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皇居~上野公園 東京街歩き 2017年 12月8日
Ken & Mary's Second Life
|『皇居乾通り秋の一般公開』を見学して上野公園まで街歩き |
2017年 12月8日
東京駅丸の内口
行幸通り
皇居乾通り
皇居.乾門
御茶ノ水
湯島
秋葉原
上野公園
◆皇居乾通り
 秋の一般公開2017年

2017年(平成29年) 秋季皇居乾通り一般公開 日程
2017年12月2日(土)~10日(日)
入門時間:10:00~14:30
退出時間:乾門15:30、東御苑16:00
場所:皇居乾通り/坂下門

《皇居~上野歩き地図⇒》
《皇居~上野歩き地図⇒》
行程:東京駅丸の内北口から出発~二重橋~坂下門~宮殿~宮内庁庁舎~局門~富士見多門~門長屋~道灌濠~乾濠~乾門~竹橋~一橋講堂~新御茶ノ水~聖堂~井上病院~御茶ノ水~聖橋~湯島聖堂~神田明神~秋葉原~上野広小路西郷像~上野の森美術館~上野動物園まで。
2017年12月8日、皇居乾通り.秋の一般公開。紅葉の皇居内を見られる良い機会。
出発は東京駅丸の内北口から皇居を抜け上野公園まで一日街歩き、約10㌔の行程。


東京駅丸の内口
建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。
なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。駅本屋は辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガと鉄筋造り、3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。
1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。

アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。
南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。
中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。

東京駅丸の内口
 天気はあいにくの曇天。東京駅丸の内口から正面に伸びる行幸通りを皇居へ
一般公開は東京駅からたくさんの見学客。その列について和田倉門から皇居内へ。
《一日街歩き地図⇒》
東京駅丸の内北口から出発~二重橋~坂下門~宮殿~宮内庁庁舎~局門~富士見多門~門長屋~道灌濠~乾濠~乾門~竹橋~一橋講堂~新御茶ノ水~聖堂~井上病院~御茶ノ水~聖橋~湯島聖堂~神田明神~秋葉原~上野広小路西郷像~上野の森美術館~上野動物園まで。
2017年 12月8日
東京駅丸の内口
行幸通り
皇居
和田倉門から皇居.日比谷濠に沿って進む
楠木正成公桜井の別れ⇒� 正面に楠木正成公.銅像から桜田門を左に見ながら坂下門から皇居に入る。広場にはものものしい警察大型バス車両。すごい警備員の数なのだ。
NO-SIDEホームへ
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外苑の一角に建武中興の忠臣・楠木正成公(楠公)像
二重橋を正面に見据えるこの像は、楠木正成公が1333年隠岐の島から後醍醐帝を兵庫でお迎えした折の勇姿を象ったもの。これは、別子銅山開坑200年記念事業として献納したもの、住友家が明治23年東京美術学校(東京芸大)に製作を依頼し、同鉱山の銅を用い高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより、10年を費やし完成した。

坂下門から城内へ
  ◆皇居乾通りの秋の一般公開の案内・注意事項 (By.宮内庁)
◆皇居乾通りの秋の一般公開2017  平成29年 秋季皇居乾通り一般公開  日程:2017年12月2日(土)~12月10日(日) 
入門時間:10:00~14:30  退出時間:乾門15:30、東御苑16:00  場所:皇居乾通り・坂下門
[事前予約・申込・入場料金について]
・皇居乾通りの一般公開・通り抜けは事前予約・申込は必要ありません。当日直接、皇居「坂下門」におでかけください。入場料金は無料。
[駐停車禁止・駐車場について]
・皇居に駐車場はありません。・皇居周辺道路は駐停車禁止です。路上駐車や道路上での乗降車はできません。
[入・退場について]
・坂下門の入門時間は10:00~14:30です。 混雑のため最寄の駅から坂下門まで徒歩で30分近くかかる場合があります。
・乾門からの退出時間は15:30まで、東御苑から退出する場合は16:00までです。
・西桔橋から皇居東御苑に出た場合は、大手門、平川門、北桔橋門からの退出となります。
[手荷物検査・ボディチェックについて]
・坂下門から入門する際に、警察官等による手荷物検査と金属探知機のボディチェックが行われます。
・大きなバッグを持っていくと時間がかかりますので、できるだけ荷物は少なく、バッグも小さい方がスムーズに検査が終わります。
[トイレ]・トイレは皇居前広場に設置される仮設トイレ、またはボディチェック後の仮設トイレで済ませておくことをオススメします。・例年、東京駅・大手町などの駅のトイレ、及び皇居周辺の商業施設のトイレも混雑します。
[飲食・喫煙について]

