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江戸三十三ケ所 二十三番.大円寺2008年(平成20年)4月3日巡拝
      
江戸三十三ヶ所
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K&MSecond Life

二十三番大円寺 (東京都文京区向丘1-11-3)
2008年4月3日
江戸三十三ヶ所一回目8・9・10・11・23番の5ヶ寺をまわる。
地理的に歩きやすそうな11番・23番・10番・8番・9番の順に歩く。
今日2寺目の二十三番大円寺は地下鉄白山駅を背にして十一番円乗寺から10分程でやはり住宅街の中にある。


お七の供養、ほうろく地蔵

十一番には八百屋お七の墓があったが、ここ大円寺にはお七にちなむ地蔵尊がある。
放火の罪によって火あぶりの刑に処せられた八百屋お七を供養するために建立されたと伝えられるお地蔵さまで、お寺の由来書によると、お七の罪業を救うために、熱した焙烙を頭にかぶり、お地蔵さま自ら焦熱の苦しみを受けられているのだといわれている。それで首から上の病気平癒に霊験あらたかとされ、今はお地蔵の前にたくさんの焙烙が積み重ねられている。


大円寺は慶長2年(1597)開創。はじめ神田柳原にあったが、慶安2年現在地に移り久しく「駒込の大円寺」と呼ばれた。墓域には、幕末の先覚者であり砲術家の高島秋帆、小説家であり樋口一葉を終生助けた斉藤緑雨が眠っている。
大円寺の納経は本堂横の住居内で受付している。



次は本郷通りに面した10番浄心寺へ。23・11・10番寺はは白山駅を背にして横に並んでいる。



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江戸三十三ケ所 二十四番.梅窓院 2014年(平成26年)7月14日巡拝

江戸三十三ヶ所
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2014年7月14日お盆。江戸33ヶ所も今日で結願(満願)
明治神宮に参拝した後青山の二十四番 梅窓院 (東京都港区南青山2-26-38 )から参拝を始める。
お寺は地下鉄銀座線・外苑前駅出口真横にある。


江戸三十三箇所第二十四番札所
浄土宗梅窓院は、寛永20年(1643)徳川家康公以来の家臣、老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を 大檀越として建立された。 寺号は青山幸成公の法名 「梅窓院殿香譽浄薫大禅定門」 と、側室の法名 「長青院殿天譽利白大姉」 から、長青山 寶樹寺 梅窓院と名付けられた。開山は大本山増上寺十二世、中興普光観智国師を勧請して開山祖とした。以後、 青山家の菩提寺として今日まで歴代の当主、十三代の霊をお祀りしている。梅窓院の御本尊の阿弥陀仏は、江戸浄土宗寺院寺誌史料集 『文政寺社書上』によると、山の手六阿弥陀の一つとして信奉され、三国伝来と伝えられ、古来より「青山の観音様」と愛称されてきた、泰平観世音菩薩が安置されていたが、昭和20年の戦災で焼失。その後、昭和25年に再建され御堂も老朽化した為、 平成7年10月に「新観音堂」が建立された。平成13年まで使用してきた本堂は、正式名称を無礙光会館(むげこうかいかん)と言いました。 和洋折衷様式の鉄筋コンクリート造りで、大正14年建築。 当時より近代的な建物とされ、青山のシンボルとしても注目されていた。 梅窓院墓苑内には、郡上藩主 青山家歴代の墓や、シーボルトの弟子として蘭学を学んだ 竹内玄同の墓、赤帽・赤服・赤塗りの馬車に乗り「天狗煙草」を売ったと言う 明治時代の 奇商であった岩谷松平の墓、江戸時代に幕府の法に反して建立された キリシタン燈籠などがある。平成15年6月に新たな新本堂が完成、平成16年11月20日に落慶式を執り行い、新たな梅窓院がここに始動した。
(出典:梅窓院HPより)


