海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 RETIREMENT HIT-PRADE MAMI Archives PROFILE SITE-MAP
Malaysia...Singapore
真冬の日本から常夏の国へ
2016年12月28日~1月5日 12月28.29日MALAYSIA
クアラルンプール
12月30日IPOH
マレーシア/イポー
12月31~1日MALACCA
マレーシア/マラッカ
1月2~5日SINGAPORE
シンガポール
/ジョホールバル
2016年12月31日
HOTEL
ParkRoyalServiced SuitesKualaLumpur
KL.TBS
バスターミナル
マラッカ
Central.Bus.Terminal
HOTELマジェスティック
TheMajesticMalacca

12月31日.マラッカ/オランダ広場(Red Square)
NO-SIDEホームへ
HOME
K&MSecondLife
2016年 大晦日はクアラルンプールからマレーシア第二の世界遺産の街マラッカへの バス旅。
TBS(バンダー.タシック.スラタン)バスターミナル
31日クアラルンプールTBS(バンダー.タシック.スラタン)バスターミナルからKKKL社の高速バスでマラッカへ。。
バスは3列席で、前から2列目3.4.5を予約。マラッカまで2時間半のバス料金が3人で43.2RM 1123円。一人374円という安さ。座席は広々ゆったりでとても快適。
マラッカCentralバスターミナルからタクシーでオールドタウンにあるHOTELマジェスティック(TheMajesticMalacca)に12時到着。チェックインは午後3時~だったが早めに部屋に入れてもらえた。Majesticを翻訳すると、威厳のある.荘厳な.堂々とした.となるが実際の印象は、それよりは軽く、マラッカの古き良き時代の香りのする落ち着いた雰囲気の宿。
ホテルロビー。HOTELマジェスティック(The Majestic Malacca)5☆はAppleWorld社で予約。
トリプルルーム\23370
ウェルカムドリンクの可愛い茶器セット。
お風呂は珍しい優雅なネコ足バスタブ。
世界遺産のマラッカ街歩きに出発。始めは街を流れる運河沿いから。
NO-SIDEホームへ
HOME
K&MSecond Life
マラッカの中心にあるのは『オランダ広場』。右の建物は「スタダイス旧オランダ総督邸」左奥はキリスト教会(Christ Church) 左手前に ビクトリア女王噴水.。
オランダ広場

マラッカ/キリスト教会(Christ Church)
マラッカ海洋博物館

マラッカ海峡に沈んだポルトガルの交易船「フロール・デ・ラマール号」を模して建築された博物館。

オランダ広場から10分くらい歩き、ショッピングセンター(Dataran Pahlawan)中のレストランBlack Canyonで昼食。

広場に並ぶのは、ド派手に飾り付けた客待ちのトライショー(自転車タクシー、輪タク)

坂道をあがり丘の上にあるザビエルの像の建つ『セントポール教会礼拝堂史跡』へ

セントポール教会礼拝堂史跡  

スタダイス広場(クロックタワー)の東南裏、ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)の西北背面にある小高い丘を「セントポールヒル」セントポール教会はその丘の上にポルトガル占領時代に建てられた教会。現在は屋根もなくレンガの壁面だけが残る廃墟となってしまっている。1511年、ポルトガル軍はマラッカを占領した。以後マラッカは、ポルトガルの貿易の重要な中継地となり、また東南アジア・極東アジアにおけるキリスト教(カトリック)布教の活動拠点になる。1521年、ポルトガル人によってセントポールの丘の上に教会が建てられた。1548年にこの教会はイエズス会に譲られた。日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なイエズス会のフランシスコザビエルは、布教活動の為に定期的にこの教会を訪れていた。1641年にオランダがマラッカを侵略した時、教会はひどく破壊された。修復され使われていたが、新しいプロテスタントの教会が完成してからはほとんど使われなくなった。丘はプロテスタント教徒の墓地になった。イギリスの管理下では、灯台が建てられ、弾薬庫として利用されていた。教会内部の壁面に沿って並んでいる大きな墓石は、プロテスタント派の墓石である。1957年にマラヤ連邦が独立した際に、マレーシア政府はこの丘に知事の公邸を建て、周りにあったプロテスタント教徒の墓を撤去しようとした。その時カトリック教徒が墓石の移設を提案した。その為、元々カトリック教会でありながらプロテスタント教徒の墓石が教会内にある。教会内の祭壇があったと思われる場所に、ワイヤメッシュ・フェンスで囲まれた場所がある。ここはザビエルの遺体が埋葬されていた場所として有名。1552年に中国大陸の布教に向かっていたザビエルは、中国広東の上川島(サンシャン島)で急病によりなくなった。その後、マラッカに遺体が運ばれ、この場所に埋葬された。9ヶ月後、遺体はインドのゴアに移送された。遺体は腐敗していなかったと言われている。1605年ゴアにボン・ジェズ教会が建てられ、遺体はそこに移され安置された。現在も安置されている。1614年にイエズス会総長の命で右手が切断され、ローマのイエズス会本部へおくられた。この丘にある大理石の聖フランシスコザビエル像は1953年に建てられた。像が建てられた時に、嵐によってなぎ倒された木が像の右手にあたり、右手が無くなった。セントポールの丘は、マラッカの美しい街並みと海峡が見渡せる絶景スポットでもある。特にマラッカ海峡に沈む夕日は、忘れられないマラッカの風景となるだろう。

