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北欧旅行(2012年9月26日~10月16日)エストニア/ロシア/フィンランド/スウェーデン/ノルウェー/デンマーク
Estonia/Tallinn Russian.StPetersburg1 Russian.StPetersburg2 Finland/Helsinki Helsinki~Stockholm Sweden.Stockholm(1)
Sweden.Stockholm(2) Norway/Oslo
Hurtigruten.Bodo
Hurtigruten.Kirkenes
Copenhagen(1)
Copenhagen(1)
北欧(9  Finnparken号 ボード~キルケネス(船旅) 10月9日~10月12日
10月9日 14日目
オスロ空港
ボードー空港
沿岸急行船 1日目
ボードー 15:00
スタムスン 19:00
スヴォルヴァール 21:00


K&MSecond Life
各国ページ
1 エストニア/タリン
2 サンクトペテルブルク(A)
3 サンクトペテルブルク(B)
4 フィンランド/ヘルシンキ
5 Tallinksiljaライン/クルーズ
6 スウェーデン/ストックホルム
7 ストックホルム(B)
8 ノルウェー/オスロ
9 船旅(A)沿岸急行船/Bodo
10 船旅(B)沿岸急行船Kirkenes
11 デンマーク/コペンハーゲン(A)
12 コペンハーゲン(B)

いよいよ今日からヨーロッパ最北端を目指す4日間の船旅の始まり。オーロラを求めて北極圏へ入る。


オスロ・ゴーデモエン国際空港からスカンジナビア航空国内線に乗って船旅の出発点、北極圏の町ボードーへ。
オスロ空港13番ゲートで搭乗を待っていると、向かいのベンチに日本人らしい一人旅のご婦人を発見。
Mが話しかけると、やはり日本の方で結婚してチューリッヒに20年暮らしていて、オスロからボードー近郊の村へ観光に行くところだった。


10:40分発の飛行機は2:2 4列の小型飛行機7A.B席。僅か1時間半のフライトで12:10分。あっという間にボードー空港到着。
荷物をピックアップしてロビーにでると、オスロ空港で話した日本人婦人と一緒になりしばし立ち話。


外はあいにくの雨でフッティルーテンの寄港地まで歩いていく予定だったがちょっと無理そう。バス乗り場に町の中心に行くバスがちょうど来ていてそれに乗って行く。
チューリッヒのご婦人とはバス停でお別れする。
10分くらいでボードー市内に来ると、運転手さんが港はここでおりて歩くように促される。
沿岸急行船乗り場は向こうと、港方向を指差している。
寒い小雨のなか傘を拡げてトランクを引き港に向かって歩く。途中の歩道では沿岸急行船の乗客と思われる人たちと何人もすれ違いながら進むと視線の先にやっと停泊中の大型船が見える。


港には船首にFINNMARKENのロゴをつけた大型客船が停泊中。
大きな船体の真ん中に乗船口が口をあけている。
13:00頃やっと入口まで到着して乗船口を入るとスタッフが笑顔迎えてくれる。
レセプションは入ると右側にあって、ヴァウチャーを提示してボードー~キルケネスの乗船手続きをする。沿岸急行船は観光客にとっては素晴らしい景色を見ながら進むクルーズシップだが、峻険な土地に住む沿岸住民にとっては大切な交通機関で、100年を超える古き良き伝統と、最新技術が融合している。


レセプションで乗船手続き後カード式のルームキーを受け取り620号キャビンへ。レセプションはDeck3(3階)で、2基のエレベーターが並んであり6階へ。
船内で何組もの乗客とすれ違ったが、ヘルシンキ~ストックホルム間の船と違ってツアー客の人も個人旅行客も自分達と同年輩(60歳台以上)の人が多いと思った。


フッティルーテン(沿岸急行船)は料金を毎日チェックしながら5月3日ネットで直接船会社のHP…http://www.hurtigruten.com/ から予約した。日本の代理店を通すと手数料が上乗せになったので直予約にした。 沿岸急行船の北行はベルゲン始発でノルウェー沿岸をキルケネスまで7泊8日の航海。
我々の乗船するボードーにはベルゲンを出航して4日目の12時に到着した。