梅窓院は南青山2丁目・地下鉄外苑前駅を上がってすぐ横に竹の植栽の参道があり山門をこぐると近代的なビルの本堂がある。


社務所横に動物の供養碑があり、珍しくこの寺は動物墓があるようだ。


梅窓院の境内に入ると、お寺とは思えない近代的なビルの中に本堂があり、お参りするにもいつもと違うななかを感じながら般若心経を唱和する。


社務所は境内入口にあり納経を受け付けていた。ご朱印をいただくあいだ、冷房のよく効いた前の待合室で待たせていただく。
外苑前から地下鉄で次の三十二番世田谷観音の最寄駅三軒茶屋にむかう。

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戸三十四ケ所  二十五番.魚藍寺 2014年(平成26年)1月17巡拝
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二十六番済海寺から二十五番魚籃寺の途中にある〈幽霊坂〉坂の周辺は寛永年間八丁堀より移転されてきた寺院が建ち並び、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所であったことから、そう呼ばれ始めたようだ。確かにこのあたりはどうしてこんなにと思うほど右も左も寺社が並んでいる。


二十五番  三田山 魚籃寺 (東京都港区三田4-8-34 )も坂の途中にある。


魚籃寺(ぎょらんじ)は東京都港区三田4丁目にある仏教寺院。魚籃坂中腹に位置する。山号は三田山。寺号は詳しくは三田山水月院魚籃寺と称する。江戸三十三箇所観音霊場の第25番札所である。
名称の由来
本尊が「魚籃観世音菩薩」(頭髪を唐様の髷に結った乙女の姿をした観音像)であることから。 それは中国、唐の時代、仏が美しい乙女の姿で現れ、竹かごに入れた魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいて造形されたものである。
歴史
元和3年(1617年)頃に豊前国中津にある円応寺に称誉が建立した塔頭である魚籃院を前身とする。 寺の創建は承応元年(1652年)称誉が現在の地に観音堂を建て、本尊をここに移したことに始まる。
アクセス
東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線 白金高輪駅より徒歩2分
都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅より徒歩10分
(出典・ウィキペディアより)


二十五番魚籃寺から坂を登って27番道往寺へ。


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江戸三十四ケ所  二十六番.済海寺2014年(平成26年)1月17巡拝
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18番から地下鉄で泉岳寺へ。第一京浜を品川方面に歩き、御田八幡神社に立ち寄り、15分ほどで三田の住宅地に建つ26番・済海寺へ。江戸時代最初のフランス公使館があった場所に寺はある。










二十六番  周光山 済海寺 (東京都港区三田4-16-23 )


境内にフランス公使館跡



済海寺(さいかいじ)は、東京都港区三田四丁目に存在する浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。江戸三十三箇所観音霊場の第26番札所である。札所本尊は亀塚正観世音菩薩。正式には周光山長寿院済海寺(しゅうこうざん ちょうじゅいん さいかいじ)という。
1621年(元和7年)牧野忠成と念無聖上人によって創設。越後長岡藩藩主家牧野氏や伊予松山藩主家松平氏及びその定府家中が江戸での菩提寺として使用。松平藩から1500坪の領地を受ける。松平家17代目までの遺体を土葬。1859年(安政6年)にフランス総領事館となり、2年後には公使館となって1874年(明治7年)まで続いた。現在は最初のフランス公使宿館跡として碑が境内に残されている。1982年に済海寺にある旧越後長岡藩主家牧野家墓所の悠久山への改葬が行われるが、鈴木公雄を団長とする済海寺遺跡調査団による緊急遺骨調査が行われた。 前住職久家道閑氏によって1990年、旧御本尊より。海側に30メーターよった現在の新本堂への建設を開始。崖側の足場で2年、御本堂の建物で1年、総3年工費15億円を費やし1993年にようやく完成に至る。 (出典・Wikipediaより)


亀塚公園を抜けて25番魚藍寺へ。公園の先のビルはイトヤマタワー。



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江戸三十四ケ所 二十七番.道往寺2014年(平成26年)1月17巡拝
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伊皿子交差点を下り27番道往寺へ。


27番道往寺は鉄筋建ての近代的お寺。納経は奥さんが丁寧に応対していただき気持ちよくお参りさせていただく。


二十七番  来迎山 道往寺 (東京都港区高輪2-16-13 )



27番道往寺から29番途中の四十七士を祀る泉岳寺に寄る。


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江戸三十四ケ所 二十八番.金地院  2013年(平成25年)8月2日巡拝
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二十八番 勝林山 金地院 (東京都港区芝公園3-5-4 )

