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2014年9月 カナダ/アメリカ東海岸日程

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合衆国首都/コロンビア特別区
2014年10月2〜3日 ワシントンDC
ナイアガラ フィラデルフィア
2010年14月02日
Buffalo空港
Washington空港
フォギー・ボトム駅
WashingtonDC
TheRiverInnModus Hotel

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WashingtonDC地下鉄/フォギーボトム駅

10月2日 ナイアガラ近郊のバッファロー空港11:40発の飛行機は約一時間12:45アメリカの首都ワシントンDCのロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港到着。
荷物を受取り地下鉄空港駅へ。切符の買い方がとても複雑で駅員さんに手伝ってもらいやっと購入。地下鉄はペンタゴンとかアーリントンとか首都らしい駅名がならんでいる。
ワシントンは特別行政区で正式名称はコロンビア特別区(District of Columbia)どの州にも属さない。



ホテル最寄り駅は空港から6つ目のフォギーボトム。旅行前に NHK.TV『世界ふれあい街歩き』ワシントン編の最初の場面にも登場したフォギーボトム駅舎が懐かしい。駅を出てすぐ脇のジョージワシントン大学構内の道を抜け5分くらいでホテルに到着。


13:45分チェックイン時間前なので荷物を預けて街に出る。最初はまずホワイトハウスへ。地図を眺めながら近くのワシントン・サークル公園からペンシルバニア通りを進む。ホテルからは15分くらいで見慣れたホワイトハウス前へ。

2014年9月19日侵入事件のあったホワイトハウス:侵入経路
2014年9月19日
ホワイトハウスのフェンスを乗り越えて芝地を走り抜けた侵入者は、鍵のかかっていなかった二つのドアを通り抜け、1人のシークレットサービス隊員を驚かせたあとに、グリーンルームの外側で逮捕された。
イラクに従軍した元陸軍兵士の容疑者は、大統領が記者会見や公式行事などを行うイーストルームにも一時侵入した。オバマ大統領とその家族は、事件発生時にはキャンプデービッドにいて無事だった。

数日前不審者の侵入事件があったせいで柵は2重になっていて警備も物々しい。テレビカメラも中継中でその横から眺めたホワイトハウスの建物は思ったよりずっと小さく、世界の歴史を作ってきた建物なのに身近で威圧感もなかった。


ラファイエット公園のりす

ホワイトハウス
ホワイトハウス
出典:Wikipedia
アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.の中心部に所在。その住所であるペンシルベニア通り1600番地(1600 Pennsylvania Avenue)はアメリカで最も有名な住所である。

エグゼクティヴ・レジデンス
メインハウス(Main House)などとも呼ばれ、大統領とその家族が暮らす公邸であるほか、外国首脳や議会関係者など要人との会談や、条約や重要法案の調印式、上級公職の任命会見、重要な記者会見、訪問者との会見、晩餐会やレセプション、その他の公的な行事が行われる場所でもある。レジデンスからはコロナードと呼ばれる渡り廊下が東西に伸びてそれぞれウエストウイングやイーストウイングに連結している。コロナード自体も、中に事務室が入居する大規模な連結棟である。

ウエストウイング
オーバルオフィスと呼ばれる大統領執務室をはじめ、閣議室、国家安全保障会議室のほか、副大統領、首席補佐官、大統領補佐官、報道官、法律顧問、上級顧問などの上級スタッフのオフィスなどが入る、アメリカ政府の中枢。地下には世界に展開するアメリカ軍や関係機関と最高レベルの情報連携をしているシチュエーションルームがある。

イーストウイング
ファーストレディ、そのスタッフのオフィス及びホワイトハウス社会事業担当官のオフィスが入る。また、地下はバンカーと呼ばれる核シェルター機能を備えた大統領危機管理センターとなっている。2001年の9/11テロの際、ハイジャック機が首都に接近との報を受けたチェイニー副大統領、ライス国家安全保障担当大統領補佐官を始めとするホワイトハウス・スタッフは、直ちにここに避難した。

ローズ・ガーデン、ジャクリーン・ケネディ・ガーデン、ノース・ローン、サウス・ローン
天気のよい日にはイベントが開催されることもある。レジデンスとウエストウイングに囲まれた一画は「ローズ・ガーデン」、レジデンスとイーストウイングに囲まれた一画は「ジャクリーン・ケネディ・ガーデン」と呼ばれ、ここで重要な法案や条約の調印式が行われることも多い。サウスローンのさらに南にはザ・エリプスと呼ばれる広大な庭が広がっている。観光客がコンスティテューション通りから柵越しに見ることができるホワイトハウスは、この「ザ・エリプス」越しの景観である。

