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ドイツ
2015年10月23~29日
チェコ共和国通称チェコは、中央ヨーロッパの共和制国家。首都はプラハ。 歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されてきた。ヨーロッパ共産圏の消滅後、中欧または中東欧に分類される。 チェコ
2015年10月30~31日
ポーランド
2015年11月01~05日
リトアニア
2015年11月06~08日
ラトビア
2015年11月09~13日
2015年10月25~26日    ドイツ・ベルリン  
日程表

ドイツ/ブレーメン

ドイツ/ドレスデン
東欧旅行4日目 ドイツ・ハンブルクからベルリンへ
2015年10月26日(月)ハンブルク~バスでベルリンに移動。
ベルリン郊外のポツダム見学。
飛行機 列車・電車 バス・タクシー 徒歩 宿泊ホテル
ドイツ/ベルリン
Berlin
10月26日
ハンブルク
ベルリン
ポツダム観光
ベルリン
Hotel BerlinKudamm
ベルリン街歩き
ポツダム

ハンブルク・バスターミナルは鉄道ハンブルク中央駅のすぐ向かい
成田空港~ハンブルク


ブレーメン.リューベック
ベルリン~ポツダム
ドレスデン~マイセン
プラハ


チェスキークロムロフ
ポーランド・ヴロツワフ
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クラクフ
ワルシャワ
リトアニア・ヴィリニス




カウナス
シャウレイ
ラトビア・リガ



ヘルシンキ~成田空港
日程表 ⇒ 予約表 ⇒






ベルリン/東西分断の象徴
ブランデンブルグ門
10月26日(月)晴れ ベルリン 15724歩
6:45起床。一階レストランで7:00~朝食すぐにチェックアウトしてハンブルク鉄道駅のはす向かいにあるハンブルク・バスターミナルへ。ベルリンへはバスで移動。
9番ホーム7:45発予定(MEINFERNBUS社)バスは予定を30分も遅れ到着寒い中を待たされる。8:15分ハンブルクバスターミナル発~11:30分ベルリンバスターミナルに到着。

ドイツ高速バス(MEINFERN.BUS)は安くて速い
ベルリンバスターミナルは郊外にありでホテルまで歩くのは無理なので電車で行くことにする。最寄のUバーンMesseNord駅売店でベルリン48時間ABCゾーン.シティカード(48時間乗り放題+各博物館割引)21.5x2=43€を購入。
ホテル最寄のZOO駅(ベルリン動物園前駅Zoologischer Garten)までの電車乗り換え迷っているとベルリン在住の韓国人婦人が声かけてくれ同じ方向だと言いながら案内してくれる。韓国の方とは縁があり、23日にヘルシンキ空港内でも声かけられたばかり、反日・嫌韓などが普通の時代で日常あまり韓国は好きでなくむしろ嫌いな方に入るが、政治と人情は別でこうして人と人異国で親切されるととても嬉しい。どこの国でも地下鉄は路線・行先でたいてい迷わないで乗っていたのだがベルリンはSバーン.Uバーンなど複雑で判り難い。
ホテル・BerlinKu'dammは駅前大通り沿いで5分位の便利な場所。12:30チェックイン.511号室。WifiもホテルのID.PAS入れすぐ利用開始OK。
ベルリン/Hotel Berlin Kudamm






ホテル・BerlinKu'dammは駅前大通り沿いで5分位の便利な場所。12:30チェックイン.511号室。WifiもホテルのID.PAS入れるとすぐ利用開始OK。
ベルリン.シティカードを利用してベルリン南西約30kmポツダムに行くため駅に戻り13:19分のRE(普通電車)に乗ってポツダムへ。

ポツダムへ

ベルリン南西約30kmポツダムに行く
ポツダム駅前から事前にチェックしておいた612番・695番バスを探す。
駅前はトラムや�バス乗り場があり、695番バスが来た。運転手さんにシティカードを提示して乗る。 ベルリン48時間ABCゾーン.シティカードはポツダム市内交通機関全て有効なので切符買う手間が省けて助かる。
サンスーシー公園まではそれほどかからなく到着。
サンスーシー公園バス停は車内の電光掲示板にSchlossSanssouci表示されていたので間違えなることはなかった。停留所の目の前に公園入り口のサインの風車があった。バスの乗客ほとんど公園にむかって歩き始めたので一緒に後をついて行く。

