HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 日曜名画座 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI ARCHIVES PROFILE SITE-MAP
          

Ken & Mary's Second Life
おくのほそ道
『おくのほそ道』で芭蕉が詠んだ句は五十句、詠まれた場所を辿る旅
日光路
(山形県~宮城県~秋田県)
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
2020年9月19日
鳴子温泉から堺田へ


封人の家(旧有路家住宅)芭蕉宿泊/宿跡
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道

平泉「源義経の足跡をたどる旅」にひと区切りを付けた芭蕉は、出羽の国(秋田-山形県)へ向かった。旧有路家住宅「封人の家」は、国境を守る役人の家で、江戸時代堺田の庄屋有路家が、新庄藩から、仙台藩との国境を守る役職を与えられ、その民家が役人の家となり、同時に宿であり、問屋でもあった。この家は、江戸時代かそれ以前に建てられたとみられ広い屋内には、3頭分の馬屋が設けられている。

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道



JR陸羽東線・鳴子温泉駅

鳴子温泉2日目。鳴子温泉駅から10:09分発電車で堺田(宮城.山形県堺駅)へ10:23着。ここは山形県になる。


無人駅/山形県.堺田駅

陸羽東線の堺田駅は山形県最上郡最上町にあり宮城県と山形県の県境にある駅。
無人駅でホームの石段を上がるとすぐ右に、全国的にも珍しい平坦な場所にある分水嶺がある。


日本海と太平洋へ流れ分かれる「分水嶺」

東の宮城県は江合川、北上川を116Km下り、石巻市の太平洋へ、西は小国川、最上川を102Km下り山形県酒田市の日本海へ注いでいる。  分水嶺から5分ほど歩いて国道を渡ると、330年前、芭蕉がおくの細道で泊まった宿として、現存する最古の家と伝わる、封人の家(旧有路家住宅)がある。

おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家 尿前の関 一六八九年(元禄二年)五月十七 (新暦)7月13日 
 南部道(なんぶみち)遥に見やりて、岩手の里に泊る。小黒崎(おぐろさき)・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に超えんとす。この路旅人稀(まれ)なる所なれば、関守にあやしめられて、漸(ようよう)として関をこす。大山をのぼつて日すでに暮ければ、封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと (のみしらみ うまのばりする まくらもと)
あるじの云、是より出羽の国に、大山(たいざん)を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼(たのみ)て越べきよしを申す。さらばといいて人を頼みはべれば、究境(くっきょう)の若者、反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立ちて行く。今日こそ必ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行く。あるじ の云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶(つまずい)て、肌(はだ)につめたき汗(あせ)を流(なが)して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「、この道かならず不用(ぶよう)のことあり。恙(つつが)なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とヾろくのみ也。
2020年9月19日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県最上郡堺田 蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(ばり)する 枕もと
(意)堺田は、馬産地、献上馬の繁殖が盛んで、雪国のため、馬は家の中で人と一緒に育てられた。 土間には大きなかまどがあり、馬が腹をこわさぬよう、ぬるま湯を沸かし飲ませた。家族の中で大切に育てられ、人は板の間にござを敷き寝た。「山奥で人間より大切に馬を飼っている」土地柄人柄を詠んだ。

元禄2年(1689)5月芭蕉と曾良はこの山の中の家(旧有路家住宅)で2泊、そこで芭蕉が残した1句

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

囲炉裏の炎が、芭蕉と曾良が寝たのだろ、薄暗い居間を赤々と照らしている。
囲炉裏の前は土間で前には馬小屋がある。
芭蕉目線で「蚤虱 馬の尿 する枕もと」が見られる貴重な空間。


封人の家(旧有路家住宅)芭蕉宿泊宿跡
  封人の家
国境を守る役人の家のことで、この名称は俳聖松尾芭蕉の「おくのほそ道」に由来する。旧有路家住宅「封人の家」住宅は、昭和44年12月18日、山形県東部に古くから見られた茅葺き寄棟造り、広間型民家の好例として、重要文化財に指定された最上町所有の建造物。桁行24.755メートル、梁間9.999メートル、平面積269.180平方メートル(約81坪)の大型民家である。年代は特定できないが、江戸初期を下らない時代の創建と見られている。昭和46年~48年に解体復元工事が実施されて、創建当時の様式で保存、一般公開されている。 この建造物は、江戸期には新庄藩上小国郷堺田村の庄屋住宅で、内部は床の間、いりざしきなどの5部屋と、内庭、内まや(厩)からなる。 住宅構造には、江戸期に庄屋役と問屋役を兼ね、街道筋の旅宿ともなり、熱心な馬産家でもあった有路家の歴史的性格が強く反映されている。この住宅は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」に記した、堺田のいわゆる"封人の家"と見なされ、元禄2年(1689)5月芭蕉は2泊3日にわたって"封人の家"に逗留し、その時の印象を「蚤虱馬の尿する枕もと」の句で表現したと伝わる。
-----最上町HPより参照
封人の家から、分水嶺の前に拡がる そば畑の横を通って堺田駅へ。


分水嶺の前に拡がる そば畑。

堺田駅から12:12分の電車に乗り鳴子温泉に戻る。前後の電車は10:50分 13:50分、本数が驚くほど少ない、これでやっていけるのか心配。こういうローカル線こそ残してほしいのだが...


