HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 RETIREMENT HIT-PRADE PET ARCHIVES PROFILE SITE-MAP
HOME Ken & Mary's Second Life
徳島〜室戸岬〜高知へ歩く

2014年3月24〜4月4日
徳島〜佐喜浜
2014年3月23〜27日
室戸〜安芸
2014年3月28〜31日
高知市内
2014年4月01〜04日
徳島〜佐喜浜 2014年3月23〜27日
徳島から高知.佐喜浜
(1日目)3月23日
東京ディズニーランド
アネックス
徳島駅
(2日目)3月24日
徳島駅〜生名
徳島勝浦町
20番鶴林寺
21番大龍寺
遍路宿/山茶花
今日の遍路ルート⇒
続き(2)⇒ 続き(3)⇒
お遍路行脚を見る

四国遍路ページ⇒
四国遍路
2013年第1回⇒
2014年第2回⇒
2016年第3回⇒
2017年第4回⇒
2018年第5回(終)⇒



2014年3月・高知県東洋町野根川付近


東京ディズニーランドアネックス〜徳島行きバスで四国遍路へ

出発
四国遍路2度目は、2014年3月23日(日)20時発 東京ディズニーランドバスターミナル発のコトバス(琴平電鉄バス)深夜便で徳島に向かう。バスはプレミアムシートとバス会社自慢の3列席で割合ゆったり。140°リクライニングは足を伸ばすと寝るには充分の広さがあった。


徳島駅から生名へ
深夜便はバス会社の案内とは裏腹にとても苦痛の10時間だった

飛行機は一日目の行動が午後からになってしまうが、長距離バスは徳島に早朝6時着なので一日フルに活用できるということで深夜バスに乗って行く。しかし効率的な思惑とは全く違う地獄ような一日が待っていた。。
バスは新宿経由で東名高速道路〜神戸〜淡路島〜徳島駅まで670km乗車時間10時間、ゆっくり寝て起きる頃に徳島に着くと思っていたが、ほとんど眠れず何度寝返りをうったことだろう苦痛この上ない。
やっと6時30分長い夜が明け時刻通り徳島駅前に到着。


生名バス停で着替えていると近所の方から早速みかんのお接待を受ける。

深夜便バスから開放されて徳島駅前5番バス乗り場から6:50横瀬行きに乗り約1時間生名バス停で下車。
そこで遍路衣装に着替える。着替えていると近所のおじさんがみかんを2袋持ってお接待をしてくれる。
出発前からお接待を受け幸先がいい、いよいよ出発だ。気持ちは天気のように日本晴れ...
しかし、 このあと地獄の遍路が待ち受けているとは夢にも思わなかった。去年の遍路は19番で終わっていたので今回は20番札所鶴林寺を目指して歩き始める。

今日の遍路(1)⇒  遍路続き(2)⇒  遍路続き(3)⇒
20番〜21番大龍寺〜22番平等寺は地図にない厳しい二つの遍路ころがしを越えて進む。

20番鶴林寺までは3キロあまりの距離だが厳しい登り山道を行く。徳島では3つの遍路ころがし(難路)がありここの登山道もその一つ。 生名を出て間もなく展望が開け案内図を見る。 最初にお参りする20番・鶴林寺の次に向かう21番・大龍寺は遥か彼方の山頂なのだ。えーっという感じ。



遍路ころがしと呼ばれる山道を約二時間登り、今回の遍路最初のお寺、四国八八ケ所/20番・鶴林寺に到着。

四国八八ケ所
20番/鶴林寺
標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573?92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。
20番・鶴林寺。

20番札所鶴林寺から21番大龍寺へ徳島で三つの難所遍路ころがしの今日2つめのきつい山道を登る。


鶴林寺を下り廃校になった『大井小学校』のお遍路さんおトイレをご利用くださいの案内に導かれ行く。
地域のボランティアの努力で廃校後の学校が綺麗に保存されている。


小学校でおトイレのお接待を受けて那賀川の大井橋を渡る。四国はどこも清流でここもきれいな流れだ。


那賀川から山道は又急峻な遍路道が続き。午後1時過ぎにやっと大龍寺に到着。
この辺からMの右足膝に痛みが発生。昨夜のバス車中での一晩中不自然な姿勢でいたのと一日目から急な山道を歩き続けたせいだろうか。

四国八八ケ所
21番/大龍寺寺

「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約6メートルの「舎心嶽」という岩上で、1日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781?86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573?92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。

