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Ken&Mary's   終の棲家.探し
第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 最終章 葬送の記録
 K 1946年9月~
 M1948年8月~
終の棲家.探し 第一章

近い将来必ず来る、葬送の時...... その時どうするか? 
Kの希望は故郷に戻り、そこのお寺に入りたい。
Mの希望は故郷は遠すぎて子供たちがお墓参りに来るのに不便なので、今の家の近くがいい。
と、いつも意見が合わないままだった。
まだまだ先のことと思っていた「終の棲家」の場所については結論が出ずのままでいた。
しかし、2007年4月、中国旅行から帰ってすぐ、突然
Mの体調が急変した。深夜具合の悪さを訴え、血圧を測ると200近くに上がり、寒気と動悸が激しく、ただ事でないと判断、119番して救急車を呼ぶ。
まもなくサイレンを轟かせて到着して、救急隊員の方から、かかりつけの病院の有無を聞かれる。病院名を告げると、救急隊員の方が病院に連絡すると幸いすぐに受け入れOKがされた。部屋で3人の救急隊員の方に簡易ベッドに載せられ救急車へ....

病院までの搬送中、救急車の中に寝かされぐったりして動かない姿を見て、だめかもしれないと自分に言い聞かせ半分覚悟を決めていた。
救急車の中で、Mの睫毛が微かに動くのが生きている証しだった。  病院までほんの10分位だったろうがその僅かな時間の長さは今まで経験したことのない長さに感じた。  
一刻一秒早く着いてくれと微かな睫毛の動きを見つめながら祈り続けていた。  
やっと病院に到着、救急入口から診察室に運ばれ当番医から救急処置を受ける。医師も看護婦2名の動作が遅く感じていらいらしていると簡単な問診の後移動ベッドに寝たままCTスキャン室へ。  
30分位検査の間不安は頂点....
心電図・CTスキャンなどいろいろ検査してもらい処置してもらった後戻ってくると、ベッドの上に起きられるくらいになっていた。 
頂点のままの不安な気持ちは、医師の説明を受け少しづつ落ち着きを取り戻した。
この病院には二人で何年も前から度々通院して受診歴もあり、カルテの内容が救急処置に役立ったようだ。
先生からは『高血圧症の一時的なもので心臓・脳など特に大きな異常や障害もなく大丈夫です、しばらく又通院して下さい』と説明を受ける。幸い一命を取り留められ、その後、高血圧症で通院することとになる。  
救急隊員の方・病院の先生・看護婦さん皆様には本当に感謝し心からのお礼を申し上げ、駆けつけてきた娘の車で帰宅する。

今まで、まだまだ先の事と思っていたが、この夜の出来事で、もう猶予もなく、行き先を決めておかなければと『終の棲家』を本気で探しを始めるきっかけになったのである。



八王子/上川霊園


M
が救急車で搬送された病院は、家からすぐ近くでKは胃潰瘍、Mは高血圧などで通院歴があり、医師・看護士・検査技師・職員・医療設備等全て満足いくもので信頼をおいている病院。


かかりつけ 病院


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終の棲家は何処に
終の棲家.探し 第二章 *******************************************
生家はK&Mどちらの生家も日蓮宗。
両家の親達は熱心な信者だったので、特に信仰もなかったが、子供の頃から馴染んだ日蓮宗のお寺が二人の希望だった。
しかし調べてみると、お寺に墓地を持つというのは、お寺の檀家にならなければならず、信仰も必要、檀家として制約も多く、いままで無宗教の身にはちょっと敷居が高かったので、制約のあまりない一般霊園で探す事にする。
公営霊園がいいのだが今度は、遺骨があることが条件で断念する。

そして、墓地探しには大きな難問があった。
墓地の場所をどこにするかである。  
前から結論がでず、故郷に戻るか、家の近くで探すかどうしても意見がわかれて平行線だったのだが、意外な所で妥協点を見つける。

以前長く住んでいた中央線の沿線で、ハイキングや散策によく行った、青梅や御嶽渓谷のある、青梅線や五日市線沿線が共に大好きで、故郷と住まいの中間であることで妥協点となった。
そしてその沿線にしようと候補地探しの場所が決まる。

『終の棲家』探しは青梅線・御岳渓谷沿い...

この電車で行ける周辺に見つかるだろうか。

そして、五日市線・秋川渓谷沿いがいい...