・飲食、飲酒、喫煙をすることはできません。・売店・自動販売機などはありません。
[靴・履物について]
・皇居坂下門から乾門の間はなだらかな上り坂で、約750メートルの距離があります。 皇居内は坂道、砂利の箇所などがあり、多くの人で混雑しますので歩きやすい靴での参加が推奨されています。 ハイヒール、下駄ばきは避けたほうが無難です。
[服装等について]
・服装は特に決まりはありませんが、仮装など皇居乾通り一般公開の参入者としてふさわしくない服装で入場することはできません。
[写真撮影について]
・写真撮影をすることは可能です。・三脚、脚立、自己撮影用器具(自撮り棒)等の使用はできません。
[その他注意事項]
・動物・ペットを同伴しての入場、自転車等での入場はできません。・ドローンなどの持ち込み・飛行・撮影はできません。

2017年 12月8日
坂下門
皇居乾通り
乾門

坂下門から皇居内へ
坂下門
皇居・客殿
宮内庁庁舎

2017年 12月8日
坂下門
皇居乾通り
乾門

乾通り




富士見多聞
富士見多聞は江戸城本丸の武器を収めていた現存する建物の一つ。石垣の高さは水面から約20メートル、下の濠は蓮池濠。



富士見多聞(ふじみたもん)
門長屋は皇居内乾道りの一般開放時にのみ見学可能
明治宮殿が造営された1887(明治20)年ごろの建物。
門長屋
道灌濠

道灌濠
濠の右手は吹上げ御苑、左手は紅葉山で、昭和天皇皇后両陛下のお住まいがあった。
武蔵野のおもかげを残す都心唯一の場所といわれるほど、雑木林と野草のおい茂るところとなっていて皇居の中でもここが一番美しい所とと言われている。
乾濠
乾濠は皇居本丸の北西に位置する内濠の一つ。
濠の形が三日月型をしていることから三日月濠とも呼ばれている。
乾門(いぬいもん)
この門は明治になってから建てられた京風の門で、宮殿がある旧西の丸の裏門にあたり、名前の由来は、皇居の乾(いぬい)の方角にあるから。
一般公開されているのはここまで、乾門を出て御茶ノ水方面に向かう。
《街歩き地図地図⇒》
東京駅丸の内北口から出発~二重橋~坂下門~宮殿~宮内庁庁舎~局門~富士見多門~門長屋~道灌濠~乾濠~乾門~竹橋~一橋講堂~新御茶ノ水~聖堂~井上病院~御茶ノ水~聖橋~湯島聖堂~神田明神~秋葉原~上野広小路西郷像~上野の森美術館~上野動物園まで。
2017年 12月8日
皇居.乾門
御茶ノ水
湯島
秋葉原
上野公園


平川濠を右に見て竹橋を渡る。
竹橋
竹橋から一橋大学一橋講堂前通る。
新御茶ノ水駅前
ニコライ堂(東京復活大聖堂)
ニコライ堂は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。「ニコライ堂」は通称で、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭聖ニコライに由来する。 正式名称は「東京復活大聖堂」イエス・キリストの復活を記憶する大聖堂である。 日本正教会の首座主教座大聖堂。
建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めた。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至る。1962年6月21日、国の重要文化財に指定された。
中央線・御茶ノ水駅前から 聖橋を渡る。
聖橋を渡り湯島聖堂を参拝。
湯島聖堂(湯島聖堂壇杏)
    湯島聖堂   史跡湯島聖堂HPより

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。   

2017年 12月8日
湯島
秋葉原
上野公園
湯島聖堂から5分ほでの神田明神へ
神田明神
  神田明神   神田明神HPより

社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。

大正12年(1923)、未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。
昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入し東京は大空襲により一面焼け野原となってしまいました。当社の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。
戦後以降、結婚式場・明神会館など次々と境内の建造物が再建されていき、昭和51年に檜木造の隨神門が再建されるに及び、江戸時代に負けない神社の姿を取り戻しました。さらに「平成の御造替事業」が行なわれ、社殿の修復・塗替えや資料館の創建など境内整備が進められました。平成17年、神札授与所・参拝者控え所・休憩所を兼ね備えた鳳凰殿、氏子英霊をお祀りする祖霊社が建立されるなど、さらに境内整備が進められております。

神田明神
祭神/だいこく様
神田明神から秋葉原電気街を通る。
2017年 12月8日
湯島
秋葉原
上野公園
秋葉原電気街
秋葉原電気街を抜け上野松坂屋前。
上野公園に入る
上野公園.西郷像
2017年 12月8日
東京駅丸の内口
行幸通り
皇居乾通り
皇居.乾門
御茶ノ水
湯島
秋葉原
上野公園
上野公園 上野の森美術館「怖い絵展」は人気のようで、1~2時間待ちの行列

「怖い絵展」
上野動物園に到着。今日は動物を見るのでなく一歳になる孫のYちゃんの好きな「パンダリュック」を買うのが目的なので入場券売り場でその旨伝えると「Visitor」無料入場させてもらえる。
上野動物園総合案内所
渡された「Visitor」ネックストラップをかけて売店へ。
無事パンダリュックを購入
お借りした「Visitor」ネックストラップを出口の事務所に返し今日の日程は終わる。


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皇居~上野動物園 約10㎞ 一日街歩き

終

《街歩き地図地図⇒》
 
皇居~上野公園 東京街歩き 2017年 12月8日
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