21番大龍寺
今日の遍路(1)⇒  遍路続き(2)⇒  続き(3)⇒
20番〜21番大龍寺〜22番平等寺は地図にない厳しい二つの遍路ころがしを越えて進む。

大龍寺をお参りした後22番平等寺へは約12〜13`。ひたすら歩くがMは膝の痛みが増して引きずるようにして普段の半分くらいのスピードでなかなか進まない。特に『道の駅わじき』先の小さな峠では登り坂は足があがらなく、リュックを外させて背中と前にリュックを持ってあげる。杖を両手に持たせて一歩一歩ゆっくり進む。あとどの位あるだろうか、タクシーを呼ぼうにも山道の中では無理なので歩くしかない。日も暮れかけてきて二人共限界に近い状態でやっと峠の頂点に着く。下り道は登り以上に辛そうで何度も転びそうになりながら杖をつっかえ棒にしながら下っていく。やっと林のむこうに民家の屋根が遠くに見え始めた。しかしまだ宿はだいぶ先の様子。17時過ぎだ。そこから今夜の宿『山茶花』に電話する。
やっと山道を抜けて一般道に入るがMの足はもう進まない。そこへ小型トラックが通りかかり声をかけてくれ山茶花をよく知っている地元の人で乗っていきなさいと嬉しい言葉。地獄に仏とはまさにこういうことと思う。


遍路宿『山茶花』には夕方6時過ぎに到着。Mは靴をぬいで、わずかな高さのあがりはなで足が上がらないほど疲れきっていた。部屋に通され倒れこむ。やっと浴衣に着替えてお風呂にはいる。天国のように気持ちいい。
お風呂から出て夕食は先に食事を済ませたお遍路さんたち数名が雑談に花が咲いていた。
あまりの疲労に話の輪にも入らずすぐ部屋でふとんを引いて横になる。

遍路宿・山茶花1泊2食付き6500円

一日目にこんな思いをしてしまって明日から10日間もお遍路して廻れるのか不安でいっぱいになる。
遍路宿『山茶花』の夜は二人共何度も足がつってなかなか寝付けなかった。

(3日目)3月25日
遍路宿/山茶花
新野駅
由岐
田井の浜
日和佐
23番薬王寺
薬王寺温泉
ホテル/ケアンズ
遍路二日目ルート⇒
続き(2)⇒続き(3)⇒

四国遍路ページ⇒
四国遍路
2013年第1回⇒
2014年第2回⇒
2016年第3回⇒
2017年第4回⇒
2018年第5回(終)⇒

二日目の朝6時食堂では他のお遍路さん達の元気な声がする。半信半疑で二人で体の様子をチェックする。痛みは残っているものの何とか動けそう。朝食後22番平等寺をお参りする。
新野駅までは40分位かかるらしく宿の好意で車に乗せてもらう。

昨日の疲れが残り足に不安があったので 新野駅から由岐駅まで電車に乗る。

夏の海水浴時期だけ開業する田井の浜駅、今は電車は通過していく。



田井の浜海岸をMの足の具合を確認しながらゆっくり歩く。思ったより回復していたが無理をしないで注意しながら歩く。


田井の浜から美波町に入って道すがら、『徳さんのお遍路さん』で徳光さんが立ち寄った「にいや食料品店」前にでる。徳光さんも放映中に食べた「フィッシュかつ」を真似て買って食べる。 たんに魚すり身のカツで味はまずまず。


今日の宿は日和佐駅前のビジネスホテル・ケアンズ。二階の部屋にMは脚を上げ登るのがきつそうだった。
 (ツインルーム食事無8500円)


日和佐道の駅・足湯

二十三番・薬王寺に参拝する。女坂/男坂はかなり急な石段で、1円玉を置きながら登る風習があり石段は1円玉でいっぱい。Mの足を気遣いながら石段は無事登り本堂へ。

吉川英治作
鳴門秘帖に登場した薬王寺
「各々の尋ねている法月弦之丞でござるが・・・」薬王寺の石段を下って来る同心衆の路をふさいだ怪しい遍路の壮重な宣言である。「今この境内で召捕られた二人の縄付を拙者の手へ渡してもらいたい」吉川英治の代表作『鳴門秘帖』剣山の巻に徳川の隠密、法月弦之丞(小説の主人公)が剣山の山牢に閉じ込められている甲賀世阿弥を救出するため、阿波に潜入して日和佐に忍び薬王寺を舞台に活劇を見せるのである。「遍路の歌」と題するこの一段は傑作中の傑作と思われる。阿波では徳島は 別として、薬王寺と剣山と鳴門との三ヶ所が舞台に選ばれている。かくて薬王寺は小説上の名所として全国に知られることになった。なお作者は一応日和佐を視察したようで、厄除橋、男坂、女坂、星越などの地名が記されている。
薬王寺境内・大楠

