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2022年秋・紅葉狩り 京都/清水寺(11月28日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2022年11月 紅葉狩りは 深夜高速バスで出発 |
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11月18日富山まで北陸新幹線はくたか号で出発を予定し、駅ネットでトクだ値30%割引で事前予約した。が、ひと月前の発売日「ご指定日のチケットがお取りできませんでした」と案内メールが届く。17860円で購入予定が通常料金27840円になるという。空席だらけの列車なのに、全国支援で旅行会社にチケットを回す為だろう。妥協するのは簡単だが、当たり前に買うのは腹立たしい、そこで高速バスに切り替える。同じ区間の料金が新幹線の1/3、二人で\8800
すぐ予約する。 |
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出発は11月17日の深夜高速バス。夕方家を出て高速バスターミナルへ向かう。 21時10分東京発⇒富山駅北口には 04時50分頃着予定。 さくら高速バス/東京⇒富山 【リラックス3列シート】A-01.A-02席 定時に乗車、荷物はリュックだけなので車内の棚に乗せる。足元もゆったり広く快適だったが、運行中隙間から見える外の景色は真っ暗闇で何も見えない。 |
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![]() 早朝の富山駅北口 |
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あまり眠れない時間を過ごしながら、途中三回15分づつの休憩があり、富山駅北口バスターミナルに早朝4:50分に到着。このバスは金沢行なので富山で降りたのはうちと他2人で4人だけだった。 |
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やはり早朝の北陸は寒い。大きな駅構内にはひと気がほとんどない。 待合で用意した、お茶とゆで卵、おむすびの朝ごはんにする。 今日の最初の目的地は『越中おわら風の盆』で有名な越中八尾だ。 |
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![]() あいの風とやま鉄道 |
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富山駅発 5:38分(あいの風とやま鉄道)一番電車に乗り、最初の目的地「越中八尾」へ向かう。"えっちゅうやつお"と読む。 |
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![]() 越中八尾駅 |
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越中やつお駅に6:24分着。無人駅、降りたのは自分たちだけ。 夜明けも近く東の空が青く日の出に染まり始めている。いい天気になりそうだ。 |
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![]() 八尾町・坂の町大橋 |
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駅から町まではコミュニティバスも出ているが中心まで2㌔ほどなので歩いていく。 越中八尾駅からまっすぐ街に向かって直進。人影のない歩道を進んで、坂の町大橋を渡る。冷たい川岸に元気に飛び立つ鳥たちがいた。鳥は寒さは感じないのだ。 |
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![]() 八尾の街に入るとすぐ通りかかった天満宮があり お参り |
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眼鏡橋をすぎると、今度は八尾八幡社の前を通る。ここもお参りしていく。 その先には聞名寺という立派なお寺。お遍路のくせが残っていて、神社仏閣は素通りできず必ずお参りしてしまう。 聞名寺境内には見事なイチョウの木 |
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![]() 聞名寺 |
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越中八尾といえば『越中おわら風の盆』だ。毎年9月に行われる秋祭りだが、いまは静かなたたずまいを見せ、祭りの様子はうかがい知れないが、街の家々の建築で風情は充分伝わってくる。 |
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![]() 『越中おわら風の盆』...写真と文「観光とやまねっと」より転載 |
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『越中おわら風の盆』は、立春から数えて210日目の9月1日から3日間、風害を治め、五穀豊穣を祈って唄い踊る秋祭りで、300年の歴史ある伝統行事です。11の町それぞれが支部を組織し、それぞれが決めたルートで独自の輪踊り・街流しを行います。揃いの浴衣と編笠被った踊り手と唄と楽器を奏でる地方(じかた)に昔からのおわらの姿を見ることができます。踊り手の衣装は、町内毎に違いがあり、見比べるのも楽しみの一つです。哀調を帯びた胡弓と三味線が奏でる「おわら節」にあわせ、若い男女が艶やかに踊る舞はゆったりとした動きの中にも複雑な所作がみられ、思わずため息が出るほどの美しさです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 江本医院 |
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踊りの行列が通る石畳のまち並みは、一般家屋も色や形を統一して、江戸時代のまち並みの佇まいを残している。石畳舗装、無電線化の整備が行なわれ、昭和61年に「日本の道100選」に選ばれている。 |
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色や形を見事にそろえた街並みは美しい。 |
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![]() 北陸銀行(本社は富山市) |
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北陸銀行横に越中おわら発祥の地碑 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『越中おわら風の盆』は賑わう通りも夜明け間際のは静寂のまま。 |
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越中八尾郵便局も街の規格で建てられている。 |
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越中八尾観光会館(曳山展示館)前の長谷川伸「一本刀土俵入り」の碑 物語に出てくる、お蔦さんが越中八尾生まれ。 |
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長谷川伸「一本刀土俵入り」の碑 |
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![]() 醤油味噌醸造元・仁市商店 |
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![]() 江戸時代後期から続く老舗旅館「宮田旅館」 |
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越中八尾街歩きを終えて駅に戻る。 8:17分(あいの風とやま鉄道)の電車は途中から通勤通学時間で満員電に乗って富山駅にもどってくる。富山駅8:47分着 |
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![]() 越中八尾駅 |
