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2018年10~11月 東欧/中東8ヶ国周遊

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2018年11月02日  ハンガリー/ブタペスト
飛行機 列車・電車 バス.タクシー フェリー船 徒歩 ホテル
11月02日
ボスニアヘルツェゴビナ
サラエボ国際空港
ハンガリー/ブダペスト
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11月2日サラエボからブタペストへ

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LCC/WizzAir格安の仕組み サラエボからブタペスト/リスト・フェレンツ国際空港へは僅か1時間。航空券はサラエボ~ブタペスト~スコピエ 2フライト二人分が僅か4800円、しかし搭乗2日前からのWevチェックインして航空券を印刷する必要がある、旅行中それが出来ないので、1ヶ月前からWebチェックイン可能条件の、20㌔預け荷物+座席指定事前申請した。その代金が運賃の倍近い9411円もかかる。出発前にWebチェックインして航空券を印刷して準備するには必要なのでやむを得ない。現地でチケット印刷して機内持込荷物だけなら、運賃だけの4800円で乗れたわけだ。ヨーロッパに住んでいれば夫婦二人1万円以下でほとんど何処でも行けるのはとても羨ましい。
ブタペストには寄る予定でなかったが、サラエボからマケドニア/スコピエに移動する場合山越えのバスルートでは年寄には困難、それで陸上移動を諦めてLCC/WizzAirを利用して、ボスニア~ブタペスト~スコピエと乗継いで行くことにした。しかし同日乗継便がない為一日だけブタペストに滞在して、翌日スコピエに向かう行程になる。

Hotel Ibis Styles Budapest Airport
12:10分 Budapestリスト・フェレンツ国際空港到着。ロビーの両替所でボスニアヘルツェゴビナの残り通貨(紙幣のみ)に持参してきたユーロをプラスしてハンガリー通貨HUFフォリントに両替する。
両替所向かいにバスチケットカウンターがあり、シャトルバス空港~市中心のデアーク・フェレンツ広場までの往復チケットを購入する。片道900HUF(約360円) 往復二人分で3600HUF(1440円)両替したばかりのハンガリー通貨支払う。
市内へ出る前に一度ホテルに向かう。
ブタペストは翌早朝の出発なので空港に一番近いホテルで予約した。今夜の宿泊ホテルイビスは到着ロビーを出て下の駐車場の先で目と鼻のさき。空港の駐車場わきの屋根付き歩道を歩き5分くらいでホテルに到着。チェックインして部屋に荷物を置いてすぐに市内へ出るため空港に戻る。
デアーク・フェレンツ広場へ100E系バスが直通でとても便利だ。
乗り場はすごい行列。その行列は券売機でチケット買うための行列でさっき到着ロビーのチケット窓口で購入しておいて正解。行列を横目にすぐ乗車。
すでにいっぱいだったが最後列の席が幸い開いていて座って行けた。
100E系バスチケット
終点のデアーク・フェレンツ広場(DeákFerenctérM)バス停までは30分くらいかかって到着。夜景が見たかったので先に夕食にするため、広場からレストラン『Csarnok Vendeglo』に向かう。道すがらリバティースクエア(自由広場)前を通る。
リバティースクエア(自由広場)Lipót Mélygarázs Budapest
リバティースクエア(自由広場)は、国会議事堂とドナウ川遊歩道の靴と聖イシュトヴァーン大聖堂を結ぶ三角形の底辺の位置にあり、ドイツの侵略による犠牲者を悼む碑、中央にソ連軍によるドイツからの解放記念碑、北端には冷戦の終結とハンガリーの主権回復に貢献したアメリカ大統領ロナルド・レーガン像などがある。

リバティースクエア(自由広場)ドイツの侵略による犠牲者を悼む碑
前回ブタペストを訪問した時は全く気付かなかった事だが、ハンガリーは第二次世界大戦末期にクーデターによりナチス・ドイツの傀儡政権が誕生し、それも1944年ソビエト軍によるブダペスト包囲戦で、ソビエト/ルーマニア軍によって包囲され1945年2月13日、ハンガリー/ドイツ防衛軍の無条件降伏で終了した。このような大国.ソ連&ドイツにより蹂躙され続けた大変な苦難の時代があった事を改めて知った。
レストラン『Csarnok Vendeglo』は自由広場からすぐの裏通りにあって、地元の人に愛されているレストラン。でトリップアドバイザーでも高評価の店で来る前から決めていた。
夕方の早い時間にもかかわらず沢山の来客だったが、思った通りの静かで趣きのある古風な店内。
Csarnok Vendeglo Budapest  
Csarnok Vendeglo Budapestの夕食は料理を3皿とワイン2杯で5510 HUF(2270円)。美味しく安く大満足。ブタペストでは是非お勧めしたいレストラン。
右から2軒目が『Csarnok Vendeglo Budapest』
夕食を済ませ。又リバティースクエア(自由広場)前を通ってドナウ河畔にでる。

「ドナウ川遊歩道の靴」
今はこんなに平和な夕暮れだが目の前の川岸にはブタペストに住むユダヤ人の悲劇のあった「ドナウ川遊歩道の靴」が設置されている。これは、ナチスの支配下ブタペスト傀儡政権ハンガリーファッシズム「矢十字党」によって第二次世界大戦末期の1944年末~毎晩50~60人のユダヤ人が厳寒のドナウ川に落とされ5000人以上の人が亡くなったとされている。負の遺産を残すため造られたドナウ川畔にある鉄製の靴のモニュメントだ。
ハンガリー科学アカデミーの建物とドナウ河の間を走るブタペスト2号線地下鉄。ちなみに1896年に開業した1号線は、世界でロンドン、イスタンブールに次いで3番目の歴史を誇る。

セーチェーニ・イシュトヴァーン広場近く2号線地下鉄
ドナウ河対岸のブタ側を望む。
ドナウ河向こう岸ブタ側丘の上に2009年に泊まったHilton Budapestと漁夫の砦が見え懐かしい。
ブタペスト西側ブタと東側ペストを結ぶセーチェーニ鎖橋
2009年に来た時はこの橋を何度もわたって往復した。今日はペスト側の一部を歩くだけだ。