アイゼンハワー行政府ビル
Old Executive Office Buildingとも呼ばれ、ウエストウイングから小道を挟んだ西側にある。副大統領オフィスがここにある他、国家安全保障会議事務局、行政管理予算局が入る等、事務スタッフが詰めている。
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歴史
出典:Wikipedia
建設と設計
大統領府であるホワイトハウス建設が開始されたのは初代大統領のジョージ・ワシントンのときで、1792年10月13日に礎石が置かれて着工したが、公式の定礎式は挙行されなかった。1790年、ワシントンD.C.(コロンビア特別区)の設置と区画が決定され、フィラデルフィアに変わる新首都建設が始まるとワシントンは大統領府のデザインをコンペで募集し、九件の最終候補の中からアイルランド出身の建築家、ジェームズ・ホーバンの案を採用した。基礎部分は当時の黒人奴隷、石細工は主にスコットランド人が工事を担っていた。着工から8年後の1800年11月に完成したが、初代大統領のワシントンはすでに大統領職を辞していたばかりか前年に亡くなっており、完成した姿を目にする事はなかった。そのため、最初にこの大統領官邸に入居したのは2代目大統領のジョン・アダムズからとなったのである。以後も大統領府はここに置かれ、200年経った現在でも首都ワシントンと共にアメリカの政治の中枢となっている。

戦争による焼失
1814年8月、大統領官邸は米英戦争のブラーデンスバーグの戦いでの敗北により、イギリス軍による焼き討ちにあい、石積みの外壁を残して全てが灰燼に帰してしまった。第4代大統領ジェームズ・マディスンは設計者のジェームズ・ホーバンを監督に任じ、焼け残った外壁を使って焼失前とほぼ変わらない官邸を再建、1817年に完成した。このとき、焼けこげた外壁を白く塗装したことから官邸は現在のように「ホワイトハウス」と呼ばれるようになった[4]。現在でも焼けこげた壁の一部は保存されており、トルーマンバルコニーでこれを見ることができる。

現在の形へ
1902年には、第26代大統領セオドア・ルーズベルトがウエストウイングを増築、それまで二階部分に入っていたスタッフのオフィスをここに移した。そして空いた二階を居住空間に全面改装したほか、一階部分にも若干の改修が施された。これを期にホワイトハウスは公式に「ワシントン・ホワイトハウス」 (White House ? Washington) と命名された。
1942年には、第二次世界大戦中に第32代大統領フランクリン・ルーズベルトが地下に防空壕を備えたイーストウイングを増築した。この防空壕は現在、大統領危機管理センターになっており、2001年の9.11テロ事件のさいにも閣僚が避難している。
1948年、第33代トルーマン大統領は、レジデンス二階の「イエローオーバルルーム」の外側にバルコニーを設置しようとした。ところがこの時行われた強度検査で老朽化による構造強度の劣化が判明したため、全面的な解体改修工事が行われることになった。工事は再び石積みの外壁のみを残して内部を基礎部分を含めて全て創り直すという大がかりなもので、5年の月日をかけた一大プロジェクトであった。そのため、ペンシルベニア通りを隔てて北側に位置する大統領の賓客用宿泊施設(迎賓館)ブレアハウスを仮の大統領府として一時的に機能させることになった。それから5年が経った1952年に工事は無事完了、「トルーマン・バルコニー」が新設された。これにより、多くの人が目にしている現在の姿が完成した。

ホワイトハウス前のラファイエット公園ではリスが走り回りベンチで休む人、芝生で寝転がる人もたくさんでホワイトハウス前とは思えない光景。ホワイトハウスを正面に見ながらベンチでしばし休憩。

ホテルからホワイトハウスへウォーターゲート付近を通る。
ウォーターゲート事件
1972年6月にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月にニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾、大統領辞任のすべての経過を総称してウォーターゲート事件という。事件は、1972年の大統領選挙戦のさなかに当時のニクソン共和党政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビルに、何者かが盗聴器を仕掛けようと侵入し警備員に発見されて警察に逮捕されたことから始まった。やがて犯人グループがニクソン大統領再選委員会の関係者であることが分かり、当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場を取ったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権内部がこの盗聴に深く関与していることが露見する。さらに事件発覚時に捜査妨害ともみ消しにホワイトハウスが直接関わり、しかも大統領執務室での会話を録音したテープが存在することが上院調査特別委員会でわかった。このテープ提出の拒絶や、事件を調査するために設けられた特別検察官を解任するなど、明らかな司法妨害が政権よりなされた。こうした不正なニクソン政権の動きに世論が猛反発し、やがて議会の大統領弾劾の動きに抗しきれなくなって合衆国史上初めて大統領が任期中に辞任に追い込まれ、2年2ヶ月に及んだ政治の混乱が終息した。