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![]() 富山駅 |
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富山駅から公園~富山城~薬やさん~富山駅と歩いて町を周遊する。 |
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富山駅前の薬売りのモニュメント。子供のころ家で置き薬をしていて、年に一度くらい、こんな格好した薬売りが来て、おまけに かみ風船をもらって遊んだ記憶がある。 |
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富山県庁前公園の花時計 |
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富山県庁前公園から松川を渡って「富山城址公園」へ。 |
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![]() 富山城公園/二代城主・前田正甫像 |
![]() 前田家の居城・富山城の紅葉 |
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前田正甫(まさとし)は、越中富山藩の第2代藩主。 慶安2年(1649年)8月2日、初代藩主・前田利次の次男として生まれる。出生地は家老の近藤善右衛門の下屋敷であり、幼少期は城下の近藤宅で養育された。延宝2年(1674年)、父の死去により家督を継いで藩主となる。藩政においては父の方針を受け継いで藩制の確立に努め、文武を奨励して多くの有能な人材を招聘した。金沢藩の支藩として成立した富山藩は、越中国内の旨味の良い土地を金沢本藩がおさえていたため、10万石といえど財政は豊かではなかった。正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させることはもちろん、自領の低い農業生産力に頼るだけではない、その他の殖産興業に努めることで、藩財政を豊かにしようとした。但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、産業奨励などにも積極的に行なった。また、正甫は病弱であったとされ、ゆえに薬学に興味を持ち、(史料的な裏付けは無いが)江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。天和元年(1681年)には越後騒動による越後高田藩主・松平光長改易の際の高田城受け取り役を務めている。宝永3年(1706年)4月19日に死去した。享年58。跡を子の利興が継いだ。 |
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Wikipediaから転載 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
富山城第二代城主前田正甫は利家の曾孫にあたる![]() |
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加賀藩2代藩主の利常は寛永16年(1639年)隠居し、次男・利次に富山10万石を、三男・利治に大聖寺7万石を割いて、富山藩と大聖寺藩を立藩した。 |
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富山城から富山の老舗池田屋安兵衛薬店に立寄る。 薬の富山、越中反魂丹でおなじみの店では和漢薬・漢方を中心に製造販売している。反魂丹の昔の製法で作る実演を見せてもらった。 |
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富山駅に戻り、10:29分発(あいの風とやま鉄道)泊行の電車に乗り魚津へ。 |
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11:55分今日の宿泊地・魚津駅に到着。今日宿泊する「魚津マウンテンホテル駅前」に向かう。 |
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JR魚津駅前 | ![]() |
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駅を背に大通りを右に入ってすぐ先が「魚津マウンテンホテル駅前」 荷物を預けによる。チェックイン前だが先に手続きしておく。身分証明書とワクチン接種証明書が義務付けられ、富山おみやげクーポン\3000券6枚が手渡される。 |
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![]() ![]() 地域クーポンは6枚配布される |
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「魚津マウンテンホテル駅前」を出て、駅前にある観光案内所に立寄り魚津港と魚津丸(漁協食堂)の道順を教えてもらう。港まで1.5㌔くらいで歩いて20分くらい。途中の公園で幼稚園の子供たちが遊ぶのを眺めながら休んで、ゆっくり港まで歩く。 |
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魚津港の一角に「蜃気楼展望の丘」がある | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
魚津は昔から蜃気楼の名所として知られている。蜃気楼は大気の中で光が屈折し虚像が見える現象で、気温や風など条件が整わないと発生しない。自然の芸術といわれる蜃気楼だが現れるのは、3月~6月頃なので今は残念だが見られない。 魚津港まえにある漁協が運営する「魚津丸」に今日の昼食を12:30に予約しておいた。 12時前に着いたので土産物屋に入ったり魚津港をゆっくり見て時間をつぶす。 |
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「魚津丸」はお昼だけの営業で人気店で予約しておかないと入れないことも多いらしい。入店するとすでに5~6組が順番待ちしていて待合室は満員。 |
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受付で予約名を告げると、待たずに窓際の席に案内された。 |
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港の見える窓ぎわの席でテーブル席より密にならず安心だった。 来店する前からメニューは見ていたので直ぐに決まって、Kは魚津丸定食、Mはバイ飯定食を注文する。 |
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![]() 魚津丸定食 |
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![]() バイ飯定食 |
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![]() 目の前が魚津港 |
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とても美味しかったので帰り際、今夜の夕食用にかき揚げ丼ぶりとタコの唐揚げ&アジフライをテイクアウト(\4060)をお願いする。 食事が終わり、帰りに料理を受け取って、ゆっくり魚津の町を見ながら歩いてホテルに戻る。 |
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![]() 魚津マウンテンホテル駅前 ![]() |
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ホテルに戻りチェックイン、預けた荷物を受け取って9階912号室へ。 魚津の町と向こうに日本海も眺められるいい部屋。このホテルは午後3時から利用できる大浴場があり、Mは早速2階のお風呂へ。Mのホテル選びの鉄則は、大浴場付き。 ビジネスホテルなのに、湯船が3つ露天風呂サウナもついた大きなお風呂で へえ~という感じ。 |
