セカンドライフ シニアの旅 団塊世代KenとMaryのNO-SIDE 
タイ・カンボジア 2014年3月2日~8日
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カンボジア・シェムリアップ(オールドタウンとアンコール遺跡群)⇒
タイ・バンコック(ワットポー・暁の寺 歴史地区)⇒
タイ・バンコック(カンチャナブリ・戦場に架ける橋)⇒
2014年3月2~3日
羽田空港
タイ・バンコック
スワンナプーム空港
タイ・バンコック
ドンムアン空港

カンボジア
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Boarding Pass
ANA173深夜便でバンコックへ

3月2日朝から冷たい雨。先月の大雪のような事はないが羽田発深夜便なので楽観しないで家を出る。
羽田空港国際線出発ロビーEカウンター前で同行する姉と待合せした。すでに到着していた姉と合流、出発前は皆気持ちが高揚して大声になる。0:30ANA173深夜便は無事離陸しバンコック・スワンナプーム国際空港へ。スワンナプーム空港ではシェムリアップ行の飛行機はもう一つのドンムアン空港発の為バスで移動して乗り換えをする。


ドンムアン空港コンコース壁面に富士山 スワンナプーム空港3番出口シャトルバス乗場

ANA173便の座席配列は2:3:2で中央の3人並び席。で離陸して間もなくおやつと飲み物が出る。寝る前にカンヌ映画祭で話題になった映画『そして父になる』を見たが凡作だった。機内で3人分の入出国カードを書き準備。
     
スワンナプーム空港シャトルバスに乗りドンムアン空港へ


バンコック・スワンナプーム国際空港へ5:15分予定到着時刻よりだいぶ早く到着、ここからバンコックもう一つの空港ドンムアンでカンボジア行きに乗り換える予定。入国も順調に終わり到着ロビーの3番出口前がドンムアン空港行きシャトルバス乗り場で予定より1時間早い6:00発に乗れる。バンコックは世界一の交通渋滞と言われていたので早い時間に移動できありがたい。シャトルバスはシェムリアップ行きの航空券提示するだけで無料になった。


カンボジア・シェムリアップ空港

カンボジア・シェムリアップ空港に到着、地上へはタラップを降りる珍しい経験。歩いて到着ロビーへ入ると、入国ビザを取得する人の行列ができていた。(カンボジアは全員入国ビザが必要)出発前にビザを取得していたので入国審査は一番早く終えて到着ロビーを出る。シェムリアップ空港から町へは公共交通機関がないのでツゥクツゥク(バイクにリヤカーを取り付けたもの)かタクシーに乗っていく。 出迎えの運転者が名前を書いたボードを掲げて沢山並んでいる。
その中から予約したホテルの出迎えを見つけ案内に従いついていく。


ホテルの出迎えは車でなくツゥクツゥクだった。風を切って走るツゥクツゥクは気持ちいい、約20分でホテルへ到着。
チップ1㌦。カンボジアはUS㌦が流通していて両替は不要と事前の情報通りだった。


長い民族衣装のフロントクラークの女性が両手を合わせスオスダイ(こんにちは)と笑顔で迎えてくれる。
チェックイン。



Boutique Indochine Hotel & Spa Siem Reap

ホテルは風情もありとてもきれいで、部屋は一階奥の3人部屋、プール脇通路を進んで正面の部屋。

カンボジア・シェムリアップ/ブティック・インドシナホテルロビー

ホテルで着替えてトゥクトゥクに乗って街の出る。


映画トゥームレイダー主演のアンジェリーナ・ジョリーが滞在中頻繁に通ったというパブストリートの「RED PIANO」も見るが近くのレストランに入り カンボジアで初めての食事をする。春巻き・チャーハン・めん料理を注文。ビールは苦味が少なくあっさり目の味。料理はあま辛い味でなじめない味だが、ゆっくりカンボジアを味わいながら食べる。うまいまずいは関係ない、それが旅なのだから。