(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家


2022年12月6日
天童駅から、11:51分発のJR奥羽本線・新庄行きに乗り、12:28分大石田駅へ。
天童の町はどこもかしこも将棋駒もモニュメントがいっぱい


天童駅ビル

大石田駅は、芭蕉が奥の細道で10日間も滞在した尾花沢の清風歴史資料館への最寄り駅。

おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家  一六八九年(元禄二年)五月十七日~二七日(新暦)7月3~13日 
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず*。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
涼しさを我宿にしてねまる也  (すずしさを わがやどにして ねまるなり)
這出よ かひやが下のひきの声  (はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)
眉掃きを 俤にして 紅粉の花    (まゆはきを おもかげにして べにのはな)  
蚕飼する人は古代のすがた哉  (こがいする ひとはこだいの すがたかな)  曾良
2022年12月6日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県尾花沢市 涼しさを 我(わが)宿にして ねまる也 
(意)「ねまる」は方言。清風の手厚いもてなしで涼しさを満喫、わが家にいるようにくつろいでいる。

清風歴史資料館

大石田駅から資料館への路線バスは、人気の「銀山温泉」に向かう路線なので超満員。バス会社の都合で今日だけ小型バスで運行していると車内アナウンス。
すし詰めバスに15分ほど乗って、資料館前の新町バス停に到着。

おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家  一六八九年(元禄二年)五月十七日~二七日(新暦)7月3~13日 
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず*。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
這出よかひやが下のひきの声  (はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)
2022年12月6日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県尾花沢市 這出(はひいで)よ 飼かひ屋が 下の蟾(ひき)の声
(意 )蚕室の下からガマガエルが鳴いている。こっちに這い出てこいと、何もすることのない芭蕉が、カエルに話し相手になってくれと呼び掛ける光景。

(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

松尾芭蕉は奥の細道で、平泉から赤倉温泉を通って、峻険の山刀伐峠を超え、ここ尾花沢には10日間も逗留、うち3泊は現在の清風歴史資料館の建つ、鈴木清風宅跡に滞在した。


資料館入口で入館料を支払い見学。

芭蕉清風歴史資料館は、芭蕉が奥の細道途上の尾花沢で三日間滞在した場所の同じ空気を感じられる。


芭蕉ゆかりのものは、最上川を舟下りした際に詠んだ「五月雨を集めてはやし最上川」など、芭蕉の俳句の2句の拓本などが展示されている。


江戸時代の創建。防火扉は中央に板をはさみ、その表裏に格子を組み込んだ建具を吊っている「蔵せみ」、尾花沢における江戸時代町家の姿を伝える貴重な建物。

おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家  一六八九年(元禄二年)五月十七日~二七日(新暦)7月3~13日 
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず*。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
眉掃きを 俤にして 紅粉の花  (まゆはきを おもかげにして べにのはな)
2022年12月6日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県尾花沢市 眉掃(まゆは)きを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花
(意 )女性の唇をいろどる紅となる紅花、は化粧に使う まゆはきのかたちを彷彿させる
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家


入口に建つ芭蕉像。この地に十日間滞在した当時の面影を感じさせる。


高野平右衛門旧宅前から見た最上川「五月雨を 集めて早し 最上川」

記念館からタクシーに乗って最上川の大橋まで乗り橋のたもとで下車。
「五月雨を 集めて早し 最上川」と芭蕉が詠んだ、高野平右衛門旧宅前へ。
近くの名物千本団子店へ歩く。「本日売り切れのため閉店」という看板が立ち閉まっていた。


    千本だんご

わざわざきたのに残念だがしょうがない。あきらめ大石田駅へゆっくり歩いて戻る。
途中の道すがら、昔懐かしい食堂「べにば奈」という店が目に留まる。


食堂「べにば奈」に寄って中華そばを食べていく。昔ながらのラーメンで懐かしい味がして美味しかった。


JR大石田駅に戻り、30分ほど電車を待合室で待つ。
14:39分発の山形行の電車に乗って天童へ。


JR大石田駅

大石田~天童 車窓の風景

天童駅について、「松の湯」までゆっくり15分歩いて帰る。
途中、青空に虹がかかりとてもきれいだった。午後三時半頃宿に帰ってくる。

(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

崖からせり出す 立石寺「五大堂」 写真:山寺観光協会HP
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道



2020年9月17日
銀山温泉・大石田駅から「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の詠まれた立石寺/山寺へ向かう。大石田駅9:53発~10:35羽前千歳駅着、ここで乗換え 10:58発~11:10 山寺駅に到着。天気は快晴、相当暑い。

おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家 一六八九年(元禄二年)五月二七日(新暦)7月13日 
  山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊(ことに)清閑(せいかん)の地なり。一見(いっけん)すべきよし、人々(ひとびと)のすゝむるに依(より)て、尾花沢よりとつて返し、その間七里)ばかりなり。日いまだ暮ず。梺(ふもと)の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢(しょうはく)年旧(としふり)土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉てものの音きこえず。
岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。
閑さや岩にしみ入蝉の声  (しずかさやいわにしみいるせみのこえ)
2021年9月17日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県山形市山寺 閑しづかさや岩にしみ入いる蝉の声
(意)ああ何という静けさだ。 その中で岩に染み通っていくような蝉の声が、いよいよ静けさを強めている。

