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2020年6月8日 自粛解除になり日蓮上人ゆかりの
法華経寺から武蔵ゆかりの徳願寺まで10`の街歩き
法華経寺
2020年6月8日
徳願寺
2020年6月8日
2020年6月8日
下総中山/法華経寺
本八幡
新行徳/徳願寺
妙典


 
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            日蓮上人(身延山久遠寺)           堺市/妙国寺.直筆曼荼羅   
まち歩き地図⇒


  日蓮上人⇒
    下総中山・法華経寺〜江戸川を渡って妙典まで一日散歩
新型コロナウィルスの全国外出自粛制限が段階的に解除の方向! 
ウィルス対策に今までと違う生活様式が提案され、少しづつ町に活気が出始めた6月8日、運動不足解消に久しぶり一日かけて町歩き。

目的地は下総。K&M亡き両親が 厚く帰依していた日蓮上人ゆかりの下総中山「法華経寺」と少し離れているが宮本武蔵ゆかりの「徳願寺」を結んだ下総一帯を歩く。


過去訪問.日蓮ゆかりの地
東京都:池上本門寺お会式⇒
山梨県:身延・久遠寺⇒
千葉県:小湊・誕生寺⇒
京都府:京都・本能寺⇒
兵庫県:有馬・妙見寺⇒
マスクを着用、水筒、消毒ティッシュなど準備して出発。久しぶりに乗る電車だったがお昼時間でがらがら、みんなソーシャルディスタンスを忠実に順守して席も離れて座っていた。
下総一日街歩きの最初は「京成中山駅」で下車してスタート
今は亡き両親が厚く帰依した日蓮上人ゆかりの法華経寺は下総中山にある。
【縁起】法華経寺HPから転載
當山は、鎌倉時代に日蓮大聖人が最初に開かれた五勝具足の霊場です。
大聖人のご生涯には四度の大きな法難があり、文応元年(1260)松葉ヶ谷の焼き討ちの折、大檀越であった下総若宮の領主富木常忍公と、中山の領主太田乗明公が、当地に大聖人をお迎えして御弘通をお願いされました。大聖人自ら立像釈迦牟尼佛を安置され、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法をなされたことに始まります。
 文永元年(1264)11月11日、大聖人は房州小松原において法難に遭われ、眉間に疵を負う危急の折、鬼子母神さまが出現され、大聖人の一命を救われました。中山に避難された大聖人は鬼子母神さまの霊験を深く感じ、その尊像を御親刻開眼されました。
 爾来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神として、さらに天下泰平、万民快楽、所願成就、子育ての神様として全国のご信者の皆様によって篤く信仰されています。
 弘安五年(1282)に日蓮大聖人がご入滅されると、富木常忍公は出家して、名を日常と改め館を「法華寺」に改めて住持となり、大聖人の御真蹟遺文を恪護されました。その後、若宮法華寺と中山本妙寺を合わせて、現在の正中山法華経寺となりました。

松葉ヶ谷の焼き討ち法難の後ここ下総中山に逃れた
日蓮四大法難と呼ばれるものの一つ。日蓮が、文応元年(1260)7月16日鎌倉幕府の五代執権北条時頼へ『立正安国論』を提出、その内容が当時起こっていた地震、異常気象、疫病、飢餓は、法然を始めとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものとし、幕府へ宗教政策の転換を促す内容であったため、約1ヶ月後の8月27日に浄土教信者である念仏者たちによって草庵を夜間襲撃・焼き討ちされた。日蓮は富木常忍のいる下総国中山に避難した。その後、日蓮は鎌倉に戻り、弘長元年(1261)5月12日に伊豆へ流罪となる。
中山駅から続く門前町を抜け日蓮上人像の立つ山門を入る
山門に境内に続く広い参道を進む
境内には、左に日蓮上人を祀る本堂、正面に五重塔。この五重塔は本阿弥光室が、父の3回忌と母の5回忌にあたる元和8年(1622)に、加賀藩主・前田利光の援助を受けて建てたもので、江戸時代初期の様式をとどめる千葉県唯一の五重塔。関東には江戸時代以前の五重塔は少なく、法華経寺のほかには3基残るだけとか。 

文化財(国指定)法華経寺祖師堂(本堂)
祖師堂(本堂)をお参りする

法華経寺蔵 国宝『立正安国論』(巻頭部分 日蓮 筆)
日蓮の自筆遺文は、入寂後一周忌に収集されたものを「録内」、三周忌に収集されたものを「録外」と呼んでいます。収集は室町時代から江戸時代初期にかけても行われ、さらに現在でも続けられています。法華経寺の聖教殿(しょうぎょうでん)には、『法華取要抄』をはじめ、こうした真蹟類が最多の76点保管されていますが、これは開基の日常や太田乗明(おおたじょうみょう)が多く所蔵していたことに加え、3代日祐によって集められたためです。
日蓮の書は奔放闊達な筆勢で、細目の大きい字で書かれた、長文の書状形式のものが数多く残されています。内容は撰述(詩歌・文章を選んだり書き加えたもの)類、消息類、仏典から抜き書きした要文類に大別され、形式はほとんどが巻子装(かんすそう、巻物仕立て)です。
市川市HPより転載
祖師堂の裏手に法華堂への木造渡り廊下
四足門、鎌倉の愛染堂にあったものを法華経寺に移築したと伝えられ、一時期山門として使われていた。

法華経寺最奥にある鬼子母神堂。日蓮上人親刻の鬼子母神像を安置、子育ての守護神として崇められ、江戸三大鬼子母神の一神として、「比叡山・千日回峰行」「インドのヨガ」とともに、世界三大荒行の一つに数えられる荒行修行道場。
法華経寺参拝して千葉街道を本八幡方面へ向かう。八幡の藪しらず脇を通る。

