|
ポーランド/クラクフKrakow |
|
2015年11月02日 |
ヴロツワフ |
|
クラクフ |
|
ホテル
RadisonBlue |
|
|
|
ワルシャワ⇒ |
|
クラクフは『シンドラーのリスト』の街
|
|
ホテルまではクラクフ中央広場を通って行く
クラクフ.バスターミナル |
11月2日(月) 晴れ
ヴロツアフ.バスターミナルからプラハから乗ったのと同じバス会社:Polsk Busで9:00出発。ポーランド2都市目のクラクフへ 12:10到着。バスターミナルはクラクフ鉄道中央駅横。
|
|
|
|
|
|
クラクフ中央駅構内のショッピングセンターを抜けて旧市街中央広場からホテルまでは約15分。RADISON BLUEホテルにチェックイン。眺めのいい道路側の部屋と、静かだけど反対側の部屋どちらがいいかと聞かれた。当然だが眺めの良い方を希望、公園に面した7階の部屋にしてもらう。
|
|
|
ヴァヴェル城 |
|
|
荷物を置いてホテルすぐ近くのヴァヴェル城の下へ、城は後でゆっくり見るので、迂回してシンドラーの工場跡へ向かう。お城脇から市内中心を流れるヴィスワ川に出て、川沿いを歩いて3つ目の大きな橋を渡り対岸の街へ。橋の向こうは雰囲気ががらりと変わった。
|
|
|
シンドラーの工場跡へはこんな通路を抜けていく |
|
|
「シンドラーのリスト」工場跡がある街は時代に取り残されたような街。ほとんど清掃もされないような汚れた道路、崩れかけたような古い建物が続く。歩く人の服装も粗末で表情も暗い。第二次大戦当時のままにタイムスリップしたようなの雰囲気を残している。
|
|
|
左中央がシンドラーの工場跡 |
|
|
市内から何度か道を尋ね、やっとシンドラーの工場跡にたどり着く。着いてみれば判りやすい道だった。建物は近代的で映画の中の悲壮感や暗さが感じられない。おそらく建て替えられ当時の建物ではないのだろう。入口わきにシンドラーに助けられたユダヤ人工員の方々の写真が掲示されていているので、戦時中ナチスの迫害を受けたユダヤ人の悲惨の歴史事実があった場所だとわかる。 |
|
|
左前方の湾曲したビル |
|
|
しばらく写真など見ながら佇み、思いを戦時にはせなる。
帰りは来た道をヴィスワ川に戻るが、そのあたりの道はシンドラーの工場に通うユダヤの人たちが極限の不安と辛い気持ちで歩いたことだろうと想像でき目頭が熱くなる。 |
|
|
|
|
|
川を渡ると旧市街のカジミエシュというかってのユダヤ人街を通る。いまはお洒落な店もならぶ地域となっているがかってはこのあたりもユダヤの人々の受難の地だったのだろう。アンネの日記『アンネフランク』もクラクフ郊外のアウシュビッツ強制収容所に一度収容されている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
旧市街に帰って、ヴァヴェル城 城内を見学する。 |
|
|
|
|
|
ヴァヴェル城はヴィスワ川沿いに立つゴシックルネッサンス様式の城。16世紀まで国王の居城だった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
左がヴァヴェル大聖堂、右側は旧王宮。 |
|
|
旧王宮 |
|
|
中庭から大聖堂に沿って奥にある旧王宮は16世紀初頭にジグムンゴ1世が建て、ジグムント2世が収集した宝物が展示されている。 |
|
|
|
|
|
ヴァヴェル城から旧市街中心の中央広場へ。
広場の中心は1222年建造の聖マリア教会。昔モンゴル軍がクラクフを襲った際教会のラッパ手が襲撃を知らせる際モンゴル兵の放った矢に射られ亡くなった。当時を悼んで今も毎正時に、吹奏の途中で終わるラッパが吹かれている。 |
|
|
|
|
|
聖マリア教会前に幅100㍍の織物会館(織物取引所)がある。現在はみやげ物街になっているが、14世紀建造時は布地の交易場だったのでその名が現在も使われている。こはく店も多くMは品定めをしていた。 |
|
|
|
|
|
ホテルに戻り宿泊特典のサービス.ワンドリンクの地ビールをご馳走になる。 |
|
|
|
|
今日の歩行数 21398歩 |
|
|
|
|
ポーランド/クラクフKrakow |
|
2015年11月03日 | クラクフ | | ヴィエリチカ
岩塩鉱見学 | |
クラクフ |
|
ホテル RadisonBlue |
|
|
| ワルシャワ⇒ |
|
|
|
11月3日晴れ 今日は近郊の世界遺産ヴィエリチカ岩塩鉱見学に出発。
|
|
|
|
ホテルから中央広場を通ってクラクフ中央鉄道駅へ。 |
|
|
|
|
時間を確認して中央駅ホームにでるが誰もいないがここから本当に電車が出るのかと思っていると、ホームはるか前方に電車が入ってくる。急いで向うと結構乗客がいてポーランドの駅は...番線といっても前側、後側があるのだ。 |
|
|
ヴィエリチカ行き電車 |
|
|
乗車するとまもなく発車して景色が昨日歩いたシンドラー工場跡の辺を通過して停車した。電車で次の駅がシンドラー工場跡最寄駅だったのだ。車内検札もあり10:00頃終点ヴィエリチカに到着。
|
|
|
|
|
|
世界遺産の岩塩鉱は駅前から坂道を上がって5分くらいだった。出発前に予約をしていたので窓口で予約票を提示して入場券に換える。見学はすべてツアーに入る必要があり、もちろん日本語はなく10:30分の英語ツアーに入る。
|
|
|
|
|
|
各ツアーは20人くらいづつのグループでグループ毎に一人のガイドがついている。3番目のグループでグループ毎順番にガイドの後について入場する。
|
|
|
|
|
|
簡単なセキュリティチェックのあと入り口でガイドの説明があり、場内に入ると直ぐに幅の狭い木製の階段を降り始める。 |
|
|
|
|
|
ガイドさんが結構の速さで降りて行くのでついていくのがやっとだった。番号がついていて数えて降りると、400段くらいはあったと思う。 |
|
|
|
|
|
