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徳島~室戸岬~高知へ歩く
2014年3月24~4月4日
徳島~佐喜浜
2014年3月23~27日
室戸~安芸
2014年3月28~31日
高知市内
2014年4月01~04日
(2) 室戸~安芸
2014年3月28~31日
(6日目)3月28日
高知県佐喜浜
室戸/御厨人窟
室戸岬
二十四番最御崎寺
二十五津照寺
遍路宿/うまめの木
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四国遍路
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佐喜浜から室戸岬への遍路道は国道を離れ椎名集落を抜ける。

Mの足・膝はだいぶ回復して歩くのにほとんど支障ないほどに回復していた。一日目の遍路ころがしでは先に進むのは無理ではないかと中止することも考えていたが、奇跡的な回復だと思う。



佐喜浜を出発して好天の海沿いの遍路道を一気に南下して室戸岬を目指してひたすら歩く。M普通に歩けるようになり、やっと本当のお遍路が始まった気持ちである。



足の具合も良く余裕が出てきたのかMは沿道の春の草花を足を止め撮影していく。


室戸岬の山裾に 高さ21㍍の白色『青年大師像』が海に向かって立っている。
昭和59年11月、信者や一般の方々の寄進によって建立。



室戸岬近くの山裾に白い『青年大師像』  
そこから間もなく若き弘法大師が修行したと伝えられる『御厨人窟』前に到着する。


御厨人窟
御厨人窟と神明窟は国道55号沿い室戸岬東側に位置する隆起海蝕洞。洞窟前の駐車スペースとなっている場所は波食台であり洞窟上部の崖は海食崖である。御厨人窟の向かって右側に神明窟がある。それぞれ祠が祀られており、御厨人窟には五所神社があり祭神は大国主命、神明窟は神明宮があり祭神は大日孁貴となっている。御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられている。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされる。また、神明窟で難行を積んだと伝えられる。難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。神明窟は2012年秋より、落石のため立入禁止となっている。洞窟の中で聞こえる豪快な波の音は「室戸岬・御厨人窟の波音」として環境省の残したい「日本の音風景100選」に選定されている。

御厨人窟は四国遍路する者にとっては聖地の一つに感ずる場所である。


御厨人窟の近くの岩礁には大師が修行中につかったという行水の池などがある。


御厨人窟をゆっくり見た後、二十四番最御崎寺のある山頂目指して山に分け入る。


佐喜浜から20㌔以上歩い後の山道はそれほど険しくはないが体力を消耗する。


二十四番最御崎寺山門に到着。
室戸岬と弘法大師

大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、
二十四番最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。


二十四番最御崎寺。


  室戸岬灯台

高知県室戸市室戸岬町に立つ白亜の鉄造灯台。周辺は、室戸阿南海岸国定公園に指定、太平洋を望む風光明媚の地。光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある。更には、日本の灯台50選の一つ、その歴史的価値から海上保安庁によってAランクの保存灯台にも指定されており、まさに日本を代表する灯台のひとつ。
二十四番最御崎寺参拝すんで近くの室戸岬灯台へ。


室戸岬灯台から室戸スカイラインを下る。車道だが車では、ヒューっと走り抜けるしかないが、それではもったいない雄大な景観が広がっている。

スカイラインを下りきって、今夜の宿『うまめの木』に14時到着。チェックインするのには早いので、そこから5㌔先の二十五番津照寺へ頑張って行くことにする。

紀貫之の泊舟の碑
紀貫之が、延長八年(930年)土佐守を命ぜられ四年間の任期をおえて、船で都への帰途についたが天候不順で室戸岬をこえることができず津呂の港に十日間留った。貫之の記した土佐日記には「十六日風波やまねばなほおなじ所にとまれり。ただ海に波なくして、いつしか御崎という所渡らむとのみなむ思ふ。風波ともにやむべくもあらず。十七日くもれる雲なくなりてあかつき月夜いともおもしければ、舟を出して漕ぎゆく。(中略)夜ようやく明けゆくに揖とりら"黒き雲にはかにいで来ぬ。風吹きぬべし。御舟かへしてむ"といひて舟かへる。このあひだに雨ふりぬ。いとわびし」とある。
935年紀貫之が土佐国守の任務を終え都に帰る寄港した場所に建つ碑
二十五番津照寺
大師堂室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれています。弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。 
はじめ長曽我部氏の庇護をうけ津寺村と称して七町余の地高を有しその後、山内氏が国主として入国してより更に一町五反余の田地を寄附され寺院の運営も全て藩営とされ中老格をもって遇され隆盛を極めておりましたが、明治の改革に遭い地領は一旦政府に没収亦は小作農民に払い下げとなり寺は廃寺とされました。 荒廃にまかすこと約十数年明治十六年ようやく寺名復興を許され今日に至ったのでありますが寺域は極度に狭められ昔日のおもかげはなく、只本堂が地蔵堂としてのこり御殿と申された庫裏の一角が当時小学校として残っておりました。現在、小学校は移転され、大師堂は昭和38年、本堂は昭和50年に新築されたものです。現在津照寺と呼ばれるが、古くから津寺という。海・津に縁が深いからであろう。御詠歌  法の舟 入るか出るか この津寺 迷ふ吾身を のせてたまへや
二十五番・津照寺