フェレンツ・デアック 記念碑
1803年~1876年ハンガリーの政治家.法務大臣「国民の賢者」として知られている。

ブダ城
セーチェーニ鎖橋対岸の左丘の上に建つ『ブダ城』
デアーク・フェレンツ広場広場への帰り道、エリザベート公園に巨大な観覧車(BudapestEye)が出現。

Budapest Eye
デアーク・フェレンツ広場広場から100Eバスに乗って空港まで帰る。あっというまのブタペストの一日だった。明日は早朝の飛行機でマケドニア/スコピエに向かう。

Hotel Ibis Styles Budapest Airport
デアーク・フェレンツ広場広場から100Eバスに乗って空港まで帰る。
あっというまのブタペストの一日だった。
明日は早朝の飛行機でマケドニア/スコピエに向かう。今日一日の歩行数は14360歩。
ボスニアヘルツェゴビナ/サラエボ マケドニア/スコピエ
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2018年11月03日 マケドニア/スコピエ
飛行機 列車・電車 バス.タクシー フェリー船 徒歩 ホテル
11月03日
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マザーテレサの生まれ育ったマケドニア/スコピエへ

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11月03日朝4時チェックアウト レストランて急ぎ朝食を済ませ空港へ。
6:10発の飛行機の搭乗時間まで2時間もあるが、WIZZ Airのチェックインカウンターは長蛇の列。何処がどこのカウンターの列だかわからない大雑把で相当いい加減な行列だったが、そのへんかなと見当をつけ最後尾らしきの人に確認して並ぶ。1時間ほどかかってやっと無事チェックインを済ませ搭乗ゲートへ。

マケドニア/スコピエ行の搭乗ゲートは静寂そのもの
WIZZ Airはハンガリーが地元なのでブタペスト空港ではほとんどがこの会社のカウンターで占められている。元気のいいLCC。飛行機はブタペスト空港を6:10発ってマケドニアの首都スコピエ空港に7:35到着する。僅か1:20の飛行。スコピエ空港はクロアチアのザグレブのように首都にしては人影も少なく静かなロビー。日本の地方空港のようだ。

マケドニアの首都スコピエ空港
荷物をピックアップして到着ロビーを出てマコドニア通貨をキャッシングする。
ATM機械の操作が途中から判らない表示が出て進めない、ちょうど近くに立っていた青年に助けを求めると、とても親切に教えてくれて、マケドニア通貨5000MKD (10500円)紙幣を無事受取る。どこから来たと尋ねられ日本と答える、その青年はアメリカからの一人旅でマケドニアに3週間も滞在するという。
到着ロビーを出て右側がシャトルバス乗り場で市の中心(終点のホリデーイン前)まで30分ほど。
発車時刻は8:50発なのでだいぶ間があり、今朝ブタペストのホテルレストランから持ってきたサンドウィッチをソファで食べながら待つ。
8:50分発の 空港シャトルバスに乗る。
先ほどATMキャッシングの際世話になったバックパックのアメリカ青年も同じバスの後ろに座っていた。
空港から市内への風景はは日本にいるような田園風景、30分程走って市の中心 終点のホテル.ホリデーイン前に到着。

マケドニア門
予約したホテルはバス停からはすぐなので地図をみながら向かう。該当する番地にホテルが見当たらない、近くにいる人に何度尋ねてもわからでいるとピザ屋さんから出てきた親切な女性が宿に電話してくれ担当者が門の前に迎えにきてくれることになる。レセプションがないのでホテルに連絡をという案内メールが家のパソコン宛てに出発後に出されていた。旅行中に気付くはずがない。
家にホテルから届いていたメール
Dear guest
Can you please let me know when you’re arriving tomorrow? We don’t have a reception, so unless you know the exact time, we will need a message 15-30 min before arriving, so we can meet up in front of Macedonia Gate (Arch de Triumph). We also provide transportation from and to the airport, so please let me know if you need one.
Thanks.
I’m sending a picture of theGate below.
Nadezhda
帰国後にメールを整理すると、宿泊日直前にホテルから『レセプションがく到着15-30分前に連絡してマケドニア門前で会えます』というメッセージが届いていた。出発前にくれればいいのに......

ホテル隣の荷物を預けた小物屋さん
マケドニア門(凱旋門)Porta Macedonia前で待つと10分ほどで宿の若いご主人が到着。「チェックインは13時~で部屋に入れないので荷物は小物屋さん↑で預かりますのでそれまで街を見物していてください」と言われ、お店に荷物を預け財布とパスポートだけ持って街歩きに出発。

記念館前マザーテレサ像

マザーテレサ記念館
スコピエはマザーテレサの故郷。
最初に向かったのはマザーテレサ記念館。スコピエの大通りを入るとすぐの処にあって前では団体客がガイドから説明を受けている。その団体の足元に何故か大きな犬が3~4匹無警戒に横になっている。いつ踏まれるかわからない状況なのに穏やかな顔して寝ている姿はさすがマザーテレサの地元なのだからなのかわからないが、きっとそうに違いない、動物にも優しい場所なんだと真実は分からないが妙に納得しながら眺めていた。

マザーテレサ記念館売店
マザー・テレサが洗礼を受けた教会の跡地に建つ記念館は1階は売店で入場は無料。入口の階段を上がり2階の展示室へ。

マザー・テレサは1910年8月26日マケドニアのスコピエ生まれ。長年の功績には数々の表彰を受けた、1979年ノーベル平和賞、授賞式の際に特別な正装はせず、普段と同じ白い木綿のサリーと皮のサンダルという粗末な身なりで出席し賞金は全てカルカッタの貧しい人々のために使われることになった。
マザー・テレサの数ある言葉の中の一つ...
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。それでも善を行いを続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。それでも一番いいものを分け与えなさい。
マザー・テレサの生涯や各地での奉仕活動の様子や感謝状、文献などが陳列されている。