大きな木戸を押し開けて坑道に入ると、次々に人間や馬の彫像、機械による岩塩採掘の模様が説明されて行く。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
途中の緑の地底湖ではさすがにショパンの別れの曲の演奏がかかり幻想的の雰囲気をかもしだしていた。 |
|
|
|
|
|
緑に輝く神秘的な塩湖 |
|
地下深く木の階段を下りていく。 |
ヴィエリチカ岩塩坑 |
1044年の創業(ポーランド王国のクラクフへの遷都は1038年)。「キンガ妃の指輪事件」がきっかけとなり国営企業となったのは1250年。廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。深さは地下
327㍍ 、全長は 300㌖ 以上に及ぶ(廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑。
特筆すべきは、観光客向けの 3.5㌖の坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。その全ては、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものである。さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。
この岩塩坑には年間110万人もの観光客が訪れる。長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクス、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ドミトリ・メンデレーエフ、イグナツィ・パデレフスキ、ロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ボイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。第二次世界大戦中には、この岩塩坑を占領したドイツ軍がその一部を軍需物資の製造拠点として使用した。 |
|
|
|
|
|
|
ヴィエリチカ岩塩坑は深度64~325㍍複雑に入り組んでいる。ところどころ滴り落ちる水滴も濃い塩水だそうだ。 |
|
|
|
|
|
ヴィエリチカ岩塩坑は深度64~325㍍複雑に入り組んでいる。ところどころ塩の結晶が溶け出し、滴り落ちる水滴も濃い塩水だそうだ。 |
|
|
|
|
|
最後の大礼拝堂は大きなシャンゼリアが輝いて大深度地下とは思えない豪華な雰囲気。 |
|
|
|
|
|
岩塩鉱ツアー最後のハイライトキンガ大礼拝堂は大きな塩の結晶で出来たシャンゼリアが輝き、大深度地下とは思えない豪華な雰囲気。 |
|
|
|
|
輝くシャンデリアも塩の結晶でできている |
|
|
|
|
キンガ大礼拝堂でグループは解散となりここからは自由行動。地上へ戻るリフト乗場へ向かい列に並ぶ。 |
|
|
|
|
|
小さなリフトで狭い空間に7~8人が乗せられ、満員電車のようなぎゅうぎゅう状態で真っ暗な狭い坑道を数分かかって上がっていく。一緒に乗った外人女性グループの歓声を聞きながらやっと地上に戻ってくる。 |
|
|
|
|
|
出口についたのが12:30で帰りの電車は12:38。まだ電車に間に合いそうなので駅への坂を急ぐ。 すでに電車はホームに入っている。急いで乗り込んで 13:00頃クラクフ中央駅帰る。
|
|
|
|
|
|
中央駅のショッピングセンターでMがブロツワフのレストランに手袋を置き忘れてしまい、探すと気に入ったものがあり購入。牛皮の手袋が125ズロチ(3700円)日本の1/3くらいだろうか、とにかく物価が安いのでMは大喜び。 |
|
|
|
|
|
ヴィスワ川側からヴァヴェル城を眺めると城壁が夕陽に赤く染まってとても綺麗。 |
|
|
城の遊歩道にハリウッド.ウォーク.オブ・フェームを真似た有名人の手形。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴァヴェル城南ふもとの竜の像。ヴィスワ川洞窟に住んでいた竜が悪行を続け見かねた靴職人が竜退治をし、王の娘と結婚したという伝説のある竜の像、不定期に口から火を噴くのだが今日は見られなかった。 |
|
|
|
|
|
城の見学後、調べておいた城からカジミエシュ地区へ向かう途中のレストラン『小作人の食物Chlopskie Jadlo Restauracja』へ。 |
|
|
|
|
|
夕方入店したのでまだ客もまばら、日本人客の多く評価の高いレストラン。 |
|
|
|
|
|
ビール1500cc.ブタ肉のシュニッツェルと400gビーフステーキにパンとチーズがついて109ズロチ、チップを入れて120ズロチ(3600円)と本当に安くてびっくり。 |
|
|
ブタ肉のシュニッツェルは野菜もたっぷり |
|
|
400gビーフステーキ |
|
|
店を出る頃はすっかり夜の街。 |
|
|
|
|
|
レストランからホテルは城を挟んで反対側。ライトアップされた城の下を歩いてホテルに帰る。 |
|
|
|
|
|
今日の歩行数 19486歩 |
|
|
|
|
クラクフから
ワルシャワへ移動 |
|
2015年11月04日 |
クラクフ |
|
首都ワルシャワへ |
|
|
|
ポーランド国鉄(PKP)飲物とチョコレートのサービス |
11月4日(水) 晴れ ポーランド国鉄でワルシャワへ
ラジソン・ブルー一階レストランで朝食。となりのテーブル中国人ご夫婦タッパーに周りも気にせず、いっぱい朝食食材を詰め込んでいた。同じアジア人として恥ずかしい。
9:15分チェックアウトして中央広場を通ってクラクフ中央駅まで歩く。この旅行で唯一都市間をポーランド国鉄(PKP)列車で移動する。10:11分発ワルシャワ行き、奮発して1等車を予約していた。二人で日本円8700円程なのでやはりだいぶ安い。
|
|
|
|
|
|
|