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流転の王妃の足跡を訪ねて
流転の王妃
≪愛新覚羅浩≫

の足跡を訪ねて
2012年6月



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  『流転の王妃』の足跡を訪ねる。
嵯峨浩・溥傑さんご夫妻
『流転の王妃』の映画を感慨深く見て、その王妃 嵯峨 浩(さが ひろ)と溥傑さん≪ラストエンペラー≫溥儀さんの弟) ご夫妻が昭和12年ひととき暮らした旧家が千葉に残されたいるのを知り、日曜散歩で出かける。
激動の時代に翻弄され続けた二人だったがここでの僅かな時間は幸せなひと時だった。

旧居見学スタートは京葉線稲毛海岸駅から。

駅から稲毛神社への道は大通りを真っ直ぐ進んだ先。

国道14号線陸橋から稲毛浅間神社の鳥居が見える。
陸橋を渡って坂道途中に神社参道があり、そこを右にそれた路地を入ると「千葉市ゆかりの家」とかかれた建物があり、そこが愛新覚羅溥傑氏夫妻が滞在した家だった。

玄関を入ると常駐している担当の方が『お二人の滞在は短期間でしたが、激動の時代最も幸せなひと時ではなかったでしょうか』と話されていた。


嵯峨 浩(さが ひろ)さん。
1914年(大正3年)3月16日~1987年(昭和62年)6月20日。 愛新覚羅溥傑(満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)氏の妻。
その波乱万丈な人生から『流転の王妃』と呼ばれている。
≪嵯峨 浩さんの生涯≫ 

 戦前 
1914年(大正3年)3月16日、侯爵嵯峨実勝と尚子夫人の第一子として東京で生まれた。嵯峨家は藤原北家閑院流の三条家の分家で、大臣家の家格をもつ正親町三条家が、明治維新後に三条実美の転法輪三条家と混同されることを避けるため改称したものである。明治17年(1884年)の華族令では家格に基づき公勝に伯爵が叙爵されたが、明治21年(1888年)になって「父・実愛の維新の功績」により嵯峨家は侯爵に陞爵している。
浩が女子学習院を卒業した1936年(昭和11年)当時、日本の陸軍士官学校を卒業して千葉県に住んでいた満州国皇帝溥儀の弟・溥傑と日本人女性との縁談が、関東軍の主導で進められていた。当初溥儀は、溥傑を日本の皇族女子と結婚させたいという意向を持っていた。しかし日本の皇室典範は、皇族女子の配偶者を日本の皇族、王公族、または特に認許された華族の男子に限定していたため、たとえ満州国の皇弟といえども日本の皇族との婚姻は制度上認められなかった。そこで昭和天皇とは父親同士が母系のまたいとこにあたり、侯爵家の長女であり、しかも結婚適齢期で年齢的にも溥傑と釣り合う浩に、白羽の矢が立つことになった。
翌1937年(昭和12年)2月6日、二人の婚約内定が満州国大使館から発表され、同年4月3日には東京の軍人会館(現九段会館)で結婚式が挙げられた。同年10月、二人は満州国の首都新京へ渡った。翌1938年(昭和13年)には長女・慧生が誕生。翌年、溥傑が東京の駐日満州国大使館に勤務するため東京に戻り、翌1940年(昭和15年)には次女・嫮生が誕生。嫮生誕生後すぐに満州へと渡るが、1943年(昭和18年)に溥傑が陸軍大学校に配属されたため、再び東京に戻った

≪流転の日々≫
1944年(昭和19年)12月、学習院初等科に在学していた長女の慧生を日本に残して、新京に戻った。翌1945年(昭和20年)8月、ソ連対日参戦によって新京を攻められたため脱出し、終戦を朝鮮との国境近くの大栗子(通化省臨江県)で迎えた。溥傑は溥儀の日本へ亡命する飛行機に同乗、浩は陸路で朝鮮に向かい、そこから海路で日本へ帰国することになった。
しかし、溥儀と溥傑らは途中でソ連軍(赤軍)に拘束され、浩たちのいた大栗子も危険となったため、臨江に逃れた。翌1946年(昭和21年)1月には、八路軍の手によって通化の八路軍公安局に連行され、通化事件に巻き込まれた。同年4月以降、長春(満州国時代の新京)、吉林、延吉、佳木斯へとつぎつぎに身柄を移され、同年7月に佳木斯で釈放された。
釈放後、同年9月に葫芦島に至り、そこで日本への引揚船を待った。しかし、同地で国民党軍に身柄を拘束され、北京を経由して同年12月に上海へと移された。同月、上海の拘束場所から田中徹雄(旧日本軍の元大尉、のちの山梨県副知事)の助けを得て脱出し、上海発の最後の引揚船に乗船して、翌1947年(昭和22年)1月に日本に帰国した。なお、上記の流転の日々から帰国までの間、次女の嫮生をずっと伴っていた。

