八幡浜〜大州〜内子 |
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(9日目)4月12日 |
八幡浜 |
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内子駅 |
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内子街歩き |
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十夜ケ橋永徳寺 |
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4月12日 6:40 八幡浜スーパーホテルで朝食。ビジネスホテルらしく朝から広い食堂にはビジネスマンでいっぱい。歩いて八幡浜駅へ。8:26の電車に乗り内子へ。 |
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内子駅を出て直進して左側の古い家並みの通りを進むとまもなく内子座入口に出る。 |
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内子座 |
明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正5年(1916年)大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋として建設された。回り舞台や花道、桝席、楽屋などがあり当時の建築技術の粋が集められた建造物。
農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかし、地元住民の熱意により改修が決定。昭和60年(1985年)に復原工事が完了し、芝居小屋として再出発を果たした。今は、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されている。 |
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内子座に入ると簡単な案内説明がありあとは奈落も含め自由に見学できる。 |
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内子座入口は遍路道になっていて43番明石寺〜44番大宝寺の中途である。今回のお遍路は終わったのだが、意識しなかったが遍路道を歩いていた。 |
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内子の和蝋燭の老舗「大森和蝋燭屋」でお土産に和ろうそくを買おうと、店内で扱い説明を聞く。しかし扱いが大変で日常使うのは少し無理があり購入しなかった。 |
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内子の和ろうそく
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内子は古い家並みが続きタイムスリップした風景。 |
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内子からへんろ道を約10`さか上り、「十夜ケ橋」を訪ねる。
四国札所をまわるお遍路さんは橋の上で杖を地につけない。その理由は。
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弘法大師が大寒の日にこの橋の下で野宿をしたところ、寒さと空腹などのために寝付けず、一夜とはいえ夜明けまでが十夜の長さに感じられたということから十夜ヶ橋と名付けられた。橋の下に大師の野宿像が祀られており、橋を通る時は橋の下の弘法大師を配慮して、橋を渡る時は必ずお遍路さんは金剛杖を地面につかずに脇に抱えて渡る、不文律がある。ここ十夜ヶ橋で弘法大師が一夜を過ごしたことから生まれた習わし。
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橋のたもとにある 四国別格霊場「十夜ケ橋永徳寺」 |
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「十夜ケ橋永徳寺」からさらに遍路道をさかのぼり大州へ。大州城を横に見ながら肱川橋を渡る。
大州城を横に見ながら肱川橋を渡り大州の街へ入る。橋の途中で41番〜43番寺で一緒になったイタリア人女性遍路さんと一緒に歩いていたお年寄りの一人遍路さんと出くわしびっくり!『気をつけて回って下さい』と声をかけると笑顔いっぱいに『又何処かでお会いしましょう』返事が返ってくる。これから44番に向かって今日はどの当たりで宿をとるのだろうか。 |
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大州・赤レンガの館により大州の観光案内と西大洲駅までの道順を聞く。内子から歩いて来て西大洲駅まで歩くというとたいそう驚かれてしまった。お遍路でもしなければ、この間は20`以上もあり、絶対歩く距離としては考えられなしからだ。 |
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明治34年(1901年)大洲商業銀行として建築されたおおず赤煉瓦館 |
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昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケが行われた大州「おはなはん通り」 |
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大州郊外の西大洲駅から八幡浜へ電車で戻る。 |
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八幡浜スーパーホテルロビーから食堂 |
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4月12日、今夜も昨日と同じロンドンでちゃんぽんとカツカレーの夕食。がらんとしたアーケード街でこの店だけが客も多く元気がある。 |
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ホテルに戻りお風呂に入って明日の九州入の為荷物の整理をする。 |
9日目:歩行数33151
23.8km.