2016年12月31日
HOTEL
ParkRoyalServiced SuitesKualaLumpur
KL.TBS
バスターミナル
マラッカ
HOTELマジェスティック
TheMajesticMalacca
 
 旅紀行(海外)
 旅紀行(国内)
 旅紀行(札所)
 旅紀行(温泉)
 '60Hit-Parade
 Mami (pet)
 ARCHIVE
 RETIREMENT
 SITE-MAP
 日曜名画座




セントポール教会前庭からマラッカ海峡のビューポイント。
丘をおりてマラッカ一番の繁華街ジョンカーストリートへ。
旧市街(チャイナタウン)ジャラン.ハン.ジェバットを昔から地元の人たちはジョンカーストリートと呼んでいる。
マラッカ一の古寺、チェンフンテン寺院を探す。
立派なお寺の前に来るがそれは目指すお寺ではないようだがお参りしていく。すると入り口の品のいい女性から二階もどうぞと勧められ、上がると目の前がチェンフンテン寺院だった。お寺の祭壇の前にはボトルに入った霊水がずらっと並んでいて、お参りした人が次々にもらっている。それでお布施を入れて一本いただいて帰る。
古寺 チェンフンテン寺院に入る。今日こそ今年最後のお礼参りになるのだろう。念入りにお参りする。
中国式おみくじか?
本堂前
街歩きの最後はリバークルーズで。3人で63.6RM 1653円 雨も心配で中央席に座る。それが後になって幸いした。
途中で雨が落ちてくる。川に面した席の人は傘にかくれようになり、そのあとはすごいスコールで外側席は座っていられないくらい雨が吹き込んでくる。それでも船頭さんは意に介さず船を進めていて、やっとホテル近くの船着き場にきて下船、傘をさして小走りにホテルに駆け込む。
ホテルに戻ってネコ足バスタブのお風呂に交代で入る。
日本と時差があり一時間遅れマラッカ時間では8時過ぎから紅白歌合戦が始まる。外国での年越しテレビはNHKしか映らないので渡航中の人の紅白視聴率は非常に高いだろう。

紅白歌合戦は時差の為
1時間遅れで
大晦日の夕食はリバーサイドレストランに行く予定だったが大雨なので、ホテルレストランのルームサービス利用。紅白の始まる時間にお願いする。
紅白も終わりいよいよ12時になる。マラッカでもささやかにあちこちで花火が新年を迎え打ち上げられた。
花火も地味で間もなく静かな闇がもどり運河の照明を見ながら新年を迎えた。
2017年1月1日
HOTEL
マジェスティック
Malacca
セントラルバスターミナル
シンガポール
QueenBusTerminalへ
Hotel
Shangri-la Singapore



NO-SIDEホームへ
HOME
K&MSecond Life
Malacca.Central.BusTerminal
2017年元旦。マラッカ セントラルバスターミナル9:00発高速バスでシンガポールへ。
マレーシア/イポー戻る シンガポール/ジョホールバルへ⇒
Malaysia...Singapore
真冬の日本から常夏の国へ
2016年12月28日~1月5日 12月28.29日MALAYSIA
クアラルンプール
12月30日IPOH
マレーシア/イポー
12月31~1日MALACCA
マレーシア/マラッカ
1月2~5日SINGAPORE
シンガポール
/ジョホールバル
HOME 海外紀行 日本紀行  札所紀行 温泉紀行 日曜名画座 RETIREMENT HIT-PRADE PET Archives PROFILE SITE-MAP



HOME Ken & Merry's Second Life

NO-SIDE  It aims at a happy retirement E-mail: no-side@no-side.us
Copyright c1998-2007 Ken&Mary. All rights reserved.