サンスーシー公園入り口の風車
世界遺産の広大な公園でいくつもの館や庭園が点在して全部はとても見切れないし今日の目的はここではないので公園内のサンスーシー宮殿だけ見学する。サンスーシー宮殿は1747年フリードリッヒ大王が建設、宮殿下に階段状の温室がならび中にぶどうやいちごの木が植えられている。
サンスーシー宮殿
サンスーシ宮殿はベルリン南西約30km、ポツダム市街の西に広がるサンスーシ公園に建つ。「サンスーシ(Sans Souci)」とは、フランス語で「憂いなし」を意味し、宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」としてユネスコの世界遺産に登録された。プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒ2世の命によってわずか2年後で建てられた。この宮殿は「陰鬱なベルリンの王宮」を離れて暮らすため、「夏の離宮」として建てられたが、結果的にサン・スーシの宮殿は離宮ではなく、フリードリヒ2世の居城として機能した。

サンスーシー宮殿
SchlossSanssouciバス乗り場に戻って92番バスに乗車。
ポツダム宣言のあったツエツイーリエンホーフ宮殿近くで下車、603番バスに乗り換る予定だったが、乗り場がわからず、地元の人に道を尋ねながら教えられた道をたどってツェツィーリエンホーフ宮殿そばのハイリガー湖に出る。
ハイリガー湖畔は静かでとてもきれいな公園。公園の中を30分くらい歩くとツェツィーリエンホーフ宮殿の建物が見えてきた。
ここがあの日本への降伏要求の最終宣言・ポツダム宣言が発せれらた場所である。日本が宣言を受託して第二次世界大戦が終結した歴史の大舞台となった場所は小さな田舎町でおよそ そんな歴史的出来事があった場所とは思えない平和で静かな場所だ。明日は予定があってこれないのでやむを得ず今日の月曜休館日に来たのだが中に入って見れないのは残念だった。

ツェツィーリエンホーフ宮殿
ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日ポツダム宣言は、米国トルーマン大統領、イギリスチャーチル首相と中華民国蒋介石国民政府主席の共同声明として大日本帝国に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」を求めた全13か条から成る宣言。正式には日本への降伏要求の最終宣言。他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本はこの宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結した。ソビエトは後から加わり追認した。宣言を発した各国の名をとって、「米英支三国共同宣言」ともいう
ポツダム会議の開催場所/ポツダム・ツェツィーリエンホーフ宮殿
ツェツィーリエンホーフ宮殿見学後 湖畔の道を歩いてバス停に戻り603番バス(駅は一度乗換えて)でポツダム駅に帰ってくる。16:13の電車に乗り16:33分ホテル最寄りのベルリンZOO駅に到着。
ベルリン/Hotel Berlin Kudammに帰る。駅やデパートなど近くて良い場所のホテルだ。
ポツダムからの帰りデパート地下でホットドックを作ってもらい部屋で食べる。今朝ハンブルクのバスターミナルでバスを待つ間寒い中立っていたせいで風邪を引いてしまったようだ。旅行が始まったばかりなのに熱やだるさが出るのが心配、暖かくして早く休む。

ドイツのサンドイッチ/ホットドックは美味しい

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2015年10月3日間滞在したベルリンのホテル至近のカイザー・ウィルヘルム記念教会前のクリスマスマーケットにトラックが突入するテロ発生のニュースには本当に驚いた。この教会前は何度も歩いて通った場所なので平和のクリスマスマーケットを狙うとは全く許せない。
カイザー・ウィルヘルム記念教会前のクリスマスマーケットにトラックが突入
ベルリン中心部にあるカイザー・ウィルヘルム記念教会前の広場で19日夜(日本時間20日未明)、多数の市民でにぎわう恒例のクリスマス市にトラックが突っ込んだ。警察当局はツイッターで、少なくとも9人が死亡したと公表した。米CNNによると、50人以上が負傷しており、警察当局がテロ攻撃の可能性があるとみて調べていると報じた。[2016年12月20日朝日新聞]
ベルリン街歩き
Berlin
10月27日
ベルリン街歩き
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ベルリン一日観光
Hotel BerlinKudamm
ベルリン一日観光
Hotel BerlinKudamm
NEXT
ドレスデン⇒