街を散策してからホテルの戻る。
ヴティック・インドシナ・ホテル&スパと名前の通り、宿泊客に30分のスパ&マッサージがついているのでフロントでお願いする。フロント近くの小部屋に通され入ると床にソファが3つひかれていた。あとから3人の少女のような幼い顔つきの可愛い女性が入ってきて、うながされるまま横になりマッサージが始まった。あっというまに心地よい30分が経過。ひとり1㌦づつチップをあげるととても喜んで両手をあわせお礼された。


部屋の前のプールでひと泳ぎ。一角にはジャグジーがついて温泉プールのよう。

部屋のお風呂は石の湯船で交代で入り寝る前しばらく昔話しに花が咲く。
長い一日が終わり3ベッドルームにM-K-姉と並んで休む。

姉とは子供の頃喧嘩ばかりした思い出ばかりで、一緒に旅行した記憶が全くなかったが、そうは思えない程、遠慮や気を使うこともなく、話が弾み笑いっぱなしで姉弟とは不思議なものだとつくづく思う。




2014年3月4日
インドシナホテル
アンコールトム
アンコールワット
タプローム
オールドマーケット
インドシナホテル


2日目ホテルの朝食は最上階にある開放的なレストランで。

今日は終日アンコール遺跡の『とらバス日本語ツアー』に参加する。8時指定集合場所アンコールホテルに向かう。

ツアーの参加者は12名皆日本人。小型バスに乗って午前中はアンコールトム見学へ。

Angkor Thom Angkor Watの1日入場券20㌦3日券は40㌦で一日券を購入する。窓口で入場料を支払いカメラに視線をあわせるよう促され写真を撮られて、その後僅か数分後、ガイドさんから写真入りの入場券を渡される。
すごい早業だ。
写真入り入場券(1日券20㌦)
アンコール遺跡
アンコール遺跡(アンコールいせき、Angkor)は、カンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側にあったクメール王朝時代の遺跡群でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。9世紀頃から数々の王建設が開始され、この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-1145年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。

ガイド女性についてAngkor Thom南大門から史跡に入る。

Angkor Thom南大門

ガイドさんは大学を出て日本語を習得した方でくせはあるが上手な日本語で細かな説明をしながら遺跡内を引率する。

Angkor Thomバイヨンの北西/バプーオン
バプーオン(Baphuon)は、カンボジアのアンコール遺跡にある寺院の1つ。アンコール・トムにあるバイヨンの北西に位置。11世紀中頃、ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ、ウダヤーディチャヴァルマン2世 (Udayadityavarman II) の国家的寺院として築かれた3層からなるピラミッド型寺院。バプーオン様式の原型となる。寺院は、王宮の周壁の南側に隣接し、その基盤は東西120メートル、南北100メートルにおよび、高さは34メートルであるが、およそ50メートルの高さとなる塔があったとされる。明らかに特徴のある外観は、元の皇帝、成宗の13世紀末の使節であった周達觀 (Chou Ta-Kuan) が1296年から1297年にかけて訪問し、「銅塔一座があり、金塔(バイヨン[1]、高さ45メートル[2])に比べて更に高く、これを望めば鬱然としてその下にはまた石室が十数ある[3]」と述べている。
15世紀後期、バプーオンは仏教寺院に改められ、長さ70メートル、高さ9メートルの涅槃仏像が西側の第2層に建造されたが、おそらくそれには以前8メートル以上におよんだ塔を取り壊す必要があったことを、現在その塔がない理由とする。バプーオン寺院は砂に覆われた用地に建造され、またその巨大な規模によって、その立地は寺院の歴史を通して不安定であった。大部分はおそらく寝釈迦像が付け加えられた頃にはすでに崩壊していた。20世紀には、寺院の大部分がほとんど崩壊しており、また修復の取り組みはその後問題をみせた。1960年に始まった最初の取り組みは、クメール・ルージュが勢力を得ることにより中断され、石材の位置についての記録が失われた。1995年にフランス主導の考古学者チームにより開始された二度目の試みは、2005年、訪問者の入場を制限していた。 2010年11月になって、部分的な訪問者の入場が、中央の建造物を除いて再び許可された。2011年4月、51年を経て、考古学者らは寺院の修復を終えた。カンボジアの国王ノロドム・シハモニとフランスの首相であったフランソワ・フィヨンはともに、2011年7月3日の公開式典において復元された寺院を最初に見学した。一般公開も開始されたが、観光客が転落したことより、安全面に関する検証のため一時閉鎖され2011年11月14日に一般訪問者の入場が再開されるようになった。