ペンシルバニア通りを進み右折して15番街は入ると左向こうに国会議事堂が遠くに見える。更に進み左に国会議事堂右にワシントン記念塔を結ぶナショナル・モール(国立公園)という広大な広場に出る。

ナショナル・モール

ナショナル・モールでは、キング牧師の『私には夢があるI Have a Dream』の演説で有名な、アフリカ系アメリカ人の人権を目的とした1963年のワシントン大行進が行われた場所でもある。


ワシントン記念塔〜国会議事堂を結ぶ国立公園『ナショナル・モール』



ナショナル・モールにある このメリーゴーランドは、人種差別撤廃に奔走したキング牧師が、「私には夢がある」のスピーチをしたその日、それまで黒人の乗れなかったこのメリーゴーラウンドに、初めて黒人の少女が乗ることができて、平等のシンボルとして保存されている。


スミソニアン博物館の本部スミソニアン・インスティテューション・ビルディング

ナショナル・モール衛星画像
1.ワシントン記念塔
2.国立アメリカ歴史博物館
3.国立自然史博物館
4.ナショナル・ギャラリー 彫刻の庭
5.ナショナル・ギャラリー 西棟
6.ナショナル・ギャラリー 東棟
7.アメリカ合衆国議会議事堂
8.ユリシーズ・S・グラント・メモリアル
9.アメリカ植物庭園
10.国立アメリカ・インディアン博物館
11.国立航空宇宙博物館
12.ハーシュホーン博物館と彫刻の庭
13.芸術産業館
14.スミソニアン協会本部(キャッスル)
15.フリーア美術館
16.アーサー・M・サックラー・ギャラリー
17.国立アフリカ美術館

ナショナル・モールは複数のスミソニアン博物館群と、国有の美術館や記念館や庭園と緑地が広がる場所で、その中で是非見学したいと思っていた航空宇宙博物館に入ってみる。


航空宇宙博物館本館の主な展示物
■ライトフライヤー号=1903年にライト兄弟が最初に運転した動力飛行機の実物。
■スピリット.オブ.セントルイス=リンドバーグが大西洋横断に成功した最初の有人飛行機実物。
■ベルX-1=世界で初めて音速を突破する水平飛行を成功させた有人飛行機。
■Me262=史上初の実戦ジェット戦闘機
■V2ロケット=史上初めて宇宙空間へ到達した最初の人工ロケット。
■アポロ11号司令船=月面着陸に人類史上初めて成功したアポロ計画有人ミッションの司令船。
■月の石= 極く小さいが、触ることが出来る。
■パイオニア10号=世界初の木星探査機でもある惑星探査機。
■スペースシップワン=世界初の民間企業による有人宇宙飛行機。
■U.S.S.エンタープライズ NCC-1701の撮影用模型=スタートレックに登場する宇宙船。

など、など歴史的な展示物の内容・数量に圧倒される。


直接 月の石は直接触れられる




下写真左上、スピリット・オブ・セントルイス - チャールズ・リンドバーグが大西洋を横断に成功した最初の一人乗り用有人飛行機の実物。


アポロ11号司令船

アポロ月着陸船

1903年飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功したライト兄弟
ウィルバー・ライト(Wilbur Wright 1867年4月16日 - 1912年5月30日)ライト家の三男。
オーヴィル・ライト(Orville Wright  1871年8月19日 - 1948年1月30日)ライト家の四男。


ライトフライヤー号= 1903年にライト兄弟が最初に運転した動力飛行機の実物。


ライト兄弟は、動力飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロット。自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した。



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スミソニアン協会ではライトフライヤー号は「最初の動力付きで、パイロットが搭乗して継続的に飛行し、機体を操縦することに成功した、空気より重い空飛ぶ機械」と説明。



博物館見学を終えて 帰りは来た時と同じペンシルバニア通りを歩いてホテルに戻る。


『The RiverInn-A ModusHotel』ホテルの206号室は予約したものをアップグレードしてくれ寝室、リビングルーム、キッチンもついて、お風呂の湯船も大きい ひろびろのスウィートルーム。



2014年10月03日
Washington
10月3日
7:00起床、ラジオ体操。今日は一日ワシントンの街歩き。昨日歩けなかった所を見て歩く予定。
最初に向かったのは ワシントン記念塔。渡米前にインターネットで9:30入場時間予約をしておいた。


