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エルミタージュ美術館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4日目 エストニア/タリンから ロシア/サンクトペテルブルクへ陸路 移動。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロシア入国ビザ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
午前4:30起床 ラジオ体操をした後荷造り、サンクトペテルブルク行きバスは8時発なので7時ホテルでレストランのオープン時間に入り急いで朝食そしてチェックアウト。 歩いてバスターミナルへ。昨日すでにチェック済みの8番乗場でバスの到着を待つ。タリン国際バスターミナルとは名ばかりで、あか抜けない雰囲気で切符売り場もプレハブ小屋に窓口を取り付けただけの粗末さ、整備もあまりされておらず、雑然とした広場、発着場前は粗末なベンチが並びバスを待つ乗客は身なりも街中で見た人々と違い粗末な感じ。ソ連に併合されていた国のせいか人々の表情は皆暗くき鋭い目つきで、慣れない雰囲気に余計緊張する。 |
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エストニア・タリンからロシア・サンクトぺテルブルク へユーロラインバスで移動する | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サンクトペテルブルク行きのバスはなかなか来ない。やっと発車時間5分前に入ってきたバスはユーロラインらしく最新型のスマートな車体で貧相しいバスターミナルがそこだけ陽が当たっているように見える。乗車口の反対側で係員が荷物を整理し積み込む。その係りも無表情で愛想もなく事務的に乗客のチケットをチェックして荷物にタグを付け半券を渡す。荷物を預けて乗車口へ、運転手に予約票とパスポートを提示して乗車する。早めに予約していたので席は前から2列目で、途中交替する運転手が最前列なので乗客の中では一番前の席だった。 |
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ロシア国境付近の寒村 |
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一番きがかりな出入国カードを記入するタイミングは何時なのか、判らないまま全員が乗車したのを確認して早々にバスは発車した。国境までの車窓から見える景色は旧ソ連らしい殺伐とした貧しい家の多い村ばかり、経済発展が続くロシアだがまだ末端までは行届かないのか政治も弱者に配慮はないのか、複雑な気持ちで眺めながらバスはサンクトペテルブルクに向かって走る。 |
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ロシア出入国カード |
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やがてロシア国境に差し掛かかったようだ。窓の外に異様な行列が目に入る。出入国手続きの人の行列だろうか、粗末な服装で荷物を抱えた人々の行列は昔見た映画の一場面のような暗く不気味な光景。不安がよぎる。こんな気持ちになったのは海外旅行をしていて初めてだ。バスは停車したまましばらく待たされてやっと前のバスの乗客の入国手続きが終わったようで、そのバスが去った後にこちらのバスが停車すると、エストニアの係官がバスに入ってパスポートチェック。特に問題なし。 さらにバスは進んでそこが本当の国境なのだろうか、ロシアの入国管理らしき事務所前でバスは停車。乗客全員降りて事務所内へ。一緒に後について事務所内で列につく。 ひとりづつ窓口でなにやらチェックを受けて、それが済むと先に進みロシア国内に入って行く。 やっと順番が来てパスポートを見せると入国審査担当官がロシア語で小さな紙片とボールペンを放り出し記入しろと指示される、出発前いつのタイミングで渡されるのか不安のあった”出入国カード”が今ここで突然渡された。 それも自分達だけ! 書くしかない、列を離れ近くのテーブルで必死に記入を始めると他の乗客が壁の張り紙を指差し「こんな風に書くんだよ」というような事をロシア語で話しかけてくれたり、バスの運転手も心配して横について記入の様子を覗き込んでいる。出入国カードの記載については出発前何度も点検していたが、いざ実物を前にすると文字も小さく老眼の目を精一杯見開いて調節しながら一字一句間違えないように二人で記入する。 やっと書き終えるとバスの運転手が列の一番前に誘導して書類を窓口に提示する。やっとパスポートに入国許可印がガチャンと押されるとほっとため! バスにはすでに全員乗っていて待たしてしまったらしかった。 こんなに緊張した入国手続きも初めてだったが、それ程緊張するほどの事でもなく、当たり前の事をしていればよかったのだが、ロシアに対して必要以上の警戒感や印象が、余計な神経を使わせていたように思う。この時の経験はいい思い出になることだろう。 |
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サンクトペテルブルク Hotel SokosVasilievsky 前 |