25番津照寺から電話してうまめの木から宿の好意で迎えに来てもらう。


『うまめの木』下が喫茶店で二階に3部屋だけの
小さな遍路宿。二階の部屋からは目の前に雄大な室戸の海。台風が直撃したらさぞすさまじいことだろう。


『うまめの木』の2階の窓から室田岬の夕陽


『うまめの木』は椎名誠さんも過去に宿泊した遍路宿。(一泊二食付き6800x2=13600円)



『うまめの木』の夕食はカツオのタタキにキンメの煮付けと珍しい食材 左は「亀の手」という磯の岩肌に生息している貝、右はまんぼうのひも、どちらも姿の通りあまり美味しくなかった。





)(7日目)3月29日
遍路宿/うまめの木
室津港
26番金剛頂寺
室戸/吉良川町
羽根町/御霊跡
奈半利/ホテル奈半利
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四国八十八ケ所・二十六番金剛頂寺

吉良川のあちこちにはどこをむいても、名産ビワの畑がいっぱい。


吉良川の旧土佐街道の古い街並み。
パンのポリ袋の先に吉良川町に昔から伝わる、漆喰を雨水から守る「水切り瓦」の家が見える。

徳さんがパンの接待を
受けたパン屋さん。

テレビの『徳さんのお遍路さん』に登場し徳光さんがパンのお接待を受けた徳屋さんでお昼にパンを買う。
焼きたてパンがとても美味しかった。



土佐湾を眺める遍路道で休憩



羽根町から弘法大師の伝説の残る御霊跡をお参りする。奈半利の町へはあと一息の所で急な雨、雨具に身を固めて進む。 佐喜浜の『徳増さん』室戸の『うまめの木』と2ヶ所の宿で一緒だった、長野から来ていた、お二人のお遍路さんが挨拶しながら追い越して行く。



ホテル奈半利に到着。ロビーで先ほど追い越して行かれた長野のお二人とまた再開今夜も同宿になる。



『ホテル奈半利』では他に外人お遍路さん、70歳代だろうご年配のお遍路さんも宿泊していた。 
一泊夕食付き4400x2=8800円格安だが綺麗。


『ホテル奈半利』夕食のまぐろ丼は美味。
部屋は広いツインルーム/前庭に強い雨に耐え咲く満開の桜



)(8日目)3月30日
奈半利/ホテル奈半利
27番神峯寺
唐浜
安芸
自転車で安芸市内観光
安芸/野良時計
岩崎弥太郎生家
安芸/ホテルTAMAI
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ホテル奈半利の朝食は500円(おむすび/パン/味噌汁/ジュース/など自由)

朝起きると豪雨で昼頃に天気が回復する予報なので今日は遅出して唐浜まで電車で行くことにする。


唐浜駅から遥か先の神峯寺のある山に向かって歩く。


二十七番神峯寺


二十七番神峯寺から山を下りて唐浜駅に戻る。


安芸駅。安芸タイガース球場「ごめんなはり線」駅らしく電車ボディにはタイガース応援メッセージが。


安芸駅から徒歩5分、ホテルTAMIにチェックイン。一泊二食7140x2=14280円


安芸駅に戻り自転車の無料レンタルを利用して安芸市内見学へ。


安芸駅に戻り自転車の無料レンタルを利用して安芸市内見学へ。安芸出身の弘田龍太郎の歌碑は市内に


   弘田龍太郎
明治25(1892)年6月30日安芸郡土居村西木戸(現在の安芸市土居)生まれ。3歳の時父の転任により千葉へ。その後、三重の中学校を卒業し、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学する。卒業と同時に、同校の助手を勤め、その後、講師を経て教授となる。童謡「叱られて」「靴が鳴る」「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」「雨」「鯉のぼり」「夕焼け小焼け」などや、オペラ「西浦の神」「月姫」、歌曲「小諸なる古城のほとり」、など名曲を次々と発表、童謡・歌曲作家としての地位を確立。 晩年は、作曲活動のかたわら、幼児教育に携わり、放送講習会やリズム遊びの指導にあたる。


