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東京街歩き 後半
桜満開・東京町歩き 2012年5月8日 日本橋〜両国〜押上 前編
吉田松陰
吉田松陰終焉の地 勧進大相撲 東京スカイツリー
街歩き後半は、両国/本所松坂公園・吉良邸跡を出て両国・国技館前からスタート。
墨田区押上・東京スカイツリー〜向島に向かって歩く。
東京街歩き
後編
2012年5月8日

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(江戸名所図絵/両国橋)

両国・国技館
五月場所開催中

下総と武蔵(千葉と東京)の二つの国に架かったから両国橋、両国花火が見てとれる。

両国国技館は五月場所開催中で沢山の観客が会場周辺にはいっぱいだった。
有名な力士の幟の下を歩く。




東 京 街 歩き
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両国国技館前は当日券で入場する人だかりを横に見ながらその先の旧安田庭園に入る。


そこからもスカイツリーもきれい。


旧安田庭園


江戸時代において、本庄氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷。元禄年間に、本庄宗資により大名庭園として築造された。 安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。 明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅となる。 明治22年、安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなった。 大正11年、彼の遺志にもとづき東京市に寄贈された。 大正12年、関東大震災によりほとんど旧態を失った。 東京市により復元され、昭和2年、市民の庭園として開園。 昭和42年、東京都から墨田区に移管され、現在は墨田区が管理する。かつては隅田川の水を取り入れ、隅田川の干満を利用し、眺めの変化を鑑賞する庭園であった。 尚、このような潮入の池をもつ庭園として他に浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園がある。 隅田川のよごれが園に及ぶようになったため直接の接続は停止されている。 現在は、園北側の地下貯水槽(貯水量約800トン)を利用し、ポンプにて人工的に潮入が再現されている。出典:ウィキペディア

旧安田庭園を抜けるとすぐに横綱町公園(被服廠跡)で関東大震災の際多数の犠牲者の出た場所で園内は名前とはいささか違う厳粛な雰囲気。


横綱町公園慰霊塔と公園入口からのスカイツリー

横綱町公園HPより...
この公園は「横網町公園」という名のほか「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていますが、そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。 大正11年(1922年)東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。 遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の霊も安置することになりました。また東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑を新たに建設しました。

関東大震災による遭難死者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる殉難者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。 毎年2回(秋季−9月1日、春季−3月10日)慰霊大法要が行われています。

横綱町公園を出て清澄通りを浅草方面へ。 浅草通りを右に曲がると正面にスカイツリーの雄姿がそびえている。川のこちら側から写真におさめるがあまりの高さに全景が撮れない。
日本的な控えめで威圧感のないデザインは好感が持てる。若い人は地味とか華がないとか言うのも聞こえてくるが自分はこの塔のデザインはすごく好きだ。  




東京街歩き
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左にツリーを見ながら浅草通りを進むと押上駅前だ。
おそらく以前の駅前とはとんでもなく様変わりしていることだろうが以前の姿を知らないので変化の度合いは不明だ。押上交番前の橋の上からもスカイツリーはビューポイントらしく沢山の人がカメラを構えていた。


2012年5月22日東京スカイツリー開業まであと2週間。
2006年5月に第一生命経済研究所が出した予測9]によると開業から1年で300万人が訪れると仮定、経済効果を473億円と試算している。墨田区地域活性化等調査報告書では東京スカイツリーへの来場者を年間552.4万人、東京スカイツリーに併設される商業施設などを含めた開発街区全体での来場者数を年間2,907.9万人と試算しているが日本を元気にする糧になれればいいと思う。[

3回目の東京下町歩きは、馬喰町から小伝馬町〜日本橋人形町〜浜町から隅田川を渡り両国、国技館前から押上・東京スカイツリーを見てタダオの家まで約l5時間、歩行数26716歩 歩行距離17.3キロメートルだった。
東京の名だたる史跡は江戸以降のものがほとんどだが、魅力ある史跡が宝の山のように潜んでいて飽きない。


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