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昨夜からあまり寝てないのと着たままの状態だったので、ゆっくり手足の伸ばせる大きなお風呂はとてもありがたかった。 部屋で大相撲九州場所の取り組みを見ながら夕食。大相撲は御嶽海が10勝以上で大関復帰と正代が3回目のカド番脱出なるか、Mが応援する小兵の翔猿の活躍が楽しみな場所。 今日の歩行数25526歩.18.7㌔.一日よく歩いた。 |
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マンテンホテル魚津駅前:朝食付/Yahoo予約\12600⇒\6124(全国旅行支援割引) | ![]() |
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in14:00-out10:00 【禁煙朝付】(ダブルルームバストイレ付) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() ![]() 魚津マウンテンホテル.19日朝食 |
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11月19日、昨日は深夜のバス旅のあと18㌔以上も歩いて疲れて、夜はぐっすり長い睡眠がとれた。6時半起きてラジオ体操、7時半~2階レストランで朝食。 9:00 魚津マウンテンホテルをチェックアウト。今日も快晴日本晴れ。 |
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ホテルから歩いて数分で魚津駅へ。今日は高岡観光して射水へ楽な移動日。 魚津駅発 9:37分の電車に乗って、10:23高岡駅に到着。 |
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![]() 高岡駅 |
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高岡駅前を出ると大伴家持像とその向こうに、ドラエモンの散歩道がある。 |
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![]() 駅前に高岡出身の 藤子.F.不二雄さん 「ドラエモンの散歩道」 |
![]() 高岡駅前・大伴家持像 |
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![]() 「もののふの 八十をとめらが くみまがふ 寺井の上の かたかごの花」 |
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「万葉集」の代表的歌人・大伴家持は越中国守として、高岡に5年間在任していた。 碑に書かれた家持の歌は、「...たくさんの娘子たちが入り乱れ賑やかに水を汲んでいる、井戸のほとりに咲く、かたくりの花のなんと可憐なことだろう」と詠まれた。 |
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高岡駅から立派なアーケード商店街を抜けて15分ほど歩き高岡大仏を見学する。 |
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高岡大仏は1609年-前田利長によって高岡開町、それと共に建立された![]() |
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日本三大仏と言われるが、奈良・鎌倉の大仏様よりはだいぶ小ぶりの大仏様。 大仏様を参拝して、すぐ先にある高岡城跡の公園へ。 |
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![]() 前田利家の嫡男・前田利長像 |
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大仏と同じ、前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以来公園として開放したも。1615年の一国一城令により廃城となったが、美しい水堀や土塁は残され、約21万平方メートルの広大な城跡公園となり市民の憩いの場となっている。 |
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園内にある射水神社では、七五三のお祝いで多数の家族連れがお参りしていた。 高岡城跡公園を出て高岡の町に戻り、山町筋/伝統的建造物保存地区を歩く。 |
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山町筋は前田利長が高岡開町に際し、近隣から町人を招いて商人町を造ったことから始まり、今残る町並みは1900年大火の復興の際、防火構造の土蔵造に建てられたことから始まる。その後洋風建築なども建ち歴史的景観を伝えている。 |
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山町筋/伝統的建造物保存地区 | ![]() |
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![]() 旧富山銀行本店(旧高岡共立銀行本店) |
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![]() 「御車山」を展示する 高岡御車山会館 |
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高岡御車山祭は、2016年全国「山・鉾・屋台行事」33件のうち1件としてユネスコ無形文化遺産に登録された。 |
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![]() 高岡信用金庫本店(2017年グッドデザイン賞) |
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高岡の伝統的建造物保存地区の古い街並みに魅了されたあとは歩いて高岡駅に戻る。 |
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![]() 高岡駅 |
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高岡発13:24の電車で、13:31分 今夜の宿ある射水.小杉駅に到着。 今日の宿は:東風の湯 スーパーホテル富山・射水、小杉駅(射水)すぐ前 |
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![]() 射水・下粂川遊歩道 |
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ホテルに荷物を預け散歩に出る。 下粂川遊歩道を歩く。桜の名所らしいが今はところどころに楓の紅葉が見られるだけの散歩道。 |
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下粂川からホテルへの帰り道、レストラン「ココス小杉店」で早めの夕食。お店で一番人気というハンバークを注文、3179円は富山県おみやげクーポンで支払う。 |
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![]() 濃厚ビーフシチューの包み焼きハンバーグ 145g ![]() ファミリーレストラン「ココス小杉店」 |
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帰りにローソンでビール牛乳おやつを買って残りの地域クーポンを使い切り ホテルへ戻る。コンビニ前の通りの中央から水が噴き出している、これは「消雪パイプ」といいセンサーが自動で地下水を汲み上げ散水を始めるのだそうだ。 |
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![]() 「消雪パイプ」 |
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ホテルフロントで預け荷物を受取り、枕、部屋着、などのアメニティはロビーで選んで部屋に行く。623号室。ここのホテルも自慢の天然温泉・大浴場がある。早速温泉好きのMはゆっくり入浴。一時間もかけ満喫して戻ってくる。 |