カイザー・ヴィルヘルム記念教会
1895年建築1943年の戦災で破壊されたまま記念碑として保存
成田空港~ハンブルク


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10月27日(火)晴れ ベルリン 
昨夜早寝したせいで4時頃目が覚め風邪の具合をチェック、声が枯れのどが少し痛いだけで幸い熱もだるさもなく変な風邪。ベッドの中からWifiでLINE電話を日本へかける、問題なく繋がり長電話する。(日本時間は昼ごろか)以前は海外から日本にこんなに長電話しようものなら幾らかかるかわからないというのに、無制限無料で話せるのだから時代の進化には驚くばかり。昨日フロントでバスターミナルへのアクセスを聞いた時49番のバスでダイレクトに行けると教えてくれたので食事前にそのバスに乗ってバスターミナルに行って見る。昨日苦労して電車でZOO駅に来たが明日ドレスデンに行く時は簡単に行けそうだ。帰りホテル近くのカイザー・ヴィルヘルム記念教会と通ってホテルで朝食。
 
今日一日ベルリン街歩きは東西ベルリンの爪痕を感じながら歩く。ホテル脇から地下鉄Kurfürstendamm駅へ。
ホテル近くKurfürstendamm地下鉄駅
 
ベルリン街歩きの最初はKurfürstendamm駅からSバーンに乗ってOstbahnhof東駅で下車。

Sバーン(地下鉄)車内 Ostbahnhof東駅へ
Ostbahnhof駅前から川に向かうとすぐ「イーストサイドギャラリー」はシュプレー川沿いのMühlenstr通りにある壁。Ostbahnhof駅前からシュプレー川沿いのMühlenstr通りにある壁。オーバーバウム橋までの約1.3kmがオープンギャラリーとなっており、118人のドイツ内外の画家が描いた壁画部分の壁が保存されている。

ベルリンで一番有名なベルリン壁跡「イーストサイドギャラリー」1.3㌖を歩く。
「ベルリンの壁跡/イーストサイドギャラリー」
1989年にベルリンの壁を崩壊させたのは世界の支配者ではなく、ごく普通のベルリンの人々だった。ベルリンの壁の崩壊後、この形ある冷戦の象徴は熱狂のうちに取り壊され、後にその破片は財政がひっ迫したドイツ民主主義共和国(東ドイツ)当局によって売却された。壁の一部は今も残りシュプレー川沿いのミューレン通りの全長1,316mの強固なコンクリートの壁は、1990年世界21カ国の116名のアーティストによって世界で最も長い屋外ギャラリーとなった。たくさんの小さな場所で、たくさんの小さな人々が、たくさんの小さなことをすれば、世界を変えられる。これは、ベルリンの壁に残されていた落書き。そして、まさにこの場所で起こったことに他ならない。

東ドイツの車トラバントが東から西に向かって壁を突き破る
イーストサイドギャラリーの先からベルリンプレートをたどりながら壁博物館/監視所チェックポイントチャーリーに向かって歩く。
壁跡をたどって歩くが途中で壁跡プレートの通りから外れてしまい、近くの地下鉄駅から電車に一駅乗って又そこからチェックポイントチャーリーに向かって歩く。

壁跡をたどるとNHK街歩きに出てきた家(左写真)を見つける。
旧東ドイツ時代からの
アンぺルマン信号はまだ現役
市内を歩き続けてやっとベルリン・ミッテ中心の壁博物館/監視所チェックポイントチャーリーにたどり着く
壁博物館は東西分断のベルリンの壁に関する資料を展示している。入館にはベルリンカード提示するとで割引された。
 
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東から西へ脱出に使われた車
東から西ベルリンに壁を越え命をかけて脱出するため、実際使われた車や道具などが展示されている。ロシア(旧ソ連)という国、国民はこういう展示がされ続くことにどんな気持ちでいるのだろうか。
壁博物館前の道路中央には旧監視所跡。悲劇の場所も平和な時代だとこんな感じで記念写真を撮る人が列をなしている。
今日火曜日は13:00からベルリン.フィルハーモニー.ランチコンサートがある。ベルリン.フィルハーモニー管弦楽団の本拠地の五角形の会場へ向う。予約チケットを提示、おまけとリーフレットをもらい入場。

