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Ken & Mary's Second Life
おくのほそ道
『野ざらし紀行』
1684年貞享元8月〜
貞享2年4月末
8月中旬 江戸深川芭蕉庵
8月中旬 箱根越え
富士川・捨子
大井川・島田・金谷
小夜の中山
伊勢往路
8月30日 伊勢外宮・西行谷
~茶店にて
~茅舍
9月8日 伊賀上野
竹の内
当麻寺
奥吉野
~とくとくの泉
吉野・後醍醐陵
常盤塚~不破の関
大垣
桑名浜辺
12月日 熱田神宮
名古屋
12月25日 故郷越年
2月中旬 奈良二月堂お水取り
2月中旬 鳴滝~京都再会
大津
訃報~杜国との別れ
4月 甲斐・谷村寄る
4月下旬 深川帰庵
野ざらし紀行(43句) 貞享元年(1684)8月〜貞享2年4月末 芭蕉41歳
 貞享元年(1684)8月、芭蕉は門人千里を伴い、初めての文学的な旅に出る。東海道を上り、伊勢山田・伊賀上野へ。千里と別れて大和・美濃大垣・名古屋・伊賀上野へ帰郷し越年。奈良・京都・大津・名古屋を訪ね、江戸へ帰るまでの9ヶ月に及ぶ ”野ざらし” (死を覚悟)を心に決めての旅だった。
    松尾芭蕉自筆『野ざらし紀行図巻』の冒頭文「野ざらしを心に風のしむ身哉」の句がある


森川許六(蕉門十哲)
(一) 草の戸も住替る代ぞひなの家
箱根関所超え 野ざらしを 心に風の しむ身哉(みなり)
(意) 旅の途中で道端に髑髏をさらすことになるかもしれない。それくらいの覚悟で旅立つのだ。風がつめたく、身にしみる。
『野ざらし紀行』の旅で芭蕉が詠んだ句は四十三句、詠まれた場所を辿る。
貞享元年(1684)8月、芭蕉は門人千里を伴い、江戸深川芭蕉庵から旅に出た。
旅立ち・江戸深川 芭蕉庵
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芭蕉記念館展望庭園
(二) 草の戸も住替る代ぞひなの家
箱根関所超え 秋十(とと)せ 却かえって江戸を 指(さす)古郷
(意)  江戸に来てから十回目の秋を迎える。今、故郷伊賀上野に向けて旅立つのだが、もとは異郷だったはずの江戸のことが、かえって懐かしく、第二の故郷ともいうべき場所に思われる。
千里に旅立て、路粮をつゝまず、「三更月下無何に入」と伝けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上の破屋をいづる程、風の声、そゞろ寒げ也。
『野ざらしを心に風のしむ身哉』
『秋十とせ却て江戸を指す故郷』
おくのほそ道
箱根関所超え
(三) 草の戸も住替る代ぞひなの家
箱根関所超え 霧しぐれ 富士をみぬ日ぞ 面白(おもしろき)
(意) 霧雨が降って富士が見えないが、かえって富士が見えないこの景色も趣深い。
ちり…芭蕉の門人。苗村千里
(1648-1716)大和国葛下郡の人で浅草に住む。
関こゆる日は雨降りて、山皆雲にかくれたり。『霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き』
何某ちりと伝けるは、此たびみちのたすけとなりて、万いたはり、心をつくし侍る。常に莫逆の交ふかく、朋友信有哉、此人。
深川や芭蕉を富士に預行 ちり
おくのほそ道
(四) 草の戸も住替る代ぞひなの家
富士川 猿を聞人(きくひと) 捨子に秋の 風いかに
(意) 猿の声に哀れを感じる人々よ、秋風の中に響くこの赤子の声を、どう感じますか。
富士川…山梨・静岡を流れ駿河湾に入る。最上川、球磨川と共に日本三急流の一つ。歌枕。 富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の哀げに泣有。この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたえず、露計の命を待まと捨置けむ。小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、    猿を聞人 捨子に秋の 風いかに   いかにぞや汝、ちゝに悪まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。
おくのほそ道
大井川
(五) 草の戸も住替る代ぞひなの家
大井川 馬上吟 (5)  道のべの 木槿(むくげ)は馬に くはれけり
(意) 馬の上で吟じた句。道端に木槿が咲いている、と見る間に馬が首をのばして、むしゃむしゃと木槿を食べてしまった。 
ちり…芭蕉の門人。 大井川越ゆる日は、終日、雨降ければ、秋の日の雨江戸に指おらん大井川 ちり
馬上吟 道のべの木槿は馬にくはれけり
おくのほそ道
(訳)
大井川越える日は、一日中雨が降っていたので、秋の雨続きに、江戸の人々は指折り数えて、私たちのことを、そろそろ大井川にかかったかな、ひょっとして川で足止めを食っているかも、などと話し合っているかもしれない。
(六) 草の戸も住替る代ぞひなの家
小夜の中山 (6)  馬に寝て 残夢(ざんむ)月遠し 茶のけぶり
(意) 夢の心地のままうとうしながら馬に揺られて来たが、ハッと気づいて辺りを見渡すと有明の月がはるか遠くにかかり、家々からは朝の茶を煮る煙が立ち昇っていた。 
小夜の中山
静岡県掛川市にある峠
二十日余の月、かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数理いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至りて忽驚く。
馬に寝て残夢月遠し茶の煙
おくのほそ道
(訳)
二十日過ぎの有明の月がかすかに見えて、山の麓のあたりはたいそう暗い中、馬の上で鞭を垂れ、はるばる進んできたが、未だ鶏は鳴かない。杜牧が「早行」に詠んだように、まだ夢の中にいる心地のまま、小夜の中山に至って、はっと目が覚めた。