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候補地探し
終の棲家.探し 第三章
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候補地が決まると、あとはその周辺の霊園探しに進むだけ。
友人知人、インターネットなどで、候補地の青梅線・五日市線・中央線沿線の霊園資料を集める。
無数にある霊園をいろいろ比較しながら、交通の便・経営母体・管理の良さの3点を重視して絞っていった。
検討を重ね5つの霊園を候補に選び見学していくことになる。
①番目、西多磨霊園
綺麗で最有力候補だったが予算内で納得いく物件がなかった。
②番目 東京霊園
構えた感じで全体に威圧感を感じ予算もオーバー。
③番目 奥多摩霊園
環境は良いが交通の便が悪い。
④番目 大多摩霊園
環境は良いが交通の便が悪い。
上川霊園が希望に一番近い
八王子駅や秋川駅から霊園バスの便のある、上川霊園が交通の便もよく経営母体(西東京バス株式会社.京王グループ)もしっかりしていて管理もよく行き届いていて、雰囲気も静かで落ち着いていた。今まで見た中で最も希望の条件を満たしていた。
上川霊園の建墓のシステムは、霊園指定の何軒かの石屋さんが入口の事務所内で待機していて、墓地を探しに来場した客を順番に案内する。
どの石屋さんになるのかは、客にわからないのだが石屋さん同志では決められた順番に従って応対するので、案内される石屋さんあたるのは不思議な縁である。
あとでわかったことだが墓地の契約をした場合、最初に説明を受けた石屋さんが代々に亘り墓地の工事を受け持つ事になり、外注は許されないという事である。
そんな条件もあって、最初に接した石屋さんに深い縁で繋がれる事になる。当日、石屋さんの案内で数ヶ所墓地を見せてもらう。
その中で開園以来一度も使用されない墓所で、8-1という番号 Mの誕生日(亡き愛犬マミ誕生日でもある)と同じ番号の墓所に案内される。
やや高台で霊園全体が眺め渡せ、周りも落ち着いた雰囲気に迷いなくここだと直観。
担当者からその墓所の永代使用についてと墓石工事のことなどの説明を受けた後、一度検討させてもらうことにして霊園を後にする。

担当する石屋さんが店を構えているというので、帰り道多磨霊園前に寄り道して、店を見ていく。多磨霊園は姉の嫁ぎ先のお墓もあり何度も草取りやお墓参りした事があったのでよくわかっている。
石屋さんのお店は、霊園正面入口通りですぐに見つかった。
店は建物も昔からの佇まい、永くここで営業している感じがした。
ここならお願いするにも安心だと感ずる。

西多摩霊園 よく整備されていい=



東京霊園 すこし構えた感じ=



奥多磨霊園  交通の便が悪い



大多磨霊園 交通の便が悪い=×

多磨霊園前/石山石材店


八王子/上川霊園......終の棲家をここに決める




第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 最終章 葬送の記録
終の棲家の場所が決まる。


終の棲家.探し 第四章
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M
の体調も通院治療を続けた効果で、だいぶ改善し健康の頃と変わらなくなって、毎日の生活にも自信が出始め、霊園探しの緊急性も薄れてきたせいか、霊園探し行脚の後いままで通り普段の生活戻っていた。

あれから2~3週間経った頃、上川霊園の石屋さんから電話が入る。
「先日ご覧いただいた墓地の物件はご検討いただけたでしょうか?」と石屋さん、「その節はありがとうございました、大変気に入ってはいるのですが予算を…万円と考えていましたので、少し予算オーバーなのでもう少し考えさせてもらいます」と自分。
「そうですか、そのご予算なら他にこういうのもありますがいかがでしょうか」と他を勧められるが「あの墓地以外は考えられません」と Mの誕生日と同じ墓地番号で縁を感ずるのだと伝える。
「わかりました、ご予算に近づけるよう見積もりを作り近日中に送りますので是非ご覧なってみて下さい」と石屋さん。
「見積もっていただくのはかまいませんが先日の説明内容より墓石の質を落とされたら意味がありませんので、その点よくわきまえて見積もってください。見積書が届きましたら拝見させてもらいます」と電話を切る。    
見学時の説明では、該当墓地は面積3㎡、永代使用料....万円年間管理費....千円、墓石・外柵工事1㎡平均....万円トータル  ....万円位かかるという事だった。見積もりで安くできるのは墓石工事費だけなのでどの程度になるのか内容を見極めよう。

またそれから1~2週間たって石屋さんから見積書が郵送されてくる。
3種類の見積もりで、
1)墓石を除いた外枠工事のみ。
2)全ての完成墓地工事外枠並のもの
3)全ての完成墓地工事外枠とも2の1つ上ランクのもの
どれも予算に限りなく近く、担当者の方が少々無理してこちらの希望に応えてくれた好意の気持ちを感ずる。

数日後、石屋さんへ電話して詳しい話をもう一度したいので霊園で会う約束をする。
2008年7月19日 霊園入口事務所で石屋さんと待合わせする。
墓石の種類や価格・付帯工事の内容と価格・霊園との契約から墓地の工事までの日程などじっくり時間をかけ説明を受ける。
そして、他の墓地で見積もりと同じ墓石と出来上がりの状態など同じ物を参考に見せてもらう。

終の棲家を上川霊園に決める。

ほぼ満足いく説明に納得でき2008年6月に工事してもらう事に決める。
霊園の受付に案内されさまざまな書類にサインして契約を済ませる。

何時になるかわからないが自分達の墓を生きているうちに決めるのはなんとも不思議だが、やっと決まった今、とても気持ちがほっとする。
帰る前、もう一度決めた墓地に立ち、周りをゆっくりぼんやり眺め家路に着く。
来年8月に前から決めていた沢井駅近くおの『ままや』に子供・孫を招待して食事をした後、完成したK&Mの終の棲家を披露するのが楽しみ。