11世紀に見られたであろう寺院を
ペンと水彩で再現した図
(描画:1889年)
Angkor Thom
Angkor Thom
アンコールトム北門から出ると観光像乗り場。

アンコールトムを出て歩いてパプーオンへ。前の大きな池で真っ黒な子供達が元気に飛び込んで泳いでいた。世界遺産のなかでふりちんで泳ぐ子供達をみるとこころが和む。


バプーオンの塔上から
昼食後、午後はアンコールワット見学。

日本の巡礼者によって
作られた地図(1623-1633年)
アンコールワット
シェムリアップの中心部から北に6.5kmほど離れて公共交通機関はない。アンコール遺跡全体が広い範囲に点在している。この寺は西を正面として、午前に写真を撮ると逆光になるため、午後の観光が好まれる。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られるが再発見され、アンチェン1世(フランス語版)は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。孫のソター王(フランス語版)は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。1586年、ポルトガル人のアントニオ・ダ・マダレーナが西欧人として初めて参拝し、伽藍に対する賛辞を残している。1632年(寛永9年)、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」とあり、日本にもこの仏教寺院は知られていたことが伺える。1860年、寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオの紹介によって西欧と世界に広く知らされた。1887年、カンボジアが仏領インドシナとされ、1907年にシャムからアンコール付近の領土を奪回すると、フランス極東学院が寺院の保存修復を行った。1972年、カンボジア内戦によって極東学院はカンボジアを離れ、寺院はクメール・ルージュによって破壊された。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられ砕かれ、敷石にされた。1979年にクメール・ルージュが政権を追われると、彼らはこの地に落ち延びて来た。アンコール・ワットは純粋に宗教施設でありながら、その造りは城郭と言ってよく、陣地を置くには最適だった。周囲を堀と城壁に囲まれ、中央には楼閣があって周りを見下ろすことが出来る。また、カンボジアにとって最大の文化遺産であるから、攻める側も重火器を使用するのはためらわれた。これが、遺跡自身には災いした。クメール・ルージュは共産主義勢力であり、祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けた。内戦で受けた弾痕も、修復されつつあるが一部にはまだ残っている。内戦が収まりつつある1992年にアンコール遺跡として世界遺産に登録され、1993年にはこの寺院の祠堂を描いたカンボジア国旗が制定された。今はカンボジアの安定に伴い、各国が協力して修復を行っており、参道の石組みの修復は日本人の石工が指導しており、その様子はNHK「プロジェクトX」で取り上げられた。

カンボジア国旗に描かれた
アンコールワット

遥か向こうにアンコールワット中央祠堂

アンコールワット表参道を進む。ガイドさんのカンボジア青年はたどたどしい日本語での案内だったが、一度も日本に来たことがなくカンボジアで勉強しただけにしては上手で感心する。


アンコールワット西塔門から場内へ。

アンコールワット西塔門入口

アンコールワット西塔門を入り第一回廊へ。回廊には壁画の数々、それぞれに意味があるのだが説明を聞いても右から左に抜けていき頭に残らなかった。


しかしアンコールワット観光中にハプニングが発生する。
この観光ツアーにはタプロームが含まれていないことに気づいた姉がタプロームをどうしても見たいと可愛い「わがまま」を言い始めた、自分も同じ気持ちでタプロームに行かないでは帰れない。時計はすでに15:30、アンコール遺跡閉門時間まであと一時間半!
カンボジア青年ガイドの説明を受けながら熟考ツアー離れタプロームに行くことを決断する。