山寺駅

駅で下車した大半は山寺の参拝客。迷う心配はない。
駅前から右折して山寺登山口へ 


下から山の中腹に山寺の姿が小さく見える。石段の登山口から参拝登山開始


薬師如来像を安置した根本中堂

登り始めてすぐに根本中堂、さらに進むと芭蕉と弟子.曾良の像。 

芭蕉と弟子.曾良の像

像の前に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句碑

参詣道は良く整備されている石段を登る。マスクをしているので暑さで息苦しく、あごに下げた人も多い。


まもなく山門に到着。ここまでで石段は1015段あがってきた。

鎌倉時代 作の山門



おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


芭蕉もこぐっただろう山門。 ひと踏ん張りして登ると奥の院へ


山寺・奥の院
五大堂まではもうひと息。
開山堂と納経堂が並びたつ美しい光景。


開山堂と納経堂

立石寺を開いた慈覚大師・円仁を祀る、開山堂と納経堂。   お参りする。
すぐ先に「五大堂」


2020年9月17日↑立石寺/山寺「五大堂」からの眺望2022年12月5日↓
立石寺といえば「五大堂」が代名詞の雄大な景色。当たり前の事だが、写真や映像で何回も見ている景色だが本物に勝るものはない。とにかく雄大、綺麗。厳しい残暑のなか登ってきた苦労が余計に感動を大きくしているのかもしてない。
「五大堂」は沢山の参詣客なので後の人に譲って下山道へ


(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

登りと違って下りは一気に駅に到着。
駅に着くと同時に12:17発の電車が到着のアナウンス、切符を買う間もなく改札の駅員さんに促されるまま切符無しで飛び乗る。参拝には2時間以上予定していたが、一時間弱で往復してきてしまった。
電車の中で事情を話し車掌さんから山形までの切符を買う。
山寺・JR仙山線12:17~12:33山形駅に到着 山形駅前から蔵王温泉行のバスは13:20分に乗って今日は蔵王温泉に宿泊する。


初代・木戸佐左エ門の看板の銀山温泉・能登屋旅館
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道



2020年9月16日天童駅10:39発~11:10大石田駅(銀山温泉最寄り駅)着 
駅から宿・能登屋に電話して13:30の送迎をお願いして大石田・街歩きに出発。


大石田 高野平右衛門(俳号一栄)旧宅前から見た最上川、芭蕉目線で見る。
おくのほそ道
 おくのほそ道   一六八九年(元禄二年)五月二八日二九日(新暦)7月14.15日 
 最上川のらんと、大石田といふ所に日和を待つ。
「ここに古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角(ろかく)一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしして、新古(しんこ)ふた道にふみまよふといへども、道しるべする人しなければ」と、わりなき一巻残しぬ。  このたびの風流ここに至れり。  最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有り。板敷山(いたじきやま)の北を流て、果は酒田(さかた)の海に入る。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、稲舟といふならし。白糸の瀧は青葉の隙隙(ひまひま)に落て仙人堂岸に臨て立。 水みなぎつて舟あやうし。
五月雨を集めて早し最上川  (さみだれを あつめてはやし もがみがわ)
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道

2021年9月17日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県北村山郡大石田町 五月雨を集めて早し最上川
(意) 降り続く五月雨を一つに集め、何と最上川の流れの早くすさまじいこと

この名句は、1689年(元禄2年)5月28日 芭蕉が下の山形県北村山郡大石田 高野一栄宅逗留の際に詠まれた。

(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家



大石田駅から駅を背に最上川に向かって歩く。途中の大石田町立歴史民俗資料館に寄り芭蕉の足跡など見学したかったのだが、あいにく水曜は休館日。残念
大通りに戻って更に坂道を下って、名物「最上川・千本だんご」へ立ち寄る。


受付で注文して待つ
お店の案内ポスター

ふだんは行列ができるらしい人気店らしい。受付で注文をして注文受けてから作るので10分くらい待って名前を呼ばれて受け取り奥の座敷でいただく。


千本だんご店座敷

店の案内写真より量が多く アンがダイナミック

千本だんご店から最上川沿いを少し入ったところに、芭蕉が奥の細道で逗留「五月雨をあつめて早し最上川」の名句を詠んだ、高野平右衛門(俳号一栄)旧宅跡がある。
今は建物はなく当時の面影は感じられないが、あちこち当時の様子や句を詠んだいきさつなどが表示されている。


今は建物はなく当時の面影は感じられないが、あちこち当時の様子や句を詠んだいきさつなどが表示されている。
330年前に間違いなく芭蕉が奥の細道道中の一時を過ごした場所に立てたのは感慨深い。


318年前(1702年5月29日)芭蕉が見た最上川


おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


318年前の元禄15年(1702年5月29日)あの名句はこの景色を見て誕生した。芭蕉の目線で見る景観に感動。
ここで「五月雨をあつめて涼し最上川」と詠み、最上川を船で下った後に「五月雨をあつめて早し最上川」と詠みかえている。