『上川霊園』
東京都八王子市上川町1520
京王八王子駅・JR八王子駅から「上川霊園行」バス38分 自動車・中央高速八王子I.C.より15分  西東京バス株式会社(京王グループ)





バスは八王子駅と秋川駅から。

上川霊園埋葬された有名人=
安部 公房 2区8番140号 石川 淳 2区5番217号 臼井 吉見 5区5番2号
金子光晴 1区1番18号 菊田一夫 1区1番85号 山田風太郎 1区1番34号

上川霊園 場所・交通・園内整備・雰囲気 全て 



『上川霊園』東京都八王子市上川町1520



終の棲家を上川霊園に決める。


事務所で契約。

石屋さんから最後の説明を受ける。



第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 最終章 葬送の記録
終の棲家のかたち
終の棲家.探し 第五章   
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2009年8月石屋さんから基礎工事が完成したと連絡があり、久しぶりに上川霊園に出かける。
自分達が将来入る墓を目にするのは不思議な感覚だ。
契約のとき写真で見たとおりに出来上がっていた。
初めの予定通り墓石はどちらか入る時作る事にしてある。
どんなデザインにするかは残った者の権利で好きなようにすることで結論が出ている。何時になるのかいずれ来るその日をいつも心に描きながら残りの人生を精一杯生きたいと思う。



2009年8月基礎工事




墓石はまだない。

    上川霊園・休憩室ロビー


第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 最終章 葬送の記録
最終章  終の棲家への準備
200X年~エンディングノートを購入。
終の棲家への準備いろいろ書き残し始める。


第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 最終章 葬送の記録
『追記』葬送の記録
2012年2月11日
義兄が天寿を全うし旅立つ。享年88歳 
常識では考えられないことだが、K&M 結婚式(昭和47年2月12日)では義兄・姉夫婦に仲人をしてもらった。
あれから40年結婚記念日の前日に亡くなる。  
5年前病で倒れ、かかりつけの日赤病院に緊急入院、幸い一命はとりとめ、その後は治療とリハビリの日々を送っていた。
近年は近くの病院に転院したり、在宅治療に切り替えた。
そして、昨年暮れから病も重篤になって家庭介護が難しくなり、介護付有料老人ホームに入居し、姉は毎日ホームへ通う日々を送っていた。
しかし、2月11日早朝、姪から義兄の状態が悪いと連絡を受けホームに駆け付ける。
すでに意識もなく呼吸も乱れ最後が近づいている様子だった。
午前9時ごろ医師と家族一同が見守る中 静かに息を引き取った。
2012年2月15日。
義兄が亡くなって3日後、長く人工透析を続けていた実家の長兄が、後を追うように天に召された。
享年86歳。

長兄の訃報は15日義兄の葬儀の日、火葬場で献杯の際知らされた。
兄は過去に胃潰瘍、動脈瘤、などの手術を受け満身創痍で4年前からは肝臓障害で人工透析を週3回受けていた。実家に帰ると透析のたいへんさをいつも嘆いていたのが思い出される。
兄の亡くなる1ヶ月前の1月7日実家に遊びに行った折には人工透析ですっかりむくんだ表情に日々の苦労が見て取れた。しかしいつも通りの笑顔で迎えてくれ、それが最後になるとは夢にも思わないで談笑した。そして帰る際に兄嫁が玄関横に黄色い花を咲かせていた老梅の枝を数本折って渡してくれた。老梅はうちの居間に飾っていたものが今はドライフラワーのような姿で健気にその当時の面影をとどめたままでいる。



義兄が入居していた介護付有料老人ホーム。一時入居金950万円(年25%5年で全額償却) 月額約20万円 相当高額と思う。金額では判断できないが、姉にしてみると、病を持った老人を24時間全てを看てもらえるのはとても有難い事と思っていた。
K&Mも終末治療について、どう対処するか考える必要があるが、今のところ結論はだしていない。(2012年)


K&M葬送の記録
K M
1962年(昭和37)7月7日 享年63歳 2001年(平13) 享88歳
1993年(平成5)2月20日 享年86歳 1978年(昭和53年)1月20日 享年
長兄 2012年(平成24)2月15日 享年85歳 長兄 1978年(昭和53)12月10日  享年42歳
次兄 1986年(昭和61年)3月26日 享年52歳 長姉 2021年(令和3年)11月23日 享年83歳
長姉 1998年(平成10年)7月30日 享年70歳 次姉 1991年(平成3年)12月23日 享年51歳
四姉 2025年(令和7年)1月8日 享年83歳
義兄(O) 2012年(平成24年)2月11日 享年87歳 義姉(I)1937生 年(令和年)月日 享年
義兄(M) 1995年(平成7年)10月19日 享年61歳 義兄(I) 2009年(平成21年)12月11日 享年
義兄(S) 2001年(平成13年)1月27日  享年79歳 義兄(H) 2005年(平成17年)6月17日 享年
義姉(Y) 2003年(平成15年)9月18日  享年 歳
              多磨霊園12区⇒   上川霊園10区⇒   

亡き兄撮影『春のことぶれ』


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