1歩=72pで計算 |
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八幡浜〜別府へ |
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(9日目)4月13日 |
八幡浜港 |
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別府フェリー港 |
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九州横断道路 |
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別府大学 |
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鉄輪温泉いで湯坂 |
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鉄輪温泉/湯の丘 |
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4月13日八幡浜スーパーホテル朝食。焼きたてパンが美味しかった。
今朝も広い食堂はビジネスマンでいっぱい。安いきれいサービスが良いと三拍子揃ったホテルが納得できる。
チェックインの時会計を全て済ませてチェックアウトは不要と合理的で朝食後そのまま仕事場に向かうビジネス客多数。 |
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9:30チェックアウトして八幡浜フェリー乗り場へ。港にどうや市場という市場へ入る。海産物がすごい種類とびっくり価格で売られていて、煮干しやアナゴの燻製などお土産に買う。 |
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宇和島運輸フェリー愛媛/八幡浜〜大分/別府 距離89` 所要2時間50分 2等二人で6200円
10:15分の別府行きフェリーに乗船。 |
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大型フェリーの中はがらがらで一区画独占して寝転びラジオ聞きながら過ごす。 |
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13時過ぎ別府フェリー港に到着。鉄輪温泉までは約5`歩いていく。お遍路の延長の気分。途中道に迷い別府大学前で学生さんに道訊ねながら鉄輪温泉街に入ってくる。 |
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鉄輪温泉 いでゆ坂は長い石畳の坂道でゆっくり見物しながら上っていく。 |
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立ち寄り湯もあちこちにあり、そこらじゅうから温泉の湯気が立ちあがって温泉情緒満点。 |
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名物地獄蒸し |
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今夜の宿は鉄輪温泉「おやど湯の丘」いでゆ坂を登り切りぼうず地獄からされにしばらく先で国道を歩く。 |
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鉄輪温泉「おやど湯の丘」15:00時にやっと到着。 |
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チェックインして、フロント横でウェルカムドリンクとプリンのサービスがある。和室か洋室か部屋の希望聞かれたので和室を希望する。 |
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ウェルカムドリンクとプリン |
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通された部屋は和室で二階のおぼろ月夜。窓の外正面に別府湾の遠望と、内向き窓の下は露天風呂に続く歩道で、林の中のお風呂から湯気を上げている。 |
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お風呂は全部で内風呂2つ、露天風呂が3つあり全て貸し切り風呂で24時間自由に入れる。 |
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5つあるお風呂が全部貸し切りというのは今までに経験がなく、こんなにゆっくり静かに入れるお風呂環境は今までで最上位に評価できるくらい素晴らしい。 |
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5時半から早めに夕食。宿泊客全員一緒に一階レストランで。 |
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おやど湯の丘夕食。 前菜からデザートまで一品一品運ばれてくる。 |
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和牛サーロインは熱した溶岩の上で焼く。 |
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地獄蒸しを使ったり丁寧な料理でとても美味しかった。食事の後もう一度お風呂めぐり。
鉄輪温泉・湯の丘二人で23700円 |
10日目:歩行数11763 8.4km. 1歩=72pで計算 |
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別府〜山香温泉へ | | (9日目)4月12日 | 鉄輪温泉 | | 別府湾 | | 別府大学駅 | | 中山香駅 |
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和風の館内は遊び心もいっぱいでよく工夫されている。 |
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朝食のあと9:00チェックアウト。鉄輪温泉街を別府湾に向って歩く。 |
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昨日混雑して入れなかった足蒸し湯に入る。 |
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初めて入る足蒸し湯 |
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いでゆ坂から見上げるのは貴船城 |
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温泉街中ほどでおはぎを買い、別府湾の見える海岸で食べる。 |
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別府大学駅から13:04分の電車に乗って山香温泉最寄の中山香駅へ。 |
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中山香駅13:32着。山香温泉までは2〜3`あるが歩いていく。 |
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山香温泉/風の郷に14:00到着。チェックイン時間までお風呂でも入って下さいと言われ荷物を預け大浴場へ。 |