2013年8月2日。 真夏の江戸札所巡拝は12/16/20/28/21/22/と六ヵ寺を周る。

今日4ヶ寺目の金地院は東京タワーの真向かいにあるお寺だ。東京タワーの目の前に江戸三十三ヵ所札所のお寺があるとは。それもそのはず、東京大空襲で焼ける前は今の東京タワーの場所にあって昭和30年この地に再建されたのだそうだ。
つまり東京タワーは金地院の跡地に建設されたのだった。



金地院の石門を入ると正面が本堂でそこで納経を受け付けている。
この寺も本堂にお参りするのには靴を脱いであがってお参りする。



本堂を背にすると東京タワーが堂宇の上にそびえている。東京タワーをこの角度で見上げられたのは札所参りしているおかげだ。というより昔はそっちが本堂が建っていた場所なのだ。



金地院のお参りを済ませ表の通りから東京タワーの脇を通ると、夏休みらしくチケット売り場は行列が出来ていた。次は地図で見ると直ぐ近くの二十一番/芝・増上寺に向かう。

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江戸三十四ケ所 二十九番.高野山東京別院 2014年(平成26年)1月17巡拝
江戸三十三ヶ所
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27番寺から住宅街を歩き、泉岳寺四十七士墓へ。丁寧に埋葬されて観光名所になっているようで参拝者が多数。線香の香りがひときわ一帯に漂っている。


泉岳寺から29番
高野山東京別院は高輪の住宅地を抜けて20分位歩く。

高野山東京別院(こうやさんとうきょうべついん)は、東京都港区高輪三丁目に存在する寺院であ宗派は高野山真言宗。本尊は弘法大師(1703年、本堂再建の際に造顕)。境内には不動堂・修行大師・お砂踏場等があり、お遍路の受入も万全。隣に建つのは高輪警察署である。また地下には東京電力の変電所がある。江戸時代における高野山学侶方の江戸在番所として慶長年間(1596年〜1615年)に浅草日輪寺に寄留して開創された。明暦元年(1655年)に幕府より芝二本榎に土地が下賜され、延宝元年(1673年)高野山江戸在番所高野寺として完成した。その後元禄15年(1702年)災火により焼失したが、翌16年に復興。御府内八十八箇所の1番札所になり、白金にあった文殊院が88番の結願所になった。明治になり在番所が廃止され、葛飾牛島の長寿寺から名蹟を移した。長寿寺は推古天皇25年(617年)備後国世羅郡に勅願寺として創建され、僧・行基により信濃国深瀬(現・松本市)へ移り、寛文4年(1664年)には葛飾に移建された古刹である。
昭和2年(1927年)高野山東京別院に改称。
昭和63年(1988年)に現在の本堂が建立された。
(出典・ウィキペディアより)

二十九番 高野山 東京別院 (東京都港区高輪3-15-18 )

29番
高野山東京別院で今日の巡拝は終える。


29番
高野山東京別院は都心高輪とは思えないひろい境内で静かなお寺。
しかしせっかくこんなにひろい境内なのに緑が少なくもったいないと思う。



29番
高野山東京別院社務所とお地蔵様たち。


29番
高野山東京別院で今日の巡拝は終える。
地下鉄泉岳寺駅から帰る。



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江戸三十四ケ所  三十番.一心寺 2014年(平成26年)7月22日巡拝
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2014年7月22日
江戸三十三ヶ所

結願

前回7月14日結願の予定が古いガイドブック記載の30番札所が移転していて結願に至らず、やっと今日江戸三十三ヶ所満願を果たす。品川駅から徒歩15分最後の寺は一心寺である。


三十番 豊盛山 一心寺 (東京都品川区北品川2-4-18 )


一心寺が
札所となったのは、平成4年と新しい。これは、それまで30番札所だった青物横丁近くの海晏寺(かいあんじ)が札所を返上したためである。


一心寺は北品川商店街に面して建つ。



創建は、安政2年(1855)。(山号)豊盛山延命院 真言宗 智山派
成田山の分身である不動明王が本尊で、延命と商売繁盛を授けてくれる。 毎月28日が縁日。御利益=商売繁盛、延命。
東海七福神のひとつ。寿老人が祀られている。小さいがとてもよく手入れされた庭は、いつも打ち水がしてあって気持ちがいい。
周辺の商店街ときれいにとけ込んで絵になっている。旧東海道の海側にある唯一のお寺。