八幡の藪知らずBy Wikipedia
千葉街道沿い、市川市役所の斜め向い側にあり、現在は付近の人通りも多い。近くには八幡の地名の由来となった八幡神社(葛飾八幡宮)もある。藪の広さは奥行き・幅ともに18mほどで、決して方向感覚を失って迷うほどの広さとは言えない。なお、近年の道路拡張で一部が削り取られている。
古くは細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の樹などが生い茂っており、昭和の末頃までは樹齢を経た木々の鬱蒼とした様を見ることができたが、近年は孟宗竹に侵食され、樹木は僅かに残るのみである。また、藪の中央部が窪んでいるという地形的特徴がある。「藪」の範囲はかつてはさらに広かったとも言われるが、少なくとも江戸時代の文献には既に現在と同程度の広さであったことが記されている。
「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という伝承は、後述するように由来には諸説あるが少なくとも江戸時代から当地で語り継がれており、藪の周りは柵で囲まれ人が入れないようになっている。街道に面して小さな社殿が設けられており、その横には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と記された安政4年(1857年)伊勢屋宇兵衛建立の石碑がある。この社殿は凹状となった藪囲いの外側にあり、社殿の敷地に立ち入って参拝をしたのち大抵の場合は無事に出て来ることができる。
中山・法華経寺から千葉街道を、市川〜本八幡と歩き江戸川を渡り行徳へ。
江戸川に架かる旧・新行徳橋を歩いて渡る
新行徳橋
市川市の八幡地区と行徳地区を結ぶ県道6号市川浦安線の行徳橋が10日午前5時、架け替え工事を終えて開通する。同橋は行徳可動ぜきの管理橋の機能も兼ね、現在の橋は1956年に完成。その後、老朽化が進み、歩道が狭くすれ違いも困難だった。新たな行徳橋は歩道の幅を従来の約3倍に拡張し、耐震性も向上した。新たに設置した橋は全長404メートル、幅11.5メートル。
総事業費は約69億円で、現在の橋は来年度から撤去する予定。開通式典は2月29日に実施する予定だったが、新型コロナウイルス拡大防止の観点から中止した。

旧・新行徳橋

武蔵ゆかりの徳願寺
車の往来の激しい新行徳橋の歩道を歩いて渡り市川市・行徳に入る。ここからまっすぐ進み左側にはディズニーランドもすぐ近い。
新行徳橋から間もなく右に折れると『宮本武蔵』ゆかりの徳願寺に到着。
自粛生活の最中に宮本関連のとりためた映画とドラマを観て興味があって訪ねた。


NHKドラマ 宮本武蔵/役所広司 お通/古手川祐子 佐々木小次郎/中康次
全て原作は吉川英治のもので、原作も以前読んでいた。まず映画は中村錦之介主演の『宮本武蔵』シリーズ全5部作から、次に役所広司主演のNHK「新大型時代劇」全45話、最後に三船敏郎主演のもの。2週間ほどかかって全て視聴する。

映画 宮本武蔵/中村錦之助 お通/入江若葉 佐々木小次郎/高倉健
視聴評価をすると、一番は役所広司のもので45話と長編だがとても演出も出演役者全員が役に見事になり切り最高レベルのドラマと思う。次は中村錦之助のものも原作を丁寧に描いていて最後まで飽きず観れた。三船敏郎のものは全く駄作で演技も下手がっかり。

映画 宮本武蔵/三船敏郎 お通/八千草薫 佐々木小次郎/鶴田浩二
 宮本武蔵伝説の地「海厳山 徳願寺」岡山県HPより
千葉県市川市本行徳にある浄土宗海厳山徳願寺。もと普光庵と呼ばれた草庵で、埼玉県鴻ノ巣にある勝願寺の末寺である。寺の名は徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二文字をとってつけられた。本尊の阿弥陀如来像は北条政子が運慶に命じて彫刻させたものだ。広大な境内に入ると、まずどっしりと構えた山門と鐘楼に目を奪われる。その山門をくぐったすぐ左横にあるのが宮本武蔵の供養塔、等身大の地蔵菩薩石像である。供養塔は、武蔵がこの寺に寝泊まりしていたというゆかりから、水誉上人が武蔵の遺品を集めて地蔵尊を建立しその菩薩を弔ったとされている。
 本寺には武蔵の落款のある書と、八方にらみの達磨の絵がある。書は「五条」の訓えについて書かれ武蔵の思想発展の根幹を知ることができる。
明治19年建立 経蔵
異説・宮本武蔵 下総行状記
吉川英治は一年予定で『宮本武蔵』を連載したが、評判となり、新聞社から連載を3年間に延長され、本来は関ヶ原より、東に行った事がない武蔵を関東まで旅をさせたのだ。吉川英治の創作により、武蔵は中山道をめぐりそして下総法典ケ原で夜盗と戦う事になるのだ。当初、習志野ケ原で武蔵が夜盗と戦うというストーリーを吉川は考えていたらしいが、習志野という地名が明治以降に成立した名前と聞き、法典ケ原という架空の地名をつくりだしたのだ。ところが、後から本当に「船橋法典」という地名ができてしまった。事実が小説に追いついたわけである。事実は小説より、奇なりとはこの事である。地域情報サイト「まいぷれ」より転載
              ............こんな記述もあり岡山県のHPの記事は?? 
宮本武蔵がこの地を訪ねたかは事実か虚偽か判らないが、小説の中といえこの地に逗留したと思ったほうが夢があっていい。

徳願寺参拝して、左に10分ほど歩くと東西線・妙典駅。
東京メトロ・妙典駅から地下鉄に乗って帰る

外出自粛生活の運動不足解消に少しはなっただろう
中山駅から江戸川を渡って妙典駅まで約10`の街歩き


終り
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