フッティルーテン(沿岸急行船)は12隻の船が上り下り毎日運航していて乗船した『フィンマルケン号』15,000㌧は3番目に大きな船で、新しく大きい『ミッドナットソル号』16,151㌧を希望していたが日程が合わず『フィンマルケン号』にした。
Deck6(6階)のキャビン620に入る。
620キャビンはミニスィート、とはいえホテルとは違い全てがコンパクトで客室というよりキャビンというほうが似つかわしい。

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StPetersburg2
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Stockholm(2)
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Copenhagen
Copenhagen2

『フィンマルケン号』大型客船でDeck8(8階)まであり、「動くアートギャラリー」といわれており、屋外プール、ジャグジー、フィットネスルーム、ウェルネスセンター、美容院、マッサージサロンがついている。インターネットの接続も可能。

Deck6(6階)のキャビン620


乗船した後、早速船内探検に出かける。 屋上のDeck8(8階)は前方半分はインターネットカフェの周囲をガラス窓前にソファが並び、腰掛けると四方に雄大な北極圏の海景色がひろがっている。Deck8後尾はサウナやフィットネスルームなどがある。


Deck7(7階)はカフェやプールと展望室。
Deck6・5(6・5階)全部キャビン(客室)になっている。
Deck4(4階)はレストラン。ここで朝晩の食事をすることになる。
Deck2・3(2・3階)は客室と駐車場。


Deck4(4階)のレストラン。
Deck4(4階)レストランへの連絡通路。左はカフェ

ボードーへは12:30に入港して乗船したのが13:00、船内散策しているとあっというまに出航時刻の15:00。定時に船はゆっくり岸を離れ後進して向きを北にかえ出航した。
4階通路のソファにかけて船出からしばらく北極圏の海や島々を眺めてすごす。


夕食は18:30から4階レストラン。入口受付でキャビンNo.を告げて指定のテーブルへ着席。ウェイターが飲物の注文を受け付けた後料理が運ばれてくる。料理は前菜・魚・肉・デザートと簡単なコースメニュー。


21:00スヴォルヴァールという街に寄航、1時間の停泊時間があったので外に出てみる。
ベルゲンからの船の旅は4日目なので退屈している乗客が多数下船して夜の港に出てくる。


スヴォルヴァール港

スヴォルヴァール港から街への通り道にあったソファの面白い電飾モニュメント。
夜のスヴォルヴァールはホテルと小さなコンビにの明かりしか人影もなく船の写真を撮ってすぐに船内に戻る。



船に戻ってシャワーを浴びベッドに入る。
さすがに大型船でほとんど揺れを感じなかった。(2晩はそうだった)
沿岸急行船のクルーズで一番の景色といわれるロフォーテン諸島は残念なことに寝ているうちに通過していた。一日目夜オーロラは現れず。

10月10日
沿岸急行船
2日目寄航時間
ストークマルクネス 00:45
ソルトラン 02:15
リソイハムン04:15
ハシュタ 06:45
フォンスネス11:15 
トロムソ
14:30~18:30停泊
下船観光
シェルヴォイ 22:20


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3 サンクトペテルブルク(B)
4 フィンランド/ヘルシンキ
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6 スウェーデン/ストックホルム
7 ストックホルム(B)
8 ノルウェー/オスロ
9 船旅(A)沿岸急行船Bodo
10 船旅(B)沿岸急行船Kirkenes
11 デンマーク/コペンハーゲン(A)
12 コペンハーゲン(B)

朝食も4階レストランでヴッフェ。料理はホテル並みで土地柄か新鮮な魚類が多い。




展望室は朝は人気もなくがらがら。


午後2時過ぎ北極圏では一番大きな街トロムソに到着。
ここで4時間停泊する。


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Copenhagen2

14:30トロムスはノルウェー北部地方の中心都市で、ラップランドの中でムルマンスクに次いで第2の規模の都市。北極圏内に位置しているがメキシコ湾流の影響で同じ緯度の他の地域と比べれば気候は穏やか。学術都市であり、白夜やオーロラといった北極圏特有の自然を体験できる観光地でもある。
出航時間の18:30まで4時間もありゆっくり散策するつもりだったがあいにくの雨。