土居村(現在の安芸市土居)の大地主・畠中源馬は時計に興味を持ち。明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、やがて自作の時計を作ることを思い立ち、独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。当時は殆どの人が時計を持っておらず、周囲の田園で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立っていたと言われる。
平成8年(1996年)国の登録有形文化財となった。1988年朝の連ドラ「ノンちゃんの夢」にも登場
安芸・野良時計

岩崎弥太郎生家
    岩崎弥太郎
高知県安芸市、岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主・山内豊熈に漢詩を披露し才を認められる。21歳の時、学問で身を立てるべく江戸へ遊学し安積艮斎の塾に入塾する、安政2年(1855年)、父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。父の冤罪を訴えたことにより弥太郎も投獄されるが、この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となった。出獄後、村を追放されるが、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾。後藤象二郎らの知遇を得る。東洋が参政となるとこれに仕え、藩吏の一員として長崎に派遣されるが、公金で遊蕩したことから半年後に帰国させられる。この頃、27歳で弥太郎は長岡郡三和村の郷士・高芝重春(玄馬)の次女喜勢を娶る。
土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などにも従事していた弥太郎は、吉田東洋が暗殺されるとその犯人の探索を命じられ、同僚の井上佐市郎と共に藩主の江戸参勤に同行する形で大坂へ赴く。しかし、必要な届出に不備があったことを咎められ帰国(尊王攘夷派が勢いを増す京坂での捕縛業務の困難さから任務を放棄し、無断帰国したともいわれる)。この直後、大坂に残っていた井上は岡田以蔵らによって暗殺されており、弥太郎は九死に一生を得た。帰国後、弥太郎は長崎での藩費浪費の責任なども問われ、役職を辞した。慶応3年(1867年)、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関となると、藩命を受け隊の経理を担当した。なお、記録上確認できる弥太郎と龍馬の最初の接点はこの時である。弥太郎と龍馬は不仲であったともいわれるが、弥太郎は龍馬と酒を酌み交わすなどの交流があった様子を日記に記しており、龍馬が長崎を離れる際には多額の餞別を贈っている。明治元年(1868年)、長崎の土佐商会が閉鎖されると、開成館大阪出張所(大阪商会)に移る。翌、明治2年(1869年)10月、大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は海運業に従事する。このころ、土佐屋善兵衛を称している。廃藩置県後の明治6年(1873年)に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始め、現在の大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷(土佐稲荷神社付近)に九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせ、広く知られる三菱のマーク「スリーダイヤ」を作った。三菱商会では出自を差別せず、海援隊や士族出身の社員に対しても徹底して商人としての教育を施した。
安芸・岩崎弥太郎生家
安芸・岩崎弥太郎生家

安芸・ホテルTAMAIの夕食

安芸・ホテルTAMAIの朝食
)(9日目)3月31日
安芸/ホテルTAMAI
赤野
琴ヶ浜
赤岡
夜須
高知野市/黒潮ホテル
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安芸市からは土佐湾沿いのサイクリングロードが遍路道となっているので快適に歩いていける。




赤野の休憩所前は遠浅の広大な砂浜


赤野の休憩所からサイクリングロード両側の桜も満開。

ごめんなはり線高架も海と並行に走っている。

延々と続くサイクリングロード・安芸市桜浜付近

高知新聞に「ほんわか温か お接待小屋」 と紹介された,
栗山修一さん(71歳)英子さん(70歳)ご夫妻が 「長い人生を無事に生きてこられたお礼に」と始められた接待所で一休み。お茶やお菓子が用意され壁一面に絵や歌の色紙がいっぱい。


今度の遍路は海岸線を沢山歩いたが中でもここが一番の絶景と思う「琴ヶ浜」の野外劇場東に坂本龍馬の妻お龍・君枝姉妹の像が建つ。 お龍さんは桂浜の坂本龍馬像に向かって手を振っている。


琴ヶ浜という四股名の大関がいたがここ琴ヶ浜とは関係ない。



琴ヶ浜という四股名の大関がいたがここ琴ヶ浜とは関係ない。


「かがみ花フェスタ会場」 香南市香我美町

かがみ花フェスタ
遍路道脇で「かがみ花フェスタ」 香南市香我美町

道の駅やす(高知県香南市夜須町)で。

黒潮ホテル。お遍路さんパック一泊二食7500x2=15000円
黒潮ホテル。夕食のお弁当

黒潮ホテルは天然温泉。いいお風呂で近隣から地元の人達沢山入浴に来ていた。

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明日は最後の目的地高知市内に入る。

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高知市内
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