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九州一周  
2006年12月8日〜12月21日 九州周遊日本再発見の旅
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北原白秋について
柳川時代(明治18年〜明治37年)
1885年1月25日、熊本県玉名郡南関町に生まれ、まもなく柳川にある家に帰る。
“油屋のトンカジョン(大きな坊ちゃん)”と呼ばれていた少年時代。よく母方の叔父や出入りの商人から内外の物語や珍しい話を聞き、幼き夢は後に文学の憧憬につながりました。中学伝習館に入学してからは、友人と回覧雑誌『蓬文』などを発行。“白秋”と号した。こうした中で、家の火災や親友の自殺、さらには一教師との争いで卒業直前に退学するなど、傷心のうちに上京した。
青春時代(明治37年〜明治45年)
明治37年に上京した白秋は、早稲田大学英文科予科に入学して学業の傍ら詩作に励む。翌年には『早稲田学報』の懸賞に応じ、長編詩『全都覚醒の賦』が一等に入選。明治39年には与謝野寛の招きで新詩社に参加。機関紙『明星』で活躍し、先輩上田敏らに将来を期待された。明治40年、西九州の南蛮遺跡の探訪旅行で名作『邪宗門』を生み出し、さらに2年後、詩集『思ひ出』を発刊。名実ともに詩壇の第一人者となった.。
遍歴の時代(大正元年〜大正9年)
白秋は恋愛事件で一時憂悶の時を過ごしたが、大正2年の春に結婚。神奈川県の三浦三崎で新生活を始めた。『城ケ島の雨』はこの頃の作品。しかし、妻俊子とは1年余りで離婚。大正5年には江口章子と再婚し、千葉市川真間、東京都南葛飾に転居。その後も各地を転々と移り住む。この頃の生活は窮乏のどん底で、白秋の詩境も沈潜。大正8年、小田原に「木兎の家」と呼ぶ茅葺きの家を建てた頃から窮乏生活から脱したが、妻章子とも離婚するという不幸にあう。
1916年(大正5年)〜葛飾・白秋旧居・市川里見公園内に移築「紫烟草舎」
壮年の時代(大正10年〜昭和9年)
白秋は大正10年に佐藤菊子と結婚し、翌年長男隆太郎が誕生。大正14年に長女篁子も生まれ、家庭的安息を得て、遠ざかっていた歌作にもかえった。大正15年小田原から東京に戻り、安定した活発な文筆活動を続けた。昭和3年、大阪の朝日新聞社の依頼で日本初の芸術飛行に参加して、20年ぶりに郷土柳川を訪問し、熱烈な歓迎を受ける。その他にも、官庁や会社の招きで各地を巡遊し、多彩 な文筆活動をした。
豊熟の時代(昭和10年〜昭和17年)
昭和10年に白秋は、新幽玄・新象徴を理念に「多磨短歌会」を結成し、歌誌『多磨』を創刊した。歌壇を二分する新勢力となったが、過労のため発病。視力が衰え、薄明の世界へ入った。しかし文筆の意欲は衰えず、昭和14年に紀元2600年記念交声曲詩『海道東征』と長唄『元寇』を完成し、その後、福岡日日新聞社から文化賞が授与された。さらに芸術会会員にも推されたが、惜しくも昭和17年11月2日、57歳で永眠した。
『この道』
  この道はいつか來た道、ああ、さうだよ、あかしやの花が咲いてる。   あの丘はいつか見た丘、ああ、さうだよ、ほら、白い時計臺だよ。
  この道はいつか來た道、ああ、さうだよ、お母さまと馬車で行つたよ。  あの雲もいつか見た雲、ああ、さうだよ、山査子の枝も垂れてる。
『からたちの花』
からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。からたちのとげはいたいよ。いい針のとげだよ。
  からたちは畑の垣根よ。いつもいつもとほる道だよ。からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ。
   からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかつたよ。からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。
『あめふり』
     雨 雨 降れ降れ母樣が蛇目でお迎ひ嬉しいな  ピツチピツチチヤツプチヤツプランランラン
     かけましよ鞄を母樣の後からゆこゆこ鐘が鳴る ピツチピツチチヤツプチヤツプランランラン
     あらあらあの子はづぶ濡れだ柳の根かたで泣いてゐる  ピツチピツチチヤツプチヤツプランランラン
     母樣僕のを貸しましよか君君この傘さし給ひ  ピツチピツチチヤツプチヤツプランランラン 
     僕ならいゝんだ母樣の大きな蛇目に入つてく  ピツチピツチチヤツプチヤツプランランラン
『ペチカ』
     雪のふる夜はたのしいペチカペチカ燃えろよ お話しましょむかしむかしよ燃えろよペチカ
           雪のふる夜はたのしいペチカペチカ燃えろよ おもては寒い栗や栗やと呼びますペチカ
     雪のふる夜はたのしいペチカペチカ燃えろよ じき春来ますいまに楊も萌えましょペチカ
           雪のふる夜はたのしいペチカペチカ燃えろよ だれだか来ますお客さまでしょうれしいペチカ
     雪のふる夜はたのしいペチカペチカ燃えろよ お話しましょ火の粉パチパチはねろよペチカ
『白秋生誕祭』北原白秋の生誕を祝って毎年1月25日に行われている催しで、矢留小学校児童による鼓笛隊を先頭に白秋と酒樽を乗せた大八車の一団が、生家前から白秋詩碑苑までの約500mをパレードします。また、終点の詩碑苑では白秋会主催の生誕祭式典が行われる。 北原白秋の命日をしのび、前夜祭の11月1日から3日間にわたって行われる水郷の秋の風物詩。ほおずき提灯やあんどんで飾った多数のドンコ舟が行き交う水上パレードでは、白秋作詞の童謡のコーラスや演奏、川岸のかがり火、仕掛花火などが、川下りコースを一大絵巻のような美しさに包み込む。 毎年3月1日は、水郷柳川の「川開き」。船頭の巧みな竿さばきや軽快な語りにエスコートされて行くどんこ舟の旅「川下り」。コース沿いには、揺れる柳や花しょうぶ、サクラ、ツツジ、アジサイなど美しい季節の花々が咲き乱れ、柳川の風景やのんびりとしたひとときに彩りを添える。いよいよ川下りシーズンの到来。当日は、柳川古文書館あたりに祭壇がしつらえられて式典が行われ、参加者全員で川下り舟の安全を祈願する。
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