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2017年12月 冬のイタリアへ。 | |||||||||||||||||||||||
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ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』 ミラノ(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会) | ||||||||||||||||||||||||
2017年12月28日 出発:成田空港11:55 フィンランド航空 ヘルシンキ乗継便~イタリア.ミラノへ。 |
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フィンランド航空(Finnair)はヨーロッパ主要都市へ乗り継いで、 早く安く行けるので利用価値が高い。ただ、今回はFinnairお薦め時間帯で購入した航空券だったが、ヘルシンキ空港でミラノ行き便への乗継時間が僅か45分しかない。ヘルシンキ空港は世界でも指折りの短時間の乗継合理性をFinnairがうたっている空港ではあるが、たった45分でうまく乗継できるだろうか..... | ||||||||||||||||||||||||
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Finnair機内では、2度の食事も美味しくワインや飲み物などのサービスも何度もあってとても気持ちが良い。映画も数本観た後にほどなくヘルシンキに到着である。モニターには16:05発ミラノ便は29番ゲートが表示され確認できた。保安検査⇒入国審査⇒29番ゲート、頭の中で整理する。こういう簡単な懸案は個人旅行では何度となくあるが、これがボケ防止にどんなに役立っていることだろう. & そして、それが旅の醍醐味でもある。 | ||||||||||||||||||||||||
ヘルシンキ空港15:20分、時間通り到着(7時間の時差だから日本時間午前8:20分)。45分の乗継である。 ボーディングブリッジを渡ると右前がもう保安検査場! 並ぶこともなく一番で通過、29番ゲート目指し進み免税店の通路を抜けて、EU入国審査場前に到達。 |
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イタリアへの入国手続きはEUシェンゲン協定加盟国なのでここで行う。右側が機械で左が有人カウンター、この夏、アメリカ入国審査の機械 では痛い目に遭ったので迷わず有人カウンターへ。ここも並ぶことなく一番で通過、搭乗ゲートへは降機してから15分で到着した。速い! 空港のWi-Fi利用して明日同じ行程で来る娘に乗継は全く心配ないとメール送る。 ミラノ行きに搭乗、ヘルシンキ~ミラノ間は僅か3時間の飛行、機内で席に着くと、Mの隣席の男性が風邪の様子、途中で席を替わってあげたが、後日気付くのだがどうもミラノまでのフライト中に風邪をもらってしまったようだ。 |
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12月28日 18:05 MilanMalpensa空港に到着 | ||||||||||||||||||||||||
ミラノ空港 tadao&Miに迎えられる |
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ヘルシンキから3時間、ミラノMalpensa空港に到着。 7列目の席なのでわりあい早く降機でき税関を通って到着フロアに出ていくと、すでにマルセイユからの便で今日午後に先に到着していたタダオ君と娘が到着階で出迎えてくれる。 再会を喜びながら同行4人となって空港ターミナル1地下の鉄道駅へ。 |
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マルペンサEXチケット売場 | ||||||||||||||||||||||||
空港鉄道/Malpensaエキスプレス入口でホテル最寄りのミラノCadorna駅までチケットを購入。 1人13€、高い。刻印機で日付時間を刻印してホームへ。 |
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チケットに刻印ホームへ降りる |
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Malpensa空港ターミナル1駅から19:56発の電車でMilanCadorna駅まで50分。成田空港で買ったおむすびをひろげると大喜び、電車の中でみんなで食べる。 |
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空港駅ホームで持参のこま?技を披露 | ||||||||||||||||||||||||
MalpensaExpress 空港~Cadorna駅へ |
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カメラの日付が日本時間のまま気付かず旅行中そのまま使用。 ミラノ到着の頃ちょうど日付が変わっていた。この時点ではミラノではまだ12月28日。 |
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駅からタクシーで5分 Hotel Lancasterへ21時過ぎチェックイン。 部屋は2つ。29日一日遅れて到着の娘&KMはトリプル、Tadao&Miはツインルーム。 |
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夕食が電車で食べたおむすびだけだったのでホテルで教えてもらった近くのピザ屋さんへ。 | ||||||||||||||||||||||||
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お店の名前はそのままずばりの「Pizza OK!」 | ||||||||||||||||||||||||
ファーストフードのように早く安くあっというまに特大ピザが運ばれる。遅い夕食。 | ||||||||||||||||||||||||
まだクリスマスイルミネーションがそのまま残る通りをホテルに戻る。22:00過ぎ部屋へ。 | ||||||||||||||||||||||||
湯船に暖かいお湯をため、ゆっくり浸かって長い旅の疲れをとりバタンキュー。 | ||||||||||||||||||||||||
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翌朝29日は9時頃~ホテル一階レストランで朝食。 | ||||||||||||||||||||||||
