HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI ARCHIVES PROFILE PROFILE
セカンドライフ シニアの旅 団塊世代KenとMaryのNO-SIDE
2015年7月15・16日  九十九里海岸・安房小湊誕生寺
HOME Ken & Merry's Second Life
≪小湊誕生寺≫
2015年7月15/16日






NO-SIDEホームへ
HOME

K&MSecond Life



フランスから帰国したタダオを連れ千葉・小湊へ。タダオ小学校1年生最後の夏休み。
台風12号接近中だが嵐の前の静けさ、房総の海は抜けるような青い空だった。


外房線/安房小湊駅



駅から宿・吉夢の送迎バスに乗りホテルへ、荷物を預け 誕生寺へ。


小湊誕生寺に過去2度来ている。最初に来たのは、43年前で日蓮さんの熱心な信者だったMの父母に連れられてお参りした時は、門前の旅館に泊まった記憶がある。2度目は40年前Kの母を案内して来ている。


誕生寺は1276年(建治2年)日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立。
2度の大地震、大津波により現在地に移転された。(生家跡伝承地は沖合いの海中にある)


40年も前に2度来たお寺だが、遠い記憶と面影は写真でしか見られないが、参堂正面の祖師堂は当時と変わっていない。

幼い日蓮像

日蓮の生涯
1222年(貞応元年)2月16日安房国長狭郡東条郷片海(旧.安房郡天津小湊町)で誕生。幼名は「善日麿」であったと伝えられている。父は三国大夫(現静岡県袋井市貫名一族出自)重忠、母は梅菊とされている。日蓮は『本尊問答抄』で「海人が子なり」『佐渡御勘気抄』に「海辺の施陀羅が子なり」『善無畏三蔵抄』に「片海の石中の賎民が子なり」『種種御振舞御書』に「日蓮貧道の身と生まれて」等と述べている。
1233年(天福元年)清澄寺の道善房に入門。
1238年(暦仁元年)出家し「是生房蓮長」の名を与えられた(是聖房とも)。
1245年(寛元3年)比叡山・定光院に住し、俊範法印に就学した。
1246年(寛元4年)三井寺へ遊学。1248年(宝治2年)薬師寺、仁和寺へ遊学。
1248年(宝治2年)高野山・五坊寂静院へ遊学。1250年(建長2年)天王寺、東寺へ遊学。
1253年(建長5年)4月28日朝、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱える(立教開宗)。この日の正午には清澄寺持仏堂で初説法を行った。名を日蓮と改め中院.尊海僧正より恵心流の伝法灌頂を受ける。
1254年(建長6年)清澄寺を退出。鎌倉にて辻説法を開始。
1257年(正嘉元年)富士山興法寺大鏡坊に法華経を奉納。
1260年(文応元年)7月16日立正安国論を著わし、前執権で幕府最高実力者の北条時頼に送る。安国論建白の40日後、他宗の僧ら数千人により松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされるも難を逃れる。「松葉ヶ谷法難」
1261年(弘長元年)5月12日、幕府によって伊豆国伊東(現在の静岡県伊東市)へ配流(伊豆法難)。
1264年(文永元年)安房国小松原(鴨川市)で念仏信仰者の地頭東条景信に襲われ、左腕と額を負傷、門下の工藤吉隆と鏡忍房日暁を失う。 「小松原法難」
1268年(文永5年)蒙古から幕府へ国書が届き、他国からの侵略の危機が現実となる。日蓮は執権北条時宗、平頼綱、建長寺蘭渓道隆、極楽寺良観などに書状を送り、他宗派との公場対決を迫る。
1269年(文永6年)富士山に経塚を築く。
1271年(文永8年) 7月 極楽寺良観の祈雨対決の敗北を指摘。 9月 良観・念阿弥陀仏等が連名で幕府に日蓮を訴える。 平頼綱により幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で捕らえられ、腰越龍ノ口刑場(藤沢市片瀬、龍口寺)にて処刑されかけるが、処刑を免れる。
10月 評定の結果佐渡へ流罪。流罪中の3年間に『開目抄』『観心本尊抄』などを著述。また法華曼荼羅を完成させた。日蓮の教学や人生はこれ以前と以後で大きく変わることから、日蓮の研究者はこの佐渡流罪を重要な契機としてその人生を二分して考えることが一般的である。
1274年(文永11年)春に赦免となり、幕府評定所へ呼び出され、頼綱から蒙古来襲の予見を聞かれるが、日蓮は「よも今年はすごし候はじ」と答え、同時に法華経を立てよという幕府に対する3度目の諌暁をおこなう。その後、身延一帯の地頭である南部実長の招きに応じて身延入山。身延山を寄進され身延山久遠寺を開山。
1274年(文永11年)、蒙古襲来(文永の役)。予言してから5か月後にあたる。
1277年(建治3年)9月、身延山山頂からの下山中、日蓮がお弟子一同に説法をしていた。それを聞いていた七面天女がその場の皆に自己紹介をし、さらに竜の姿となって隣の七面山山頂へと飛んで行き一同を驚かし、感激させたという伝承が残される。
1281年(弘安4年)蒙古軍再襲来(弘安の役)
1282年(弘安5年) 9月8日病を得て、地頭.波木井実長の領地である常陸国へ湯治に向かうため身延を下山。10日後.弘安5年9月18日、武蔵国池上宗仲邸(現在の本行寺)へ到着。池上氏が館の背後の山上に建立した一宇を開堂供養し長栄山本門寺と命名。10月8日死を前に弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を後継者と定め、弟子達が六老僧と呼ばれる。
10月13日辰の刻(午前8時頃)、池上宗仲邸にて死去。現在、大本山池上本門寺となっている。享年61(満60歳)。

子供お守り&交通安全お守りを購入

地元食堂で好物(スクランブル)カレー

台風接近中なので漁船はみな陸に上げられている。


誕生寺にお参りした後、小湊駅前に広がる海へ。


小湊の海岸は九十九里最南端 内浦海水浴場。海開き前と大波が押し寄せる台風の影響で誰もいない。


エマ君・タダオは荒波の中に入るが泳げることは出来なそう。


海岸近くで遊んでからホテルに戻る。


ホテル前の足湯に入る。
満ちてくる心の宿 吉夢…宿のHPより抜粋

702号室

お風呂に入って18時から夕食は個室料亭「阿うん」

個室料亭「阿うん」夕食

台風12号が接近、明日の天気予報は朝から雨模様。

夕食後ホテル近くの駐車場で花火をする。

7月16日
      一階レストランで朝食。

午前11時、ホテルの車で安房小湊駅へ。11:47わかしお12号東京行きで帰る。
7月19日タダオはフランスへ、9月から2年生の授業が始まる。
HOME  | 海外紀行 | 日本紀行 | 札所紀行 | 小さな旅・温泉 | RETIREMENT | HIT-PRADE| PET | ARCHIVE | PROFILE | SITE-MAP 

Ken & Merry's Second Life

NO-SIDE  It aims at a happy retirement E-mail: no-side@no-side.us
Copyright c1998-2007 Ken&Mary. All rights reserved.