(七) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊勢神宮 (7)  三十日(みそか)月 なし千年(ちとせ)の杉を 抱(だく)あらし
(意) 月の無い晦日の夜、樹齢千年とも思われる杉を抱くように、嵐が吹いている。 
伊勢神宮外宮と内宮は5キロほど離れている。
伊勢参りはまず外宮に参詣し次に内宮に参詣するのが順序とされる。
松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。腰間に寸鉄をおびず、襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有、俗ににて髪なし。我僧にあらずといへども、髪なきものは浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず、暮て外宮に詣侍りけるに、一の華表の陰ほのくらく、御燈処〃に見えて、「また上もなき峯の松風」身にしむ計、ふかき心を起して、
みそか月なし千とせの杉を抱くあらし
おくのほそ道
(訳)
松葉屋風瀑が伊勢にあるのを訪問して、十日ほど滞在した。腰に刀も差さず、襟に頭陀袋も下げず、手には数珠を携えている。僧のようで俗世の塵にまみれているし、俗人であるかと思えば髪を剃っている。私は僧ではないのだが髪の無い者は僧のたぐいとみなされて、伊勢神宮の神前に入ることを許されない。そこで日が暮れてから外宮に参詣したところ、一の鳥居の影がほの暗く、燈台が所々に見えて「この上なく尊い峯の松風」と西行法師が詠んだ情緒も身にしみるほどで、深い感動を覚えて、月の無い晦日の夜、樹齢千年とも思われる杉を抱くように、嵐が吹いている。 

西行谷…
伊勢内宮の南方にある神路山の南にある谷。西行隠棲の地と伝えられる。
(八) 草の戸も住替る代ぞひなの家
西行谷 (8)  芋(いも)洗ふ 女西行(おんなさいぎやう)ならば 歌よまむ

(意) 芋を洗う女たちよ。西行法師であれば、江口の遊女の話のように彼女たちに歌を詠みかけるのだろうなあ
西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、
芋洗ふ女西行ならば哥よまん
おくのほそ道
(訳)西行谷の麓に流れがある。女たちが芋を洗うのを見て、
芋を洗う女たちよ。西行法師であれば、江口の遊女の話のように彼女たちに歌を詠みかけるのだろうなあ。
 
伊勢の茶屋の女将「お蝶」が芭蕉に「私の名にちなんで発句を詠んでほしい」と頼み、白絹に書きつけたもの。
(九) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊勢市 (9)  蘭(らん)の香や てふの翅(つばさ)に たき物す
(意) 蘭にとまっている蝶の羽はよい香りがして、まるで蘭の香を焚き染めたようだ。
伊勢市
(十) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊勢市 (10)  蔦植(つたう)ゑて 竹四五本の あらし哉
(意) 蔦を植え、四五本の竹を植え、それらを風がざわざわと吹きさわがしている、味わい深い庵の景色だ。 
其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと伝けるをんな、「あが名に発句せよ」と伝て、白ききぬ出しけるに、書付侍る。
蘭の香や蝶の翅にたき物す
閑人の茅舎をとひて蔦植て竹四五本のあらし哉
おくのほそ道
(訳)その日の帰り際、ある茶店に立ち寄ったところ、蝶という名の女が、「私の名前で発句を作ってください」と言って白い布を差し出したので、その布に書き付けた。
蘭にとまっている蝶の羽はよい香りがして、まるで蘭の香を焚き染めたようだ。
閑居する人の庵を訪ねて、蔦を植えて、四五本の竹を植えて、それらを風がざわざわと吹きさわがしている、味わい深い庵の景色だ。
 