マザーテレサ記念館2階展示場

記帳ノート

マザーテレサ記念館最上階の礼拝堂
見学後に記念館を背に大通りを横切って進んでいくと大きなマケドニア広場に出る。
マケドニア広場には中心に巨大なアレキサンダー大王像のほかモニュメントがあちこち建っている。

アレキサンダー大王像
マケドニア広場を進んでいくとカメンモストという石橋に出る。たもとで盲目の少年が手作りの段ボールをドラム代わりにスティックでテンポよく叩いている。一生懸命生活費を稼いでいるんだろう。何もしない物乞いと違い、額から汗を流し、白く濁った瞳は空を見上げながら懸命にスティックをたたく姿がいじらしく、小銭を缶に入れて行く。
ヴァルダル川に架かるカメンモスト(石橋)
旧市街と新市街を分けているヴァルダル川。
1963年スコピエは大震災で市内の80%が破壊された。震災後国連主導で行われたスコピエの都市計画のコンペで東京都庁舎、国立代々木競技場、広島平和記念公園などの建築作品のある日本人丹下健三氏の提出したプランが採用された。日本ではほとんど知られない国の復興に日本人が関わっていたとは嬉しい驚き。
カメンモスト(石橋)を渡ると旧市街のオールドバザールに入る、小さな店が軒を連ねた小路が四方八方に入り組んでつながっている。品物は決して新しいものでなく、ほこりをかぶっても気にせず陳列されていて、買う方も気にしないで見たり買ったりしている。
スコピエ/旧市街オールドバザールには宝石店がとても多く、宝石店はさすがにウィンドウも陳列もきれいに整理されていた。Mは真珠のイヤリングを探して何軒かのお店に入ってみせてもらう。ただイヤリングはほとんど全部ピアスになっていて、耳に穴を開けていないMは気に入ったものがあっても買えなかった。

スコピエ/旧市街オールドバザール
お昼近くになり、オールドバザールのレストランで客の多そうな店を探してお昼にする。
スープを頼むと大きなパンがついてきた。マナー違反だがこの雰囲気の店なら許されるだろうとパンをスープにつけてきれいに完食。コーラは日本では見かけなくなったガラス瓶入りのコカ・コーラで懐かしい。50MKD(100円)
入口の鉄板でご主人が焼いていたケバブを注文する、一皿と指を立てて注文すると1でなく10入りだと若いウェーターが笑って言う、OKと頼んで出てきたのは確かに10本いりのプレートにジャガイモフライとお米・香辛料付きでとても美味しかった。

10本入りケバブ 120MKD(240円)
ホテルのマスターとの約束の時間13時少し前に荷物を預けた小物屋さん前に着くと両手にトランクをひいてマスターが迎えてくれた。隣のかなり年代物のビルのドアを押して入っていく。えっという感じのビルでおよそホテルらしくない。暗いビルの中のエレベーターに乗り5階(日本的6階)で降りて、エレベーターホールから鍵を開けて入った所に2つの部屋のドアがあり、その一つを開錠してそこが今夜の部屋だった。
ビルに入った時はどんな部屋なのかと思ったが、掃除もきれいにされていて安心した。
窓から外を見ると正面にマケドニア門が見下ろせていい場所だった。

外を見るMを下から写す

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夕闇が迫ってきた頃に夜景の見にもう一度街に出る。

カラフルにライトアップされたマケドニア広場のアレキサンダー大王像

カメンモスト(石橋)渡ったさきにオールドバザール
マケドニア広場のあちこちに建つ偉人像
遠く山頂に建つ「ミレニアム・クロス」
マケドニア広場から遠く見上げるボドノ山の山頂には「ミレニアム・クロス」の大きな十字架が建っている。
ヴァルダル川側からのマケドニア広場
マケドニア広場とマザーテレサ記念館を結ぶ大通り。先の信号を左折すると宿泊ホテルの前に出る。
11月3日ブタペストからマケドニアに飛行機で着いて慌ただしい一日も暮れようとしている。
明日はバスでブルガリア/ソフィアに移動する。  今日一日の歩行数は13943歩。
11月4日ブルガリアへ移動の朝、5時過ぎ。ホテル窓の下にマケドニア門。
11月04日
マケドニア/Skoplje

から
ブルガリア/ソフィアへ
支度を終えて朝6時、ホテルの鍵は宿のご主人の指示通り、テーブルの上に置いて出発。
門の前に客待ちのタクシーもいたが1㌔ほど先のバスターミナルへゆっくり歩いて行く。
朝も明けかかって青空も見え始めていた。
昨日バスで空港から着いたホリデーイン前を右折して進む。

スコピエ・バスターミナル
スコピエ・バスターミナルに着くと数人の乗客がソフィァ行の1番ホームにいる。中国の上海から来たという青年を片言で話す。このバスでソフィアに行くらしい。しかしバスが到着してみんな乗車したのにその青年はドライバーに乗車を拒否されている。どうしたのだろうかチケットをどうも持っていないらしい。早く切符売り場へ行って買ってくればいいのに思ったが、立ったまま、その青年を置いてバスは発車してしまった。可哀そうにと心配するがなす術もない。あれから彼はどうしたのだろうか。

スコピエ~ソフィァBus ticket
しばらくバスは走りマケドニアとブルガリアの国境にさしかかり出国・入国審査。ここもバスから降りることなくパスポートを集めにきて審査終了が終わると返却される。簡単なパスポートコントロール。

国境に到着。マケドニア出国~ブルガリア入国
ソフィアまでの所要時間4:45分、途中で一度だけカフェで15分間トイレや飲み物の補給の為休憩がある。
ブルガリアの首都ソフィア郊外の住宅地。街並みはマケドニアに比べてきれいに整備されている。
ハンガリー/ブダペスト ブルガリア/ソフィア
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2018年11月04日 ブルガリア/ソフィア
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11月04日
マケドニアSkoplje
ブルガリア/Sofia
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ブルガリア/Sofiaシンボル『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』

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マケドニア/スコピエを出て約5時間、ブルガリア/ソフィア中央バスターミナルに到着。
バスターミナルの中は各地に出発する人地方から到着した人でごった返している。両替所でマケドニア通貨の残りをブルガリア通貨に両替する。