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昨日と今日は二日連続の快晴だったが、明日の金沢は、曇りと傘マークの不安定な天気予報。今日も大相撲中継をみながらのんびり明日の支度する。 |
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今日は歩行数15513歩、9.8㌔、疲れもほとんどなく体力温存できた。 |
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東風の湯スーパーホテル射水:朝食付/Yahoo予約\10300⇒\5179(全国旅行支援割引) | ![]() |
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![]() 11月20日金沢へ移動(金沢駅 鼓門) |
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![]() 東風の湯・スーパーホテル射水 |
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11月20日、旅行は三日目の日曜日。今日は富山射水(小杉駅)から金沢に移動する。 スーパーホテル射水。6:30起きて ラジオ体操。Mは朝湯に行ってから、7:30~2階のレストランで朝食。電車は小杉駅発10:56分、ホテルで10:30まで休憩してから駅へ向かう。 |
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![]() 東風の湯スーパーホテル射水 |
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小杉(射水)駅10:56発(あいの風とやま鉄道金沢行)の電車は富山からなので、金沢への行楽客ですごく混雑していた。幸い前後に離れたが空席あり座っていけた。 11:44分に金沢駅到着。 |
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今日はインターゲート金沢に宿泊、以前広島旅行で利用したことのあるホテルチェーン。広島では食事が美味しかった記憶がある。 |
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金沢駅からまっすぐ近江市場に向かって歩き、市場の中を抜けて、12:30頃ホテルへ到着。チェックイン時間前だが手続きだけしておく。 |
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![]() インターゲート金沢 |
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どこも同じだがフロントで名前と住所を記載、身分証明書とワクチン接種証明を提示し石川県観光クーポンを受取り、荷物を預け、街歩きに出発する。 ホテルを出て、夏に一人旅で泊まった「ユニゾイン金沢」が懐かしい。その前を通って坂道を進み「尾崎神社」へ お参りしていく。 |
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尾崎神社は加賀藩三代藩主前田利常を祀り、社殿に徳川家の紋が散りばめられ、北陸の日光と呼ばれ別名を金沢東照宮という。 百万石通りに出て泉鏡花記念館へ。 |
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![]() 泉鏡花の生家 |
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![]() 久保市乙剣宮 |
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久保市乙剣宮は文豪・泉鏡花の生家の斜め前で、境内を抜けて主計(かずえ)町茶屋街へ通じる石段道「暗がり坂」だ。鏡花は幼い頃よくこの境内で遊んだらしい。 泉鏡花の作品では市川雷蔵主演の映画「歌行灯/婦系図」が思い出され懐かしい。 |
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![]() 立花北枝旧居 ![]() |
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泉鏡花記念館から松尾芭蕉の十哲の一人、立花北枝旧居前を通って、暗がり坂を主計町(かずえちょう)茶屋街に下る。 |
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![]() 主計町茶屋街 暗がり坂/カフェまゆ月 |
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主計町茶屋街の浅野川畔から浅野川橋を渡って、ひがし茶屋街に入る。 |
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小雨の日曜日にもかかわらず、ひがし茶屋街は金沢でも特に人気スポットだけあって人の波。 |
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混雑をさけてマスクも二重にして茶屋街を抜けてその先の高台の宝泉寺へ急ぐ。 |
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![]() 文政3年(1820)の創建当時のままの建物 お茶屋「志摩」 |
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ひがし茶屋街を進んで街の外れにある「卯辰神社」では結婚式が終わったのか記念写真を撮る姿が見られる。この神社の由来は、浅野川から掘り出された古鏡に卯と辰の紋様があり、卯と辰を祀ったことが始まりとされている。藩主前田利家没後、卯辰八幡宮が建立され、利家の霊を祀っている。 |
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![]() 前田家ゆかりの卯辰神社 |
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卯辰神社を お参りした後下りてくると、駐車場の管理員の方が、シャッター押しましょうか?と親切に声かけてくれる。お言葉に甘えて お願いする。 |
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![]() 卯辰山麓子来町緑地先 |
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神社脇から「古来坂」と呼ばれる坂道が見え、上がった先にある金沢を一望する高台に建つ宝泉寺に向かう。茶屋街の喧騒が嘘のような静けさ、心地よく息を切らせながら坂道登っていく。 |
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宝泉寺の摩利支天は前田利家の守本尊。嫡男利長の命により、金沢城の鬼門に当たるこの山に寺を建立、本尊を安置した。松尾芭蕉も奥の細道途上、金沢滞在中に訪ねている。 |
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![]() 摩利支天を祀る宝泉寺本堂 |
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![]() 宝泉寺裏の石仏群 |
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宝仙寺境内には泉鏡花の作品に登場する「五本松」 立札によると「この神木に対して、少しでも侮辱を加えたものは立処にその罰を蒙る」とある。 |
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宝泉寺境内の展望台からは、日本文学研究家のドナルドキーンさんが、ここからの夕陽が金沢で一番美しいと絶賛した景観が広がっている。見下ろすと金沢市街、彼方の正面の高台は兼六園の森までが眺められる。 |