大石田駅に戻り今夜の宿 能登屋の送迎バスを待つ。
13:30少し前、駅前に幟を両手にした何軒かの送迎バスの運転手が客を迎えている。能登屋の幟を持った運転手さんに案内されバスへ。駅からのどかな景色の道を約30分ほど走り銀山温泉入口へ到着。
温泉街は車両通行禁止なので宿の迎えの人が台車に客の荷物を積んで宿まで運ぶ。


宿へ荷物は台車に乗せて案内される

銀山温泉・能登屋
の情景は旅行番組や報道写真で何度も見た光景なので初めてきた感じがしない。今夜の宿は4層木造構造の「能登屋旅館」
能登屋創始者の祖先、木戸佐左エ門は石川県から銀を掘りに来た鉱夫で閉山後そのまま残り明治25(1892)年「能登屋旅館」として宿の営業を始めた。


初代・木戸佐左エ門の看板の銀山温泉・能登屋旅館

受付でチェックイン。コロナ対策か、部屋ごとにスリッパにつける名札を渡される。お風呂とか館内で脱ぐ場合それをつけて下さいとのこと。
おくのほそ道
日光路

2020年9月12日(土) 羽黒山(出羽三山神社) 立石寺、参拝など 古い街歩きの旅へ出発。途中でスマートフォンを忘れ気づくが、取りに帰る時間もなくそのまま出発。携帯無しの日々はどうなのか..... 
東京駅 6:08分発 上越新幹線「とき301号」で新潟へ。


(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道




新潟駅に到着すると 8:22分発のJR白新線 秋田行 いなほ号が同じホーム反対側に停車中、それに乗換えて鶴岡に向かう。 新潟駅で いなほ号に乗換


新潟~村上~鶴岡駅間は左側車窓に日本海の青い海原を見ながら走る

鶴岡に入ると庄内平野は実りの秋「黄金色の絨毯」が車窓に拡がる。畑は碁盤の目のように見事に区画され絵に描かれたように綺麗。


新潟から2時間、車窓の景色を眺めながら10:16分、鶴岡駅に到着。
鶴岡市は山形県庄内地方南部に位置する人口約12万人の都市。


鶴岡駅前「いなほを担ぐ人の像」

鶴岡駅前1番バス乗り場から月山八合目行きに乗車、最初の目的地 出羽三山神社へ向かう。羽黒山(出羽三山神社)登山道入り口の随神門バス停で降車。


随神門バス停

羽黒山入口には、大きくコロナ対策の看板が掲示され、登山中もマスク着用の要望が記されている。出羽三山は古くから神聖な場所として、西の伊勢神宮 詣でを「西の伊勢参り」東の出羽三山 詣でを「東の奥参り」と双方を詣でることを儀礼のひとつとされていた。


羽黒山(出羽三山神社)入口/随神門

出羽三山は1400年以上前に蜂子皇子によって開かれ、羽黒山、月山、湯殿山から成り、いまから登る 羽黒山(出羽三山神社)は、三山の神々が合祀されている。修験道の行場として知られ「擬死再生、一度死んで再びよみがえる」をはたす霊山として信仰されている。三山のうち、月山・湯殿山は遠く山頂や渓谷にあり、冬は参拝が困難なので、三山の年中式典は全て羽黒山(出羽三山神社)の合祭殿で行われている。



入口の継子坂



おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道



随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は羽黒山~月山~湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。上り続けると思って門を通過すると意外な下りの石段(継子坂)。羽黒山(出羽三山神社)参道には沢山の小さな神社の祠が並ぶ。随神門から継子坂を下りきると両脇に小さな祠の神社が並ぶ道を抜けて進む。この辺りから早くも神の聖域の空気が漂っている。

不動の滝

その先の祓川(はらいがわ)に掛かる神橋に出る。
昔、三山詣での人は必ずこの祓川の流れで身を清め三山向かったという。朱塗り神橋の向かいには須賀の滝と相対して美しい。滝は承応3年(1654)不動の滝と名付けられた


樹齢 千...年「羽黒山爺スギ」

羽黒山国宝五重塔
瀧水寺の五重塔と言われ、附近に多くの寺院があったが、今は五重塔だけが一の坂の登り口左手に三間五層の優美な姿で聳り建っている。現在の塔は約600年前庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。

羽黒山五重塔

「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」
松尾芭蕉が奥の細道で羽黒山参詣中、一の坂から南谷にかかる途中で詠んだと言われる