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道路がサンクトペテルブルク近くになってくると車も増えて道路も一車線になり、スピードの出し方も尋常でなく、バスも相当スピードを出して走っているにもかかわらず後から後から追い越していく。向こうから車が迫って来ても僅かな車間があると追越して、対向車の方がブレーキをかけ追越し車両に譲っている。まるで曲芸のような乱暴な車ばかり。案の定追越し車両が追越しきれずに対向車とぶつかっている現場に遭遇した。警察が来るわけでもなく救急車がいるのでもなく、当方のバスの運転手は当たり前の光景のように無表情に横を抜けて走っていった。 サンクトペテるブルク市内に入って間もなくバスも終着地に着いた。 地図では事前に見ていた場所だがバスを降りると右も左もわからないという感じで、はてどうホテルまで行くか思案する。 計画ではホテルまで3~4㎞なのでゆっくり街を見ながら1時間くらいかけて歩くつもりだったが、道の状態もあちこち工事していたり、舗装も荒れているようだし、段差も多そうだし歩くのは無理と判断して近くの地下鉄駅前に行く。 タクシー乗場もあるが誰も乗ろうとしていない、しばらく考えて、目の前に停車中のタクシーの窓をこんこんと叩くと、運転者が降りてきたので地図を見せるとわかったようなジェスチャーをして自分の車の前に止まっている車の運転手に声を掛けるとその人が寄ってきて、手書きのメモを提示し、800P(ルーブル)と20EUR(ユーロ)と2つの数字が書いてある。 計算するとだいたい2000円位か。ポンコツ車にはメーターがあるわけでもなくいわば白タクだ。何で最初の屋根にタクシーのサインを掲げた車の運転手が別の車のこの運転手に話を持っていったのだろう?疑問はあったがもうこの人にかけよう、20ユーロOK!とポンコツ車の運転手にメモの数字を指して返事すると、運転手はニコニコしながらこちらの荷物を車のトランクに入れてドアを開けどうぞの仕草、だいじょうぶかなと?もう乗るしかない。 しかしポンコツ快速車はすいすいとサンクトペテルブルクの歴史的な建物を車窓に映しながら10分くらいでホテル近くらしい場所に到着して停車し、地図を確認している、とMが20~30㍍先にあるホテルサインを発見、運ちゃんも笑顔で地図を返して車をホテル前まで進める。ちょった心配なタクシーだったが無事到着した。 車から荷物を歩道に降ろしてもらい20ユーロ札を渡し「サンキュー」と言うとその英語はわかるらしく手を上げ微笑んで去っていった。初めて接したロシア人はいい人でよかった。 |
パリの古写真 |
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ホテルは照明も暗く陰気な感じを受けたがチェックイン。 ロシアだけは入国ビザと一緒に業者に予約をしてもらったので、グレードが不明。フロントの女性にバスタブをリクエストすると、簡単にオッケーしてくれる。ロシア人はタクシーの運転手といい、フロントの女性といいとても親切で目つき顔つきは皆厳しい感じだが心は同じ人間同士だなと思う。 サンクトペテルブルクは3泊するので寒い時期にシャワーの部屋では憂鬱だったのでありがたかった。 部屋は3階のツインルームでベッド脇には大きな楽に入ったパリのシャンゼリゼ通りのカフェの白黒写真がある。 バスルームは4畳半くらいの広さがあり、トイレも別なのもありがたい。 |
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荷物を整理したあと早速街に出る。ホテル前通りを100㍍進むと大学河岸通りに出て平行して流れる「大ネヴァ川」は名前の通りの大河だ。 |
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大ネバ川・ブラゴヴェシチェンスキー橋 |
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ブラゴヴェシチェンスキー橋(下を噛みそうな名前)は広い歩道があるものの脇を走る車のスピードはけたたましい音、ロシアの運転は本当に乱暴だ。 橋から見える景色は素晴らしいのに歩道上は車の騒音でせっかくの景観も損なわれてしまう。 もう静かにゆったりした気持ちで街に浸れるように出来ないものなのか。 ロシアの政治家や国民は現状をわかっているのだろうか?などと憤慨してもしょうがない、騒音の中でも街の情景を楽しみ浸らなければ来た意味がない。 |
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マイリンスキー劇場 |
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ブラゴヴェシチェンスキー橋を渡り、車の往来の激しい通りを進み左に折れ運河沿いの道は静かな通りでここはとても静かで歩きやすい。運河沿いを進むとマリインスキー劇場の裏手になる。表通りに出てマイリンスキー劇場前には演目を見る人、チケットを求める人、観光客で賑わっていた。 |
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マリインスキー劇場の通りの向かいがサンクトペテルブルク音楽院劇場 |