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お風呂は露天風呂・丸風呂・角風呂・桶風呂の4つがあり桶風呂は源泉のままなので少し低温だが効きそうなお湯で人気がありなかなか空かない。 |
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部屋は離れ形式でずらっと並んでいる。 |
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お風呂を出てフロントに戻ると荷物は部屋に運ばれていて案内されたのは108号室。 |
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108号室は板縁と中庭がついて、庭には桜が植えられ桜の時期はいいだろうなと思う。 |
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夕食は食事処に用意されている。 |
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この宿も一品一品料理が運ばれてくる。鉄輪もそうだったが関東ではとても考えられない価格で泊まれ、料理・お風呂・部屋みんな九州はレベルが高い。 |
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これだけの料理と設備で二人で21900円! |
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夜はライトアップされ、ここから見る満開の桜はどんなだろう。夜9時過ぎのんびりしていると地震がある。それほどの揺れでなかったが、熊本では震度7の大地震で、温泉ではあまりテレビもつけないので、朝までその事は知らなかった。 |
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熊本地震 (2016年4月14日〜) Wikipedia |
4月14日21時26分、熊本県熊本地方[注釈
1]を震央とする、震源の深さが11km、の地震(前震)が発生し、熊本県益城町で震度7を観測した。その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央とする、震源の深さが12km、の地震(本震)が発生し、熊本県西原村と益城町で震度7を観測した。Mj7.3
は1995年(平成7年)に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模の大地震である。当初、14日に発生したMj6.5
の地震が本震で、その後に発生するものは余震であり地震の規模で上回るとは想定されていなかった。その後、16日未明に上記Mj7.3
の地震が発生したことを受けて、気象庁は同日、後者(16日未明)の地震が本震で、前者(14日)の地震は前震であったと考えられるとする見解を発表している。過去に当初の発表から訂正され、本震と余震が入れ替わる事態は海溝型地震の東北地方太平洋沖地震においても起こっているが、内陸型(活断層型)地震でマグニチュード6.5以上の地震の後にさらに大きな地震が発生するのは地震の観測が日本において開始された1885年(明治18年)以降で初めてのケースであり、また一連の地震活動において震度7が2回観測されるのも初めてのことであった。さらに16日の本震以降、熊本県熊本地方の北東側に位置する熊本県阿蘇地方から大分県西部および中部(別府-万年山断層帯周辺)においても地震が相次ぎ、合わせて3地域で活発な地震活動がみられた。熊本県熊本地方の大地震が離れた地域の地震活動を誘発した可能性(誘発地震)が考えられているが、このような例は気象庁の担当官も「(日本の)近代観測史上、聞いたことがない」としている。これらの理由により、前震・本震・余震の区別が難しいとされ、気象庁は「16日のものが本震とも言えるが、3種の区別をせずに見ていきたい」と説明している。
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大分空港〜羽田空港 | | (12日目)4月15日 | 山香温泉 | | 杵築 | | 杵築街歩き | | 大分空港 | | 羽田空港 | |
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朝起きてスマホを見ると何度も娘から電話があり、メールも着ていて読むと熊本地震で心配しているものだった。ホテルのフロントでも何事もなかったような静けさで朝も朝食前にお風呂にゆっくり入り何も心配いらないと娘に返信する。 |
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今日は杵築を見学して大分空港から帰る予定。
山香温泉・風の郷チェックアウトしてフロントで杵築までコミュニティバス(\100)で行けると説明を受けてホテル入り口でバスの到着を待つ。 |
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山香温泉・風の郷からコミュニティバスで杵築へ(\100)30分で杵築バスセンターに着く。杵築バスセンターのみやげ物売り場で荷物を預かってくれ、身軽になって市内散策にでる。 |
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北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ土塀と石垣の『酢屋の坂』 |
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『番所の坂』 |
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大原邸、能見邸、磯矢邸、佐野家など上級武士たちの屋敷跡が並ぶ北台武家屋敷通り。 |
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「藩校の門」と呼ばれる歴史遺産がそのまま小学校の校門となっている。 |
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ここの出身者『重光葵』は外交官としてのちに外務大臣となる。終戦後アメリカ戦艦ミズーリ号船上で『ポツダム宣言』受諾の降伏文書に記した「重光葵」その人だ。→ |
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塩屋の坂と酢屋の坂、二つの坂は谷町通りを挟み向かいあうように一直線に結ばれている。“サンドイッチ型城下町”。 |
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塩屋の坂 |
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杵築城の絶景スポット南台の東端の展望台 |
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杵築市内散策をしてバスターミナルに戻り12:36分のバスで大分空港へ |
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大分空港発14:35JAL1794便〜羽田空港16:05着。 |
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12日間のお遍路&大分旅行を終える。
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