(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家




羽黒山(出羽三山)石段. 2446段を上がる 二の坂登り口

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道

おくのほそ道
おくのほそ道  一六八九年(元禄二年)六月八日(新暦)7月24日 
木綿(ゆう)しめ身に引きかけ、宝冠(ほうかん)に頭を包、強力といふものに道びかれて、雲霧山気(うんむさんき)の中に氷雪を踏てのぼること八里、さらに日月(じつげつ)行道(ぎょうどう)の雲関(うんかん)に入るかとあやしまれ、息絶身こごえて頂上にいたれば、日没て月顕(あらわ)る。笹を鋪(しき)、篠を枕として、臥て明るを待つ。
日出でて雲消れば湯殿に下る。谷の傍(かたわら)に鍛治小屋と云有り。この国の鍛治(かじ)、霊水(れいすい)をえらびてここに潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打(うち)、終(ついに)月山(がっさん)と銘(めい)を切(きっ)て世に賞(しょう)せらる。谷の傍(かたわら)に鍛治小屋といふあり。この国の鍛治、霊水をえらびてここに潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打、終月山(がっさん)と銘(めい)を切て世に賞(しょう)せらる。かの龍泉(りゅうせん)に剣を淬(にらぐ)とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執(しゅう)あさからぬことしられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。
ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花ここにかほるがごとし。行尊僧正(ぎょうそんそうじょう)の哥(うた)の哀れもここに思ひ出でて、猶(なお)まさりて覚ゆ。そうじてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりてて筆をとどめて記(しる)さず。坊(ぼう)に帰れば、阿闍利のもとめによりて、三山順礼の句々短冊に書く。
  涼しさや ほの三か月の 羽黒山 (すずしさや ほのみかづきの はぐろやま)
雲の峰 幾つ崩て 月の山 (くものみね いくつくずれて つきのやま)  
 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)
湯殿山銭ふむ道の泪かな  (ゆどのさん ぜにふむみちの なみだかな) 曾良
2021年9月12日
日光路 (25)南谷別院羽黒山
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県鶴岡市羽黒町 涼しさやほの三日月の羽黒山
(意)

随神門から羽黒山頂まで約2kmの参道の両側は、樹齢300年~600年の老杉の並木で、特別天然記念物に指定されている。羽黒山の石段参道は、一の坂、二の坂、三の坂の急な上り坂があり、そのうち一番急な二の坂を息を切らして登りきると、「休んでいきなさい」というようなタイミングの場所に「二の坂茶屋」がある。


「きなことあんこの力餅 抹茶のミックスセット」
二の坂茶屋で一息つく

涼しい風が吹き抜ける心地いい木のベンチに掛けると、前方は庄内平野が一望!
きなことあんこの力餅とお抹茶のミックスセットをいただく。
茶店を営む高城さん一家は毎日重さ7㌔のつき立て餅を背中に担いで、ふもとから持ち上げてくるそうだ。
 
休憩の後、最後の三の坂を上がっていく途中、芭蕉が滞在した南谷という場所があり脇道を入って、寄り道する。


羽黒山・南谷(別院紫苑寺跡) 芭蕉句碑
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

羽黒山/南谷
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家  一六八九年(元禄二年)六月三日~十日(新暦)7月19~26日 
 六月三日、羽黒山に登る。図司左吉(ずしさきち)といふ者を尋ねて、別当代(べっとうだい)会覚阿闍利(えがくあじゃり)に謁す。南谷の別院に舎(やどり)して憐愍(れんみん)の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊(ほんぼう)にをゐて誹諧興行。
有難や 雪をかほらす 南谷  (ありがたや ゆきをかおらす みなみだに)
五日、権現に詣(もうず)。 当山(とうざん)開闢(かいびゃく)能除大師はいづれの代の人と云事を知らず。延喜式に「羽州里山の神社」とあり。書写「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。出羽といへるは、「鳥の毛羽(もうう)をこの国の貢(みつぎもの)に献(たてまつ)る」と風土記にはべるとやらん。月山、湯殿を合て三山(さんざん)とす。当寺(とうじ)武江東叡(ぶこうとうえい)に属して天台止観の月明(あき)らかに、円頓融通の法の灯かかげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効)(げんこう人貴(とうとび)かつ恐る。繁栄長(とこしなえ)にして、めでたき御山といいつべし。
2021年9月12日
日光路 (24)羽黒南谷本坊
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県鶴岡市羽黒町 有難ありがたや雪をかをらす南谷
(意)残雪の峰々から冷ややかな風が南谷まで立ち込め、神聖な羽黒山の空気がありがたい

南谷は芭蕉が門人曾良と 6日間逗留し「有難や 雪をかほらす 南谷」涼風の吹き抜ける谷の光景が目に浮かぶ場所。南谷から元の参詣道に戻ってさらに進むと....朱の鳥居が見えてくる。

2446段の参道の石段の尽きるところ、羽黒山(出羽三山神社)入口の朱の鳥居 前に到着。
鳥居の手前の坂を十五童坂といい、左に一山の貫主の住んだ執行寺跡があった。

出羽神社(三神合祭殿) 

