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コペンハーゲン市庁舎横のアンデルセン像 |
コペンハーゲン市庁舎 |
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6:00早起きしてラジオ体操。 7:30ホテル・ヒルトンは一階がレストランで朝食時間は5:30~10:30と空港近くのホテルらしい。 |
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今日はアンデルセン生誕の街オーデンセへ行く為9:30発の列車を予約していた。(二人で467DKK) 空港駅はホテルから徒歩3分くらいなので9:00頃ホテルを出発して駅に向かう。 |
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2番線で列車を待っていると、ホームの雰囲気が何か様子が変だ。みんな駅員さんに群がり説明を聞いているようだ。 |
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片言英語で駅員さん探して質問すると『9:30の列車は事故で運休になって、こんど来る電車でコペンハーゲン中央駅に行きそこで別の電車に乗り換えてください』という主旨の説明。 |
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しかし確信が持てなく、近くにいた女性二人(デンマーク人だった)に同じ質問をすると、自分達は国内旅行中で途中まで一緒に行きましょうと親切な言葉。座席指定券もあったのに役に立たず、予定の時間に着けるかどうかもわからず、彼女たちを頼りにしてついて行くしかない。次の列車に乗りコペンハーゲン中央駅へ。 |
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コペンハーゲン中央駅のホームは大混雑。 目的の列車を探し彼女たちも右往左往しながらやっとオーデンセ方面行きを見つけて彼女たちも一緒に乗車する。 検札に来た車掌さんがオーデンセ着予定時間を教えてくれる。 ほっとしながら車窓の風景を楽しみながら、約1時間半、無事にオーデンセ駅に到着した。 |
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オーデンセ駅ホーム ↑ ↓ オーデンセ駅前 |
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オーデンセ駅をでると駅前は緑いっぱいの王様公園、地図をひろげて王様公園を抜けてアンデルセンの生家方面に歩く。天気は快晴でノルウェーでは見れなかった久しぶりの青空が目にしみる。 |
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オーデンセ駅前 不思議なモニュメント |
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オーデンセの地名の由来は北欧の神話に由来している。フュン島周囲の美しい風景を見たフレイアの夫フレイアが『見て!オーディンOdin Se』叫びそれが地名になったという。確かに美しい街だ。 |
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王様公園から抜けると直ぐに街の中心繁華街だが、騒々しくなく落ち着いた風情。駅を背にしてとにかく真っ直ぐ行けばオーデンセ川というキーワードが頭にあった通り真っ直ぐ進んでいった。 |
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アンデルセンの子供時代過ごした家が見つかる。オーデンセで生まれたアンデルセンは貧しい子供時代で多感な少年時代を過ごした家は世界的童話作家の家とは思えないほど簡素で小さく( 実際使われていたのはこの建物の半分程のよう)アンデルセンは靴屋さんを営む家族とともにはここに暮らしていたのだ。 |
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アンデルセン子供時代の家 |
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子供時代の家の近く 聖クヌート教会はアンデルセンが堅信礼(キリスト教で幼児洗礼などを受けた者がキリスト教徒として強められ信仰告白を行う儀式)を受けた教会。 |
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聖クヌート教会の裏手はアンデルセン公園で、芝生の上にアンデルセンの像が建ち、オーデンセ川にかかる橋の下の流れでアンデルセンの母親が洗濯仕事をした場所だ。 |
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アンデルセン公園 |
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この川でアンデルセンのお母さんが洗濯物をしたのか。 今は心和むのどかな風景の場所だが、アンデルセン一家にとっての当時はそんなのんびりした気持ちにはとてもなれない厳しい時代だったことだろう。 |
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次に向かったのはアンデルセンの生家。 生家は工事中だったので外からしか見れなかった。建物は3戸の共同住宅で当時は両親・姉・祖父母など5家族20人近くが住んでいた。 ここで1805年4月2日アンデルセンは靴屋の息子として生を受ける。 |
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生家の隣にはアンデルセン博物館。 |
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アンデルセンの生家前のみやげ物店。 マダムは接客がすごく親切丁寧な方で人形とクリスマス飾りを買う。 免税書類を作ってもらう。 |
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オーデンセのスーパーでチーズ・ワインを買って駅に戻る。 帰りの列車は時刻表の通りに動いていて予約していた14:07分の列車でコペンハーゲンに帰る。 コペンハーゲン中央駅を出てチボリ公園側に歩いて行く。 |
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コペンハーゲン中央駅 |
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コペンハーゲン中央駅横がすぐにチボリ公園入口だ。 |
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チボリ公園には明後日入園予定なので脇の道路を回りこんで公園裏手のコペンハーゲン市庁舎前広場へ。 市庁舎前広場はコペンハーゲンのランドマークで、街の中心にありコペンハーゲン一番の繁華街ストロイエの入口にあたる。 |
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市庁舎はコペンハーゲンで最も高い105㍍の塔をもち、市庁舎横にはアンデルセンの像が空を見上げている。 市庁舎ホールには100年に1000分の1の誤差しかないイェンス・オルセンの天文時計が有名だ。 |
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市庁舎右横 アンデルセン通り沿いのアンデルセンの像 コペンハーゲン 一の繁華街『ストロイエ』 |
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市庁舎前広場からコンゲンス・ニュートーゥ(王様の新広場)を結ぶストロイエを歩く。 中ほどのアマートゥ広場。 |
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ストロイエでは大道芸も華やか。 実演されていた脱出イリュージョン。 |
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ストロイエをされに進んでアンデルセンが成功してから住んだニューハウン。 ニューハウンは運河沿いにカラフルな木造家屋が並び、かって長い航海を終えた船乗り達の息抜きの居酒屋街だったところで今もカフェやレストランが軒を連らね賑やかに営業中である。 |
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アンデルセンも南岸18・20・67番地に居を構えその壁に彼の名前が刻まれている。 |
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ニューハウンは今も昔と変わらない風景で、アンデルセンも日々見たであろう景色を見られるのは感慨深い。 |
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ニューハウン北岸からアンデルセンの住んだ南岸(写真右)を通って石造りの旧王立劇場前へ。 デンマーク最古の劇場で、1874年にこけら落しが行われた。 |
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ストロイエに戻り。チボリ正面入口からコペンハーゲン中央駅へ。 |
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チボリ公園正面 |
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今日の歩行数は28683歩 約18.6km。 歩きつかれて電車にのり着席すると、前に座った女性が日本語で話しかけてくる。 日本に留学経験のある人で膝の上に置いた日本語ガイドブックを見て日本人と思って話しかけたといった。 久しぶりに日本語が話せてとても楽しかった。彼女は『日本人は礼儀正しく優しく控えめでとても好きな国です』といますぐにでも日本に行きたいといっていた。 間もなくカストラップ(空港)駅でさよならする。 |
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