≪引揚げ後≫
日本に引揚げた後、父・実勝が経営する町田学園の書道教師として生計を立てながら、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移転した嵯峨家の実家で、2人の娘たちと生活した。一方、溥傑は、溥儀とともに撫順の労働改造所に収容され、長らく連絡をとることすらできなかった。1954年(昭和29年)、長女の慧生が、中華人民共和国国務院総理の周恩来に宛てて、「父に会いたい」と中国語で書いた手紙を出した。その手紙に感動した周恩来は、浩・慧生・嫮生と、溥傑との文通を認めた。
1957年(昭和32年)12月10日、学習院大学在学中の慧生が、交際していた同級生大久保武道とピストル自殺した(天城山心中)。

≪北京での第二の人生≫

1960年(昭和35年)に溥傑が釈放され、翌年、浩は中国に帰国して[3]溥傑と15年ぶりに再会した。この後、浩は溥傑とともに、北京に居住した。北京に移住後、文化大革命(文革)が始まり、1966年(昭和41年)には二人の自宅が紅衛兵に襲われた。文革が下火になって以降、浩は1974年(昭和49年)、1980年(昭和55年)、1982年(昭和57年)、1983年(昭和58年)、1984年(昭和59年)の計5回、日本に里帰りしている。
1987年(昭和62年)6月20日、北京で死去した。1988年(昭和63年)、浩の遺骨は、山口県下関市の中山神社(祭神は浩の曾祖父中山忠光)の境内に建立された摂社愛新覚羅社に、慧生の遺骨とともに納骨された。
溥傑が死去した1994年(平成6年)、浩と慧生の遺骨は半分に分けられ、溥傑の遺骨の半分とともに愛新覚羅社に納骨された。浩と慧生の残る半分の遺骨は、溥傑の遺骨の半分とともに、中国妙峰山上空より散骨された。次女の嫮生は日本に留まって日本人と結婚、5人の子をもうけ、2008年(平成20年)現在、兵庫県西宮市に在住する。


嵯峨 浩(さが ひろ)さん系譜

嵯峨 浩さん溥傑さん旧居

嵯峨 浩さん溥傑さん旧居・玄関

旧居の壁に最近の次女嫮生(こせい)さん(昭和15年生)の写真も。

昭和13年長女慧生さん誕生

長女慧生さんは昭和32年亡くなる

居間から庭をのぞむ。


嵯峨 浩さん溥傑さん旧居、居間には写真は資料が展示されている。


床の間には、竹之内豊・常盤貴子出演映画のスチール写真


『流転の王妃』
昭和32年(1957年)12月に天城山心中で死んだ長女・愛新覚羅慧生の一周忌昭和34年(1959年)に出版された浩自身の半生記。浩の生い立ちから結婚、満州国での生活、満州国崩壊後の流転生活を経て日本に帰るまでが扱われて、『流転の王妃』はベストセラーとなり、映画化された]。浩は、日本の人々に戦前体験した日中の不幸な関係や、戦後の新中国(中華人民共和国)の姿を理解してもらうことによって、両国の友好に役立たせることができれば幸いである、という気持ちで執筆した。同書は平成15年(2003年)にテレビ朝日45周年記念ドラマ『流転の王妃・最後の皇弟』としてドラマ化された。


庭から見た居間。


激動の時代に翻弄され続けたお二人にとって、短い稲毛の生活だったが、穏やかな幸せな時間が流れていたことと察せられるたたずまいの家だった。

両家の系図

嵯峨 浩さん溥傑さん旧居の見学後、裏手の稲毛浅間神社を参拝する。

出典:稲毛浅間神社由緒より
霊峰・富士の山への浅間信仰
当社は富士山を神と仰ぎ奉る信仰にはじまります。
大同3年(808年)平城天皇の御代、現在の静岡県富士宮市大宮に鎮座する。 富士山本宮浅間大社の御分霊を奉斎したのが起源とされています。 治承4年(1180年)には源頼朝が東六郎胤頼を使者として御幣物を捧げて武運長久を祈願したのをはじめ、千葉常胤以来、代々の千葉氏の信仰が篤かったことが古記録等により伺い知れます。
また、文治3年(1187年)の社殿再建に際しては、富士山の形に盛土をし、参道も富士登山道にならい三方に設け、社殿は東京湾を隔てて富士山と向かい合って建立されました。 江戸時代には当社の境内地は実に東西四百間(約720m)、7町5反歩(22500坪)にも及びましたが、明治維新に際して現在の社地6400坪を残し上地いたしました。

14号国道側の稲毛浅間神社入口。
現在は埋め立てられたが、お二人が住んだ昭和12年頃は目の前が海岸だったと思われる。
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嵯峨 浩さん溥傑さん旧居内にかけられていた昭和初期の稲毛浅間神社の写真。
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