薬王寺参拝の帰りに門前にある薬王寺温泉(日帰り湯)に入る。 

薬王寺温泉(入浴料500円)
日和佐駅ホテルケアンズ泊。



(4日目)3月26日
高知県/日和佐
牟岐
鯖大師
海部
宍喰温泉
遍路宿/はるる
4日目続き(2)⇒
四国遍路ページ⇒
四国遍路
2013年第1回⇒
2014年第2回⇒
2016年第3回⇒
2017年第4回⇒
2018年第5回(終)⇒

今日もMの足の状態を考え無理させられないので日和佐〜牟岐まで電車で移動する。


野口雨情作詞
牟岐みなと節歌碑


牟岐駅から八坂八浜の海の遍路道を越え番外札所鯖大師に立ち寄る。


鯖大師門前にある『鯖大福』大福と手打ちうどんの店で休憩。





Mは足の痛みがまだ残っている。鯖大師最寄の鯖瀬駅から海部駅まで電車に乗り海部からまた歩き始める。
絶景の那佐湾を進む。 湾にある二子島は長宗我部元親の末弟島弥九郎の悲劇のあった場所。


那佐湾の先のお好みやさんに入り昼食休憩。ジャンボ尾崎も帰省した際たまに寄ってくれると嬉しそうに話してた。


今日の宿は「温泉民宿・はるる亭」一泊二食付き@7000x2=14000円。


「温泉民宿・はるる亭」宿泊客はうちの二人だけ。大浴場は温泉で数回入りのんびりゆっくりして本当に疲れがとれる。

『温泉民宿はるる亭』の夕食
(5日目)3月27日
温泉民宿はるる亭
水床トンネル
高知県/甲浦
高知県/野根
佐喜浜
民宿/徳増
遍路5日目ルート⇒


四国遍路ページ⇒
四国遍路
2013年第1回⇒
2014年第2回⇒
2016年第3回⇒
2017年第4回⇒
2018年第5回(終)⇒
宍喰温泉先の魚市場


四国遍路も徳島県(発心の道場)県境 水床トンネルを抜け高知県(修行の道場)に入る。

高知県東洋町甲浦港


番外札所明徳寺に参拝して、高知県東洋町野根の古い街並みの遍路道を進み野根川(みなとくぼばし)を渡る。川の岸辺には遥かむこうの山裾まで満開の桜が咲き誇っていた。


高知県室戸市佐喜浜海岸を行く。


佐喜浜を前にした『室戸市佐喜浜 遍路宿・徳増 一泊二食6200円』に到着。二階の角部屋で荷を下ろして早速お風呂をいただき、洗濯機をお借りしたまった衣類を洗濯する。


遍路宿・徳増の働き者の大女将さん。家族経営でとてもゆっくり休める遍路宿だった。質素な玄関。


室戸市佐喜浜 遍路宿・徳増2階の部屋から見る夕陽がとてもきれい。台風銀座の海だがこの日は穏やかで波音も心地いい。

四国遍路ページ⇒
四国遍路
2013年第1回⇒
2014年第2回⇒
2016年第3回⇒
2017年第4回⇒
2018年第5回(終)⇒
遍路宿・徳増の夕食・朝食は地産地消で暖かい。 

明日はいよいよ弘法大師も修行をした遺跡の残る室戸岬へ向かう。
次n 室戸〜安芸へ
徳島〜佐喜浜
2014年3月23〜27日
室戸〜安芸
2014年3月28〜31日
高知市内
2014年4月01〜04日
HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 RETIREMENT HIT-PRADE PET ARCHIVES PROFILE SITE-MAP


セカンドライフ シニアの旅 団塊世代KenとMaryのNO-SIDE 
HOME Ken & Merry's Second Life

NO-SIDE  It aims at a happy retirement E-mail: no-side@no-side.us
Copyright c1998-2007 Ken&Mary. All rights reserved.