中国周遊 2007年5月10日~5月24日  
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2007年5月12日~13日 杭州
2007.5.12(土)
3日目
杭州
紹興




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紹興駅

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5月12日 杭州~紹興 小雨
7:30朝食後 荷造りして8:30チェックアウト タクシーで杭州駅へ
12元+3元チップ渡す。杭州駅は構内へ入ると圧倒されるほどのすごい人ごみ。
当日券売り場を見つけ列の後ろに並ぶ。順番が来るまで約20分程、用意したメモを提示して、紹興までの10:20発N441列車1等切符を希望する。女性係員がなにやら言いながらN441列車の切符を発券して13元x2=26元支払い無事購入して構内へ。日本では考えられない鉄道駅での荷物のセキュリティチェックもあり警備が厳しい。電光掲示板の列車表示を確認して1番待合室の長い椅子の列に入って座って待つ。
30分前になると改札が始まりホームへ、すでに列車が止まっていて券面の5号車12・13席を探すとそこは硬座(2等車)、よく見ると券面には硬座の記載、切符買うとき販売員が何か言っていたのは軟座(1等)がなく2等を発券した事だったようだ、席に座るり回りの人に行き先紹興を確認。
乱雑な車内だが何か中国を又身近に感じられこれもやはりいい観光。
Mは前のおばさんとアイコンタクトしながら身振りで笑顔のコミュニケーションしている。

  杭州駅 切符売り場            硬座(2等)車内

11:15定刻に紹興到着した。 杭州駅を出るとあいにくの小雨。 
ホテルに行く前に明日の上海までの切符買うことにする。窓口で用意したメモを見せる。第一希望はだめで第二希望の列車が買える。今度は軟座(一等車)で間違いないか券面印字を確認して61x2=124元を支払う。明日の移動の準備はOKだ。
広~い駅前にタクシー乗り場がない。はるか先の大通りにたまに来るタクシーが見えるが雨で歩けない、と中年の男がさっきから付きまとってなにやら話しかけてくる。男を避けてあっちこっちとタクシーを捜すが見つからない、その男はしつこく付きまとって離れない。この人顔つき悪くないとM,。初めて顔を見て話を聞くと、ホテルへ10元で行くといっているようだ、タクシーもつかまらないし、かけてみることにして男のあとをついていく。広場の中に止まっている輪タクの後ろの席に手でどうぞとうながされ二人で狭い後部に座るとゆっくり走り出す。

輪タクでホテルへ


大通りから細い路地に入り15分ほででホテル裏門に無事到着する、約束の10元とチップ3元、13元渡すとすごく喜んでくれた。運転手さんが好感もてたので明日朝10:00紹興駅へ迎えに来て乗せて行ってくれるようジェスチャー交じりで約束する。
紹興飯店裏口から(輪タクは表門には出入りしてはいけないようだ)中庭を通ってレセプションカウンターでチェックイン。中国のホテルはここもすごく綺麗でびっくりだ。
3210号室は洗面所も2箇所もある広い部屋。


紹興飯店レセプション


中庭ではなく中海にボートが浮かんでいる。
3210号室洗面所が2つもある広い部屋。
2007.5.12(土)
紹興.魯迅生家
部屋に荷物を置いて、ロビーに戻りコンシェルジュデスクで魯迅生家までの道順を聞く。
とても親切に説明してから地図を探しに行って渡される。歩くと20~30分位かかるといわれるがもちろん歩きますと告げてホテルを出る。