伊賀上野。
(十一) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊賀上野 (11) 手にとらば 消(きえ)ん涙ぞ あつき秋の霜
(意) 母の遺髪を手に取ると、熱い涙で消えてしまうのではないか。秋の霜のように。
◆はらから…兄弟姉妹。芭蕉には兄半左衛門のほか、姉一人、妹三人がいた 長月の初、古郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢白く眉皺寄て、唯「命有て」とのみ伝て言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、「母の白髪おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝がまゆもやゝ老たり」と、しばらくなきて、
手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜
おくのほそ道
(訳)
九月のはじめ、故郷伊賀上野に帰ってみると、母が亡くなってからすでに久しく、その名残すらない。何事も昔とかわって、兄や姉妹の髪の毛は白く、眉には皺が寄り、ただ「生きてさえいれば」とだけ言って言葉は無く、兄が守り袋をほどいて、「母の形見の白髪を拝みなさい。それにしてもお前の帰省は久しぶりで、お前にとっては浦島が玉手箱を開けるようなものだね。お前の眉もだいぶ白くなったね」と、しばらく泣いて、母の遺髪を手に取ると、熱い涙で消えてしまうのではないか。秋の霜のように。
 
竹の内…当麻町竹内
(十二) 草の戸も住替る代ぞひなの家
竹の内 (12)  わた弓や 琵琶(びわ)になぐさむ 竹のおく
(意)綿弓をびんびんと弾く琵琶のような音。その音に旅の心を慰めるのだ。竹やぶの奥の、この閑居なすまいで。 
大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と伝処は彼ちりが旧里なれば、日ごろとどまりて足を休む。わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく
おくのほそ道
(訳)大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内という所は、例の千里の故郷であるので、数日留まって足を休める。
綿弓をびんびんと弾く琵琶のような音。その音に旅の心を慰めるのだ。竹やぶの奥の、この閑居なすまいで。
奈良県北葛城郡当麻町と大阪府南河内郡との間にある山。山麓に当麻寺(禅林寺)がある。
(十三) 草の戸も住替る代ぞひなの家
二上山 (13)  僧朝顔 幾死(いくしに)かへる 法(のり)の松
(意)この寺の僧も朝顔も、何度生まれ変わったか知れない。しかしこの松だけは、仏縁に惹かれて千年の齢を保っている。 
ニ上山当麻寺に詣でゝ、庭上の松をみるに、凡千とせもへたるならむ。大イサ牛をかくす共伝べけむ。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤の罪をまぬかれたるぞ幸にしてたつとし。
僧朝顔幾死かへる法の松
おくのほそ道
(訳)
ニ上山当麻寺に詣でて、庭の松を見ると、およそ千年も経ているかと思われる。大イサ牛を隠すと『荘子』に語られているように、まさに牛を隠すほどの大きな松だ。松に心は無いといっても、寺に庭に植えられている縁によって、斧で切り倒されることから免れているのは、幸いで尊いことだ。
この寺の僧も朝顔も、何度生まれ変わったか知れない。しかしこの松だけは、仏縁に惹かれて千年の齢を保っている。
 
吉野
(十四) 草の戸も住替る代ぞひなの家
吉野 (14)  碪打(きぬたうち)て 我にきかせよや 坊が妻
(意) 砧を打って私に聞かせてくれ。坊の妻よ
独よし野ゝおくにたどりけるに、まことに山深く、白雲峯に重り、烟雨谷を埋ンで、山賤の家処ゝにちいさく、西に木を伐る音東にひゞき、院ゝの鐘の声は心の底にこたふ。むかしより、この山に入て世を忘たる人の、おほくは詩にのがれ哥にかくる。いでや、唐土の廬山といはむも、またむべならずや。
ある坊に一夜をかりて
碪打て我にきかせよや坊が妻
おくのほそ道
(訳)
一人で吉野の奥をたどっていくと、まことに山が深く、白い雲が峯に重なり、霧雨が谷を埋めて、木こりの家が所々に小さく見え、西に木を切る音が東に響き、寺寺の鐘の音が心の底に染み入る。昔から、この山に入って俗世間を忘れた人の、多くは詩に逃れ歌に隠れた。いやまったく、唐土の廬山というのも、またもっともなことだ。
ある僧坊に一夜を借りて、
砧を打って私に聞かせてくれ。坊の妻よ。
 