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今日は時々霧雨が舞う あいにくの天気だったが、宝泉寺から子来坂を下って、ひがし茶屋街のはずれに下り人混みを避け大通りに出る。そこからホテルまで2㌔ほどあったが頑張って歩く。 |
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in15:00-out11:00 808号室 禁煙朝付スーペリアツイン(22平米) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
午後3時過ぎ、街歩きを終えホテルに帰ってくる。チェックインが始まっていて、5~6組目で順番を待つ。金沢市には観光税という聞きなれない税金があり一人@200円が課金され、支払ってチェックイン。808号室 |
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![]() はま寿司 金沢中村店 |
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![]() 注文は全てタブレットで |
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少し休憩して、夕食は、地域クーポンが利用できる「はま寿司」へ。ホテルから1.5㌔ほどの道を歩いていく。大トロは一貫\100だがほとんどが2貫\100と安い。おなか一杯食べて\3170はクーポン3枚と現金で支払い。 |
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![]() 犀川・御影大橋 |
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はま寿司から犀川を渡って、来た時と同じ道をだどってホテルに戻る。 今日の歩行数は19953歩.14㌔。一泊づつ3日間続けてのホテル宿泊で、疲れが溜まってきた。お風呂に入って、21時早めにベッドに入るとすぐに熟睡。 |
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![]() ホテルの小ぶりだが大浴場 |
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ホテルインターゲート金沢:朝食付/yahoo\17820⇒¥7702 (全国旅行支援割引) |
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明日は、1300年の歴史のある宿、粟津温泉・法師へ滞在する。とても楽しみ。 |
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1300年の歴史の宿.粟津温泉・法師 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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11月21日 快晴。 今日は、金沢駅から加賀温泉駅~山中温泉~粟津温泉への移動。 |
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インターゲート金沢ホテル、6:00起床してラジオ体操。7:00~一階レストランで朝食 荷造りして8:40チェックアウトして出発。 |
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快晴で気持ちいい。金沢駅へ1.5㌔、いつまた来れるか、金沢の空気をかみしめながら駅まで歩く。 |
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![]() 金沢駅 鼓門/もてなしドーム |
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金沢駅から北陸で初めてSuicaを使用して改札を通る。 |
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![]() 金沢駅 |
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金沢発9:30福井行きに乗車~10:27加賀温泉駅に到着。観光案内所で、下り坂の天気予報を参考に明日22日の【永平寺おでかけ号】(1000X2=\2000)を予約しておく。 |
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今日は粟津温泉に泊まるが、その途中山中温泉をハイキングしていく。 加賀温泉駅前のバスターミナルから10:40発山中温泉へ。山中温泉11:12分着。 |
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今年の夏一人旅で来た時は炎天下の中、途中の山代温泉で下車して宿泊したのが懐かしい。一緒にいると喧嘩ばかりしてるがそれでも旅は二人がいい。 山中温泉では、黒谷橋から古い祠「芭蕉堂」前に降りて渓流沿いの鶴仙渓遊歩道に入る。 |
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ところどころ紅葉もみられとても綺麗な遊歩道だ。渓谷沿いには大きな温泉宿が建ち並んでいる。そのうちの一つ「たわらや」は最近、知人が泊まった様子を聞いていたのが思い起こされる。宿は渓谷の眺めがよさそうな場所に建っている。 |
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![]() 山中温泉「たわらや」 |
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鶴仙渓遊歩道は山中温泉に泊った人はほとんど歩く遊歩道らしく多くの人と行違った。遊歩道はまだまだ先まで続いているが帰りの時間の都合で中ほどの「あやとりばし」までにする。 |
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「あやとりばし」は紅紫の色で周りの緑に映えて美しい。 橋は草月流三代目家元の勅使河原宏氏のデザイン。 |
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![]() 「あやとりばし」 |
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橋の上から下に「鶴仙渓川床」が見える。紅葉を眺め川のせせらぎを聴く、京都などと比べると静かなで優雅な川床の風情。 |
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あやとり橋を渡ると直ぐに温泉街の中心に通ずる大通りで、今日日帰り入浴する菊の湯までは直ぐだった。 |
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今年の夏山中温泉に来た時は時間がなく、入れなかった名湯総湯「菊の湯」は、Kだけ入りにいく。その間、Mはすぐ脇の山中座を見学しながら待つことに。 菊の湯は近隣温泉では一番人気の日帰り温泉らしく沢山の入浴客。 とてもいいお風呂だった。 |
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![]() 「菊の湯」加賀市HPより転載 |
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山中座 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 山中座 |
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菊の湯・山中座から山中温泉バスセンターに戻り、13:30分のバスに乗って、加賀温泉駅に帰ってくる。昨夜、宿に14時過ぎの送迎を電話でお願いしていた。 |
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![]() 山中温泉バスセンター |
