|
Cesky Krumlov |
|
2015年10月31日 |
プラハ |
|
チェスキー
クルムロフ |
|
ホテル
Andel's Hotel.Prague |
|
|
|
ポーラン/ブロツワフ |
|
世界遺産の街/チェスキー・クルムロフ
|
|
|
10月31日(土) 晴れ チェスキー・クルムロフへ
7:30食事 8:300ホテルを出て徒歩5分程の地下鉄アンデル駅横のナ・クニゼッツイーバスターミナルへ。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
プラハ/9:00発ステューデントエージェンシーバスに乗車 予約席は最前列。
|
|
|
|
|
|
チェスキー・クルムロフ
|
|
|
プラハから3時間.11:55分 世界一美しい街といわれるチェスキー・クルムロフに到着。街外れのバスターミナルから歩き始め坂道を丘の上に登ると、世界一美しい街と言われる景観が来訪者を出迎えてくれる。
|
|
|
|
|
|
街のシンボル チェスキー・クルムロフ城の塔
|
|
|
細い坂の小道をくだり信号を渡ると石畳の旧市街に入る。すぐのところのスヴォルノスティ広場で若者が路上ライブ中でカントリーを見事な歌唱でベンチに座り聞きながら小銭を帽子に入れて行く。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
市庁舎からヴォルタヴァ河に架かる橋を渡り城の塔をくぐりクルムロフ城に入る。ボヘミア地方ではプラハ城に次ぐ規模の堂々と丘の上に聳え立つ建物だ。 |
|
|
|
|
|
|
チェスキークルムロフ |
町と城の建設は、ボヘミアの重要な通商路であるモルダウ川(ヴルタヴァ川)沿いに13世紀後半に始まった。14世紀以降、町では手工業と交易が盛んになった。16世紀、特に領主ウィルヘルム・フォン・ローゼンベルクの時代には、ルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗なるルネサンス都市へと変貌を遂げた。 1867年、クルマウ(チェスキー・クルムロフ)は、オーストリア=ハンガリー帝国の一部となった。神聖ローマ帝国の時代から続くドイツ系住民とチェコ系住民の共存の時代はこうして幕を閉じた。 学校教育や図書館などが、次第にドイツ系とチェコ系に分離するようになった。1910年時点における町の人口は8,662人であったが、そのうち、ドイツ系が7,367人、チェコ系が1,295人であった。 第一次世界大戦の敗戦に伴い、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、町はチェコスロバキア領となり、1920年4月、チェコスロバキア内務省令により、町の公式名称もクルマウからチェスキー・クルムロフとなった。 1945年、ドイツは第二次世界大戦に敗北し、チェスキー・クルムロフは、独立を回復したチェコスロバキアに復帰した。しかし、ドイツ系住民については、エドヴァルド・ベネシュ大統領の指令(ベネシュ布告)により、チェコスロバキアの市民権と私有財産を剥奪、没収することが決定された。 チェスキー・クルムロフの住民の多くはドイツ系であったため、ベネシュ布告により、多くの住民は市民権と私有財産を剥奪、没収され、故郷から追放する処分が下された。 1948年の共産主義化により、城郭などの歴史的建造物が「封建時代の遺構」とみなされ、価値を否定されたことも、その荒廃に拍車をかけた。ようやく歴史的建造物が徐々に補修されるようになったのは、プラハの春が訪れた1960年代後半以降のことであった。
1989年のビロード革命以降、町の景観の歴史的価値が再認識されるに至り、建造物の修復が急速に進められ、町はかつての美しさを取り戻した。1992年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 |
|
|
|
|
街のシンボル チェスキー・クルムロフ城。左上に今から登る城と庭園を結ぶプラーシュチョヴィー橋。 |
|
|
|
|
|
街の中心を流れるヴルタヴァ川 |
|
|
|
|
|
|
|
旧市街からチェスキー・クルムロフ城へはチェルヴェナー・ブラーナ門(赤い門)から入る。入場は無料。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
チェルヴェナー・ブラーナ門(赤い門)を入り、1.2.3.4.5と上に向かって5つの中庭を進んで行く。第一の中庭は、城の従僕や職人が住み、家畜が飼われていた部分 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第二の中庭から長い通路をを進み第三の中庭へ。小さな第三と第四の中庭に面して建つのは上層の城館 Horni zámek でチェスキー・クルムロフ城の宮殿の部分。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
上層の城館からプラーシュチョヴィー橋上からは美しい街並みが一望できる。 |
|
|
|
|
|
世界一美しい街といわれるチェスキー・クルムロフ |
|
|
|
|
|
|
ヴルタヴァ川の先の塔が城の入口。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
中庭の脇のテラスからバスターミナル方向と逆の旧市街が望める絶景がとても綺麗。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
さらに進むと城の庭園に出る。秋に色づいた大木が青空の下に輝いている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
庭園から元の道をゆっくり景色を眺めながら下っていく。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
クルムロフ城を出て、チェスキークルムロフの旧市街とは別の路地を回り道しながら歩きバスターミナルに戻る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
15:00発バスの車中は中国・韓国・日本とアジア人が大半だった。バス車内ではWifiが快適で日本へさっき見てきたチェスキー・クルムロフの写真やメールを送る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
17:55プラハのバスターミナルに着く。近くのショッピングセンターやその前に並んでいるテントの露店ホットドックとビールを買ってホテルに帰る。明日の出発は早朝なのでホテルのフロントで地下鉄のチケットを買って用意する。今日の歩行数:12609歩 |
|
|
|
|
|
アンデル駅前テントの名物ホットドック |
|
チェコビールは安くて美味しい |
|
|
|
|
|
|