(十五) 草の戸も住替る代ぞひなの家
(15)  露とくとく 試みに浮世 すゝがばや
(意) とくとくと流れ落ちる雫で、試みに浮世の塵を洗い流してみようか。
(十六) 草の戸も住替る代ぞひなの家
(16)  御廟(ごべう)年経て 忍(しのぶ)は何を しのぶ草
(意)後醍醐帝の御陵は長い年月を経て、しのぶ草が這ってからまっている。しのぶ草はいったい何を忍んでいるのだろうか。 
西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方ニ町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくゝの清水はむかしにかはらずとみえて、今もとくゝと雫落ける。
露とくゝ心みに浮世すゝがばや
若是、扶桑に伯夷あらば、必口をすゝがん。もし是、許由に告ば、耳をあらはむ。
山を昇り坂を下るに、秋の日既に斜になれば、名ある所ゝみ残して、先、後醍醐帝の御廟を拝む。
御廟年経て忍ぶは何をしのぶ草
おくのほそ道
(訳)
西行上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方へ二町ほど分け入っていくうちに、柴刈りの人が通う道がわずかにあって、けわしく切り立った谷を隔てている。たいへん尊い。西行の歌にある、あの「とくとくの清水」は、昔に変わらずと見えて、今もとくとくと雫が落ちている。
とくとくと流れ落ちる雫で、試みに浮世の塵を洗い流してみようか。
もし日本に伯夷があれば、必ずこの清水で口をすすぐだろう。もし許由にこの清水のことを告げれば、耳を洗うだろう。
山を昇り坂を下ると、秋の日がすでに傾いてきたので、多くの名所を見残して、まず後醍醐天皇の御廟を拝む。
後醍醐帝の御陵は長い年月を経て、しのぶ草が這ってからまっている。しのぶ草はいったい何を忍んでいるのだろうか。
 
(十七) 草の戸も住替る代ぞひなの家
(17)  義朝(よしとも)の 心に似たり 秋の風
(意) 「よし朝殿に似たる秋風」とは、いったいどのへんが似ているのだろうか。
おくのほそ道
◆不破…関ケ原町
にある不破の関跡
十八 草の戸も住替る代ぞひなの家
不破の関 (18)  秋風や 藪(やぶ)も畠(はたけ)も 不破(ふは)の関
(意) かの不破の関所は今は跡形も無く、藪にも畠にも秋風が吹きすさんでいる
います・山中…「今須」は中仙道の宿場町で不破の関の西。滋賀との境界近く。山中はその東。今須も山中もともに岐阜県不破郡関ヶ原町。◆常盤…源義朝の愛妾常盤御前。絶世の美女の誉れ高かった。義経の母。夫義朝が1159年平治の乱に敗れると今若、乙若、牛若の三子を抱いて大和に逃れるが、母が六波羅に捕まったときき、京都に戻って名乗り出る。平清盛に愛されたと伝えられる。 やまとより山城を経て、近江路に入て美濃に至る。います・山中を過て、いにしへの常盤の塚有。伊勢の守武が伝ける、
「よし朝殿に似たる秋風」とは、いづれの所か似たりけん。我も又、義朝の心に似たり秋の風  不破  秋風や藪も畠も不破の関
おくのほそ道
(訳)
大和から山城を経て近江路に入って美濃に至る。今須・山中を経て、いにしえの常盤御前の塚がある。室町時代の連歌師・伊勢の守武が詠んだ「よし朝殿に似たる秋風」とは、いったいどのへんが似ているのだろうか。
保元の乱では父や弟と対立し、平治の乱では敗れて逃げていく途中、尾張で部下に殺された源義朝。この秋風のさびしさも、義朝の無念を思うと、ますますさびしく感じられる。 不破 かの不破の関所は今は跡形も無く、藪にも畠にも秋風が吹きすさんでいる。
 