ベルリン・フィルハーモニー
12:30頃館内はすでに満員の観客、一階は座る場所もなく二階に上がり場所を見つけ開演を待つ。ランチコンサートの名称の通り中ではランチやワインを手にした方々がたくさん。やっと13:00から7人の演奏者により演奏が始まる。馴染みない曲と音響も余り良くもなく退屈してしまい30分位聞いて途中退出する。
ベルリンフィルハーモニー会場から大通りを歩くとすぐにポツダム広場で左に折れて進むとホロコースト記念碑という直方体の石が無数ならんでいる。2711個あるそうだが数に根拠はなく地下は情報センターで強制収容所で亡くなった人達の身元などが展示されている。

ホロコースト記念碑
ホロコースト記念碑を進むと直ぐに東西分断の象徴/ブランデンブルク門だ。
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東西分断の象徴/ブランデンブルグ門
ドイツおよびベルリンの歴史と切っても切り離せない歴史がある。1791 年平和の象徴としてベルリンの大通りの、ウンター デン リンデンの入口に建てられた。高さ 30 ㍍、アテネのアクロポリスの入口にあった門をモデルとして再現したものだと言われている。1806 年にベルリンを征服したナポレオンは、このブランデンブルク門を通ってベルリン入りを果たした。そしてブランデンブルク門を飾っていた勝利の女神ヴィクトリア像は、戦利品としてフランスへ持ち去られた。その後、ヴィクトリア像はふたたびベルリン戻り今も門の上で四頭立ての馬車を御している。第二次世界大戦中、ブランデンブルク門はナチスによるプロパガンダの道具として利用され、大戦後は東西ドイツの境界線の一部として、廃墟のような状態で放置される運命に見舞われた。1987 年に、当時のアメリカ大統領ロナルド レーガン氏が、この門の前で「ゴルバチョフ書記長この壁を取り壊しなさい」という有名なスピーチを残している。そして、1989 年 12 月にベルリンの壁が崩壊し、ブランデンブルク門も再び開通、東西ドイツをつなぐ統一のシンボルとして復活した。
ブランデンブルグ門からその先にはドイツ連邦議会議事堂。

ドイツ連邦議会議事堂
通常はライヒスターク(帝国議会)と呼ばれるドイツ連邦議会議事堂は1894年完成1933年火災に見舞われたままドイツ統一後修復され1999年ガラスの円蓋ドーム屋根を付けて完成した。
ドイツ連邦議会議事堂からブランデンブルグ門に戻り西ベルリン側から東ベルリン側に門をこぐってウンターデンリンデン通りを~ノイエヴァッヘ~国立歌劇場~大聖堂まで歩く。

博物館島の大聖堂
高さ114㍍の聖堂はフリードリッヒ大王によりホーエンツォレルン家の墓所として建てられ皇帝ヴィルヘルム2世が改築して今日の姿になった。
帰りはベルリンフィル前を通る100番のバスに乗ってZOO駅まで戻る。靴がきつく痛みがありデパートに見に行くが気に入ったものがなく日本の方がいいもの多いと思いやめて帰る。
日本からLineメールで次のドレスデン・ヒルトンホテルで市税がチェックアウトの際支払う必要があるとホテルからのメッセージが転送された。
今日の歩行数は25003歩
ベルリンから
ドレスデンへ
2015年10月28日
ベルリン
ドレスデン

10月28日 ベルリンからMeinFernBusでドレスデンに移動
成田空港~ハンブルク


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ドレスデン~マイセン
プラハ


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10月28日(水)晴れ ドレスデンへ移動 
AM6時起床、YouTubeの再生リストに入れているラジオ体操をする。ここでもスマホが活躍。シムカード抜いているので課金される心配もなく利用でき、ホテルはどこもFreeWifiなのでYouTubeの再生リストから「懐メロ」「童謡」「フォークソング」「叙情歌」「クラシック名曲集」「シャンソン」など部屋にいる時はBGM代わりに何時も流したり、日本のニュースもリアルタイムで知ることが出来るのでテレビはまったく見ないですみ本当にありがたい。8:00チェックアウトしてホテルから聞いた49番バスに乗りベルリンバスターミナルへ。ハンブルクから到着したターミナルだ。
ドイツ/ドレスデン
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ドイツ
2015年10月23~29日
チェコ共和国通称チェコは、中央ヨーロッパの共和制国家。首都はプラハ。 歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されてきた。ヨーロッパ共産圏の消滅後、中欧または中東欧に分類される。 チェコ
2015年10月30~31日
ポーランド
2015年11月01~05日
リトアニア
2015年11月06~08日
ラトビア
2015年11月09~13日
2015年10月28~29日     ドイツ・ドレスデン  
日程表

