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2015年2月22日〜 大坂街歩き
出発は東京駅発6:47分新幹線のぞみ。今日は相当歩きそうなので朝から『牛肉/牛たんどまん中』弁当でスタミナ補給。



09:23新大阪に到着。地下鉄駅のチケット売り場で1day『エンジョイ・エコカード』買う。エンジョイエコカードは大坂市内の地下鉄・バスが乗り放題で土日は600円

最初は地下鉄:御堂筋線に乗り、なんば乗換えホテル最寄り駅の谷町九丁目で下車。駅から地下通路を通って約5分。宿泊はホテルシェラトン都ホテル大坂。フロントで名前を告げ荷物を預け谷町九丁目駅に戻る。
谷町線で谷町四丁目(中央線)〜長田(近鉄)〜新石切と乗り継いで、新石切駅から徒歩10分で石切劔箭神社へ着く。


石切劔箭神社のお百度参り

石切劔箭神社

   石切さん》
「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。 創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではない。 代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。 現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。 宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。 その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。

昭和50年に東京都文京区に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。


石切劔箭神社は『石切さん』の愛称で呼ばれるお百度参りで有名な神社。末娘の子宝や家族皆の健康を祈りお参りに来た。参道から沢山のひとがお百度参りをしているのが見える。早速その輪に入って周り始める。昨夜作って持参した100枚のしおりを手に、一周して本堂前にくる度にそれをちぎり、繰り返し願いを祈り入れながら100回約一時間かかってお参りする。


石切神社参道
和みパン めるしぃ

お百度の周る速さは、人それぞれで皆マイペースで歩いて行く。途中で小雨が降り始め傘を広げたが終わる頃には雨も上がった。


参拝を終えて新石切(中央線)駅に戻る。途中 参道のパン屋さん「和みパンめるしぃ」で人気のメロンパンを買って新石切駅のベンチでお昼。
石切さんから次の目的地は『堺市』新石切(中央線)から本町(御堂筋線)〜なかもず(南海高野線)と乗り継いで、堺東駅(堺市)に到着。乗換が多いので一日パスはとても便利。


新石切から なかもず駅へ。そこで反対方向の電車に乗ってしまい、北野田駅で気がついて乗換戻ってやっと堺東駅に到着。だいぶ時間のロス。堺東駅から街に出る、銀座通りのアーケードは昔の風情の残る商店街。アーケードを抜けると大小路橋。陸橋を渡ってJR堺方面に向かって大小路を歩く。大小路と紀州街道が交差した大通りに阪堺電軌阪堺線のちんちん電車が走る懐かしい光景に遭遇。
その紀州街道を左に折れて直ぐの所に与謝野晶子生誕の地の小さな標が建っている。


与謝野晶子45歳
大正12年

与謝野晶子(鳳志よう)は1878年(明治11)12月7日堺県堺区(現在の堺市堺区甲斐町)で、和菓子商「駿河屋」鳳宗七の三女として生まれた。幼い頃から「源氏物語」などの古典に親しみ、17歳頃から歌を詠み始め1901年(明治34)与謝野鉄幹のもとに上京するまで、青春時代を堺で過ごした。駿河屋は当時の紀州街道沿い大道筋の上にあり堺山之口商店街から西へわずか100mのところで現在は生家跡として、歌碑「海こひし潮の遠鳴りかぞへつヽ少女となりし父母の家」と、当時の駿河屋と大道筋の様子を描いた説明板が設置されている。
堺山之口商店街ガイドから⇒


堺市・紀州街道沿いにある与謝野晶子生家跡


与謝野晶子

与謝野晶子生家からすぐ近くの裏通りに千利休屋敷跡がある。千利休は大永2年(1522)、堺の裕福な町衆魚屋「ととや」の長男として生まれた。17歳の時、北向道陳に茶湯を学び、後に武野紹鴎に師事。堺の豪商・今井宗久の推薦で、織田信長や秀吉の茶頭として仕えた。北野の大茶会を取り仕切るなど、天下一の茶匠として権勢を振るったが、天正19年(1591)2月28日、小田原の役後秀吉の怒りをかって自刃した。享年70歳だった。現在の茶道千家の始祖で、現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられている。屋敷跡には椿の井戸が残っていて椿の炭を底に沈めていたという。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたもの。


千利休像
(正木美術館蔵)天正11年
(1583年)古渓宗陳賛

千利休の屋敷跡前一帯が工事中。工事の機材が由緒ある井戸のまわりもかくの如くの状態。
堺は五世紀頃に作れらた仁徳天皇陵や古墳群、ザビエルが来訪したり、日本で最初に鉄砲の大量生産をしたり、歴史の表舞台であった街であるらしく、史跡があちこちに散らばっている。

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ひなびた感じの由緒ある山之口商店街

帰りに山之口商店街というアーケードを通る。ひなびているものの歴史ある風情の面影の残る商店街。山之口商店街は、堺で最も古い歴史と伝統があり、与謝野晶子も生家からすぐ近くなので少女時代このあたりに親しみながら育ったという。


山之口商店街アーケード中程にあるお香を商う奥野晴明堂がある。その店内で『おたび寄席』が開演中。『おたび寄席』は市出身の四代旭堂南陵さん主宰で昭和49年、市内にある住吉大社御旅所内の集会所で始まって、月1回開演しながら40年休まず開催。先代の桂文枝さん、桂枝雀さんらも出演してきた。


昨年10月のおたび寄席40周年には現在の桂文枝師匠(元桂三枝さん)が来演した。

まだまだ見足りないのだが、時間切れの堺街歩きは又の機会に譲って堺東駅に戻ってくる。
堺東駅から南海高野線に乗って なんば駅へ。この辺りが大阪の 一番大阪らしい雰囲気いっぱいの街の香りに胸が踊る。何とも言えないこの大阪らしい空気感が大好きだ。


なんば駅高島屋前から繁華街の先に、大阪のランドマーク 笑いの殿堂『 なんばグランド花月』
笑いの殿堂『なんばグランド花月』

お好み焼きの評価の高い「わなか」はなんばグランド花月すぐ脇。お好み焼きはここで食べると決めていた。賑やかな雰囲気に押されながら、少し並んで順番がくる。すぐに8個~20個入りから注文の数を聞かれる。


多いと思ったが「15個入り2セット」注文。そのまま列は前に進み次のコーナーで味付けを聞かれる(ソース・醤油・釜炊き塩・どろソース)よくわからないので普通らしい「ソース」「釜炊き塩」を注文するとマヨネーズ、おかかの量も聞かれ適当に返事する。味付けし渡され、おばさんに代金を払う。ここまでほんの数分の慌ただしさ。


ビールも一緒に買って外へ出る。ベルトコンベア式作業に組み込まれた感じ。
あつあつのたこ焼きふた箱とビールを抱えて店の2階にテーブル席があるというので裏の階段を上がり2階へ。



下の混雑より少しは落ち着いた2階テーブル席は直ぐに座れゆっくり出来た。かりかりふわふわの大阪たこ焼きを満喫する。


食べ終わり賑やかな通りを なんば駅に戻り(千日前線)〜谷町九丁目で下車ホテル帰る。
フロントは中国人や韓国人ばかり、少し騒々しい客だが日本各地でお金を落としてくれるのはありがたいことと思う。
チェックインして預け荷物を受取り部屋へ。
シェラトン都ホテル大阪 605号室
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今日の歩行数は24156歩 16.9`

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