大垣
(十九) 草の戸も住替る代ぞひなの家
大垣 (19)  死にもせぬ 旅寝(たびね)の果(はて)よ 秋の暮
(意)どうにか死ぬことはなく、生きたまま旅寝を重ねてきた。そのあげく、ここ大垣で宿をとっている秋の暮れだ 
大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出る時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、
しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮
おくのほそ道
(訳)
大垣に泊まった夜は、谷木因の家の客となった。武蔵野を出発した時、「野ざらしを」の句を詠み心に悲痛な覚悟を抱いて旅立ったので、
どうにか死ぬことはなく、生きたまま旅寝を重ねてきた。そのあげく、ここ大垣で宿をとっている秋の暮れだ。
 
桑名 現三重県北部。東海道の宿場があった。◆桑名本統寺…東本願寺の別院。
(二十) 草の戸も住替る代ぞひなの家
桑名本統寺 (20)  冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす
(意)雪の中に牡丹が咲き千鳥が鳴く。千鳥はさながら冬のほととぎすといったところか。
(二十一) 草の戸も住替る代ぞひなの家
桑名本統寺 (21)  明けぼのや 白魚白き こと一寸
(意)ほのぼのと明け行く海岸の中に、一寸ほどの大きさの白魚が打ち上げられているのが浮かび上がって見える 
桑名本統寺にて 冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす
草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに、浜のかたに出て、
明ぼのやしら魚しろきこと一寸
おくのほそ道
(訳)
桑名本統寺にて 雪の中に牡丹が咲き千鳥が鳴く。千鳥はさながら冬のほととぎすといったところか。旅寝することにも飽きてきたので、まだほの暗いうちに浜の方へ出て
ほのぼのと明け行く海岸の風景。その中に、一寸ほどの大きさの白魚が打ち上げられているのが浮かび上がって見える。
 
熱田神宮。芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で訪れた貞享元年には荒れ果てていたが、二年後の『笈の小文』の旅ではきれいに改修された。
(二十二) 草の戸も住替る代ぞひなの家
熱田神宮 (22)  しのぶさへ 枯(かれ)て餅買ふ やどり哉
(意) 忍草さえ枯れてしまった神社の茶店で、わずかに餅を買って腹を見たし、わびしい情緒をしみじみ味わうのだった。
熱田に詣。
社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすえて其神と名のる。よもぎ・しのぶ、こゝろのまゝに生たるぞ、中ゝにめでたきよりも、心とゞまりける。
しのぶさへ枯て餅かふやどり哉
おくのほそ道
鳴海駅近く『千句塚公園』内に芭蕉塚と呼ばれ唯一芭蕉の生前に建てられた芭蕉塚、碑の正面には「千鳥塚」と「武蔵江東散人 芭蕉庵桃青」と刻まれ文字は松尾芭蕉の直筆 (訳)
熱田神宮に参詣する。
境内はたいそう荒れ果てており、土塀は倒れて草むらにかかっている。あちらに縄を張って末社の跡をしるし、こちらに石を置いて何々の神の御座所としている。蓬・忍草が思いのままに生えしげり、かえってちゃんとしているよりも、心惹かれるものがある。忍草さえ枯れてしまった神社の茶店で、わずかに餅を買って腹を見たし、わびしい情緒をしみじみ味わうのだった。
 
(二十三) 草の戸も住替る代ぞひなの家
名護屋 (23)  狂句木枯(こがらし)の 身は竹斎(ちくさい)に 似たる哉
(意) 狂句を詠みながら旅をしているわが身を見ると、あの仮名草子の主人公竹斎にも似ているなあ
名護屋に入道の程、風吟ス。
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
草枕犬も時雨るかよるのこゑ
雪見にありきて
市人よ此笠うらふ雪の笠
旅人をみる。
馬をさへながむる雪の朝哉
海辺に日暮して
海くれて鴨のこゑほのかに白し
おくのほそ道
(訳)
名古屋に入る道の途中、句を吟じた。 狂句を詠みながら旅をしているわが身を見ると、あの仮名草子の主人公竹斎にも似ているなあ。時雨がふりしきる夜。旅根の枕に、犬の声が響いてくる。犬も時雨のわびしさに耐えかねて鳴いているのだろうか。 雪見にうかれ歩いて、町の人々よ、この笠を売りましょう。雪をかぶった、風流な、雪の笠ですよ。 旅人を見る。雪の朝は、何もかも新鮮に見えて、普段は気にも留めない馬の姿にも目がいくほどだ。海辺に一日中すごして、
海を見ているだけで今日は日が暮れてしまった。沖のほうから鴨の声がほの白い感じで聞こえてくる。
 