ソフィア中央バスターミナル
バスターミナルからソフィアのホテルへは歩いて10分ほど。ソフィアなのに「ホテル・ブタペスト」とややこしい名前。
チェックインは料金先払いで、手持ちのユーロがあったので全額ユーロで支払い。
ここは、ヨーロッパでは珍しい一泊2食付きのホテル、ツインルーム2泊で138€。
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ホテル・ブタペスト
部屋は3階の角部屋で、バスタブ付きの広い部屋。
部屋のベランダから見る市街の景色は、ブルガリアの首都の中心部とは思えない静かな家並み。
着替えて早速街歩きに出発。ソフィアの真ん中を二つに分けるように流れるヴラダヤ川、そこに架かるライオン橋を渡ると本当の街の中心部に入る。
明日、世界遺産「リラの僧院」に行くのだが、街歩きを兼ねて下調べもしておく。
「リラの僧院」に行くZapadバスターミナルは4番か5番のトラムに乗っていく。
ホテルライオンの前がその乗り場になっていた。
トラムの駅といっても乗降りする為の安全地帯などなく、電車がつくと乗降客は車道を横切って車道から乗降りしていて、危ないようだが慣れたもので、車も乗降客のために一時停車して乗降客を優先して通している。

バニャ・バシ・ジャーミイ(Banya Bashi Mosque)
ソフィアにで最初に見学したモスクは/ミマール・スィナン製作の「バニャ・バシ・ジャーミイ」
入場するのには女性はスカーフ(ヒジャブ)を頭に巻かねばならない。出発前の準備に、モスクに入る場合の注意として、理解したので、Mは襟巻替わりのスカーフを巻いていてすぐに対応できた。準備のない女性の為に入口ではヒジャブが用意されている。靴を脱いで中に入る。   
ミマール・スィナンについて   By Wikipedia 


1566年のスレイマン1世廟の建築風景を描いた絵画に描き込まれたスィナンと思しき人物(左端)。(1579年に制作された細密画)
ミマール・スィナンは、盛期オスマン帝国の建築家、土木技術者。1490年前後にアナトリア半島のカイセリ近郊で生まれ、1588年7月17日にイスタンブルで亡くなった。キリスト教徒の石工の家に生まれ、デヴシルメで徴用されて常備軍歩兵の工兵になった。一介の士官からあっという間に階級を上げ、軍団長にまでなった。セリム1世、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世というオスマン帝国最盛期を代表する4代のスルターンに仕え、軍歴は50年近くに及ぶ。遠征で赴いた土地は、西はバルカン半島東はメソポタミアまでに及び、各地の建造物を実見した。
前線に出ている間に土木工学に関する実践的経験を積み、道路や橋梁、水路といったインフラストラクチャーの構築を含む、あらゆる種類の要塞建築のエキスパートとなった。50歳ごろ帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)に任命され、軍で培った技術的スキルを良質な宗教施設を創造することに用いることを求められた。帝室モスクの代表作は、イスタンブルのシェフザーデ・ジャーミイとスレイマニエ・ジャーミイ、そして、スィナン自身が自身の最高傑作と認めたエディルネのセリミーエ・ジャーミイが挙げられるスィナンが建築した建物は、少なくとも、モスク92箇所、マスジド52箇所、マドラサ55箇所、ダリュクッラ(クルアーン学校、darülkurra)7箇所、墓廟(türbe)20箇所、イマレット(公共の厨房、imaret)17箇所、ダリュッシファ(病院、darüşşifa)、公共水道6箇所、橋10箇所、キャラヴァンサライ20箇所、宮殿36箇所、地下礼拝堂8箇所、トルコ式公共浴場48箇所の、合計374の建築物にのぼる。オスマン帝国のすべての建築事業を監督する役目を担う帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)を、スィナンは50年間近く務め、何人もの設計者や熟練した建築技術者のアシスタントを含んだ大きなチームで仕事を進めた。   

バニャ・バシ・ジャーミイ礼拝堂
通りを進みソフィア一番の老舗ツム百貨店までくるとデパート前が掘り起こされて工事中のような光景、だがこれは工事ではなく発掘されたセルディカ古代要塞遺跡だ。
大統領府と内閣府をつなぐ地下通路で公開されている。
ローマ時代神殿の跡に建つ聖ぺトカ地下教会は11世紀築のもの。
中世ブルガリアに建てられたブルガリア正教会の聖堂で、小さな聖堂の高さの半分ほどは地面を掘った穴の中にある。
 

聖ぺトカ地下教会
ソフィア一番の老舗デパート「ツム百貨店」に入ってみる。立派な外観とは裏腹で客らしい人がほとんどいないし、店らしい店もない。かってブルガリア唯一エレベーターのあるデパートで、ここで買物することはソフィアの人達のステータスだったうようだが、それは夢のまた夢、栄枯盛衰、今は寂しく悲しい姿に見える。

ツム百貨店
ツム百貨店を出てさらに進んで聖ネデリャ教会方面に向かう。
聖ネデリャ教会は10世紀頃に建築されたものとされ、ブルガリア正教会ソフィア主教職の聖堂で、教会は長い期間破壊の被害を受けて、幾度も修復されてきた。    
中に入る。左右の壁にイコン
聖ネデリャ教会を出て、イヴァン・ヴァゾフ国立劇場を左に折れるとロシア教会前にでる。

イヴァン・ヴァゾフ国立劇場
ツァル・オスヴォボディテル通りに面した、奇蹟者聖ニコライ聖堂、通称「ロシア教会」

ロシア教会
ロシア教会からその先に『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
大聖堂はネオ・ビザンティン建築様式で建てられブルガリア総主教の本拠地、世界最大級の正教会の聖堂でありソフィアのシンボルとなっている。