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加賀温泉駅を出た所には各宿の番頭さんが旗をひろげて客を迎えている。 法師のバスの運転手さんも宿の旗をひろげて待っていてくれた。 14:30に駅を発車して20分くらいで今日の宿「法師」に到着。玄関を入ると、さすがギネスブックに載るほどの長い歴史のある宿らしく重厚な雰囲気が立ち込めている。 |
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![]() 粟津温泉・法師 |
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法師は『世界最古のホテルの第二位』としてギネスに登録されている。ちなみに『世界最古のホテルの第一位』はやはり日本にあって、山梨県西山温泉・慶雲館⇒ギネスが認定する世界最古のホテルの一番と二番が日本にあるのは驚いた。 |
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チェックインすると、玄関奥の座敷に通され、抹茶のサービスがある。 お茶とお菓子をいただいてから部屋に案内される。 |
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部屋は314号室翡翠(かわせみ)、10畳と広い縁側のついた庭の眺めがいい部屋。 今日から3日間ゆっくり出来そう。 |
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![]() 三日滞在した314号室.翡翠(かわせみ)は夏の館3階 |
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着替えて宿自慢の粟津の湯大浴場へ。玄関から部屋に歩いてきたときの静けさが嘘のようにお風呂はいっぱいの人で賑やか。広い湯船と露天風呂があり、湯の温度が熱いぬるいと湯船の中で変化している面白い工夫がされていた。 |
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![]() 粟津温泉・法師の大浴場=法師HPより転載 ![]() |
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部屋に戻り大相撲をみる。粟津温泉は石川でも福井よりなのでもっと寒いかと想像していたが意外と温かくて過ごしやすい。夕食は湯治プランといってしゃぶしゃぶ付きのお弁当となっている。6時になって食事と頼んでおいたグラスワインが部屋にはこばれくる。老舗宿にしては簡素な料理内容だが十分満腹になる。今日もよく歩いたので20時布団の中へ。 今日の歩行数13553歩 粟津温泉/法師 3泊 (湯治棟【夏の館】和室/8帖風呂付\58800)⇒¥35280(全国旅行支援割引)宿の好意で12帖+広い縁側の部屋 |
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粟津温泉/法師の夕食 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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法師の各部屋は中庭を囲んでつくられ、廊下階段でつながって、館内巡りが楽しい。 |
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![]() 大浴場まえから階段を上がって3階の部屋、翡翠(かわせみ)へ |
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2022年秋・永平寺/傘松閣 (11月22日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 山中・山代・粟津各温泉の玄関口/JR加賀温泉駅 |
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11月22日 粟津温泉2日目。一日曇りの天気予報、今日は福井の名刹永平寺に日帰り参拝に出かける。6時起床してラジオ体操、7時~粟津温泉の宿法師で最初の朝食が部屋に運ばれてくる。今日は永平寺へ日帰り参拝に行く。食事して玄関へ。 8:00宿の送迎バスに乗せてもらい、粟津駅で客を降ろしたあと加賀温泉駅に8:45分に着く。 |
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加賀温泉駅まえバス停から、9:15発の片山津温泉始発の「永平寺おでかけ号」に乗車。5名ほどの乗客、ここから山代温泉と山中座9:42分経由して永平寺へ。 |
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![]() 永平寺へは気持ちいい山道を進む |
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永平寺.井の上バスターミナルに10:30分頃到着。 |
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「永平寺おでかけ号」を降り、観光案内所に寄ってから永平寺の参道を進む。 |
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![]() 柏樹関(坐禅体験できる宿) |
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永平寺参道に建つ大きな建物は「柏樹関」、永平寺内から切り出された「永平寺杉」を使用した、旅館と宿坊の中間に位置する坐禅体験のできる宿。 |
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永平寺正門(龍門)は厳粛な空気感、境内に入る。 |
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正門から境内に入ると、参拝者の受付をする通用門の下に手水舎、センサーで感知する手洗い場だ。コロナ流行の副産物か。 |
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![]() 参拝者向けの手洗い場・手水舎 |
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![]() 通用門から入る |
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通用門で拝観料\500x2支払い入場。脱いだ靴はビニール袋に入れスリッパに履き替える。帽子はリュックにしまって順路に沿って進み見学・参拝する。 |
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![]() 矢印を進んで参拝 ![]() |
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永平寺の傘松閣 昭和5年に創建、永平寺創建した道元禅師の750回忌事業で、平成5年から2年の歳月をかけて再建された。156畳敷きの大広間「天井絵の大広間」と呼ばれ、天井には昭和5年当時の著名な画家144名による天井絵が描かれている。230枚のうち、5枚だけ花鳥風月以外の鯉、唐獅子、りす、の絵が隠されている。 |
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![]() 「天井絵の大広間」 |
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![]() 傘松閣天井絵配列図 |
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![]() 永平寺・回廊 ![]() 回廊 |
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修行の行われる、七堂伽藍=法堂(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司(洗面所)、浴室、は 回廊で結ばれている。 |
