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2014年9月 カナダ/アメリカ東海岸

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  アメリカ合衆国ニューヨーク州 
2014年10月5〜7日 ニューヨーク NewYork  (1)
Philadelphia NewYork (2)
2014年10月5日
フィラデルフィア
ニューヨーク
ニューヨーク街歩き
ホテル/カサブランカ

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K&MSecond Life


NewYork/Casablanca Hotel
10月5日
PhiladelphiaBusterminal
No.6ゲートから9:10発のニューヨーク行きに乗り11:00ニューヨーク・ポートオーソリティ・バスターミナルに到着。タイムズスクエアの西8番街9番街と40丁目〜42丁目にまたがる巨大なバスターミナルだ。ターミナルを出ると憧れのニューヨークが目の前に飛び込んでくる。ワシントン〜ファラデルフィアと旅して来たがここの雰囲気は独特のもの。


トランクを引きホテルの位置(7Av:43.st---7番街43丁目)を地図で確認して歩き始める。タイムズスクェアまでは数分で来たがホテルが見つからないくるくるタイムズスクェアあたりを回ってやっと見つけたホテル『カサブランカ』近くをくるくる歩いていたようだ。
(ニューヨークではAve街はワンブロック:250b.1丁目はワンブロックだいたい60b)

ニューヨーク2日目⇒
ニューヨーク3日目⇒

入口では制服姿のドアマンがクラシックなドアを開け丁重に中に導き入れレセプションへ。スタッフは皆とても笑顔が素敵でさすがニューヨークという感じ。
ベルボーイに案内された部屋は411号室。小さな部屋だが名前のイメージそのままで落ち着いた部屋。部屋の機能の説明をしたボーイにチップを渡し、荷物を整理する。一服して街にでようとフロント前を通るとスタッフから早々Mr.***と名前で呼び掛けられ送り出される。このおもてなしの心に少し嬉しい気持ちで初めてのニューヨーク街歩きに出発する。


ホテル直ぐ先のニューヨーク市立図書館前に来るとポーランド人らしい記念パレード(白/赤のポーランド国旗)に遭遇しばらく見学する。

グランド・セントラル駅
Grand Central Station
ニューヨーク・マンハッタンにあるターミナル駅である。正式名称はグランド・セントラル・ターミナル(Grand Central Terminal)。単に「Grand Central」とも。所在地はミッドタウンのパーク・アベニューと42丁目の地点である。“マンハッタン3大ターミナル”(ほか2つはペンシルベニア駅、ポート・オーソリティ・ターミナル)のうち最大のものである。駅近辺の鉄道はすべて地下を通っているため、44面67線の広大なプラットホームはすべて地下にある。メトロノース鉄道のグランド・セントラル駅は通勤列車が多く発着するターミナル駅で、地下に29面のホームと、46の発着番線を持つ。マンハッタンを代表する歴史的建造物で1871年にニューヨーク・セントラル鉄道により旧駅舎が完成・開業した。現在の駅舎は1913年2月1日に改装・修復したものである。建物は古典主義風のボザール様式(アメリカン・ボザール)の建築物である。床面は大理石が使われ、天井には星座が描かれている。1966年に高層ビルを建てるため取り壊す再開発計画が公表された。しかし、ニューヨーク市やジャクリーン・ケネディ・オナシスなどが反対し、連邦最高裁判所まで争った末に、計画は撤回された。1998年に再び内装をリニューアルオープンした。2013年2月1日に駅舎生誕100周年を迎え、記念式典が開かれた。また併せて2014年に駅舎生誕100周年を迎える日本の東京駅と姉妹提携を結ぶことも発表された。日米両駅で姉妹提携を結ぶのは初めてである。駅構内には高さ125フィートのプラネタリウムを想像させる星座が描かれている。この星座を描くとき、鏡に映しながら描いたため裏返しの星座が描かれている。これは天球を外側から俯瞰した、神の視点による星座を表現している。駅構内には、数々のショップやレストランなどもそろっている。

五番街の突然のバレード。行列の途切れるのを待って信号を渡ると前方にグランドセントラル駅入口が見える。駅構内に入ると大きな広場に行き交う人、レストランやカフェで憩う人、見上げるとアーチ天井は星座が描かれ駅というより美術館のような雰囲気だ。 
グランドセントラル・ニューヨーク中央駅
ニューヨーク中央駅/グランドセントラルはまるで美術館のような素敵な建物。車社会のアメリカだがまだまだ鉄道もここでは健在で映画の一シーンを見るように趣がある。

