎えてくれる。
初対面の挨拶をして地下駐車場へ、アニエスの車でMiの家に送ってもらう。
全員の荷物はその車に載せて旧港近くのホテルにアニエスが運んでくれた。
アパートは石造りの建物で、ヨーロッパ独特の暗い螺旋階段を上がり、4階の部屋。 ここで毎日暮らしていたのだと思うと目頭が熱くなる。
間取りは、3LDK。
リビングに入ると、テーブルの上は、お赤飯、おむすび、肉じゃが、魚の煮付け、漬物、味噌汁、それにまさかのマグロの刺身などで一杯。
ニースでのガイドといい今日の料理といい感謝。
叔母達に食べさせようとご飯は秋葉原で買った行ったヨーロッパ仕様の炊飯器で炊いたもの。
日本ではほとんど料理などしたこともないのに、昨夜モナコから帰って支度したのだろう。
食事中、国際結婚では先輩の姪のYuko・ジョバンニ夫婦がミラノから車で到着する。
ミラノから500kmほど走り途中2泊しながら来たという、席に案内して賑やかなお昼となる。


エクサン・プロヴァンス ミラボー通り

食事が終わるとYuko・ジョバンニも加わりマルセイユ駅裏のバスターミナルからバスに乗りエクサン・プロヴァンス観光に行く。
エキサンプラバンスでは2時間ほど自由行動して各自町を散策する。
 夕方まで短時間の観光をしたあとバスでマルセイユへ戻る。
道路は夕方で渋滞、18:00やっとホテルに着きチェックイン。
ホテルはレジデンス・ヴューポート。
2階のツインルームにYuko・ジョバンニ夫婦。3階トリプルの2部屋には叔母2人と姪・K &Mと末娘がそれぞれ宿泊。
どの部屋からも正面にマルセイユ旧港ヨットハーバー、その上の丘にノートルダム大聖堂がそびえたち、絵葉書のように綺麗な景色。
飛行機のまだない明治時代日本からフランスに入国するには全て日本郵船の開設した欧州航路でここマルセイユ港に長い船旅の後入港パリに向ったようだ。

マルセイユは港町特有の荒々しさもあり治安が悪いと結び付けられる面もあるが、紀元前からの歴史の重みが感じられる風情のある街。

ホテル前のマルセイユ旧港・丘の上のノートルダム大聖堂



ホテルの部屋からマルセイユ・旧港

今夜は家族同士の結婚式前夜の食事会。
エマ君・Miがホテルに迎えに来る。
夜8時過ぎなのにまだ明るさの残る薄暮の港は濃紺の空と街の明かり海に映り輝ききれい、還暦の叔母2人と姪、ジョバンニはホテルすぐ横のミラマール(ブイヤーベースが有名)で食事してもらう。
うちの家族とYuko、エマ君家族は旧港裏通りのレストランへ、小さな店だがテーブルのキャンドルと天井の僅かな照明だけの落ち着いた雰囲気。席について乾杯の後、あらためて自己紹介をしあう。
こちらはK&MMiと末娘、Yuko、あちらはエマ君母・妹さん2人だ。エマ君の父は教師で10年前亡くなりアニエスも同じく数学教師でアミアンの高校に勤めながら再婚もせず子供を育てあげ、今も亡くなったご主人の老いた母を見守りながら近くに住み暮らしている暖かい誠実な人。いいご主人だったのだろう。
そんなアニエスに育てられたエマ君はきっといい家庭を築いてくれることと確信する。
二人の妹に和風アクセサリー、アニエスには甲州印伝の財布をお土産に渡す。 家族だけの食事はほのぼのと和んでいる。 
食事会を終え、夜11時過ぎ、小雨の中ホテルに帰る。
 (Residence du Vieux Port (3*)ツイン   100EUR   トリプル 138EUR) 
明日は結婚式MはMiに着せる着物の着付けが上手く出来るかナーバスになっている。
外は小雨が降り続き何度も目が覚め外の様子を見る。

なかなか寝付かれない夜。


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