ホテルからすぐ近くのセンピオーネ公園へ。 入口の平和の門。 昨夜のピザ屋さんは門の真ん前だった。 |
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センピオーネ公園はミラノのランドマークドゥオーモからも近く、もともと貴族のヴィスコンティ家(13世紀一族からローマ教皇グレゴリウス10世を出した名家)の農園だった場所。 ミラノ市内では最大面積の公園。 |
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センピオーネ公園でキャッチボール タダオ君のリクエストに応えて、タダオ君が持参してきたグラブと準硬式ボールでキャッチボールの相手ををする。 野球のボールを握るのは何十年ぶりだろうか、タダオ君は町のクラブチームに入って野球をしてるが、小学校で野球しているのは自分一人だけだそうだ。 フランスでは野球は相当マイナーなスポーツなのだろう。 キャッチボールの相手をしたが、情けないことに気持ちは若い頃の感覚なのだが身体が思うように動かない。それでもストレートや変化球のボール握り方投げ方など教えるとこは出来た。まさかイタリアにきて野球をする羽目になるとは。 |
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30分くらいキャッチボールの相手をして散歩を続ける。 センピオーネ公園内にはスフォルツェスコ城がある。 |
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スフォルツェスコ城は1450年にヴィスコンティ家の居城をフランチェスコ・スフォルツァにより改築された城塞。1796年この地を征服したナポレオンによって一部の施設が破壊されたが、1891年から1905年にかけて、建築家ルカ・ベルトラミらによって修復され現在に至っている。 | ||||||||||||||||||||||||
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スフォルツェスコ城の城門をくぐり抜けるとカステッロ広場。 | ||||||||||||||||||||||||
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広場の先がミラノ・ドゥーモへ続くダンテ大通り。 | ||||||||||||||||||||||||
カステッロ広場のトラムCairoliCastello駅 | ||||||||||||||||||||||||
ダンテ大通りをドゥオーモ方面に歩くと正面に大聖堂の尖塔が見えてくる。 | ||||||||||||||||||||||||
ほどなく人で溢れているドゥオーモ大聖堂広場。 | ||||||||||||||||||||||||
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ミラノのランドマーク/ミラノ大聖堂 | ||||||||||||||||||||||||
ドゥオーモ広場からガレリア(正確にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア)へ。 | ||||||||||||||||||||||||
ドゥオーモ広場からからガレリアへ、ガレリアを抜けたところにオペラの殿堂ミラノスカラ座、ここが正にミラノの中心。 | ||||||||||||||||||||||||
ガレリアからスカラ座前を通ってダンテ通りへ。ホテルに向かって戻ることにする。スフォルツェスコ城入口でジェラートと屋台ソーセージ入り揚げパンを買って公園で食べる。 | ||||||||||||||||||||||||
ジェラート屋さん | ||||||||||||||||||||||||
29日 午後9時ころ一日遅れで日本から同じルートで来た娘がホテルに無事到着する。 道連れが5人になって、揃って食事に行く。 今夜はホテルお薦めのレストランTaverna dei Golosiへ。 |
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Taverna dei Golosは | ||||||||||||||||||||||||
レストランTaverna dei Golosはスタッフの仕事ぶりもテキパキ、愛想もサービスもとてよく楽しく食事ができた。 5人でお腹いっぱい食べて飲んで85€、美味しく安い。 | ||||||||||||||||||||||||
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明日はミラノ最後の一日、朝起きたらいちばんで最後の晩餐鑑賞に行く予定。 | ||||||||||||||||||||||||
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12月30日、朝食後ホテルを出発。ミラノの朝は東京より寒い。 『最後の晩餐』は11:00からの予約がしてある。10時頃、絵の展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に到着。チケットオフィスで予約票を提示してチケットに換えてもらう。時間がまだだいぶあるので、ホテルのフロントで勧めてくれた、近くの『サンマウリツィオ教会』を見学に行く。 |
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サンマウリツィオ教会 | ||||||||||||||||||||||||
サンマウリツィオ教会。教会の起源は8~9世紀で、現在の教会は1500年代の再建によるもの。内部にはレオナルド派のフレスコ画とベルナルディーノ・ルイーニの作品が残されている、それは『ミラノのシスティーナ礼拝堂』と称されるほどの名作。祭壇一面の圧倒されるような絵画がいつでも誰でも無料で見られるとは『最後の晩餐』を見る前にひとときの感動を味わった。 | ||||||||||||||||||||||||
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街をあるいていると、ダヴィンチもこの辺りを歩いたはずと、いにしえに思いを馳せる。そこかしこダヴィンチの生きた時代の香りがしてくるよう。 サンマウリツィオ教会から帰ってくると修道院の裏口が見えて、そこから人が出入りしている様子。行ってみるとそこから中庭に入れるようなので中に入って裏から教会内を見学させていただく。 |
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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院中庭に入る。 | ||||||||||||||||||||||||