お参りにも順序があり、最初は中央の主峰月山。月山が表すのは前世(過去) 次に現世(現在)を表す羽黒山、そして最後に来世(未来)を表す湯殿山をお参りする。

湯殿山神社来世(未来)   月山神社前世(過去)  出羽神社(羽黒山)現世(現在)
おくのほそ道
おくのほそ道 一六八九年(元禄二年)六月八日(新暦)7月24日 
木綿(ゆう)しめ身に引きかけ、宝冠(ほうかん)に頭を包、強力といふものに道びかれて、雲霧山気(うんむさんき)の中に氷雪を踏てのぼること八里、さらに日月(じつげつ)行道(ぎょうどう)の雲関(うんかん)に入るかとあやしまれ、息絶身こごえて頂上にいたれば、日没て月顕(あらわ)る。笹を鋪(しき)、篠を枕として、臥て明るを待つ。
日出でて雲消れば湯殿に下る。谷の傍(かたわら)に鍛治小屋と云有り。この国の鍛治(かじ)、霊水(れいすい)をえらびてここに潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打(うち)、終(ついに)月山(がっさん)と銘(めい)を切(きっ)て世に賞(しょう)せらる。谷の傍(かたわら)に鍛治小屋といふあり。この国の鍛治、霊水をえらびてここに潔斎(けっさい)して劔(つるぎ)を打、終月山(がっさん)と銘(めい)を切て世に賞(しょう)せらる。かの龍泉(りゅうせん)に剣を淬(にらぐ)とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執(しゅう)あさからぬことしられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。
ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花ここにかほるがごとし。行尊僧正(ぎょうそんそうじょう)の哥(うた)の哀れもここに思ひ出でて、猶(なお)まさりて覚ゆ。そうじてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりてて筆をとどめて記(しる)さず。坊(ぼう)に帰れば、阿闍利のもとめによりて、三山順礼の句々短冊に書く。
  涼しさや ほの三か月の 羽黒山 (すずしさや ほのみかづきの はぐろやま)
雲の峰 幾つ崩て 月の山 (くものみね いくつくずれて つきのやま)  
 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな(かたられぬ ゆどのにぬらす たもとかな)
2021年9月12日
日光路 (26)南谷別院月山
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県鶴岡市.庄内町.大蔵村.西川町 雲の峰幾つ崩くづれて月の山
(意)入道雲がいくつも湧いては崩れた後、月山は月に照らされている
2021年9月12日
日光路 (27)南谷別院湯殿山
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県鶴岡市.西川町 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
(意)ここ湯殿山で修行する人は山でのことを一切口外してはいけないというならわしがあるが、そういう荘厳な湯殿山に登って、ありがたさに涙した。

(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

本堂外枠の工事中で中央の階段に並んで参拝する。
山上には明治維新まで本坊を始め30余の寺院に肉食妻帯をしない修験者が住み、山のふもとには336坊の妻帯修験者が住んでいた


おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道



出羽三山神社境内 七つの末社

出羽三山には多数の末社が散在。奥まったところにある末社はそのうちの七つ
参拝を終え、歴史博物館前やレストハウスを通って下山道へ入る。


旧月山登山道
帰りは旧月山登山道。
ほとんど歩く人も少ないらしく手入れもされなく荒れた道を下っていく。


旧月山登山道

羽黒山神社から下りきると県道に出て、目的の「庄内羽黒国民休暇村」は目と鼻の先にあった。
「庄内羽黒国民休暇村」入口を入るとすぐ、コロナ対策で非接触自動検温器が設置され、画面に顔の位置を合わせると体温が表示される。36.1° 36.3° 二人共無事に通過してフロントへチェックイン。


部屋は二階。チェックインの際の説明では、16時~20時はキャンプ中の人たちの入浴時間で、混雑しそうな前にすぐお風呂に行く。休暇村とはいえお風呂は天然温泉。無色透明な特徴のないお風呂だが、山登りでいっぱい汗をかいた身体にはとても気持ち良い。

2021年8月14日 曇り時々雨 一人旅8日目 酒田 街歩き

 気予報を毎日チェック、今日は雨だが明日は回復して快晴の予報。象潟(秋田県)へ明日は行けそう。今日は出かけず英気を養いホテルでのんびりの予定だったが、雨も上がったので酒田の街歩きにでかける。

(28-29)山形県/酒田

山形県/酒田市「月のホテル」
おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家 一六八九年(元禄二年)六月十日~十五(新暦)7月26~31日   
         一六八九年(元禄二年)六月十八日~二十五日(新暦)8月3~10日  
羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、長山氏重行といふもののふの家にむかへられて、誹諧一巻(ひとまき)あり。左吉もともにに送りぬ。川舟(かわぶね)に乗りて酒田の湊に下る。淵庵不玉(えんあんふぎょく)といふ医師のもとを宿とす。
あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み (あつみやまや ふくうらかけて ゆうすずみ)
2021年8月14日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県酒田市 あつみ山や吹浦ふくうらかけて夕涼み 
(意)あつみ山の雄大な景色から、北は吹浦にかけて夕涼みをしながら一望している

ホテルから県道.酒田停車場線の「八雲神社」から寺町通りへ

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道

(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

舞子茶屋.相馬楼

寺町通りは風情のある家並みがつづき、真っすぐ進み下日枝神社に入りお参りする。


毎年5月の日枝神社の例大祭「酒田まつり」は1609(慶長14)年から途絶えることなく続いている。
現在の社殿は1784(天明4)年のもの。酒田の産土神、酒田まつり(山王祭)の主神である。
山王の杜の豊かな緑に囲まれた随神門、社殿など、素晴らしい。