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マイリンスキー劇場はロシア帝国時代・首都サンクトペテルブルクに建てられた皇室劇場で、帝国を代表するオペラ、バレエの中心施設だった。チャイコフスキー作曲・バレエの名作「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」は、ここで初演された。サンクトペテルブルク歴史地区の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。 今夜のマリインスキー劇場は「楽劇・神々の黄昏」と出発前に調べ馴染みのない演目なので観劇はあきらめていた。 マリインスキー劇場の通りの向かいにチャイコフスキーが卒業第一期生だったサンクトペテルブルク音楽院があり、そちらに行くと小さなチケット売場があり今夜の演目は「白鳥の湖」。マリインスキー劇場とは比較できないだろうがロシアバレーに触れることは出来るのではないかと劇場入口から入るとすぐに小さなチケット売り場の窓口がある。 チケット売場は老婦人が案内していて、座席表を見せてもらう。しきりに2階最前列を指差して進める。 とてもいい席のようだ。値段は2800ルーブル(\7000)。旅行前インターネットでは一人100ドル以上してたと思うので格安だった。 |
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夜のバレー観劇チケットを買った後さらに その先のニコライ聖堂近くの運河沿いの道を散策していると、NHK.BS「街歩き」で録画して見た橋や広場で懐かしい気持ちになる。近くのスーパーに入る。近所の人が買物するスーパーらしい。おやつや5㍑のお水を買ってホテルへの帰り道は大ネバ川を渡って。 |
5㍑のお水をかかえて ホテルへ |
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ホテルに戻り夕食。 19時半、お洒落してサンクトペテルブルク音楽院のバレー公演を観に行く。 劇場に入るとチケットの席がロシア語表記で内容がよく判らない。近くにいた日本のツアー添乗員の人に席の位置を聞くと親切に教えてくれる。 チケット売場の老婦人のいった通り2階最前列は前の人の頭もなく舞台も間近に感じられ足元も広く最高の席だ。開演前の劇場の雰囲気は独特だ。 20時開演。 |
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白鳥の湖・開演前のサンクトペテルブルク音楽院劇場 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サンクトペテルブルク音楽院 |
ヴァイオリニスト 前橋汀子 指揮者 西本智美 |
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1862年創設当時 | 2012年現在 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サンクトペテルブルク音楽院・劇場の『白鳥の湖』 |
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白鳥の湖は馴染みのメロディも多く内容も解りやすいのだが、演じたのは音楽院の生徒らしく素人の我々にもわかるくらいテクニックはいま一つだったが充分楽しめた。ただ後ろに座った中国人グループの騒々しいこと。開演中にもかかわらず大声で喋るは、みかんやりんごを食べるはで騒々しい。途中隣の外人さんがガツンと注意されると中の一人が「I'm sorry」と英語で言って素直に静かになった。 |
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音楽院を出ると前がマリインスキー劇場 |
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23時過ぎバレー観劇を終えて外に出る。深夜の時間に不安があったが思ったよりサンクトペテルブルクの治安はいいようで、女性の一人歩きも多く全然心配はなかった。 |
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夜のマリエンスキー劇場 |
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大ネヴァ川を渡り、左に300メートル、大通りを渡ると滞在しているホテル・SokosVasilievsky |
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タリンからバスで入国しタクシーでホテルに行き、広いペテルブルクの街を歩き回って、いろいろ出来事のあった一日でとても疲れやっとホテルに帰る。 17355歩 11.3㎞ |
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サンクトペテルブルク2日目 ホテル・SokosVasilievskyの朝食 | SanktPeterburg 1日目へ戻る サンクトぺテルブルク ホテル |