大聖堂中へ
大聖堂を見学して帰路につく。
帰り道、負の遺産になったソ連の旧共産党本部近くを通る。東欧の国々は旧ソ連の支配したくらい時代の遺建造物を見かける。旧ソ連というのは支配された国々から例外なく悪いイメージだけが残されている。日本も第二次世界大戦後にソ連に占領されなくつくづく良かったと思う。
旧共産党本部横を抜けるとツム百貨店のアーケードに入る。重厚で立派な造りで繁華な時代もあっただろうと往時が偲ばれる。
ソフィアの宿「ホテル・ブタペスト」に帰ってくる。ホテルはヨーロッパでは珍しい二食付きプランで予約していた。夜6時~地下のレストランへ。
メニューを見て内容が想像の出来そうなものを注文する。カボチャのスープとチーズとまとのサラダとリゾットとブルガリア風ハンバーガー。ハンバーガーはマクドナルドとは別物でこんがり焼け目のパンとサラミ、厚いステーキとチーズ。ボリューム満点でとても美味しかった。

ブルガリア風ハンバーガー
今日一日の歩行数は14695歩。
11月05日
Sofia Budapest Hotel
ブルガリア/ソフィア
Sofia Budapest Hotel
リラの僧院
Sofia Budapest Hotel
11月06日
Sofia~Istanbuへ
ブルガリア世界遺産/リラの僧院
11月5日 ソフィア2日目の朝。リラの僧院を日帰り見学。
ホテルの朝食は「ブルガリアヨーグルト」
昨日確認していたライオン橋を渡ったトラム乗り場へ。
4番トラムに乗車。チケットは前から乗って運転手さんから購入。
20分程で僧院行のバスの出発するオブチャクペルバスターミナル近くに到着。
この信号を渡った先がオブチャクペルバスターミナル
バスターミナルの待合室で10:20発の1日一本しかない僧院バスを待つ。
マイクロバスと思っていたが大型バスが来て10:20定刻出発。
バスはリラの僧院の麓のリラ村まで1:30程かかって中継地点まで到着。
ここで30分の休憩する。

ソフィアからリラ村まで乗ってきたバス
リラ村で大型バスからマイクロバスに乗り換る。 トイレに行くがMはあまりの汚さに使用しないで出てくる。男性用に入るが照明も何もなく真っ暗、表のドアを少し開けて用を足して出てくると入口で少女が0.5Lvと書いた手書きの板を見せ何か言っている。お金を要求しているんだ、みな無視しているが1Lv(65円)渡す。

私設トイレ管理人?
村からマイクロバスに乗り換え30分くらいでリラの僧院駐車場に到着する。帰りのバスの時間は15:30この場所から告げられる。
バスを降りて乗客全員一緒に入場口から僧院中庭に入る。世界遺産『リラの僧院』である。
深い山の中の寺院はシーンと静まり返って荘厳。

リラ僧院は1983年、ユネスコの世界遺産に登録されている
日本にも、奥深い山中の山岳仏教寺院は高野山や比叡山延暦寺などがある。
スペインのモンセラットもそうだ。

豪華に装飾された聖堂天井
聖堂左脇のフレリョの塔(1334年~1335年竣工)

聖堂入口から入るが中は撮影禁止
伝承ではリラ僧院は、ブルガリア皇帝ペタル1世の統治する927年~968年に、リラの聖イオアン(イヴァン・リルスキ)が設立したと伝えられている。

僧院の一角にある4階建ての住居部分は300部屋
装飾された聖堂天井

僧院回廊をぐるっと歩いてみる。

僧院 裏側口
何か所も井戸があり柄杓があるところを見ると飲用可能なのだろうか?
ゆっくり見学して入口に戻る。

入口から見た僧院の聖堂
15:30の帰りのバスまで前のハイキングコース入口を見に行く。イワン・リルスキー洞窟はここから上がるのかもしれない。リラの僧院は、今は聖人と呼ばれるイワン・リルスキー10世紀亡くなった洞窟跡に初めは作られていた。

帰りのバス
僧院から2時間半かかって下山し、1郊外のバスターミナルからトラムに乗ってライオン橋停留所に19時ころ帰ってくる。
お風呂に入ってからホテルレストランで夕食。昨晩と同じメニューでデザートだけブルガリアヨーグルトをお願いする。
リゾット
ハンバーガー
そしてデザートにブルガリアヨーグルト。日本のヨーグルトより濃厚でそれほど酸っぱくなく風味があってとても美味しかった。
明日11月6日、はいよいよ旅行最後の地イスタンブールへ。    今日一日の歩行数は6511歩。
11月06日
イスタンブールへ移動
Sofia Budapest Hotel
ソフィア空港
朝6時二晩分の夕食時のワイン代20Lv レフ(1300円)を清算してチェックアウト。初めての地下鉄に乗ってソフィア空港へ。

ソフィア空港駅の意味不明の彫像
ソフィア空港駅から出発ロビーへは一度外に出てから。
トルコ航空(ターキッシュ エアラインズ)カウンターでチェックイン。
トルコ航空9:50発の便でイスタンブールへ12:10着予定 1時間の時差があるので飛行時間は僅か1時間20分
マケドニア/スコピエ トルコ/イスタンブール
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2018年10~11月 東欧/中東8ヶ国周遊

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2018年11月6日 トルコ/イスタンブール
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11月06日
イスタンブール1日目
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イスタンブールの代表的なモスク『ブルーモスク』⇧  ⇩『アヤソフィア』

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イスタンブール空港駅(Atatürk Havalimanı駅)からM1で6つ目Zeytinburnu駅でトラムT1に乗り換え14番目のÇemberlitaş駅下車。(次の駅が一番の中心スルタンアフメット駅)
徒歩5分ほどでホテルに到着。 
イスタンブール空港駅~Zeytinburnu駅~Çemberlitaş駅 乗換路線図
イスタンブールのホテルは「Sultanhan-Special Category」旧市街スルタンアフメット地区の中心にあってどこに行くのも便利な場所にある。チェックインは日本人は大歓迎という心意気が表情態度に伝わってくる、大柄な貫禄のある人だった。館内の説明を受けて部屋へ。
Istanbul/Hotel Sultanhan-Special Category
トルコ風であちこちに刺しゅう布が配置され落ち着いた部屋。お風呂も勿論バスタブ。
着替えて早速街歩きに出かける。
ホテルを出て先ほどの電車通りを下りすぐ右に折れるとランドマークの「スルタンアフメト・モスク通称ブルーモスク」「アヤソフィア」が両側に建つブルー考古学公園に出る。
初めは、公園左側の「アヤソフィア」を見学する、チケット売場の列に並び入場券を購入。60TRY(トルコリラ1300円)