グランドセントラル駅天井にはプラネタリウムを想像させる星座が描かれている 右は切符売場

グランドセントラル駅の中央広場の先にある地下鉄ホームへ。ここで券売機でメトロカード5回分(21j)を買う。改札からヤンキーススタジアム最寄駅のあるグリーンライン4号線のホームへ上がり電車を待つ。

ニューヨーク地下鉄は路線ごとに色分けされているので解り易い。車両の行き先と急行・ローカルなどを見分けながら注意して4号線に乗車する。


ニューヨークの地下鉄といえば一昔前はひどく治安の悪い代名詞のようだったが電車の落書きもなくそれほど心配しないで乗っていたが、4号線はハーレムなど通っていくせいか次第に挙動不審な人なども増えてきてスキを見せないようにして乗っていく。ヤンキースタジアム最寄駅161st.Yankee Stadium駅に着く。


地下鉄4号線161.St(161丁目駅)マンハッタン島の先南側ヒューストン通りが1丁目だからだいぶ北に来ているのがわかる。ヤンキースタジアム駅で降りる。ホームの向こうにスタジアムが目の前。

(ニューヨークではAve街はワンブロック:250b.1丁目はワンブロックだいたい60b)


駅は高架線なので下車するとホームの先にスタジアム目の前に見える。階段を降りてスタジアムの敷地に入るとライト側の6番ゲイト前、左に歩いていくとバックネット裏に当たる4番ゲイトでそこが正面なのかもしれない。


6番ゲイトと4番ゲイトの間『BabeRuthPlaza』のベーブ・ルースの大フラッグ。

4番ゲイトここが正面なのだろうか、バックネット真後ろの入口。この球場でプレーしたのは古くは伊良部投手、最近では松井秀喜、イチロー、黒田 博樹、田中将大などがいる。



ヤンキースタジアム周囲を散策して地下鉄駅に戻り、又地下鉄グリーンライン4号線に乗ってセントラルバーク近くの86st丁目駅で降りる。すぐ近くにセントラルパーク入口。

2014年10月5日
ニューヨーク街歩き
ホテル/カサブランカ


地下鉄86.St駅からセントラルパーク入口を入ると大きな池。この湖のような池、ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池と呼ばれ、湖岸の遊歩道をジャクリーン大統領夫人はよくランニングしていたことから、ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池の名が付けられた。


セントラルパークはマンハッタンの真ん中に南北4km、東西0.8kmで東はニューヨーク五番街に接している。


セントラルパーク、シープメドウ〜ザ・レイク


ベルヴェデーレ城

ストロベリーフィールズの北側高台に重厚なグレーの石造りのベルヴェデーレ城。


「ボウ・ブリッジ」湖を二つに分断する地点にかけられている橋。


セントラル・パークの橋の中で最も美しい橋といわれている橋でこの橋の上でプロポーズすると100%上手くいくという逸話があり実行するカップルが多数いるという。





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セントラルパーク/ストロベリーフィールズ、オノ・ヨーコのデザインした丸いモザイクの記念碑


セントラルパーク72丁目出口前には、1980年12月8日ジョンレノン終焉の地 ダコタハウス

ストロベリーフィールズ横ダコダハウス前からセントラルパークを出て5番街セントラルパーク入口前he.
5番街出口すぐ近くにある『FAO』という玩具屋さんでソルジャーベアをお土産に買う。この店はアメリカの子供たちにとって楽園のようなお店で玩具のワンダーランドのような店内、全米に130もの支店を持つ玩具のデパートだ。



『FAO』前の信号待ちしていると前方にニューヨークの風物詩スチームが道路から上がっている。


昔ながらの古い建物が残るニューヨークでは今もスチーム集中暖房設備が生きていて街の所々で湯気を上げている。建物に暖房用のスチームを供給するパイプは相当古いものを使い続けているので、錆などで破裂するケースが多く、蒸気が路上に溢れている所はパイプを修理している作業現場で。ここもその修理現場なのだろうか。


ティファニー本店を見学してパーク街にあるベーグルの人気店essa-Bagelを探して歩いていくと残念ながら日曜休業だった。


あきらめて〜パトリック大聖堂〜タイムズスクェアへ歩いて戻ってくる。


カサブランカホテルでは夕方ハッピーアワーが2階広間であり出かける。満席の盛況で少し待ってテーブルへ。ワイン、シャンペン、お茶、フレッシュジュース、チーズ、クッキー、チョコレート、果物などがカウンターに並び自由にとってテーブルでいただく。ワイン好きのMには天国のよう。広間も映画カサブランカをモチーフにしてるらしくアメリカにいる感じがしない。