名護屋
(二十四) 草の戸も住替る代ぞひなの家
名護屋 (24)  草枕 犬も時雨(しぐる)るか よるのこゑ
(意) 時雨がふりしきる夜。旅根の枕に、犬の声が響いてくる。犬も時雨のわびしさに耐えかねて鳴いているのだろうか
名護屋
(二十五) 草の戸も住替る代ぞひなの家
名護屋 (25)  市人(いちびと)よ 此(この)笠うらう 雪の傘
(意)町の人々よ、この笠を売りましょう。雪をかぶった、風流な、雪の笠ですよ。 
名護屋
旧軽井沢に句碑がある
(二十六) 草の戸も住替る代ぞひなの家
(26)  馬をさへ ながむる雪の 朝(あした)哉
(意) 
名護屋
 『海暮れて鴨の声ほのかに白し』
(二十七) 草の戸も住替る代ぞひなの家
(27)  海暮れて 鴨の声ほの かに白し
(意)雪の朝は、何もかも新鮮に見えて、普段は気にも留めない馬の姿にも目がいくほどだ。
伊賀上野
(二十八) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊賀上野 (28)  年暮(くれ)ぬ 笠きて草鞋(わらぢ) はきながら
(意) 笠を着て、草鞋をはいて、旅のいでたちのままに、年は暮れてしまった。
1月 伊賀で越年
(二十九) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伊賀上野 (29)  誰たが聟(むこ)ぞ 歯朶(しだ)に餅おふ うしの年
(意) いったい誰の婿だろうか。牛の背中に、羊歯を添えた鏡餅を乗せて、その牛を追い行くのは。
爰に草鞋をとき、かしこに杖を捨て、旅寝ながらに年の暮れければ、
年暮ぬ笠きて草鞋はきながら
といひゝも、山家に年を越て、
誰が聟ぞ歯朶に餅負ふ丑の年
おくのほそ道
(訳)
ここに草鞋をとき、あちらに杖を捨てて、旅寝のままに年が暮れてしまうと、
笠を着て、草鞋をはいて、旅のいでたちのままに、年は暮れてしまった。
と言いつつも、山里の家に年を越して、
いったい誰の婿だろうか。牛の背中に、羊歯を添えた鏡餅を乗せて、その牛を追い行くのは。まさに丑年の、正月のこの山里に。
 
奈良への途次
(三十) 草の戸も住替る代ぞひなの家
奈良への途次
(30)  春なれや 名もなき山の 薄霞
(意) う春なのかなあ。大和路をたどると、名の知れた山々はもちろん、名も無い山にさえ薄霞が立って、趣深く思える
奈良東大寺二月堂のお水取り
(三十一) 草の戸も住替る代ぞひなの家
奈良東大寺 (31)  水とりや 氷の僧の 沓(くつ)の音
(意) 奈良の東大寺ではお水取りの儀式が行われている。深夜の寒々とした堂内を忙しく働く白衣を着た僧の姿。堂内に高らかに響く木沓の音。いかにも厳かな空気をかもし出している。
奈良
奈良に出る道のほど 春なれや名もなき山の薄霞
二月堂に籠りて   水とりや氷の僧の沓の音
おくのほそ道
奈良東大寺の二月堂。お水取り◆旧暦2月1日から14日間行われ、特に7日と12日の夜には堂のかたわらの閼伽井屋の中の若狭井から水を汲み取る儀式が行われる。  (訳)
奈良に出る道の途中、もう春なのかなあ。大和路をたどると、名の知れた山々はもちろん、名も無い山にさえ薄霞が立って、趣深く思えるよ。
二月堂に籠って、奈良の東大寺ではお水取りの儀式が行われている。深夜の寒々とした堂内を忙しく働く白衣を着た僧の姿。堂内に高らかに響く木沓の音。いかにも厳かな空気をかもし出している。
三井秋風…1646~1717。名は六右衛門時次。談林派の俳諧師。鳴滝(京都右京区)に別荘があり、多くの俳人が出入りしていた。越後屋呉服店を開いた三井高俊の3男重俊の子で,呉服商の釘抜三井家をつぐ。
(三十二) 草の戸も住替る代ぞひなの家
京都 (32)  梅白し 昨日(きの)や鶴を 盗(ぬすま)れし
(意) 見事な白梅ですね。梅といえばいにしえの詩人林和靖が梅と鶴を愛した故事が思い出されますが、ここには梅はあるが鶴の姿は見えません。昨日にでも人に盗まれたのでしょうか。
(三十三) 草の戸も住替る代ぞひなの家
京都 (33)  樫(かし)の木の 花にかまはぬ 姿かな
(意) 樫の木が一本立っていますね。この庭には美しい花が多くある中で、他の花々には目もくれず、凛とした姿で立つ樫の姿。まるでこの館の主人のようです。
京にのぼりて、三井秋風が鳴滝の山家をとふ。
梅林  梅白し昨日や鶴を盗れし  樫の木の花にかまはぬ姿かな
おくのほそ道
(訳)
京にのぼって、三井秋風の鳴滝の山荘を訪れた。
梅林  見事な白梅ですね。梅といえばいにしえの詩人林和靖が梅と鶴を愛した故事が思い出されますが、ここには梅はあるが鶴の姿は見えません。昨日にでも人に盗まれたのでしょうか。  樫の木が一本立っていますね。この庭には美しい花が多くある中で、他の花々には目もくれず、凛とした姿で立つ樫の姿。まるでこの館の主人のようです
(三十四) 草の戸も住替る代ぞひなの家
伏見 (34)  我がきぬに 伏見の桃の 雫(しづく)せよ
(意) 私の衣に、桃の名所伏見の花の雫をしたたらせるように、任口上人よ、貴方のすばらしい教えや徳を私に授けてください。
伏見西岸寺任口上人に逢て
我がきぬにふしみの桃の雫せよ
おくのほそ道
(訳)
伏見西岸寺任口上人に逢って、私の衣に、桃の名所伏見の花の雫をしたたらせるように、任口上人よ、貴方のすばらしい教えや徳を私に授けてください。
 