日和山公園/芭蕉の旅姿像と芭蕉句碑

日枝神社をお参りしその先の随神門から日和山口の鳥居には西郷隆盛.書「日枝大神社」の額、下を抜け芭蕉句碑のある日和山公園へ入る。奥の細道で芭蕉は、鶴岡の内川から赤川に入り酒田に至りここ酒田の港に上陸した。そして酒田に9泊してから奥の細道最北の地 秋田・象潟へ旅立った。
おくのほそ道
草の戸も住替る代ぞひなの家  一六八九年(元禄二年)六月十日~十五(新暦)7月26~31日
         一六八九年(元禄二年)六月十八日~二十五日(新暦)8月3~10日
羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、長山氏重行といふもののふの家にむかへられて、誹諧一巻(ひとまき)あり。左吉もともにに送りぬ。川舟(かわぶね)に乗りて酒田の湊に下る。淵庵不玉(えんあんふぎょく)といふ医師のもとを宿とす。
 暑き日を 海に入れたり 最上川  (あつきひを うみにいれたり もがみがわ)
2021年8月14日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
山形県酒田市 暑き日を 海に入れたり 最上川
(意) 夕日を沈め一日の暑さも海に押しやって、最上川が流れていく。
(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

芭蕉上陸した日和山公園先の港

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道




日和山公園脇にあった映画おくりびとの主人公の勤務先社屋に使われた「旧割烹小幡」はきれいに改装されモダンなカフェレストランになっていた。その先を右に下って山居倉庫方面へ向って歩く。


山居倉庫

庄内米・山居倉庫。
1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫、NHK朝の連ドラ「おしん」のロケにも使われた。山居倉庫から新井田川「さんきょばし」を渡ると以前来た時泊まった「若葉旅館」の建物が懐かしい。

2021年8月15日 快晴 一人旅9日目 秋田県・象潟(きさかた)へ
天気予報の通り今日は朝から快晴。九州中国地方は大雨災害の報道が続いているが、東北は別世界のよう。


(30-31)秋田県にかほ市 象潟

酒田「月のホテル」

「月のホテル」の朝食は7:00から。一番に行って名物のチャーシュー麺を注文して料理をとって席へ。地産地消、地元の素材を生かした料理の種類が豊富で美味しい、贅沢な朝食をさせてもらう。

(一) 日光路
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

羽越本線・酒田駅
おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道




部屋に戻り、リュックに象潟の案内やメモ、お水とおやつなど詰め込んで酒田駅へ。
9:35発JR羽越本線秋田行の電車に乗る。酒田からわずか約40分で県境を越え秋田県に入る。10:11分象潟駅に到着。帰りの電車はJR羽越本線13:20分酒田行に乗る予定。1~2時間に一本しかない不便な場所。


羽越本線・象潟駅

始めに象潟駅わきの公園により地図をひろげて今日歩くルートを確認。
最初は、芭蕉がおくの細道で訪ねた最北の地、象潟(きさかた)、はじめは芭蕉が宿泊した「にかほ能登屋」跡へ向かう。駅を背にして日本海方面に真っすぐ進むと住宅地の中の駐車場わきに「能登屋跡」の看板が建っていた。


にかほ市象潟町/芭蕉が宿泊した能登屋跡



おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


そこから国道7号線に戻り北に向って2キロ程歩いて 道の駅象潟「ねむの丘」寄っていく。ここは6階が展望室になっており日本海から陸側は象潟・九十九島の景色が一面に拡がって見えるビューポイント。

九十九島は、鳥海山のふもとに点在する103あまりの島々が田園地帯に浮かんでいるように見える象潟独特の風景です。その由来は、海に面した鳥海山にあります。山頂付近の地形を見ると、北に開いた馬蹄形の窪み(東鳥海馬蹄形カルデラ)があることがすぐわかります。これは、紀元前466年におきた山体崩壊の跡です。この巨大崩壊は、「象潟岩屑なだれ」と呼ばれ、白雪川に沿って一気に流下し象潟平野に達し、先端は日本海に突入しました。その時、山頂から滑り落ちてきた巨大岩塊の集積で「流れ山」と呼ばれる小山の集まりが、東西1km南北2kmにわたり海の中に浮かぶ入り江を形成しました。これが、象潟の原形「九十九島」です。さらに1804年、象潟大地震がおこり、約2m以上隆起して、干潟(陸地)になり現在の姿となりました。国指定天然記念物「象潟」(九十九島)の絶景は、道の駅「ねむの丘」展望室から一望できます。
    -----にかほ市観光協会...HP参照

かって象潟は松島と並ぶ景勝の地だった

国道7号を超えた先に、小さな丘が無数に浮かんでいる。芭蕉が訪れた頃は入り江だった象潟だが、1804年の地震で隆起し陸になってしまい、いま目にしている数々の小丘は、すべて当時の小島なのだ。その先には遠く鳥海山や山並みがそびえ、振り返ると日本海、前後左右の絶景が広がる大パノラマ。道の駅から芭蕉も立寄った「蚶満寺(かんまんじ)」へ向かう。


羽越本線の踏切を渡って道なりに歩くと「八島神社」入口へ出る。
蚶満寺(かんまんじ)前の山(八ツ島)に遷座して、蚶満寺の守護神になったと伝えられている。この神社も象潟九十九島の一つの島。