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9月30日 日(5日目) 曇り時々雨 ロシア・サンクトペテルブルク8時起床 ラジオ体操 9時~1階レストランで朝食 朝 はいつもながらしっかり食べる。 大広間が3つあるレストランは日曜のせいか満席。 11時ホテルを出て、明後日ヘルシンキへ行くアレグロ号の始発駅を観光がてら見に行こうと歩き始める。大ネヴァ川と反対側に向かってホテル最寄駅の地下鉄3号線ヴァシーリオストロフスカヤ駅(ロシア語表記は全く読めない)を右折して小ネヴァ川に架かるトゥチコフ橋を渡る頃雨が降り始める。橋を渡ると左にペトロフスキ・スタジアムがある。名門FCゼニト・サンクトペテルブルク(2011年に新本拠地移転)の本拠地だった。 |
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砲兵博物館 |
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ペトロパブロフスク要塞 ロシア正教会の大聖堂 |
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小ネヴァ川を渡り砲兵博物館前へ。戦車や大砲が無造作に並び、間近で初めて兵器を見る。 平和目的ではなさそうだし、兵器を誇示してるのか、何の為の展示なのか意味が解らない。 砲兵博物館から通りの向こうにペトロパブロフスク要塞の金色に輝く尖塔の聖堂が見える。 更に河岸通りを進むと正面には繋留された『巡洋艦オーロラ』だ。 |
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港を抜け大ネフカ川を渡る頃もう足は棒のようになっている。ひき帰すことも出来ず道を尋ね尋ねながら雨の中フィンランド駅を目指す。12時半ごろやっと駅に到着する。駅は国際列車が発着するにしては地味な駅舎。 |
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フィンランド駅 |
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今日はエルミタージュ美術館に行くのが大きな目的なので、帰りは地下鉄1号線プローシャチ・レーニナ駅から乗車、2つ目のエルミタージュ美術館の最寄り駅マヤコフスカヤ駅で下車。ロシアに入って初めての地下鉄。乗客はやはりロシアらしく皆暗く堅い表情で他の西欧諸国の車内とは違う異様さに感じた。しかし駅そのものはとても優雅な豪華な造りであった。2つ目の駅で下車するとサンクトペテルブルクの中心だけあって沢山の乗客が一度に降りホームはいっぱいで2台あるエスカレーターは1台は閉じて1台しか動いていないのでエスカレーター前は押し合いへし合いの様相。なんで両方動かさないのか判らない。登りのエスカレーターは上に見上げると、下るときよりはしっかり長さが判ってやはりすごい長さだ。調べるとやはり駅の異常なくらいの深さは冷戦時代の遺物で防空壕を兼ねて建設されたものだった。 |
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マヤコフスカヤ駅を出たところがネフスキー大通りに面したゴスチーヌィ・ドヴォールという百貨店でショッピングアーケードのような造り。外は雨の為軒下にみんな雨宿りをして、しばらく一緒に雨が小降りになるのを待った。ネフスキー大通りのカザン聖堂前を通り道を尋ねたロシア人女性二人連れがちょうどエルミタージュ美術館に行くようなので、あとについてモイカ川を渡り右に折れ裏道からビルの下を抜ける道をでると正面にエルミタージュ美術館前広場に出る。 |
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写真や映像で何度も見たエルミタージュ美術館の白グリーンの建物は冬宮の名前の通り瀟洒な宮殿のようだった。正門を入ると中庭で当日券を求める人のなが~い行列ができている。 インターネットで予約して来たので行列の脇を通って中のチケット売場へ進む。やっと中のチケット売場にたどり着き予約券を見せると交換する場所を言われたが全く解らない。あっちこっちうろうろしてやっと見つけた交換場所はさっき入った正門の小さな窓口で小さくインターネット予約交換場所の表示。下調べしたのと全く違う場所でわかる訳がない。窓口に予約プリントを提出、クレジットカードで決済して、あっさり入場券を手渡されまた大混雑中のチケット売場脇の美術館入口へ。世界屈指の美術館らしく、入口では飛行機に乗る見たいなセキュリティチェックを受けてやっと入場する。 |
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中に進むと正面に目を見張るような豪華な「大使の階段-ヨルダン階段」。記念撮影をするスポットなので、みな写真を撮ってから上っていく。階段を上がり2階へ。聖ゲオルギーの間、パヴィリオンの間、紋章の間、ピョートル大帝の間、など美しい装飾の部屋が続く。雨の中歩き疲れてはいたが、ゆっくり休み休み世界の名画を見てまわる。午後3時過ぎエルミタージュ美術館を出ると、外はまだ大雨だった。歩道は横を疾走する車で疲れが増幅する中、元気を出してホテルにやっと戻ってくる。お風呂を沸かしてゆっくり入浴。生き返るように気持ちいい。 24000歩 15.6km |
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