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リタイア後の札所・温泉・日本再発見旅
2006年11日25日
矢切の渡し・柴又帝釈天

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11月25日 JR市川大門通り〜手児奈霊堂〜真間山・弘法寺〜野菊の墓〜江戸川矢切の渡し柴又帝釈天〜京成柴又帰宅
2006.11.25(木)

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矢切の渡しの舟に乗りフーテンの寅さんの葛飾柴又帝釈天を歩く小さな旅

今日は矢切の渡しを渡って柴又帝釈天までの日帰り旅。
JR市川駅から国道14号を渡って大門通りを真間山にむかい歩く。
市川真間は史跡も多く文人墨客に愛された歴史ある街だ。


10分ほど歩くと朱の欄干の可愛い橋がある。これが歌に詠まれた『真間の継橋』で、日蓮上人の詠まれた、
≪みな人を 渡しはてむとせしほどに 我身はもとの 真間の継橋≫
≪足の音 せず行かむ 駒もが葛飾の真間の継橋 やまず通はむ≫
(万葉集詠み人知らず) と二つの歌碑が建っている。


 手児奈霊神堂
ガイドより抜粋

むかしむかしの、ずっとむかし「手児奈」という美しい娘がいました。上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着飾った姫よりも、清く、美しくみえました。その美しい手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、結婚をせまりました。しかし、手児奈はどんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。それをみた手児奈は、「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」 といいながら、真間の入江まできたとき、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。それをみて、 「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」 と、そのまま海へはいってしまったのです。 追いかけてきた男たちは 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」 と思いましたが、もう、どうしようもありません。 翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。この薄命の手児奈を『良縁成就』『孝子受胎』『無事安産』『健児育成』の女神として、全国でだだ一箇所、真間山に祀ったのは、真間山第七世日与上人で、文亀元年(1501)九月九日、上人の夢枕に霊神からお告げがあり、感受されたことから、爾来産み、育て、生きる素晴らしさに歓喜する女神として多くの信仰を集めています。

その直ぐ前には山部赤人の詠んだ
≪吾も見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が奥津城処≫
の手児奈伝説の残る手児奈霊堂がある。



手児奈霊堂脇の池は真間の入り江の名残の池で、裏手には伝説の美女手児奈が水汲みをしたといわれる真間の井が残されている。
大門通りに戻り更に進むと突き当たりに真間山・弘法寺が見えてくる。
弘法寺は終の棲家探しの一つとして見学を兼ねて見学に来た。
しかし後でわかったことだがここに墓所を求める場合にはまず檀家になる必要があり、それによってさまざまな制約がでてくるようなので話しは進まなかった。


境内に入る石段の途中に一年中どんな日照りの日でもいつも濡れている石『涙石』がある。寺の縁起によると江戸時代、役人が罪を犯して無念の切腹をさせられた場所でその時、血と涙が沁み込んで今になっても濡れたままなのだそうだ。

真間山・弘法寺『涙石』本当にこの石だけが濡れている。

弘法寺境内を抜けて国府台坂に出る。松戸に方向に向かって坂を上がっていく。周囲は大学がいくつかあり学生さんの姿が多く活気のある場所だ。里見公園で休憩する。公園内には大正5年(1916年)に市川市真間の亀井院に一時住んでいたこともある北原白秋の旧居・紫烟草舎が保存されている。


1916年〜葛飾・白秋旧居・市川里見公園内に移築「紫烟草舎」

里見公園から裏道を通って江戸川に出る前に伊東左千夫『野菊の墓』文学碑を見に寄り道する。数々の映画が作られた名作で松戸市・矢切が作品の舞台となっている。


野菊の墓文学碑から渡し舟乗り場がある江戸川に向かう。
江戸川河川敷は何面も野球グランドがありグランドの間を抜けていくとその先に矢切の渡し乗り場があった。



松戸側の江戸川河川敷

県境の江戸川を千葉から東京へ渡る渡し舟。

舟の乗り場には小さな桟橋がかけられのどかな風情だ。
『つれて逃げてよ...』♪♪と歌われた矢切の渡しだが、この歌は細川たかしでなく絶対にちあきなおみがいい...と思うのだが。


対岸は東京都葛飾区柴又

対岸の柴又から船頭さんが一本の櫓を前後に動かしながら舟が到着すると入れ替わりに矢切の客が乗り込み向こう岸へ向かう、行ったり来たりのピストン輸送舟だ。柴又から来た客が降りた後、二人分の料金2百円を船頭さんに渡して乗船する。こっちの岸にはバスもなく町も遠いしここで降りた人達はこれからどういう行程で帰るのだろうかと少し心配しながら考えている間に舟は川の中州に向かって静かに動き始めた。


5分くらいで対岸に舟はついて、降りると柴又側の河川敷も野球少年たちでどのグランドも試合中らしい。フーテンの寅さんの映画では土手から見下ろす風景だが必ず登場する光景が拡がっている。



柴又帝釈天・題経寺

帝釈天の境内に入りお参りする。


帝釈天通りは 『男はつらいよ』 寅さんが代名詞になっている街で映画そのままの雰囲気だ。参道を歩いていると映画の一場面の中にいるような錯覚が起きる。


『男はつらいよ』ロケは参道の数店のお店で行われたそうでその内の一軒 亀家さんで昼食休憩する。



定番の草団子

ラーメン

昼食後帝釈天参道からでると直ぐのところに湯気の向こうに小さな行列が出来ている。小さなピンポン玉くらいのおまんじゅうを売る店でお土産に買っていく。


京成柴又駅正面には駅から降りてくる人々を向かえるように寅さんの銅像が建っていた。


都心からも近く沢山見所を持った町々を歩き回った小さな旅もここで終る。


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