「アヤソフィア」
「アヤソフィア」はビザンチン建築の最高傑作といわれ、最初の建築は西暦360年、コンスタンティヌス帝によって建てられたが404年に火災で焼失。その後415年にテオドシウス2世が再建するが、今度は532年の反乱で崩落。その40日後にユスティニアヌス帝が3度目の建て直しにかかり、537年に完成これが現在ある建物だ。

「アヤソフィア」

「アヤソフィア」

中央の大ドームは高さ56㍍、円の直径は約30㍍もある。

中央集中型の教会建築でアッラーやカリフの名が金のカリグラフィーで描かれた円盤が掲げられている。
上部にある聖母子像のモザイク画はアヤソフィアでは最古の9世紀の作。

「アヤソフィア」
そして、1453年オスマントルコによって、アヤソフィアはイスラム教の宗教施設であるモスクに改装。イスラム教が偶像崇拝を禁止しているため、内部のモザイク画は漆喰で塗り固められ、イスラム装飾が施された。

聖地メッカの方向を示すミフラーブ、イスラム教徒は、このミフラーブに向かって礼拝する 
トルコ共和国に入ると、アヤソフィアは宗教施設でなく、博物館として開放された。漆喰で塗り固められたモザイク画も修復作業によって次々と日の目を見ることになり、アヤソフィアは美しいビザンチン美術とイスラム美術の傑作が混同する博物館に変身。1985年、イスタンブール歴史地区の一部として、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
アヤソフィアを出ると公園を挟んで向かいあうようにスルタンアフメト・モスク通称ブルーモスク」が建つ。
ブルーモスクとアヤソフィアはブルー考古学公園を挟んだ両側にある。

スルタンアフメト・モスク通称ブルーモスク
ブルーモスクはあらためて見学することにしてホテルに一度戻る。

エジプトから来たテオドシウス1世のオベリスク
 
ブルー考古学公園のオベリスクは東ローマ帝国のテオドシウス1世が建てたと言われ、古代テーベ(現ルクソール)カルナックのアメン大神殿の第7塔門の南に2本建てたもののうちの1本で、オベリスクは左側に立っていたものと見られる。
ホテルに戻り一休みしてから、夕食は口コミ評価でイスタンブールで1位:イスタンブールのレストラン12,582軒中「Buhara Ocakbasi 」へ。
「Buhara Ocakbasi 」はケバブ料理の店でメニューにはハラル(イスラム教徒食) がある。レストラン
ケバブはトルコ語で中東周辺地域で供され、肉・魚・野菜などをローストした料理の総称。
特大のパンは無料で供されて、その大きさにびっくりするがパンの中は空洞でフォークを突き刺すと空気が抜けてしぼんで平たくなって、外見ほどの量ではなかった。

「Buhara Ocakbasi 」
ケバブ料理2品とワイン2杯とパンとお茶がサービスされて、157TRY(3450円)
トリップアドバイザーのカジュアルなレストランで一番の口コミの店だったが、店の雰囲気、料理の内容、接客サービスもこれがイスタンブールで口コミ一番かなと感じさせる店だった。
夕食を終えて、帰り道ブルーモスクの夜景を見に行く。

夜の『ブルーモスク』
ライトアップされたブルーモスクは昼間と全く違ってとても美しい。
しかし実際はずっとずっと幻想的で綺麗なのに、写真があまり上手に写せないのが悔しい。

ブルー考古学公園からブルーモスク
公園から電車通りに出てウィンドーショッピングしながら歩く。

スルタンアフメット地区ケーキ屋さんのウィンドー

ホテルSultanhan
ホテルSultanhanに戻る。
明後日のイスタンブール~ドバイ間フライトの48時間前20:05にスマホでエミレーツ航空HPにログインしWEBテェックインし座席を指定する。帰りの便もいい席が取れた。
ゆっくりお風呂に入り休む。
  今日一日の歩行数は15735歩。
イスタンブール1日目 イスタンブール3日目
11月07日
イスタンブール2日目
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イスタンブール2日目。ホテルの朝食会場は5階レストランで。 
珍しかったのは、ハチミツで絞る前の板のままの姿のものを自分で削り取る。塊をナイフで切り取ったハチミツをパンにつけたり、ヨーグルトに入れたりしていいただくのだが、濃厚でとても美味しかった。

ハチミツ
今夜はこのレストランで夕食をしようと、19時~予約していく。

ホテルSultanhan朝食
『ブルーモスク』は相当の混雑が予想され、朝なるべく早く行く方が空いていて見やすいと聞いていたので、朝ごはんを食べてすぐに出かける。

ブルー考古学公園からブルーモスクを見る
確かに朝早いせいかまだそれほどの人出はなかった。

スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)
正面から入って中庭の入場口から短い列について入る。
モスクなので、女性はスカーフを巻いて、勿論Mは用意したスカーフを巻き、靴は全員脱いで入場する。何度かモスクに入って来たので靴を入れるビニールは持参していた。スカーフも貸し出ししているようだし靴ふくろもくれるのだが沢山の人が使用したあとのものだったので用意していてよかった。
高さ42㍍のドーム天井に施された装飾  
ブルーモスクの内装にはイズニック制の20,000万͡個ものハンドメイドのセラミック製のタイルが使用されていて15種類のチュリーップのデザインがほどこされている。
ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)名前の由来は、オスマン帝国14代スルタン・アフメット1世が1609年から7年の歳月をかけてこのモスクを建造したことからきていて、完成した1616年の翌年アフメット1世は亡くなった。我が国では関ヶ原の戦いが終わり江戸幕府が開かれたころだ。
ブルーモスクは入場無料(任意の寄付) で宗教施設のため、礼拝時間(日の出と午後から)には観光客立ち入り禁止になる。
ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)は世界で最も美しいモスクと評され、1985年に世界遺産に登録されている。
ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)
床は肌触りの柔らかいトルコ絨毯が敷き詰められて見事。ペルシャ絨毯にも勝るとも劣らないというトルコ絨毯この面積だと金額にすると天文学的になるのでは...
ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)
ブルーモスク見学して裏口の中庭に出てくる。
ブルーモスクの門から見るアヤソフィアがきれい。
見方はいろいろだろうが両方の印象は、ブルーモスクは男性的でアヤソフィアは女性的な感じがした。
どちらも厳かで品があり素晴らしい。