カサブランカホテル14時〜17時ハッピーアワー(ワイン/シャンパンフリー)



部屋に帰り明日自由の女神見学のしたくしてお風呂に入り寝る。


ニューヨーク一日目を終え、明日は『自由の女神』見学と街歩きして夜は『ニューヨークナイトツアー』忙しい一日になりそうだ。
2014年10月06日
タイムズスクエア
バッテリーパーク
自由の女神
ウォール街
10月6日はニューヨーク街歩き・アメリカの象徴自由の女神に登る

10月6日早朝タイムズスクエアから自由の女神へ出発
2014年10月06日
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今日はニューヨークのランドマークというよりアメリカの象徴である『自由の女神』の見学に行く。
自由の女神のクラウン(冠部分)展望台までのチケットは発売日に予約しておいた。
女神の見学には、王冠展望台までの入場と台座までの入場の二種類があり、どちらも事前予約が必要。展望台に入場できる人数は1時間30人、1日240人までと制限されている為、ニューヨークを訪れる観光客の数から考えて一日240枚の入場券はまさにプラチナチケットだった。


『自由の女神』王冠入場チケット

《自由の女神見学まではトラブルの連続》
7:30 朝食後ホテルを出る。タイムズスクェアの地下鉄入口まで行ったところでメトロカード&マップを忘れたのに気づく、大急ぎで部屋にとりに戻る。自由の女神の入場時間が決まっているの、貴重な時間ロスしてしまった。気を取り直して地下鉄に乗る。すると今度はグランドセントラル止まりに乗ってしまい引き返すトラブル。そして乗換えた1号線サウスフェリー行きに乗る。ほっとしているとその電車は終点一つ手前で運行終わり、前に停車中の別の車両に移るように場内アナウンス、他の乗客と一緒に急いで乗換、やっとサウスフェリー駅に着いたのは8:15分。



バッテリーパーク・フェリー乗り場が工事中で遠回りしてやっとフェリーを見つけセキュリティチェックを受けて乗船する。あさからトラブルの連続だったがなんとか女神に会いに行く船に間に合った。9:30クラウン(冠部分)チケットを見せて乗船。まだ朝早いのか船はそれほどの混雑はなかった。


今日も快晴で絶好の見学日和。マンハッタン島を背にして自由の女神のあるリバティ島へ向かって出航する。マンハッタンんのビル群がだんだん遠ざかっていくと前方に自由の女神の像がだんだん大きくなり近づいてくる。


写真や映像では何度も見ている自由の女神像だがすぐ目の前に見上げるととても感動的。


まもなく船はリバティ島に接岸して全員下船する。


島に入り順路を進みビジターセンターでチケット・パスポートを提示するとリストテープを付けてくれる。
クラウン(冠部分)へ上がるのには、カメラ・薬・メガネ以外は持ち込み禁止で入口のコインロッカー(3j)に荷物を預ける。モニターにロッカー番号と自分の指紋を記録させ、開ける時も同じ手順で開けるという指紋認証式のコインロッカー。


荷物を預けて次のブースに進み2度目のセキュリティチェックを受けてやっと場内(女神の台座部分)へ入る。

台座のアメリカ史跡のプレート。

台座から見上げた女神像

台座の実物大のトーチの先の階段は自由の女神クラウン(冠部分)入場者だけが通れる、354段の急勾配の階段を登りはじめる。


途中からは螺旋階段で狭く傾斜も急になり一歩一歩自由の女神のクラウン(冠部分)目指して上がる。足に不安がある人には無理かもしれない。


354段の階段を上がりきるとやっと展望台に到着。クラウン(冠部分)は7〜8人でいっぱいの狭さ。


小窓がならんで右側の窓からは女神が右腕で掲げているトーチが見える。
Mが覗いている窓は、下のレーガン婦人が手を振った窓。
クラウン窓から手を振るレーガン大統領夫人 by Wikipedia
クラウン(冠部分)小窓から女神のふくよかな腕でかがげたトーチが見える。

狭い空間なので、のんびりは出来ない。写真撮影して後ろから あがってくる人に窓際位置を譲って狭い螺旋階段を又下る。


王冠内の温度計は華氏68℃なので摂氏19℃となる。(摂氏=華氏-30引き÷2)