ドイツ/ベルリン

チェコ/プラハ
ドイツ/ドレスデンDresden
2015年10月28日
ベルリン
ドレスデン中央駅
ホテル
Hilton Dresden
マイセン陶器工場見学

ベルリンからMeinFernBusでドレスデン中央駅横のバス停に到着
成田空港~ハンブルク


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ベルリン~ポツダム
ドレスデン~マイセン
プラハ


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ヘルシンキ~成田空港
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10月28日(水)晴れ
9:00発のドレスデン行きバスを電光掲示板で見て19番乗り場に行くがそのバスはドレスデンには行かないとドライバー、一瞬あせってインフォメーションに行って聞くとやはり19番で間違いない、19番に停車中のさっきのドライバーにしつこく聞くとその後ろに停車中のバスに案内される。19番に2台並んで停車中の後ろの方のバスが乗る予定のドレスデン行きだった。荷物を預けて乗車ほっとする。バスは11:30分ドレスデンに到着。

バス停から鉄道駅を抜けてホテルへ
ドレスデンのバス停は鉄道駅裏でホテルへは駅を背にして一本道なので市街をゆっくり歩いていく。
ヒルトンホテルはフラウエン教会のすぐ脇で12:00にチェックイン。部屋は窓から教会が見えるいい部屋。
マイセン陶器工場見学に行く為ドレスデン中央駅に戻る。

ドレスデン中央駅でマイセン往復チケット購入
ドレスデン中央駅19番線マイセン行き14:00発に乗車。

meißen駅
ドレスデンからマイセンはあっという間に14:33に到着。
地図を見ながら、マイセン駅を背にして大通りをエルベ川沿いからアルシュタット橋を渡り旧市街へ。橋から右を見上げた先にアルプレヒト城。
マイセン磁器工場に向う旧市街は石畳の のどかな田舎街。
成田空港~ハンブルク


ブレーメン.リューベック
ベルリン~ポツダム
ドレスデン~マイセン
プラハ


チェスキークロムロフ
ポーランド・ヴロツワフ
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ヘルシンキ~成田空港
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イセン磁器工場はさすが世界のマイセンという感じで街の中ではそこだけが近代的な建物。
入り口の受付で入場料を支払い、見学ガイドツアーは15:30なのでそこで少し待たされる。シーズンオフなのか見学者は少ないようで、見学ツアーは僅か数人の方々と一緒。日本語オーディオが用意され説明を聞きながらマイセンの磁器製作工程を間近に見学する。

マイセン陶器工場見学はここからスタート
マイセン(陶磁器)
東洋からもたらされた白磁は、17世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品であった。各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン選帝侯兼ポーランド王のアウグスト2世も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、白磁を作るように命じた。ベトガーは物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功した。
アウグスト2世はこれに大満足し、西洋磁器の歴史の幕が開けた。翌1710年、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられた。これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりである。数ヵ月後に磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移され、厳重に機密が保持された。初期のマイセンのデザインは中国の五彩磁器や日本の伊万里焼の影響を受けているが、1720年にウィーンから招かれた絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696年 - 1775年)らによってヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になった。
1764年には工場私設の芸術学校が創設され、4年間の訓練・実習と専門課程が設けられている。また、1865年に作られた国立マイセン磁器製作所では、この芸術学校の卒業生が大勢働いている。贋作防止のため、マイセンの陶磁器には交差した2本の剣のトレードマークが1723年から用いられている。
説明を聞きながら実際の製作工程を見学する。
ガイドツアー最後は直売店の完成品を見る、さすが素晴らしい。
くる時と同じ橋を渡りエルベ川沿いを歩いて駅に戻る。16:55分のSバーンに乗ったドレスデンに帰る。