蚶満寺(かんまんじ)

「奥の細道」1689(元禄2)年6月15日、芭蕉と河合曽良は、酒田をたち、吹浦(山形)で1泊し翌日、象潟のほとりの塩越にたどり着いた。17日は待望の象潟 水辺の蚶満寺から絶景を楽しみ、夕食後は舟で象潟を巡り至福のひと時を過ごした様子が記されている。 蚶満寺(かんまんじ)内をゆっくり見学

ここが海だった痕跡

蚶満寺・芭蕉句碑

西施は中国四大美女のひとり。持病のため眉をひそめることが度々あったが、その表情がひときわ美しさを際立たせたという、影のある美女。芭蕉は、象潟の魅力を「江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」と、絶世の美女・西施になぞらえた。

おくのほそ道
おくのほそ道  一六八九年(元禄二年)六月十五/十八日(新暦)7月31~8月3日 
江山水陸の風光数を尽(つく)して、今象潟(きさがた)に方寸(ほうすん)を責む。酒田の湊より東北の方、山を超え礒(いそ)を伝ひ、いさごをふみて、その際十里(じゅうり)、日影ややかたぶくころ、汐風真砂(まさご)を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して、「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色またたのもしきと、蜑(あま)の苫屋に膝をいれて雨の晴るを待つ。その朝、天よく晴れて、朝日花やかにさし出づるほどに、象潟に船をうかぶ。まず能因嶋(のういんじま)に船をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念(かたみ)をのこす。江上に御陵(みささぎ)あり。神功后宮の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。このところに行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲(まけ)ば、風景一眼の中(うち)に尽(つき)て、南に鳥海天をささえ、その陰うつりて江にあり。西は有耶無耶の関(うやむやのせき)、路をかぎり、東に堤を築きて秋田にかよふ道遥(はるか)に、海北にかまえて浪打ち入るる所を汐越といふ。江(え)の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松嶋(まつしま)にかよひてまた異なり。松嶋は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂(たましい)をなやますに似たり。
象潟や 雨に西施が ねぶの花(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)
  汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し(しおこしや つるはぎぬれて うみすずし) 祭礼
  象潟や 料理何くふ 神祭  (きさがたや りょうりなにくう かみまつり) 曾良
  蜑の家 や戸板を敷て 夕涼 (あまのやや といたをしきて ゆうすずみ)美濃の国商人.低耳
岩上に みさごの 巣を見る。
  波こえぬ 契ありてや みさごの巣(なみこえぬ ちぎりありてや みさごのす) 曾良
2021年8月15日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
秋田県にかほ市象潟 象潟きさがたや雨に西施せいしが合歓ねぶの花
(意)象潟の美景の中、雨にぬれる合歓(ねむ)の花は、眠りについた西施の面影を彷彿とさせる
2021年8月15日
日光路 草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家 草の戸も住替る代ぞひなの家
秋田県にかほ市象潟 汐越しほごしや鶴脛はぎぬれて海涼し
(意) 海に足をつけた女性の涼しそうな立ち姿を詠み
「象潟は松島に似てまた違う。松島は笑うようで、象潟は恨むようだ」とも書いている。
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道

九十九島のいくつ見れるか、稲穂の茂る畑のなかに浮かぶ島々の景観はいままで見たことのない景色で感動しながら風に任せてあてなく歩いてみる。
芭蕉は奥の細道の中で松島と象潟を比べ「俤おもかげ松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふが如く、象泻は憾むうらむが如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢 魂を悩ますに似たり」と感想を残している。


絹本着色象潟屏風

(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年4月4日~9日
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2020年9月19日~
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
(一) 日光路
2021年8月~2022年8月
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家
草の戸も住替る代ぞひなの家

途中でその中の一つの島に登って一面の島々を眺めながら持参したバナナを食べ休憩する。ちょうどその時、娘からメールが着信、実家に遊びに行く途中の電車の中からで「お父さん一人で大丈夫?母(M)が今夜は私の好きなコロッケ揚げてくれるらしい」と「自分のわがままで一人旅して皆に心配かけすまない」返信する。


島に登って休憩


おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道


歩きながらこの畑が昔は海だったと感じながら、どこをどう歩いたか足の向くままに九十九島をゆっくり歩き通す。「蚶満寺かんまんじ」を見つけ3時間余りの散策を終えて象潟駅へ戻る。


帰り電車はJR羽越本線13:20分酒田行に乗る。13:58分に酒田駅に到着。
ホテルは駅の真ん前で、駅前の信号を渡った先から入ると観光案内所などがある「MIRAINI」でそこを抜けるとフロントの前の出る。


月のホテル隣接「MIRAINI」

おくのほそ道
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
(一) 日光路
おくのほそ道
酒田「月のホテル」明日は新潟へ移動。電車の時間や乗換ルート確認して休む。
日光路 終
おくのほそ道  日光路終


HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI ARCHIVES PROFILE SITE-MAP



Home Ken & Mary's Second Life
NO-SIDE  It aims at a happy retirement E-mail: no-side@no-side.us
Copyright c1998-2007 Ken & Mary. All rights reserved.