                         西塔門ヴィシュヌ神

ツアー同行の方にお詫びをして、大急ぎ表参道を戻り正門へ。タプロームまでの足になるツゥクツゥクはそこらじゅうにいるので選り取りみどり。そのうちの一人に声をかけ、タプローム観光~オールドマーケットまで周遊の値段交渉。最初に声をかけた運転者はどこかの専属らしくだめと他の運転手に声をかけ呼ぶ。少し人相の悪そうな人。言い値は15㌦。3人だというと一人10㌦という。『NO !12㌦』」というとダメのジェスチャーするので、背を向けほかをあたろうと去りかけると『12㌦OK」という、ずいぶん簡単に値を下げるものだがラッキーと思いながら姉とMを促して乗車タプロームへ向かう。


おじさんのバイクは旧式なのかふかしてもなかなかスピードが上がらず後続の車が追い越していく。言い値で言ってくれてるのだから我慢しよう。約20分程両側緑の舗装路を走りタプローム入口に到着。人相の悪いおじさんドライバーに1時間待ってもらうので半分支払おうとすると後でいいという。いっぺんにおじさんが好きなる。



石積の門をこぐり中に入ると両脇を森に囲まれた一本道がまっすぐ伸びている。


途中でチケットを提示して、15分位歩くとタプローム遺跡が見えてくる。


タプローム遺跡はカジュマルによる侵食が激しく、樹木が遺跡に飲み込みかけている。タプローム遺跡の保存にはインド政府が修復を担当していて、修復計画について議論が沸き起こっている。巨大な樹木は移籍を破壊しているのか、遺跡を支えているのかという議論らしいが、ユネスコを中心とした修復方針の結論はでないでいる。 が、この圧倒的な迫力で迫ってくる景観をは絶対に残して欲しいものである。


映画Tomb Raiderに登場

タプロームのランドマーク的大カジュマルの樹。力強い生命力は遺跡に絡みついているのか破壊しているのか区別がつかない。


Ta Prohm

Ta Prohmは三重の回廊に囲まれて迷路のようでボランティアのおじさんに案内してもらいやっと出口にたどり着いた。

タプロームから2~300㍍南東にあるライ王のテラス。

三島由紀夫が1965年(昭和40年)10月にカンボジアを訪れ「熱帯の日の下に黙然と坐してゐる若き癩王の美しい彫像を見たときから、私の心の中で、この戯曲の構想はたちまち成つた」と述べ、着想を得た最後の戯曲『癩王のテラス』(らいおうのてらす)のモデルとした遺跡である。


アンコール遺跡群見学を終えた後、マンゴーを食べたいと二人の希望がありオールドマーケットへ。

オールドマーケット近くでトゥクトゥクを止め降りると、向かいのホテルからアンコールワットで別れたガイド青年が出てくる。先ほどの同行者達を送ってきたという。こんなところで再会できるなんて!嬉しかった。


マンゴーを買いに行くというと市場までついてきてくれ一緒に品定めして、値段は4個4㌦とおそろしいくらいの安値にびっくり。アイスクリーム屋さんを教えてもらいお別れする。


彼に聞いたお店でアイスクリームを食べ、パンやざくろジュース、日本製のカップ麺を買いトゥクトゥクに乗ってホテルに帰る。


今夜の夕飯はマンゴー・パン・カップ麺となった。ナイフがないのでフロントに電話して4個のマンゴーをむいてもらう。すぐにカットして大皿に盛り付けて持ってきてくれた。感動するくらい甘くて美味しかった。

明日はバンコックへ移動する。 名残惜しいインドシナホテル最後の夜。



2014年3月5日
インドシナホテル
カンボジア
シェムリアップ空港
タイ・バンコック
ドンムアン空港


早朝3:30誰ともなく目が覚めベッドの中で話し始める。姉の記憶に残る子供の頃の話しに盛り上がって外が明るくなるのも忘れて話し続ける。
8:00~起きインドシナホテル最後の朝食。
10:00チェックアウト、入口にはすっかり顔見知りになったトゥクトゥクの運転手が待っていてくれた。

カンボジア/シェムリアップ空港前の花...M撮影

11:35 シェムリアップ空港エア・アジアカウンターで バンコック行き搭乗手続き。

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12:15発の飛行機でバンコックへ。


バンコック・ドンムアン空港から。バスとBTS乗り継いでホテルのあるサパーンタクシン駅へ。


BTS自販機
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