王冠展望台は極狭い部屋なので滞在時間は少なめにしないと後ろからくる人の迷惑になるのでさっと早めに見学・写真を撮ってクラウンから急勾配の螺旋階段を下る。


王冠展望台から台座下広場に降りる階段から真上に女神像。女神が立っているやや左側にエリス島とマンハッタン島が見える。


自由の女神について.....by Wikipedia
自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した。アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっている。1984年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
本来のモデルはフランスの象徴マリアンヌで、性別は女性である。しかし、像自体の性別ははっきりとわかっているわけではない。銅製だが、緑青の為に緑色になっている。像の頭の部分までの高さは33.86メートル(111.1フィート)、台座からトーチ(たいまつ)までの高さは46.05メートル(151.1フィート)、台座の高さは47メートル(153フィート)、台座部分も含めると93メートル(305.1フィート)、総重量は225トンである。右手には純金で形作られた炎を擁するたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とフランス革命勃発(バスティーユ襲撃)の日である「1789年7月14日」と、ローマ数字で刻印された銘板を持っている。足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、これを女神が踏みつけている。全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴している。女神がかぶっている冠には7つの突起がある。これは、7つの大陸と7つの海に自由が広がるという意味である。
台座部分にはエレベータが設置されている。エレベータの最上階(10階)からは像の中のらせん階段を上って王冠部分の展望台に登ることができる。2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件後は安全のため、同展望台は閉鎖されていたが、2009年7月4日、独立記念日に合わせて約8年ぶりに再開された。再開後は、同展望台に入場できる人数が1時間あたり30人まで、1日240人までと制限されたほか、入場には予約が必要となった。台座部分の内部はアメリカの移民の歴史について展示する博物館になっており、エマ・ラザラス (Emma Lazarus) が書いた「新しい巨像 (The New Colossus)」という題の14行詩を浮き彫りにしたブロンズ製銘板が設置されている。たいまつは灯台とするためのものであったが、雲に反射して船舶運航の妨げになるということで中止された。また、女神像は元々灯台であったためニューヨーク港を向いている。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の際には、自由の女神像もテロの標的となる噂があった。このため2001年9月12日から2004年7月までリバティ島への上陸が禁止された。2004年8月、台座部分の内部までの公開が再開されたが、安全上の理由で頭部にある展望台の再開は見送られた。2009年7月4日、頭部の展望台は、独立記念日に合わせて、入場者数の制限付きながらも再開された。

≪歴史≫
アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスの法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエが南北戦争後の混乱に苦しんでいたアメリカに対し両国の深い友情の証となりうるモニュメントの寄贈を提案し、寄付の募集を呼びかけた。設計は1874年にラブライエからフレデリク・バルトルディに依頼された。設計にはエッフェル塔で知られるギュスターブ・エッフェルも関わった。像のデザインはウジェーヌ・ドラクロワの絵『民衆を導く自由の女神』とバルトルディの母親をモデルにしたものである。また一部では、バルトルディがフリーメイソン所属であったことから、フリーメイソンが崇拝している魔女メデューサであるとする説も存在する。資金集めのため記念像建造キャンペーンとして、宝くじや、1878年の万国博覧会であるパリ万博に完成頭部を展示し約40万ドル相当の寄付金を集めた。1884年にフランスパリで仮組み完成され、214個に分解してフランス海軍軍用輸送船イゼール号でアメリカに運ばれた。台座部分の建設資金は、「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァが資金集めのキャンペーンを行い、アメリカ国民の寄付によってまかなわれた。台座部分の設計はアメリカのリチャード・ハントが行った。1886年10月28日に除幕式が行われた。当日はあいにくの雨であったが、グロバー・クリーブランド大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕した。その後、女神像が置かれることになったリバティ島(当時はベドロー島と呼ばれていた)の庭園の設計はペイリーパークの設計で知られるランドスケープアーキテクトのロバート・ザイオンが担当した

マンハッタンへの帰りの船は満員だった

自由の女神 見学の後 帰りフェリーに乗って出航。途中エリス島に停泊したので下船して15分位見学する。
エリス島
エリス島(Ellis Island)は、ニューヨーク湾内にある島でアメリカの文化遺産。19世紀後半から60年あまりの間、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国した。移民たちによって『希望の島』(Island of Hope)または『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれてきた。約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人が、エリス島を通ってきた移民を祖先にもつと言われている。







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朝出航したバッテリーパークのフェリーターミナルへ帰ってくる。
バッテリーバークからブロードウェイをグラウンドゼロ・9/11メモリアルパークへ向かって北方向に歩き始める。

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