大津
(三十五) 草の戸も住替る代ぞひなの家
大津 (35)  山路来て 何やらゆかし すみれ草
(意) 大津に行く道の途中で山路を越えて山道に来てふと見るとすみれ草が咲いている。なんとなく趣深い。
おくのほそ道
(訳)
大津に至る道、山路をこえて  山路来て何やらゆかしすみれ草
大津に行く道の途中で山路を越えて山道に来てふと見るとすみれ草が咲いている。なんとなく趣深い。
「辛崎」は琵琶湖西岸。
大津の北。「辛崎の松」
は唐崎神社の「一つ松」
(三十六) 草の戸も住替る代ぞひなの家
辛崎 (35) 辛崎(からさき)の 松は花より 朧(おぼろ)にて
(意) 琵琶湖を眺めて近江の名勝辛崎の松は琵琶湖のほとりにあって、桜花よりいっそう霞んで見える。 
湖水の眺望 辛崎の松は花より朧にて
おくのほそ道
(訳) 
滋賀県甲賀郡水口町。
旧東海道の宿駅
(三十七) 草の戸も住替る代ぞひなの家
水口 (37)  命二つの 中に生たる 桜哉
(意) 旧友と私二十年間別々の人生を歩んできた二人だが、その二つの命が今日、再会した。桜咲き乱れるこの季節に。
水口にて、二十年を経て故人に逢ふ。
命二ツの中に生きたる桜哉
おくのほそ道
(訳)
水口で二十年を経て旧友と再会した。
旧友と私と。二十年間別々の人生を歩んできた二人だが、その二つの命が今日、再会した。桜咲き乱れるこの季節に。
 
