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![]() 広島バスセンター |
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8:00ホテルをチェックアウトして、そごう3階のバスセンターへ。今日は錦帯橋から明治維新で日本を変えた中心人物達の合議した湯宿・湯田温泉「松田屋」に泊まるのがとても楽しみ。 |
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![]() 広島市民球場跡地 |
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錦帯橋までのチケットを買い8:45発のバスに乗る。 バス乗るとフロントガラスのむこうに工事中の広い土地が見える、その土地は懐かしい広島球場跡地と分かったのは、バスが動き始めると工事中のシートの向こうに原爆ドームが見え始めたからだった。 広島に来てカープ時代プレーした市民球場が無くなってとても寂しく平和公園側から見ると、その跡地はシートで囲まれ中はうかがい知れなかった。それがたまたま乗ったバスから、ほとんど原型は留めてはいないもののライトスタンドだけは残っていてとても嬉しかった。 昨日は三條のカープ合宿所の跡地を見れたし、今日は偶然に球場跡地も見る事が出来て本当によかった。 |
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バスは工事中の球場跡横を通って郊外に出て高速道路をしばらく走り9:40頃岩国・錦帯橋に到着する。天気は快晴で錦帯橋をゆっくり渡る。橋の歴史を読んで初めて知ったことだた、この橋の発案者で3代藩主吉川広嘉は利便を考え橋を造るにあたって吾が故郷・甲州猿橋をモデルに考えたらしい。しかし川幅の違いで同じ方法では橋は造れず苦心の末今に残るアーチ橋を完成させた。 |
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橋を渡り向こう岸におり、普通は又橋を戻って帰るのようだが、地図で見てそのまま川岸を歩けば川西駅にでられるはずと考えゆっくり歩いて行く。途中車の往来の激しい所もあったのだが、偶然に寄るつもりのない「宇野千代」さんの実家が近くにあり見学していく。千代さんの家の広い庭には紅葉が真っ赤にそまり、平屋の建物はとても質素で、こんな不便な土地に著名な小説家が育ったとは驚きだった。 人に道を尋ねながら千代さんの家前を更に進んでいくと遥か彼方の丘の上に川西駅が見えた。 |
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![]() 岩国・宇野千代さん生家 |
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電車は一時間に一本しか走らない過疎の駅で今度来る電車は10:55分。しばらく人気のない駅で待っているとむこうの丘の陰から姿を現した電車は1両編成でとことこ向かってくる。後ろの乗車口から乗り10分で岩国に到着。 |
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![]() 川西駅 |
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![]() 岩国駅で乗換え |
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山口方面は11:09分で急いで発車ホームに移動して下関行きの電車に乗り換える。 岩国を出るとすぐ光駅で昔ここの海に海水浴に来たことがある。広い砂浜のあるいい海岸で海の家というものも何もなく松の根元で着替えて泳いだのが思い出される。 徳山など通過しながら13:20分山口駅に着き下車する。 |
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山口駅前の大通りは両側がイチョウ並木できれいに紅葉してきれいな道だった。寺までの山口県庁前の通りは道百選に選ばれたとても綺麗な道で、日本では珍しく所々にベンチもおかれ時々休みながら約1時間歩いてやっと瑠璃光寺入口の香山公園に着く。 |
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![]() 山口駅前通り |
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公園に隣接した毛利家の墓所前の石段は「うぐいす張りの石畳」で有名で、みんなここで、手をたたいたり、足踏みして反響を聞いていく。その先に目指す瑠璃光寺の五重の塔が青空に向かってそびえている。 |
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公園から瑠璃光寺の境内に入る。浄瑠璃寺の五重の塔は日本三名塔に数えられ、是非見たいと思っていた。高さ31bの塔は領主・大内義弘の菩提を弔うため、弟の盛見が嘉吉2年(1442年)に建立した塔、室町時代最高傑作と称され国宝に指定されている。長い時間を経てきたなんともいえない色で建ち、とても重厚で美しい。 |
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瑠璃光寺本堂をぐるっとまわってお参りした後、今夜の宿泊地 湯田温泉に向かう。 瑠璃光寺まで1時間も歩いた後で又宿までは4〜5kmはある。バスかタクシーで行く距離だろうが、楽だが車に乗ってはつまらないので街並を見ながらゆっくり歩くことにする。山口県庁や山口市役所などを通り抜け大通りを湯田温泉までは相当歩きでがあった。 |
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![]() 湯田温泉・松田屋ホテル |
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足がずっしり重たくなるころやっと宿に到着する。 石畳の門をこぐると玄関内から番頭さんが走りよって荷物を持って迎えてくれる。長く歩いたあとでほっとして館内に入る。 すぐに部屋3階の部屋に案内してもらい、館内の説明を受けたあと早速「維新の湯」へ。 |
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「維新の湯」の浴槽は、江戸時代末期1860年につくられたもので、長州、薩摩、土佐の勤皇の志士 高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・井上馨・坂本竜馬・三条実美らが、しばしば松田屋で会合、倒幕の密議をした折に使用した歴史的文化財。 |
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![]() 上から 「岩の湯」 「花柏の湯」 「白狐の湯」 |
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嬉しいことにお風呂は貸切で、竜馬や西郷さんも入ったお風呂という感慨にふけりながらのんびり湯につかれた。 後から入った大浴場・岩の湯は源泉かけ流しの大きな岩風呂でお風呂としてはずっとこちらの方が温泉らしかった。 18時から夕食。 |
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夕食は山口らしいふぐ料理中心で名旅館らしくはしっかりした内容で質・量ともとてもよかった。 今日の歩行数は15840歩 約11q |
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翌朝は6時に起きて又、維新の湯に入る。ラジオ体操した後、朝食いただいた後、8時過ぎチェックアウトしたあと秋芳洞行きのバスの時間があったので、館内の維新にまつわる史跡をもう一度見学していく。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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「庭の奥にある西郷・木戸・大久保会見所」1867年、薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀(大河ドラマ篤姫で瑛太が演じた)らが、薩長同盟の確認と薩長連合軍による倒幕出陣の協議のため山口へ来た折、長州藩木戸孝允・伊藤博文らと共に薩長同盟成立前後 松田屋でしばしば会談した場所だそうだ。 |
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松田屋さんには他にも維新に関わる遺品が残されていて「高杉晋作・憂国の楓」は、倒幕攘夷の密議の場としてたびたび松田屋に出入りし、松田屋玄関横にあった楓のに所感を刻み込んだ文字が発見され、貴重な歴史的遺物として松田屋明治維新資料室に保存されている。 |
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![]() 秋芳洞入口 |
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12月1日(木) 曇り時々小雨 松田屋ホテル前のバス停でから、8:43分発のバスに乗り秋吉洞へ9:23分到着。 バスターミナルでコインロッカーに荷物を預けて秋吉洞を見学する。 秋吉台の地下100bの南麓に開口する大鍾乳洞「秋芳洞」名前の由来は大正15年皇太子だった昭和天皇が探勝した際に名前を賜ったのだそうだ。 |
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![]() 左上:黄金柱 下:百枚皿 |
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洞内の温度は四季を通じて17℃で一定している。仙崎に行くバスの予定があったので、奥まった黄金柱へんまで見学して折り返し元の入口に戻る。 |
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