トロムソ大聖堂



トロムソの歴史
トロムソ最古の文化はサーミ人たちによるもので、9世紀になるとヴァイキングが進出し、当時イングランドのアルフレッド大王に謁見して北欧について知見を伝えたハロガランドのオッタルという冒険者は、現在のトロムソの南あたりに住んでいたとされる。 1252年に最初の教会Ecclesia Sanctae Mariae de Trums juxta paganos建立、当時最北端のキリスト教会で、信仰と交易のために周囲から人々が集まる拠点として機能していたと考えられる。1789年ベルゲンの独占貿易体制が崩れ、1794年にデンマーク王クリスチャン7世から交易特権を得た。1812年ナポレオン戦争に関連イギリス軍の攻撃を受けるが市内は安全に保たれた。 19世紀に北極圏で交易拠点となり、東はアルハンゲリスクから西はボルドーまでと交易していた。19世紀の終わりには北極探検の出発点としても有名になった。ロアール・アムンセン、ウンベルト・ノビレ、フリチョフ・ナンセンといった探検家たちはトロムソで北極圏についての経験を積み、また隊員を募ったりした。こうした活動にともない街は発展し「北のパリ」と呼ばれるようになる。1848年には師範学校、造船所、トロムソ大学の前身となるトロムソ博物館が開かれ、1927年にはオーロラ観測台が設立された。
第二次世界大戦中の1940年4月9日、ナチス・ドイツが北欧侵攻を断行し、まもなくノルウェー南部の諸都市は占領されてしまう。北部地方の指揮官だったカール・グスタフ・フライシャー(英語版)はヴァドソーに滞在中だったが悪天候のため身動きがとれず、翌日トロムソに移動して軍民の総動員を命じた。4月29日にイギリス海軍の軽巡洋艦グラスゴーに乗り国王ホーコン7世をはじめとする政府がモルデ経由で脱出してきた。彼らはトロムソに臨時政府を置いたが、イギリス海軍が撤退することになり6月7日に重巡洋艦デヴォンシャーに乗ってイギリスへと亡命。トロムソはナチス・ドイツおよびその傀儡政権の支配下に入る。結局、1944年11月にHåkøya島南岸に停泊していたドイツ海軍の戦艦ティルピッツが撃沈され兵士1000名ほどが戦死したことを除けば戦渦に巻き込まれることはなかった。 戦後トロムソは無傷であった。1964年にトロムソ空港が開港、1972年にトロムソ大学が開設されて、水産業および学術の都市として急速に発展する。


冷たい雨の降るトロムソだが、待ち行く人のほとんどが傘もささず歩いている。これにはちょっと驚く。学園都市といわれるだけあって若者の姿がとても多い。


雨のトロムソ市内、ほとんどの人が傘をささず歩いている。

トロムソの街は北欧らしい風情があり、華やかでない分心温まる雰囲気の街だ。


街外れの大通りから約1kmのトロムソ大橋を渡るとノルウェー本土で、渡ったところに北極教会がある。1965年、建築家ヤン・インゲ・ホーヴィにより設計された教会で、ガラスとコンクリートを使い、トロムソの冬とオーロラをモチーフにしてデザインされた教会は実にモダンな造りだ。


北極教会は夕方4時閉館だったので中は見学できなかったが、教会前の庭から対岸に停泊中のフィンマルケン号がかすんで見えた。はるか向こうに見える船がら1時間くらいでここまで来てしまうのだから人間の足というのはすごいものだ。


教会まで歩いた人は他に三人の関西からの人達と出会った。
そしてまた、夕闇せまる小雨の中を、トロムソ大橋を渡りトロムソの街を抜けて船に戻る。

暖かいキャビンで一服してから、18:30分夕食会場の4階レストランへ。

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12 コペンハーゲン(B)

2日目のディナーは昨夜と同じテーブルで、献立は牛肉テール煮込み、ジャガイモスープなど乗客全員同じメニュー。


トロムソは、オーロラ観測するのに絶好の緯度に位置しているため、古くからオーロラ観察の拠点として知られている。
今夜はトロムソの沖合いからこんなオーロラが見えたらいいのだが。
オーロラが出ると船内アナウンスで知らせてくることになっている。



ノルウェー・オスロ

フッティ・ルーティン(船旅 2)
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