紹興の街は運河沿いの道や昔ながらの中国の香りのする裏通り、現代風のショップもある繁華街などを歩きながら、何回も道を尋ねながら、やっと魯迅の生家の通りに出る。

紹興の街と運河脇の料理店

魯迅が生まれた街は著名な観光地らしく国中から来た中国人の団体さんを乗せた観光バスがいっぱい停車している。

魯 迅(ろ じん、Lu Hsün 1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人で、字は豫才。ペンネームの魯は母親の姓だという。浙江省紹興市出身。弟に文学者・日本文化研究者の周作人、生物学者の周建人(1888-1984)がいる。代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』など。短編作である『狂人日記』は旧来の中国文学が文語主体な中で口語を主体とする点、被害妄想狂の心理を実にリアルに描写する点において画期的だった。なお、魯迅の中学校の時の良友に本物の迫害妄想患者が存在し、彼を観察したことが、この作品を着想するヒントとなったと言われている。
1904年9月から仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学する。その間日露戦争について、授業中に戦争報道のニュース映画を観る機会があった。その映画では、ロシア軍スパイの中国人が日本人によって、間諜(軍事スパイ)として処刑され、さらに同胞である中国人が処刑される様を喝采して見物する姿があった。その情景と中国人の反応を見て、中国人を救うのは医学による治療ではなく文学による精神の改造だと考えたのだという(『吶喊自序』)。学校における細菌学のスライドを用いた授業において、当時の時事断片が余り時間に上映され、その中に処刑の場面があった、という記述もある。当時の官立の学校では中国からの留学生の入学は清国公使の推薦状で入学が許され、魯迅は無試験で入学しているが、当時の医学専門学校は卒業にまで漕ぎ着けるのは至難の技で、魯迅のようにわずか1年7か月でドロップアウトすることも珍しくなかった。日本人学生でさえ入学者100名に対し卒業試験まで至る学生は50名に過ぎなかった。『藤野先生』によると、初年度の試験で魯迅は百人中まんなかへんで、落第はせずにすんだ、得点は六十だった、とある。当時周には多額の奨学金が支給されており、夏目漱石など日本の小説の読書に熱中していた。街で遊興に耽ることもあり、自身も「当時、私は一向に不勉強」と述べている。さらに二年度に進むと学年試験の成績について同級生から試験問題の漏洩を疑う不当な流言があり、この疑いは晴れたものの、中国人留学生である自分の語学能力への差別感情を感じたようである。
帰国後、杭州・紹興などを経て、1912年、南京において中華民国臨時政府教育部員となる。さらに政府の移転に伴い北京へ転居。1918年雑誌『新青年』に『狂人日記』を発表する。以来、「魯迅」およびその他多くのペンネームを用いて文筆活動を本格化した。また、北京大学などで非常勤講師として中国小説史の講義を担当した。中国の伝統的文学観においては、小説は歴史や詩文に比べて一段低いものと見なされ、研究に値しないとされてきたのだが、魯迅は早くから散逸していた小説の断片を集めるなど実証的な基礎作業を進めていた。その蓄積にもとづいて神話伝説から清末までの小説史を論じたものが『中国小説史略』(1924年)である。中国最初の小説史であり、今日でもこの分野を語る際の必読書となっている。

生家前の商店街は臭豆腐(しゅうどうふ)が"クサヤ"のような香りであたり一帯に漂っている。臭豆腐は豆腐で作られる加工食品。湖南省の風土食で、中国各地に伝播したそうだ。


見学をすませ元の道を辿ってホテルにむかう。
帰り道、沢山の客で賑わうお菓子屋さんに入ってよく売れていそうなお菓子を買う。
ふわふわの中華風ケーキとお米のクッキーだった。


夕食にホテルレストランに行くと、結婚式の為、貸切で利用できないのでメニューから料理を選んでルームサービスをお願いする。


しばらくしてワゴンに載せた料理が部屋に運ばれてくる。量の多いのにびっくり。
さすが本場物の紹興酒が美味しかった。


2007.5.13(日)
4日目
紹興
上海


翌朝の午前6時、早起きしてホテル近くの小高い丘の上にある『府山公園』の散策にでかける。 


日曜日早朝にもかかわらず、山道やところどころの広場にはバトミントンや太極拳などする人が溢れている。


早朝にこの賑わい

公園をおりてくると縁日みたいな人ごみの通りを抜けてホテルに戻る。

2007.5.13(日)
4日目
紹興
上海




早朝散歩から帰り 紹興飯店1階レストランで朝食。 9:30ホテルをチェックアウト。


















杭州
紹興
上海一
上海二
天津
北京一
北京二
西安一
西安二
紹興飯店の朝食

紹興駅から上海へ

10:00ホテル裏口で昨日約束したはずの輪タクの迎えを待つ、がなかなか来ない。
昨日の輪タクの運転手には今朝迎えに来てくださいという、待ち合わせの意味が通じていなかったようだ。時間もないので別の輪タクを止めて紹興駅へ向かう。
輪タクはひっきりなしに走っていたので問題なかった。


紹興駅ホーム 上海へ

紹興駅前で電話のかけ方を
教わった地元の学生さん

発車時間までまだ間があり駅前広場で上海の顧(クーサン)さんに電話することにする。
しかし、杭州で買ったIDカードが不調で電話がかからないで困っていると、若い女性が日本語で「私に何かお手伝いすることありますか」と話しかけてきた。
地元の大学生で日本語を勉強していた日本人と話したかったようだ。
事情を話すと近くの売店に案内され、そこの貸し電話で上海の顧さんにすぐ繋がり待合せ場所・時間が確認する事が出来る。

   
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