マイセン駅からトレスデンへ戻る
ドレスデン中央駅からホテルまでは15分くらい。ホテル前のブラウエン教会を見学していく。

ブラウエン教会祭壇

ホテルの前のブラウエン教会
ブラウエン教会(聖母教会Dresdner Frauenkirche)はドイツ福音主義教会を構成するザクセン福音ルター派州教会に属している。教会の建物は第二次世界大戦中のドレスデン爆撃を乗り切ったものの、完全に焼損し爆撃の翌日崩壊した。現在はかつての敵同士の和解を象徴する建築物として再建された。外部の復元は2004年に、屋内は再建の開始より13年後の2005年に完了し、教会は2005年10月30日からプロテスタントの感謝祭である10月31日の宗教改革記念日まで、日を越して続いた祝賀式典により再び聖別された。
今日一日の歩行数は20140歩

Hilton Dresden
ドイツ/ドレスデンDresden
2015年10月29日
ドレスデン街歩き
ホテル
Hilton Dresden
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10月29日(木) 晴れ  
ホテルで朝食後駅裏のバスターミナルで明日のプラハ行きバスを確認。ドレスデン一番にぎやかなブラガー大通りからノイマルクトへ。ホテル前の通りをすすむと壁画「君主の行進」は24000枚ものマイセン焼タイルで作られている。

君主の行進

君主の行進 壁画を抜け その先には、正面が三位一体大聖堂、左にレジデンツ宮殿とツヴィンガー、とドレスデンの歴史的建造物群が並び正に壮観。
三位一体大聖堂前には世界有数のオペラ座として有名なザクセン州立歌劇場(ゼンバーオーバー)で、オペラ「魔弾の射手」が開演中。旅行前に体力・時間があったら観劇したいと考えていたのだが、疲れもあり残念だが見送った。

ザクセン州立歌劇場(ゼンバーオーバー)
大聖堂前の広場から右側にはエルベ川に沿ってブリュールのテラスと呼ばれる広い遊歩道がある。ゲーテも訪れヨーロッパのバルコニーと賛辞を贈ったことで知られている。テラスからはエルバ川に停泊する観光船や対岸の島ノイシュタットの展望が拡がりとても気持ちいい散歩道。
エルベ川沿いブリュールのテラスから、本場のバームクーヘンを食べたく評判の『Cafe Kreutzkamm』を探しあてて一つ購入する。ホテルに一度戻りロビーでLINEを使って日本に撮ったばかりの写真を数枚送る。すぐに電話がかかってMが10分位日本の様子を聞いたり旅行のことを話している。写真も送れて長電話も無料でできる、スマホの機能は何度も感心するばかり!

ドレスデン/Cafe Kreutzkammのバームクーヘン
部屋で買ってきたばかりのバームクーヘンでお茶で一休み。
休憩の後、エルベ川を挟んで対岸の街ノイシュタットに行く。エルベ川のアウグストゥス橋を渡るとノイシュタットで正面に黄金の騎馬像が見える。ノイシュタットに入り街を少し歩いたあと穏やかなエルバ川岸に下りて遊歩道をゆっくり歩く。





ウグストゥス橋を渡り旧市街に戻り、ブラガー大通りで見かけた極太毛糸の靴下が欲しくなり、デパートの物と比較して駅近くの店で買う。
ドレスデンの街を歩いて感ずるのは、映画「ドレスデン運命の日」で観たが、第二次世界大戦当時 連合軍に徹底的に破壊され壊滅した街を、中世の面影そのままに、よくぞここまでと思う程に復興させた市民の努力を考えると見事さに感動する。
ドレスデン最後の待ち歩きを終えホテルに戻る。歩行数は20025歩  明日はドイツ3都市を終えチェコ・プラハへ移動する。 
ドレスデンから
チェコ/プラハへ
2015年10月30日
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ホテルで朝食後、9:00Hilton Dresdenチェックアウト、歩きなれた大通りを荷物をひいてドレスデン中央駅へ歩く。やっと街の地理が分かりかけた頃に次の目的地に行くのはいつも心残り。 
ドレスデン中央駅の構内を通り抜けた前がプラハ行きのバス停。今日で3度目に利用するMeinFemBusでチェコ/プラハへ。
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