(三十八) 草の戸も住替る代ぞひなの家
熱田 (38)  いざともに 穂麦(ほむぎ)喰(くら)はん 草枕
(意)さあ一緒に穂麦を喰らおう。貧しい旅寝、それくらいの覚悟が必要だ。 
(三十九) 草の戸も住替る代ぞひなの家
熱田 (39) 梅恋ひて 卯花(うのはな)拝む 涙哉
(意)梅の花咲くころに亡くなった大顛和尚の人柄をしのんで、今、目の前に咲いている卯の花を拝んで涙する。 
(四十) 草の戸も住替る代ぞひなの家
熱田 (40)  白げしに はねもぐ蝶(てふ)の 形見哉
(意)蝶が白芥子の花に止まって一時羽を休めて、ふたたび飛び立っていく。 
(四十一) 草の戸も住替る代ぞひなの家
熱田 (41)  牡丹蘂(しべ)ふかく 分出(わけいづ)る蜂の 名残哉
(意)牡丹の蘂ふかくこもって蜜を吸っていた蜂がふたたび花びらを分けて這い出し、よその空に飛んでいく。あなたとお別れするのはそんな辛い思いです。 
伊豆の国蛭が小嶋の桑門、これも去年の秋より行脚しけるに、我が名を聞て、草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来たりければ、
いざともに穂麦喰はん草枕
此僧予に告ていはく、円覚寺の大顛和尚、今年睦月の初、セン化し玉ふよし。まことや夢の心地せらるゝに、先、道より其角が許へ申遣しける。
梅こひて卯花拝むなみだ哉
杜国におくる
白げしに羽もぐ蝶の形見哉
ニたび桐葉子がもとに有て、今や東に下らんとするに、
牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉
おくのほそ道
杜国…坪井氏。名古屋の門弟。米商人。貞享2年(1685年)米の空売買に連座して罪を得て家財没収の上、伊良湖崎に流される。芭蕉は特に杜国を愛していた。芭蕉は『笈の小文』の旅で伊良湖崎に杜国を訪ね再会している。
◆桐葉子…林氏。熱田の旅館の主人。蕉門
 
(訳)
伊豆の国蛭が小嶋の僧が、これも去年の秋から行脚していたのだが、私の名を聞いて、旅寝の道連れにしてくださいと、尾張の国まで跡をしたって来たので、
さあ一緒に穂麦を喰らおう。貧しい旅寝、それくらいの覚悟が必要だ。
この僧が私に告げて言うことには、鎌倉円覚寺の大顛和尚が今年1月のはじめ、亡くなられたということだ。本当だろうか。夢のような心地がするが、まず旅先から其角のもとに言い送った。梅の花咲くころに亡くなった大顛和尚の人柄をしのんで、今、目の前に咲いている卯の花を拝んで涙するのだ。
杜国におくる
蝶が白芥子の花に止まって一時羽を休めて、ふたたび飛び立っていく。その時蝶が羽をもいで芥子の花の上に残していくような、旅の途上、貴方に迎えられそして今またお別れするのは、そんな身を切られる思いです。
ふたたび桐葉子のもとに泊まって、今や東に下ろうという時に、牡丹の蘂ふかくこもって蜜を吸っていた蜂がふたたび花びらを分けて這い出し、よその空に飛んでいく。あなたとお別れするのはそんな辛い思いです。
甲斐山中・江戸
(四十二) 草の戸も住替る代ぞひなの家
甲斐山中・江戸 (42)  行駒(ゆくこま)の 麦に慰む やどり哉
(意)私を乗せてきた甲斐の馬が、この宿で穂麦をご馳走になった。むしゃむしゃとよく食べている。 
(四十三) 草の戸も住替る代ぞひなの家
江戸 (43)  夏衣 いまだ虱(しらみ)を とりつくさず
(意) 旅の間着ていた夏衣を、虱も取らず、そのまま着て、毎日ぼんやりしている。
◆甲斐…熱田から甲斐へのコースは三説ある。①木曽から甲斐へ出た。②東海道の蒲原から富士川をさかのぼり甲斐に出た。③伊豆の三島から御殿場から甲斐へ入った。甲斐の山中= 山梨県都留市の谷村あたりか? 芭蕉は4月10日に鳴海を出発しているので、中山道ではなく、東海道を下った公算が高い。とすれば、蒲原から富士川沿いに甲州鰍沢に入ったか、三島から御殿場を通って 富士の東の裾野から篭坂峠を越え山中湖経由で都留に出た可能性もある。 甲斐の国山中に立寄て
行駒の麦に慰むやどり哉
卯月の末、庵に帰りて旅のつかれをはらすほどに、
夏衣いまだ虱をとりつくさず
 
おくのほそ道
(訳)
甲斐の国の山中に立ち寄って、
私を乗せてきた甲斐の馬が、この宿で穂麦をご馳走になった。むしゃむしゃとよく食べている。それを見ていると私も心が慰められる。
卯月の末、深川の庵に帰ってた旅のつかれをはらしているうちに、
旅から帰ってきたら気が抜けてぼんやりしてしまった。旅の間着ていた夏衣を、虱も取らず、そのまま着て、毎日ぼんやりしている。
「深川・芭蕉庵跡」









松尾芭蕉「野ざらし紀行図巻」の一部分
おくのほそ道
現在語訳   
終
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