ナショナル・モールのほぼ中心に立つ巨大なワシントン記念塔は、アメリカ独立戦争を勝利に導いた初代大統領、ジョージ・ワシントンの功績を称えて建てられた。169メートルの高さがあり、このエリアのシンボルのひとつ。ワシントンDC記念塔以上の高さの建物は規制されている為高層ビルがない。


広大なモールの一角にある塔でチケットを見せ9:30のグループについて中に入る。見学の終わった人たちをおろしたエレベーターに入れ替え、最上階の展望台まで女性係員が塔の由来など説明しながら上がっていく。


最上階の展望室は日本語案内板もありとても狭い。東西南北 小さな窓からはワシントンの街の風景が広がり、誰もが写真を撮りながら進む。

正面東側がモールを挟んで国会議事堂。


南側は日本から贈られた桜の名所タイタルベイスン


西側にはリンカーン・メモリアル、そのさらに先はアーリントン国立墓地などが見える。

北側正面白い建物はホワイトハウス。

記念塔をおりてタイタルベイスンでジャファーソン記念堂から右側に日本から送られた桜並木を見る。今は秋 緑の森だが4月には一面満開の桜色に染まるだろうが、日本から来た桜 並木に誇りを感ずる。
タイダルベイスンは、ワシントン運河にポトマック川の水流を引いて、運河の汚染を防止するために1897年に築かれた人工的な入り江。


第二次世界大戦記念碑

リンカーン記念堂へ。前にひろがる人工池は『リフレクティング・プール』で西端のリンカーン記念館前から、第二次世界大戦記念碑を隔てて中心に立つワシントン記念塔まで伸びている。

リフレクティング・プール

偉大な大統領リンカーンを称えたリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)
リンカーン記念堂(Lincoln Memorial)

奴隷解放宣言や民主主義の理念を貫き、偉大な大統領の一人に数えられている、アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンの、功績を称えて1922年に建てられた記念堂。


リンカーン記念堂は古代ギリシア神殿風の建物。入ると正面に椅子に座ったリンカーンの巨大な大理石像が据えられ、壁に『人民の人民による人民のための政治』とかの有名なゲティスバーグの演説の一説が刻み込まれている。


リンカーン・メモリアルから見たワシントン記念塔

リンカーン記念館からポトマック川を渡りアーリントン国立墓地へ。


橋を渡るとそこはワシントンDCではなくバージニア州アーリントンになる。


事務所を抜けて外に出ると木々が生い茂り墓地というよりは広大な公園のよう。


アーリントン国立墓地ArlingtonNationalCemetery
1864年に、南北戦争の戦没者のための墓地として、南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれた。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦没者が祀られ、現在でも戦没者やテロ犠牲者などのアメリカ合衆国のために尽くした人物の墓地が存在する。墓地が築かれたのは1864年であるが、判明した範囲でアメリカ独立戦争の戦没者の墓地も設けられている。

歩道の両側にはおびただしく白い小さな墓標がきれいに整列している。


墓標には名前が刻まれ、その中に『Kazuko His wife ....』と日本名を発見、戦中にアメリカ軍人の妻となった人もいるのだ。どんな人生を送ったのだろうと厳しい時代に思いえをはせる。


ジョン・F・ケネディ夫妻の墓案内板

先に進んで行くとたくさんの人だかりの一角があり、それはすぐにあのケネディ大統領夫妻の墓とわかる。アーリントンに来て誰もがお参りする場所だ。人の多さにもかかわらず一帯は静寂に包まれ厳粛な雰囲気だった。


ここは何故かどこへ行っても騒々しい中国人は皆無で不思議な感じ。


もと来た道を戻ってリンカーンメモリアル裏の23ストリートを歩きホテル近くのワシントン公園を通ってホテルに戻る。


今日は歩き通して2万歩以上だが、一休みしてワシントン最後の観光/ジョージタウンへ出発。


25ストリートからいつもの反対側の北へ向かいM.stを左折するとアメリカで最も古い街並みの残るジョージタウンだ。


ケネディ大統領も議員時代に住んだN.stもこのあたり。     


しばらく街を散策。


ジョージタウンのスーパーで惣菜を買って帰りホテルのキッチンでMが久しぶりに料理をして部屋で夕食。



2014年10月04日
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10月4日
4:30起床、荷物を整理して TheRiverInn-A Modus Hotel 6:00チェックアウト。バスターミナルのあるユニオン駅まで約4`夜明けのワシントンの街を歩き始める。




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