ブルー考古学公園からアヤソフィアを見る
アヤソフィアからトプカプ宮殿を通ってBosphorus海峡の方向へ向かって歩く。

『アヤソフィア』裏側を抜けて

アヤソフィア裏手にある「トプカプ宮殿」
トプカプ宮殿はオスマン帝国時代は皇帝の居城で文化や政治の中心として栄えた場所。
15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブール旧市街のある半島の先端と三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘にある。

Cankurtaran鉄道駅
廃線になっているCankurtaran鉄道駅脇のガードをくぐり抜けるとBosphorus海峡に出る。

Bosphorus海峡
海岸のベンチで休憩してブルー考古学公園前に戻ってくる。
スルタンアフメト・モスク『ブルーモスク』
ブルー考古学公園 ブルーモスク↑ アヤソフィア↓
『アヤソフィア』
イスタンブールの名所「グランドバザール」へ向かう。電車道を一つ手前の駅から右に入っていくと入口にでる。入口は16ヶ所もあるそうでこの入口は一番メトロ駅の近く。
入口はセキュリティチェックがある。

グランドバザール(カパル・チャルシュ)入口
グランドバザール(カパル・チャルシュ)は1455年から1461年にかけオスマン帝国皇帝メフメト2世の命により建設された。1894年の地震で損傷し修復されて現在に至る。広さ30,700平方メートルで、66の街路、4000の店舗がある。宝石類、陶器、香辛料、絨毯類を扱う業者が、業種ごとに同じ街路に集中して出店している。 世界最古で最大規模のデパートと言われる。
「屋根付き市場」を意味するグランドバザール(カパル・チャルシュ)は、来る前に思い描いていたのと、雰囲気情景は生で見ると全く違うものだった。

グランドバザール(カパル・チャルシュ)
ある絨毯やさんに入ってちょっと気になった品を眺めていると店員がしつこく寄ってくる。買う気もないので店を出ようとすると、幾らならいいんだと言って、290€の値段を250€でどうだと電卓に表示している、首を振って出ようとすると更に200€でどうだと吹っ掛けてくる、どこまで値段をひくんだか訳が分からない。面倒だから145€と言うとさすがに首を振って不機嫌そう。信用ならない感じな店なので振り切って店を出る。本気で買うときめちゃくちゃの値段を言ってみる事だと思った。
グランドバザール(カパル・チャルシュ)は観光土産品買うならいいのかもしれない。そこを出て丘の上に建つ「スレイマニエ・モスク」に向かう。地図を見ながら、途中にイスタンブール大学の脇道を通って行く。

イスタンブール大学
イスタンブール大学から古い町並みの中を進むと丘の上にスレイマニエ・モスクが姿を現す。
モスクに入りトイレをお借りする。男女分かれていて中に入ると部屋が別に設けられ身体を清めるためのそこには洗い場が用意されていた、外に出た先にの上のような洗い場で腰かけて身体を清める姿が...

モスク入口洗い場で礼拝前に身を清める人たち
イスラム教信徒ムスリムは礼拝前に必ずこうして身体を清める、日本でも神社やお寺の入口にある手水舎で手を洗うが同じことなのだろう。
ミマール・スィナン
について⇒
丘の上に建つこのモスクはイスタンブールの象徴的モスク一つ。オスマン帝国の最も栄えたスレイマン大帝の命により1550年に天才建築家ミマール・スィナンが7年かけて建てた。ミマール・シナンは、アヤソフィアの大ドームに魅せられそれを超える、もしくはもっと美しいドームを作ることに情熱を捧げた。 このモスクは、ミマール・スィナン晩年の最高傑作と言われている。
スレイマニエ・モスク
ミマール・スィナンについて   By Wikipedia 


1566年のスレイマン1世廟の建築風景を描いた絵画に描き込まれたスィナンと思しき人物(左端)。(1579年に制作された細密画)
ミマール・スィナンは、盛期オスマン帝国の建築家、土木技術者。1490年前後にアナトリア半島のカイセリ近郊で生まれ、1588年7月17日にイスタンブルで亡くなった。キリスト教徒の石工の家に生まれ、デヴシルメで徴用されて常備軍歩兵の工兵になった。一介の士官からあっという間に階級を上げ、軍団長にまでなった。セリム1世、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世というオスマン帝国最盛期を代表する4代のスルターンに仕え、軍歴は50年近くに及ぶ。遠征で赴いた土地は、西はバルカン半島東はメソポタミアまでに及び、各地の建造物を実見した。
前線に出ている間に土木工学に関する実践的経験を積み、道路や橋梁、水路といったインフラストラクチャーの構築を含む、あらゆる種類の要塞建築のエキスパートとなった。50歳ごろ帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)に任命され、軍で培った技術的スキルを良質な宗教施設を創造することに用いることを求められた。帝室モスクの代表作は、イスタンブルのシェフザーデ・ジャーミイとスレイマニエ・ジャーミイ、そして、スィナン自身が自身の最高傑作と認めたエディルネのセリミーエ・ジャーミイが挙げられるスィナンが建築した建物は、少なくとも、モスク92箇所、マスジド52箇所、マドラサ55箇所、ダリュクッラ(クルアーン学校、darülkurra)7箇所、墓廟(türbe)20箇所、イマレット(公共の厨房、imaret)17箇所、ダリュッシファ(病院、darüşşifa)、公共水道6箇所、橋10箇所、キャラヴァンサライ20箇所、宮殿36箇所、地下礼拝堂8箇所、トルコ式公共浴場48箇所の、合計374の建築物にのぼる。オスマン帝国のすべての建築事業を監督する役目を担う帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)を、スィナンは50年間近く務め、何人もの設計者や熟練した建築技術者のアシスタントを含んだ大きなチームで仕事を進めた。   