寺の由来二は二説ある。
1)寺伝によれば、江戸時代末期の安政2年(1855)に、大老・井伊直弼が「東海道第一の宿である品川宿で鎮護日本・開国条約・宿場町民の安泰を願え」との霊験を得て開き、町民代表の手で建立されたという。
2)『品川町史』によると、安政2年に成田山分身の不動明王を本尊として、洲崎弁天境内にお堂を建てて安置したのが始まりで、明治2年(1869)に養願寺の境内に移されたが焼失し、明治18年(1885)に町内の有志が現在地に再建したとされている。毎月28日は、一心寺の縁日
(出典・しながわ観光協会より)


2014年7月22日
江戸三十三箇所
結願

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江戸三十四ケ所  番外 海雲寺 2014年(平成26年)7月14日巡拝
江戸三十三ヶ所
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番外

番外 海雲寺

目黒不動からバスで青物横丁に着いて海晏寺(かいあんじ)に入ると少しいつもと雰囲気が違う。
それもそのはず30番札所は20年位前に返上して今は北品川の一心寺に移転したそうだった。
そこで予定外の番外「海雲寺」をお参りする。



禅、曹洞宗、龍吟山海雲寺は建長3年(1251)僧不山(そうふざん)によって開基、はじめは庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺(かいあんじ・旧30番札所)境内にあったが、慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺になった。ご本尊十一面観世音菩薩を安置し、鎮守として千躰三宝大荒神王を祀る。



青物横丁という駅名の由来は、地名をとったもので、江戸時代の終わり頃この地に農民が収穫した・青物・を持ち寄って市を開いたことからきているらしい。開業した当初(明治37年5月8日)の駅名は青物「横町」であったが、現在の青物「横丁」に改称した時期については、明確な記録が残っていない。またこの頃の品川(高輪)〜横浜間の運転所要時間は急行電車で36分(普通電車43分)であり、現在の約2倍を要していた。昭和53年から始められた高架化工事により、上りホームは平成元年6月、下りホームは翌年12月にそれぞれ高架化され、新駅舎は平成3年12月に完成し使用を開始した。また、この駅の海側には品川の千躰荒神として知られている
海雲寺があり、毎年春と秋に2回行われる祭礼には、都内はもとより、遠方からも多くの参詣者が訪れ、賑わいをみせている。


海雲寺(かいうんじ)は、東京都品川区にある曹洞宗の寺院。山号は龍吟山。「千躰荒神」を祀る寺として知られる。
千躰荒神は江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰され、今から三百七十余年前、島原の乱に鍋島甲斐守直澄公がお年十八歳で出陣の折、天草の荒神が原にありった荒神様で必勝祈願したところ、甲斐守様の先頭には必ず千余の神兵が現れその行動は荒神王の荒れさせ給うはかくやと思われるすさまじさ。流石の暴徒も敵し得ず鎮定された。以後鍋島家ではこの尊像を守護して東都高輪二本榎木の屋敷に遷座し篤い信心のもとにお祀りしていた。 因縁あって明和七年寅三月に当山に勧請し奉ったもので、それからはあらゆる多くの人々の参詣するところとなり、ついには当寺の春秋大祭は江戸年中行事の一つにもなった。
(海雲寺HPより)


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江戸三十四ケ所 三十一番.品川寺  2014年(平成26年)7月14日巡拝

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31番品川寺は青物横丁商店街の中程。


三十一番 海照山 品川寺 (東京都品川区南品川3-5-17 )


品川寺(ほんせんじ)は、東京都品川区南品川三丁目にある真言宗醍醐派の寺院である。山号は海照山。本尊は水月観音と聖観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第31番である。