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![]() 永平寺・山門から正面に中雀門 |
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山門の先に「法堂」 | ![]() |
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永平寺参拝見学は一時間少しかかって一周して出口に帰ってくる。 |
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帰りは土産物店の並ぶ通りから永平寺バスターミナルへ。 |
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帰りは永平寺発12:30分の(京福バス)永平寺ライナーに乗車30分ほどで、12:59福井駅東口1番乗場に到着。 |
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福井駅を出ると壁面にも駅前広場も恐竜! それは日本で発見された恐竜化石のうち、約8割が福井県で見つかっているという「恐竜王国」 |
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![]() 福井駅前広場の恐竜達 |
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今日は永平寺参拝ともう一つの目的があって、織田信長の妹、お市様の終焉の地「北の庄城址公園」の見学。福井駅から歩いて10分ほどの「北の庄城址公園」へ。 |
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かってここは、柴田勝家が築城した北庄城の天守があった場所で、城は天正3(1575年)築城、織田信長の安土城(7層)をしのぐ(9層)の天守閣をもつ日本最大級の城だったと記録にのこされている。 |
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![]() 柴田勝家像 |
![]() 北の庄城址公園 |
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苑内には柴田勝家、お市様、三姫(茶々/初/江)の像が並んで建っている。柴田勝家とお市様は一年満たない夫婦だったが、仲睦まじかったそうで、秀吉により滅ぼされ、娘たちと生きながらえられたにもかかわらず勝家と死を選んだのは秀吉への嫌悪の気持ちがあったのではないだろうか。 |
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![]() お市様 |
![]() 左にお市様と三姫(茶々/初/江)像 |
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北の庄記念館に入り柴田勝家の系譜やお市様の生涯などみる。いま毎週日曜日にNHKBSで再放送中の「おんな太閤記」ではお市様は夏目雅子さんが、茶々は池上季実子さんが演じている。 |
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福井駅に戻り14:10金沢行の電車で、加賀温泉駅14:44分着。 |
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![]() 福井駅 |
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法師の送迎バスは15:30なのでそれまで、駅前のアビオシティ加賀に入り地域クーポン利用して買物する。 すぐ横が送迎バスの駐車場から、15:30分のバスに乗って宿に戻る。 着替えてお風呂。昨日は芋を洗うような混雑だった大浴場が今日はがらがらでゆっくり入れた。 |
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![]() 粟津温泉・法師の大浴場=法師HPより転載 ![]() |
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大相撲みながらのんびりして18:00~夕食は料理は値段相応で可もなく不可もなく。 今日の歩行数13553歩 |
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11月23日 曇り 粟津温泉最後の一日は宿でゆっくり休養。チェックアウトで客のいない館内を散策する。一日法師でのんびり。 |
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一度も歩いていなかったので粟津温泉の町を散歩する。 |
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法師の玄関前の、前田家三代利常公那谷寺参拝の折のお手植えの松 |
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![]() 大王寺・参道 |
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法師の前から左丘の上にある「大王寺」この寺は珍しい女性の住職さん。 |
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養老山・大王寺は、粟津温泉と同じ約1300年の歴史を持つ、真言宗のお寺。 養老2年(718年)に白山を開いた泰澄大師の元に、白山神が十一面観世音菩薩の姿で現れ「粟津という村へ行き、霊泉を掘って人々の役に立てよ」と告げたため、大師は村人と共に温泉を掘り当てたという。そのとき感動した村人の請いに応じて大師は、首に掛けていた小さな薬師如来と、自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残し、温泉守護の寺を建てて「泰應寺(たいおうじ)」と名づけた。これが大王寺に伝わる縁起である。.....大王寺ご由緒より転載 |
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粟津温泉にも総湯という立派な日帰り入浴の温泉があった。朝から地元の人の姿が見受けられる。近くにこんな温泉があったらどんなに良いかとても羨ましい。粟津温泉町中のスーパーに入って、おやつを買って帰る。 |
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粟津温泉・法師宿に戻る。お昼前の玄関は静か。 |
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館内を散策する。庭を囲んでフロントから新春・春・夏・秋を4つの棟に分けられている。 |
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![]() 夏の館・大浴場前のラウンジ |
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![]() この庭を囲んで新春・春・夏・秋・宿泊棟 |
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![]() 三日滞在した翡翠(かわせみ)は夏の館3階 |
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![]() 休憩室 |
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![]() 資料が陳列 |
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![]() 能舞台 |
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最後の一日何度もお風呂に入ってのんびり。 |
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![]() 粟津温泉・法師の大浴場=法師HPより転載 |