「スレイマニエ・モスク」
スレイマニエ・モスク裏の高台からは旧市街と新市街の景色が広がる。
スレイマニエ・モスクから坂道を下りイスタンブールの港、金角湾(GoldenHorn)に降りていく
港への道は迷路のように方向が全然分からいが下っていけば海に出られるのでは適当に歩き回る。
迷いながらグランドバザールの入口に来てしまうが間もなく港に出る。



金角湾(GoldenHorn)
金角湾(GoldenHorn)はイスタンブールのボスポラス海峡の主要入口 トルコ語でハリチュ「入り江」と呼ばれる。潮風の香りの向こうに新市街が眺められる。

金角湾(GoldenHorn)対岸は新市街
港には観光船や連絡船乗り場でチケット売り場はすごい人でごった返していた。
横目で見ながらレストランの並んだ一階の途中の階段からガラタ橋の上に出てみる。釣り人が並んで漁をしている。

旧市街と新市街を結ぶ「ガラタ橋」
又橋の下に降りる。鯖サンドを食べたくなってレストランに入りスープと鯖サンドを注文。

ガラタ橋のレストラン名物「鯖サンド」
ガラタ橋のレストラン。
少し鯖の臭みの残った味は焼サバだが薄味で醤油があれば最高なのだが。スープ鯖サンドにお茶がついて18トルコリラ(360円安い)

ガラタ橋上からの景観
レストランからの帰り道は間違わないように港前T1メトロの電車線路に沿って通りをホテル方向に向かって歩いて帰る。
頻繁に行き来するトラムは歩行者すれすれに走っていく。日本では考えられない光景。
ブルー考古学公園を通ってホテルに戻る。

アヤソフィア 何度見ても美しい
ホテルでお風呂に入ってお昼寝する。
夕方フロントから電話が入り、目を覚ますと、夕食の予約を確認された。着替えて5階のレストランへ。
レストランは客はうちだけで貸し切り。シェフとウェイター二人に挨拶され席に着く。二人をも中年で感じのいいひと達。料理は定食でいくつと聞かれたので勿論2つお願いする。あとで判るのだが量が多く確かに一人前で十分だった。

Hotel Sultanhan-Special Categoryで夕食
スープから、野菜サラダ、串焼きとポテト野菜ご飯、グラタンとデザート Mは半分残してしまった。
10月24日ドバイからスタートした旅行もイスタンブールで最後の晩を迎えた。
夕食を終えて部屋に戻る。   今日一日の歩行数は24977歩。
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11月09日
ドバイ国際空港
成田空港:2ターミナル
11月8日旅行最終日。 帰国の便はイスタンブール空港発が夜の8時なのでゆっくり朝食をして、最後にもう一度街歩きをする。
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11月8日午前9時 旅行最後の朝食
今朝も珍しい生ハチミツ塊をいただく
ホテルレストランから眺めたイスタンブール新市街方向⇩

ホテルレストランからブルーモスク方向⇩
Show Market
ホテルの荷物を預けてアヤソフィア~ブルーモスク辺りを散歩してから、ホテル近くのShow Marketでイスタンブールの珍しい食材をお土産に買ってホテルに戻る。
チェックアウトし散歩から帰って、ホテルのロビーで買ってきたお土産など荷物の整理をしているとボーイさんがお茶をサービスしてくれるというが時間がせまっていたので気持ちだけいただきホテルを出て空港へ向かう。
チェックアウトした後の客にお茶をもてなそうとする気持ちが嬉しかった。いいホテルに泊まったと空港に向かうメトロの中でMと話す。帰って予約したBookingで10点評価しよう。
メトロの T1線Çemberlitaş駅からMA.Zeytinburnu駅で乗換えイスタンブール空港へ
iイスタンブール空港20;05エミレーツ航空8122便でドバイへ。そこで乗換えて成田までの長旅。

中国の青海から来た団体さんで賑やか
中国の内陸部 青海というところから来た団体さん。
地図で見るとあんなところからも団体旅行が来るのかと驚き。昔の日本の農協団体旅行ようなのだ。筆談をしたが、ノートに漢字をはにかんで書いてくれたご夫婦だった。

離陸直後のイスタンブールの夜景

イスタンブールからドバイへ
ドバイ空港は深夜翌日1:20分着。
広い空港なので乗換え便の搭乗口がなかなか見つけにくかったがやっとゲート行のバス乗り場に到着。この便もボーディングブリッジでなく飛行機まではバスに乗っていく。

ドバイ空港発2:55分エミレーツ航空318便。4人席の通路側を希望していたがいっぱいで3人席の通路側になった。奥の窓側席はドバイの青年。風邪の様子でMが持参したのど飴をあげるととても喜んでいた。隣同士成田空港までの11時間の長旅だがちょっとした親切で和んだ出発になった。

エミレーツ航空
アメニティキット
成田空港までは11時間 2度の食事が出る。帰りも機内食はムスリム(イスラム教徒)の食事(ハラール)ワインやアルコール類はムスリムでいのでフリー。

他のサービスで、AR対応(拡張現実ポケモンGoのような)オシャレなアメニティキット(アイマスク.耳栓.歯ブラシ.歯磨き粉.靴下)が往きと帰り4回のフライトで4個もらう。 
スモホで「Blippar」アプリをダウンロードしアメニティキットのバッグをスキャンすると、地域にあわせたミュージックを聞けたり、旅行情報を入手できたりするコンテンツにアクセスできる。 
11月9夕方成田着陸時の様子をモニターで確認、無事到着。
成田空港はどうしてこんなに静かなんだろう。
帰ってくるといつも思う事だがどこよりも日本が一番、日本人に生まれて幸せと思う。
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