歴史
寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806-810年)に創建されたという。長禄元年(1457年)、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、寺号を大円寺と称した。その後戦乱により荒廃するが、承応元年(1652年)に弘尊上人により再興され、現在の寺号となった。スイスジュネーヴ市と深い縁を持つ梵鐘を始め、江戸六地蔵の第一番にあたる地蔵菩薩像や東海七福神の毘沙門天などがある。

梵鐘
明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還された。平成3年(1991年)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られた。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となったが、交流の契機となったのはこの梵鐘である。
(出典・Wikipediaより)


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江戸三十四ケ所 三十二番.観音寺  2014年(平成26年)7月14日巡拝
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銀座線外苑から三軒茶屋下車徒歩15分位で今日2寺目の32番観音寺(世田谷観音)に着く。

三十二番 世田谷山 観音寺 (東京都世田谷区下馬4-9-4 )

社務所にはお盆なのか先に参拝の方々と歓談中のご年配の住職さんに納経をお願いし本堂他をお参りする。


本名「世田谷山観音寺」、通称「世田谷観音」
昭和26年に睦賢和尚が独力で建立し、同年5月、金竜山浅草寺に請い、開眼の法を修したもの。本尊は聖観世観菩薩。他に不動明王、阿弥陀如来、仁王尊、特攻観音をまつる各堂がある。
国指定重要文化財の「不動明王ならびに八大童子像」、都指定有形文化財の「五百羅漢坐像」が安置されている。特攻観音堂は、国のため若き命を捧げた特攻隊員4615柱の英霊の安息所。「江戸三十三観音」の第32番札所。「せたがや百景」の第3番「世田谷観音とその一帯」。(昭和59年10月 世田谷区選定)「世田谷区指定 保存樹林地」。(昭和53年10月 世田谷区指定)


観音寺境内。
正面本堂脇に「特攻観音堂」があり、特攻作戦に志願し命を捧げた特攻隊員 、陸軍側2000柱及び 海軍側2615柱の名が各々二体の特攻平和観音尊像胎内に奉蔵されている。


右の阿弥陀堂は京都の二条城より移築されたもので、三層の建物は金閣寺を模したものといわれてる。

次は33番瀧泉寺(目黒不動尊)へ



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江戸三十四ケ所 三十三番.瀧泉寺  2014年(平成26年)7月14日巡拝
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番外



三十三番瀧泉寺へは世田谷観音前からバスで大鳥神社前下車。
瀧泉寺は本来結願寺だが参拝順路の都合で先に参拝する。

境内脇に社務所があり納経を受け付けている。正面の石段を上がり瀧泉寺本堂をお参りする。

三十三番 泰叡山 瀧泉寺 (東京都目黒区下目黒3-20-26 )

不動尊らしい境内に水かけ不動さん。人気スポットらしく参拝者が多数いた。


社務所前の観音堂と不動明王。


瀧泉寺(りゅうせんじ)は、東京都目黒区下目黒にある、天台宗の寺院。山号は泰叡山(たいえいざん)。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。青木昆陽の墓があることでも知られる。
(歴史)
寺伝では、808年(大同3年)円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明である。860年(貞観2年)清和天皇より「泰叡」の勅額を下賜され、山号を泰叡山とした。1615年(元和1年)本堂が火災で焼失した。1630年(寛永7年)寛永寺の子院・護国院の末寺となり、天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになった時、徳川家光の庇護を受けて、1634年(寛永11年)50棟余におよぶ伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた。1812年(文化9年)「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われた(他は湯島天満宮、谷中感応寺)。富くじ興行は1842年(天保13年)天保の改革により中止となった。寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。江戸時代には大いに栄え、門前町が発達したが門前町の名物として当時目黒の名産品であった竹の子を使った竹の子飯と棒状に伸ばした練飴(白玉飴)を包丁でトントン切っていく目黒飴が人気であった。また、餅花という細い竹にしんこ餅を付けた物や粟餅などもあったという。江戸名所図会にはこの目黒飴屋の風景が載っていて、図会に載っている絵では従業員が10人近くみられる大店であったことがうかがえる   (出典・Wikipediaより) 

門前に目黒不動バス停があったが今日は品川方面に向かう為ぐるっと回って山手通りに出て不動尊参道バス停で大井町駅行きに乗り青物横丁まで行く。
いよいよ最後の巡拝30、31、札所へ。

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