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院礼拝堂。ここでもダヴィンチに思いを馳せながら参拝... | ||||||||||||||||||||||||
修道院礼拝堂の一角にキリスト誕生のジオラマ | ||||||||||||||||||||||||
予約時間の11時。いよいよ最後の晩餐と対面の時間! その15分前に入口でチケット提示し、セキュリティチェックを受け場内一つ目の小さな待合室へ入る。そこで少し待たされあと鉄格子が開き第二の部屋に進む。グループが入り終えると鉄格子は締まって戻れないし後からも入れない仕組み。 | ||||||||||||||||||||||||
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ミラノサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 /最後の晩餐チケット | ||||||||||||||||||||||||
そしてやっと3つ目の部屋のドアが開き、それが絵の展示されている旧修道院食堂。 少し緊張しながら中へ入る。白壁の高い天井の部屋は体育館のように広い。右側に、かの『最後の晩餐』がど~んと大きく静かにこちらを見下ろして掲げれらている。ため息の出る一瞬。 グループ全員で息を殺し寡黙になったまま絵の真下近くに歩み寄る。なんと贅沢な瞬間と思う。何度も映像では見た名画を目の当たりにすると全員言葉を失う。 |
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しばらくして気持ちが落ち着いてきて、カメラはノンフラッシュで撮影OKということで、ゆっくり撮影させてもらう。(以前は撮影禁止だったのが2015年12月から撮影できるようになった) | ||||||||||||||||||||||||
しつらえている長椅子に腰かけてしばし鑑賞。1グループ25名.15分の鑑賞時間と決められている。 | ||||||||||||||||||||||||
食堂内には、前方にダヴィンチの『最後の晩餐』後方にジョヴァンニ・ドナト・モントルファーノ作『キリストの磔刑』体育館のような部屋の同じ空間に2枚の絵だけが展示されている。 | ||||||||||||||||||||||||
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モントルファーノの『キリストの磔刑』 この絵の端にはダ・ヴィンチが書き加えた部分があるという。テンペラで描いた少女。なぜダヴィンチが加筆したのかも謎。 |
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モントルファーノの『キリストの磔刑』最後の晩餐に負けないくらい迫力のある絵 | ||||||||||||||||||||||||
鑑賞後修道院を出て近くにある文房具店で『最後の晩餐』の小さなレプリカを買う。 この店はNHKBSミラノ街歩きでも紹介された店で日本人客が多いらしく日本語表示やご主人が簡単な日本語を話してくれた。 |
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教会入口 |
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絵を鑑賞後ドゥオーモ広場まで歩く。娘二人は大聖堂の中が見たいと行列に並ぶというので広場で別れMとタダオ君と3人で一度ホテルに戻ることにする。 | ||||||||||||||||||||||||
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Mはホテルに帰り休養。 昨日に続き公園でキャッチボールの相手をする。 |
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キャッチボールを終えてホテルに戻るとMが顔を赤くして寝ていた。風邪がいよいよ猛威を振るい始めたのか? 夕方大聖堂に入るため2時間並んでを見学して娘たちが帰ってくる。 Mは夕食に行かないでホテルで休んでいると言うので部屋に残して4人で夕食に出かける。 |
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地下鉄に乗ってドゥオーモやガレリアの夜景を見に行く。 | ||||||||||||||||||||||||
ガレリア中央にはクリスマスツリー | ||||||||||||||||||||||||
ガレリア天井の星座が綺麗 | ||||||||||||||||||||||||
ドゥオーモ周辺散策後、今夜の夕食は、テレビ「大人のヨーロッパ街歩き」で紹介されたレストラン「El PasoDeLosToros」に向かう。地下鉄でP.taVenezia駅を下車、尋ねながら店の前に着くと、なんと今日はクローズ。他にも数組店の前で待つ客がいた。ついていない。どうするか相談した結果、昨夜のホテル近くのレストランに行くことに、地下鉄駅に戻ってタクシーでむかう。 | ||||||||||||||||||||||||
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二晩も続けて同じような夕食を食べて、ホテルに戻るとMはベッドの中、「力なくお帰りなさい」 あすからヴェネチア、ミラノよりもっと寒そうだが大丈夫だろうか。 |
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12月31日大晦日 6:30フロントで支払いを済ませ、朝食。7:20分ホテルを出発。ヴェネツィアへ向かう。 幸いMの体調は完全ではないが移動に耐えられるくらいに回復している。 |
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7時過ぎだというのにミラノの朝はまだ真っ暗。 ホテルから5分ほどのトラム10番ArcoDellaPace駅からミラノCentral駅へ。いつも思うが外国で、電車やバスで刻印機使う人は稀、たまに旅行者が使うくらいで、電車賃全員払っているとも思えない。これで経営はちゃんとやっていけるのだろうか?不思議。 |
ほとんど使われない トラムの刻印機 |
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ミラノ中央駅に到着、ヴェネチア行きの列車は8:45分発。ホームへ。 | ||||||||||||||||||||||||
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ローマ/スペイン広場 近くにあるスペイン大使館にちなんで命名された |
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