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![]() 最後のお弁当夕食 |
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金婚式の記念と、手作りの額に入ったメッセージとお菓子を部屋に届けてくれた。 |
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![]() 宿から金婚式のささやかで暖かいプレゼントが届く |
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11月24日 晴れ 今日は奈良へ移動する。七時半~部屋で最後の朝食お弁当。 Mは最後のお風呂にゆっくり入り出発準備。 |
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![]() 11月23日深夜のW杯優勝候補のドイツを破る |
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ゆうべワールドカップ初戦は優勝候補の対ドイツ、前半早々0-1となってもう勝ち目はないと寝てしまう。深夜2時頃トイレにたって布団に戻ってスマホで結果をみると2-1で逆転勝利!え~うそだろう!寝てしまったのを悔いても後の祭り。早朝、テレビをつけると正夢だった。それから一日中このニュース一色で、歓喜の日本列島という感じ。 |
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今日は奈良へ移動。9:30の宿の送迎バスに乗り粟津駅経由で加賀温泉駅へ送ってもらう。 加賀温泉駅から10:20発の電車に乗り、全て普通電車で、福井・敦賀・京都で乗り換え、奈良駅14:48分に到着予定。 |
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![]() 粟津温泉・法師 |
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次㌻奈良へ⇒![]() |
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永平寺開祖 道元禅師について ![]() |
![]() 戻る |
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道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月19日)- 建長5年8月28日(1253年9月22日))は、鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。晩年には、希玄という異称も用いた。宗門では高祖承陽大師と尊称される。諡号は仏性伝東国師、承陽大師。諱は希玄。道元禅師とも呼ばれる。 生い立ち 道元は、正治2年(1200年)生。京都の公卿の久我家(村上源氏)に生まれた。幼名は信子丸。両親については諸説あり、仏教学者の大久保道舟が提唱した説では、父は内大臣の源通親(久我通親または土御門通親とも称される)、母は太政大臣の松殿基房(藤原基房)の娘の藤原伊子で、京都木幡の木幡山荘にて生まれたとされているが、根拠とされた面山瑞方による訂補本『建撕記』の記載の信用性に疑義も持たれており、上記説では養父とされていた源通親の子である大納言の堀川通具を実父とする説もある。四国地方には道元の出生に関して「稚児のころに藤原氏の馬宿に捨てられていたのを発見され、その泣き声が読経のように聞こえるので神童として保護された」との民間伝承もあるが、キリストや聖徳太子の出生にまつわる話と混同されて生じたものである可能性も示唆されている。伝記『建撕記』によれば、3歳で父(通親)を、8歳で母を失って、異母兄である堀川通具の養子になった。他には、両親の死後に母方の叔父である松殿師家(元摂政内大臣)から松殿家の養嗣子にしたいという話があったが、世の無常を感じ出家を志した道元が断ったと言う説もあり、逸話として「誘いを受けた道元が近くに咲いていた花を群がっていた虫ごとむしりとって食べ、無言のうちに申し出を拒否する意志を伝えた」とある。 建暦2年(1212年)比叡山にいる母方の叔父の良顕を訪ねる。 建暦3年(1213年)天台座主公円について出家し、仏法房道元と名乗る。 建保3年(1215年)園城寺(三井寺)の公胤の元で天台教学を修める。 建保5年(1217年)建仁寺にて栄西の弟子の明全に師事。 貞応2年(1223年)明全とともに博多から南宋に渡って諸山を巡る。 宝慶元年(1225年)天童如浄の「身心脱落」の語を聞いて得悟。中国曹洞禅の、只管打坐の禅を如浄から受け継いだ。 安貞元年(1227年)帰国前夜『碧巌録』を書写したが白山妙理大権現が現れて手助けしたという伝承がある。同年『普勧坐禅儀』を著す。 天福元年(1233年)京都深草に興聖寺を開く。「正法眼蔵」の最初の巻である「現成公案」を、鎮西太宰府の俗弟子、楊光秀のために執筆する。 天福2年(1234年)孤雲懐奘が入門。続いて、達磨宗からの入門が相次いだことが比叡山を刺激した[3]。この頃、比叡山からの弾圧を受ける。 寛元元年(1243年)越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘に移転。途中、朽木の領主佐々木信綱の招きに応じ、朽木に立ち寄る 寛元2年(1244年)傘松に大佛寺を開く。 寛元4年(1246年)大佛寺を永平寺に改め、自身の号も希玄と改める。 宝治元年-3年(1247年-1249年執権北条時頼、波多野義重らの招請により教化のため鎌倉に下向する。 建長5年(1253年)病により永平寺の住職を、弟子孤雲懐奘に譲り没す。建長5年(1253年)享年54(満53歳没)死因は瘍とされている。 嘉永7年(1854年)孝明天皇より「仏性伝東国師」の国師号を宣下される。 明治12年(1879年)明治天皇より「承陽大師」の大師号を宣下される。 教義・思想 ひたすら坐禅するところに悟りが顕現しているとする立場が、その思想の中核であるとされる。道元のこの立場は修証一等や本証妙証と呼ばれ、そのような思想は75巻本の「正法眼蔵」に見えるものであるとされるが、晩年の12巻本「正法眼蔵」においては因果の重視や出家主義の強調がなされるようになった。成仏とは一定のレベルに達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一等)、釈迦に倣い、ただひたすら坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と主張した。鎌倉仏教の多くは末法思想を肯定しているが、『正法眼蔵随聞記』には「今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の器なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり」と、釈迦時代の弟子衆にもすぐれた人ばかりではなかったことを挙げて、末法は方便説に過ぎないとして、末法を否定した。南宋で師事していた天童如浄が、ある日、坐禅中に居眠りしている僧に向かって「参禅はすべからく身心脱落(しんじんだつらく)なるべし』と一喝するのを聞いて大悟した。身心脱落とは、心身が一切の束縛から解き放たれて自在の境地になることである。道元の得法の機縁となった「身心脱落」の語は、曹洞禅の極意をあらわしている。道元は易行道(浄土教教義の一つ)には、否定的な見解を述べている。道元は『法華経』を特に重視した。『正法眼蔵随聞記』で最も多く引用されている経典は『法華経』である。道元は晩年、不治の病となり、永平寺を出て在家の弟子の住宅に移り、自分の居所を「妙法蓮華経庵」と名付けた。死期をさとった道元は、亡くなる直前、『法華経』のいわゆる「道場観」の経文(『法華経』如来神力品第二十一の中の「若於園中」から「諸仏於此而般涅槃」まで)を低い声で口ずさみながら室内を歩きまわり、柱にその経文を書き付けたあと、「妙法蓮華経庵」と書き添えた。徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅する姿そのものが「仏」であり、修行そのものが「悟り」であるという禅を伝えた。 |
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